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総合魔導学習指導要領マギノ・ゲーム  作者: 天川守
第4章 冬 ~終わりの季節~
326/341

第323話『愚かな自分』

 派手な技は、その戦いには存在していない。

 双剣と剣、数の違いこそあれど、やっていることは結局のところ同じ動作の繰り返しである。

 魔力を込めて、相手を断つ意思を携えて、ただ前に進む。

 試合が始まってから両者の戦いはそういうものに終始していた。


「ハッ!」

「ヤッ!」


 威力では、姉である桜香が優り、


「ッ――たあああッ!」

「くっ!?」


 手数では妹である優香が優る。

 両者共に譲らぬ一進一退の攻防。

 虹を纏う2人の乙女が、空を彩るかの如くぶつかり合う。

 自己の強度を上げることで、桜香は強大な矛と盾を手に入れた。

 やっていることは『皇帝』と同じであり、手段だけが異なる。

 最強の幻想を纏った皇帝に対して、桜香は自己の練磨と才能のみで同じ領域にまで来た。

 彼女の『虹』は皇帝の『黄金』と同じように全てを砕き、全てを防ぐのだ。

 対抗する手段はただ1つ、同じ領域まで辿り着くしかない。

 技を使うことも出来るが、この戦いにそのような無粋はいらなかった。


「雪風!」

『魔力をブースト。行動予測を転送します』


 優香が至ったこの境地は方向性として何も間違ってはいなかった。

 桜香の強さ――より言うならば、彼女を含めた3強は特異な自己の領域を確立しているところに強さの秘密がある。

 彼女たち、もしくは彼以外には出来ない――そう思わせるだけの技を持っているからこその3強だった。

 この中で以前の桜香は薄味、と表現すべきだろうか。

 凄いのは凄いが、上位陣からすると何処か物足りない、そんな評価だったのだ。

 かつての桜香は涼しい顔で戦闘をしていた。

 今の余裕のない、追い詰められた表情とは大きな違いがそこにあった。

 負けられない理由があり、必死となった彼女は正しく3強に名を連ねる魔導師となった。

 頂点に至るために、より言うならば健輔に勝つために桜香は飛翔する。

 そんな彼女を止めるために、優香も必死で空を舞う。

 そう、空を舞い、姉に追いつくためにこの力を覚醒させた。

 なのに、状況は互角。

 追いつきはした、しかし、追い越すことは出来ていない。

 この状況が生まれてしまい、続くことを優香は恐れている。


「っ――姉さん!」

「何、かしら? 優香?」


 叫びと共に剣を叩き付ける。

 再び1つになった魔導機は桜香と同じバトルスタイルへの変化を意味していた。

 健輔のように変幻自在とまではいかないが、優香は彼と最も身近に接してきた魔導師である。

 2つのスタイルを切り替える程度は造作もないことだった。

 ましてや、相手は固有能力を得るほどに焦がれた彼女の理想像。

 全てが脳裏に焼き付いている。

 そんな姉の今の姿が、優香には怖くて仕方がない。


「あなたは、どうして――!」


 チームメイトが、周りの魔導師が墜ちている。

 全体の戦況として、追い詰められているはずなのに桜香の顔色は何も変わらない。

 これが王者、クリストファー・ビアスと同じ余裕、もしくは頂点に立つ者として在り方だと言うならば納得は出来ただろう。

 しかし、優香の心はその事に否を告げる。

 桜香は、追い詰められることを真実なんとも思っていないのだ。

 だって、彼女はただの1度もチームとして、戦ったことがないのだから。

 紗希がいた時はともかくとして、今の彼女はその実、1人でしかなかった。


「――そんな風に、何も感じていないんですかッ!!」

「――そうね。ええ、言葉にされるとその通りかもしれないわ。何も、感じてないか……。ちょっと違うけど、大筋は間違ってないわよ」


 自嘲するように笑う姿は優香が見たことのないものだった。

 結局のところ、優香も『姉』としての桜香しか知らない。

 人として、何より女としての桜香を引き出せる人物はこの戦場に1人しか存在していなかった。

 彼女の執着は、かつての敗北に向けられている。

 優香という妹以外への興味が著しく低下しているのも、彼女に余裕がないからだ。

 胸を焦がす炎に、よくわからない衝動に桜香は苦しんでいる。

 

「感じていないわけじゃないの。でも、私の中でもどうしようもないのよ」

「それは、どういう!」

「……だって、亜希たちは、何を考えているのか、わからないから」

「なっ、それは……」


 チームメイトの心の動きを全て知れ、と言うのは流石に無茶だが今の桜香の告白はそんな段階のものではなかった。

 

「誤解しないで、私は私として友人だとは思っている。同時に、それ以上でもないの」

「姉さん、あなたはやっぱり……」


 優香の言葉に桜香は寂しそうに微笑む。

 過去の自分、此処に至る自分をやはり妹は気付いていたのだと――その言葉で悟ってしまった。


「バレてたんだ。……案外、自分のことってわからないものね」

「前から、姉さんは少し怖かったから、だから!」

「そっか……。うん、仕方ないと思うわ。私自身、振り返るとよくあんな、醜い心を隠していたと思うもの」


 仲間の気持ちがわからない。

 強固過ぎる彼女の世界は1人で閉じていたから、此処に至るまで相互理解が出来なかった。

 何より、無意識に潜む傲慢さが彼女には存在していた。


「知っている、優香。私、根拠もないのに、皇帝にはその内勝てるとか、よくわからない想いがあったのよ? 今の私には、意味がわからないけどね」


 姉の告白に優香は悟る。

 優秀だからこそ、躓きがほぼ存在しない中で歩んできた。

 皇帝によって敗北を与えられた時も、漠然とだが感じたのだろう。

 ――いつか勝てる、と。

 端的に言ってひどい自惚れであるが、桜香は現時点の自分を超えている者に負けた経験はあった。

 そこから成長して、勝利を収めた経験も存在している。

 つまるところ、桜香は『現時点』の自分よりも強い、ということに何も思うところがないのだ。

 それはいつか自分に追い越されるためにある壁であり、必ず乗り越えることが出来る、と根拠もなく確信していた。


「どうして、そんな風に!」


 桜香は優香の叫び声を寂しそうに笑って受け止める。

 健輔に負けて、これまでを振り返った時、彼女は自分の心に気付いてしまった。

 熱がなく、だからこそ同時に想いも存在していない。

 友人は友人だが、そういう称号でしかなく、敵というのもその内に超えてしまう試練でしかなかった。

 最終的に自分はそれなりに苦労はするだろうが、魔導の世界に君臨するため――皇帝すらも倒してしまうだろう。

 そんな、酷い自惚れを漠然した形で持っていた。


「――でもね」


 桜香の声のトーンが明らかに1段階落ちる。

 同時に放たれる斬撃。

 攻撃の性質が変わり始める。


「っ、お、重い……」

「……今は、違うわ」


 優香は桜香の剣を受け止める。

 姉の様子が少し変わったのを優香は感じ取った。

 優香の想いを受けて、桜香も自分を曝け出してくれている。

 今、押し切られる訳にはいなかった。


「一体、何が……!」

「――そんな妄想は、あの日、砕かれちゃったから。ええ、今は自分なりの理由も負けられない理由もあるの。全ては――」

「健輔さん、ですね!」

 

 桜香は優香の疑問に答えず、妹が見たことのない表情で笑いかけてくる。

 

「姉さんッ!」


 優香の背筋に走る悪寒。

 怖い、と感じるほどの情念が桜香から漏れ出たのを感知してしまった。

 少女に、女の執着はわからない。

 ましてや、桜香は心の中に鬱屈したものを溜め込んでいたのだ。

 混ざり合って複雑怪奇な模様となった心。

 これを受け止める度量がないと、今の彼女と対峙することが出来ない。

 ましてや、かつての彼女を目覚めさせるのすら夢物語だろう。

 チームメイトたちがこれを行うなど、不可能に近かった。

 条件自体は彼らも満たしているのだ。

 桜香は他の魔導師とは違う複雑な前提条件が必要なのである。


「ここまで言えば、あなたにはわかるでしょう?」

「健輔さんは、姉さんよりも弱かったから!」

「ええ、その通り。あの敗北は、私に消えない傷を付けた」


 桜香は自分よりも強いと認められる相手に負けても何も思わない。

 それはいつか超えるべき壁であり、今超える壁ではないからだ。

 チームの優勝が掛かった場面、去年の戦いでもそんな思考を彼女は持っていた。

 敵を超える、といっても実際に超えたかどうかの判断は難しいところである。

 『最強』を1度でも倒せば、今日からその人物は『最強』なのか問われれば、多くの人物が否定するだろう。

 超えただの、上回っただの基準は結局のところ、本人の胸の内にしか存在しない。

 そして、桜香はそういうことに拘らない性質だった。

 彼女が相手よりも強くなった、と思えば強くなったのだ。

 実績などは必要ないし、雑音に惑わされることはない。

 強固な自我、他者を必要としない点がそんなところにも影響を与えていた。

 自分はあれよりも強くなった。

 だから、もう別によい。

 九条桜香にとって、『敗北』とはそんなものだった。


「ふ、ふふふふ、ふふ、そう、あの日、あの時、彼に負けるまでは!」

「健輔さんは、姉さんよりも弱かったのに!」


 桜香の心の言葉を忠実に返す妹に、彼女は満面の笑みを浮かべる。

 その名の如く、満開の桜のような美しさと――夜の桜の妖しさが同居した笑みは同性であり、肉親である優香すらも見惚れるほどに妖艶だった。


「ええ、そうよ。あれは、知らないことだったの」


 桜香が健輔に惹かれたのは、それが理由である。

 自分よりも弱い。

 この1点を疑うことが出来ないから、彼女の中でそれまでの世界が完全に崩れてしまった。

 敵を超える、ということは敵よりも強いということだ。

 ごく単純な理で構成されていた桜香の世界は見事に粉砕されてしまい、後には激しい痛みに悶絶する心が残った。


「だって、変でしょう? あの人は、私よりも弱かった。100回戦って、100回勝てる存在のはずだった。私は、間違えたことなんて、なかったのに!」

「っ……! だから、姉さんは!」


 あの時の戦い――国内大会における敗北は桜香にとっては優香とその友人を叩きのめす気の乗らない試合だった。

 あの時、健輔を個体として認識していたかと言われると桜香も自信がない。

 彼女の世界は閉じていて、外面は完璧に近いが内面は冷めている。

 だから、桜香はもしかしたら健輔という優香の友人を正しく認識していなかった可能性があった。

 データとしては、知っている。

 しかし、視界に入っていないのだから、いつも通りに相手をした。

 あの試合は徹頭徹尾、そんな心境でしかなかった。

 無論、それは全て終わった後に想ったことである。

 当時の彼女はただ機械のように動作していただけだった。

 敵がいる、ではスペックと技術の限り、戦って勝利すれば良かったのだ。

 

「手を抜いたことはないわ。それが、いけない事だと言うのはわかっている! いいえ、私はそんな器用じゃないから!」

「全力でやった、だから言い訳も出来なかったんですね!」

 

 虹が虹とぶつかり合い、弾け飛ぶ。

 桜香が内心を吐露するほどに、彼女の光が増していく。

 危険への対処方法を知らない無防備な心は、ただ強くなることでしか、己を守れなかったのだ。

 自分が知らないルールがあるなど、桜香は予想すらもしていなかった。

 これで言い訳でも出来るだけの余地があれば良かったのだろうが、掛け値なしの本気だったからこそ、もはや何も言うことが出来ない。


「今でもあの人の強さの絶対値は私に及ばない。皇帝との戦いが、非常識なのよ。どうして、勝てたのかがわからない!」

「健輔さんの努力の結果であり、皆の力を合わせたから!」

「そういう常識論じゃないわ! 格下が、格上を打倒する。普通は起きないから奇跡というのでしょう!? ましてや、相手はあの皇帝よ! 今なら、ちゃんと強さがわかるわ!」


 きちんと痛みから学習したからこそ、困惑はより大きくなる。

 桜香にとって強さが状況に応じて逆転することは、まさに太陽が西から昇るような出来事と言えた。

 健輔が万能系であり、様々な手法を用いて相手の力を削ぎ、自身の力を増して勝利を掴むのは実感として知っている。

 しかし、その理屈が桜香には理解できないのだ。

 今でも健輔の強さは変わっていない。

 仮に数値化を行えるならば、彼の能力は桜香の足元にも及ばないだろう。

 現実が数値のみで動くのならば、桜香が負ける要素など微塵も存在していなかった。


「優香、あなたは何もわかってない! 奇跡、というのはね、本来は起こらないから奇跡と言うのよ! クォークオブフェイトは確かに強いわ。でも、こんなところに来れるチームじゃない!」

「姉さんッ!」


 優香が抗議の声と共に、斬撃を放つ。

 見逃せない言葉、姉であっても許せるはずがなかった。

 此処まで、全ての人間が努力してきているのだ。

 それを全否定するような言葉は流石に許せなかった。

 肉親だからこそ、姉妹だからこそ許してはいけない。


「あなたの怒りは理解出来るわよ。ええ、あなたたちは努力したし、確かにここまで来た。でもね、それは全てのチームで同じでしょう!!」

「だから、なんだと言うのです!」


 桜香の中で熱が高まっていく。

 それに呼応して、優香の中でも熱が高まっていた。

 生涯、最初で最後に近い壮大な姉妹喧嘩。

 お互いに隠していた主義と主張がぶつかり合う。

 圧倒的な才能を持ち、全てを粉砕してきた姉――桜香。

 同じような才能を持っているが、発揮する機会のなかった妹――優香。

 僅かなズレ、それが2人の道を決定的に分けてしまった。

 自分だけで全ての事が片付いてしまう桜香にとって、この現実は詰まらないものだった。

 どれほどの高難易度のゲームだろうが、最後にクリアできると決まっているのならば詰まらない。

 例えるならば、そんな心境であろうか。

 彼女は気付かない内に、そんな冷めた思考に至ってしまっていた。

 ――現実は、そんなに甘くないと乙女の夢想が影法師に砕かれてしまうまでは。


「努力すれば、必ず叶う? あり得ないわ。だって、努力以外の要因の方が、世には多いじゃない!」

「あなたが、それを言いますかッ!」

「言うわよッ! 同じ才能があって、差を作るのが努力なら――私は誰にも負けないはずでしょう!?」


 才能、努力、どちらも欠かしたことがない桜香だからこそ、あの敗北は本当に理不尽だった。

 第3の選択肢があるなど、想像もしていなかったからだ。

 順風満帆、あまりにも順調すぎて半ば作業になっていた魔導師人生があの瞬間に粉々になってしまった。

 時間の経過による差異は仕方がない。

 だからこそ、紗希や皇帝への敗北は飲み干すことが出来たし、いつか超えられるという楽観もあった。

 しかし、健輔への敗北は何も言い訳が出来ない。

 年下で、能力も自分より下、おまけに才能でも桜香が優っているだろう。

 負けるところを探す方が大変だった。

 なのに――たった1度でも負けた以上、100回戦えば、どこかでかつての再現が起きてしまう。


「私のこの、傲慢な想いが、本当にただの傲慢だったのなら……!」


 無意識であろうが、桜香はそんな傲慢な想いを秘めていた。

 一皮剥げば醜悪な真実が隠れている。

 人間の本性について良く言われることだが、桜香はそれに耐えられなかった。

 自分が正しいのならば、まだ受け止められただろう。

 だが、桜香の理屈は他ならぬ彼女自身の敗北で間違いが示されている。


「私は、何を……どうすれば良かったのッ!」

「ね、姉さん!!」


 桜香の魔力が感情に呼応して、大きく噴き上がる。

 今までの桜香の魔力も巨大だったが、今までとは比較すらも出来ない強さだった。

 これまでの桜香は単純に才能、肉体的な面のみで圧倒的だったのだ。

 ここに精神性がプラスされることで、誰も知らない領域に行こうとしている。


「答えて、教えてよ。優香ッ!」

「がっ!?」

『マスター!』


 桜香の斬撃を受け止めきれずに、直撃を受ける。

 強化された能力であるにも関わらず、優香のライフは一撃で半分ほどになっていた。

 致命的すぎる隙。

 桜香の身体は冷徹に、妹のライフを0にするために動く。

 染み付いた動作は――桜香も止めることが出来ない。


「っ、終わりよ!」

「あ――」


 美しき虹の軌跡、優香を終わらせるための斬撃。

 周囲の光景がゆっくりになるのを感じつつ、優香は目を閉じた。

 しかし――、


「面白いことしてますね。俺も混ぜてくださいよ」


 ――この男が、そんなあっさりとした決着を許すはずがない。

 桜香の背後へ転移すると同時に奇襲を仕掛ける。

 健輔を最も警戒する女性は、確実に撃破できる優香を落とすことよりも、後方への対処を優先した。


「健輔さん!」

「健輔さん……?」


 良く似た姉妹は同じ人物の名前を呼ぶ。

 呼ばれた男は不敵に笑って、優香を背後に庇った。

 対峙する太陽と影法師。

 因縁の対決がついに始まるのだった。

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