第317話
皇帝との邂逅を終えて、健輔は足を宿舎に向ける。
「本当にこんなもんを貰えるとはな」
『空間展開の貴重なデータですね。最強にして、至高の術式だと思います』
固有能力のデータこそないが、皇帝が使用していた術式のデータが収められたものを彼は健輔にプレゼントしてくれていた。
遠回しに、万能系で空間展開をしてみろと挑発されているのを感じる。
「……確かに、皇帝とまではいかずとも、自力であれがやれれば……話は変わるな」
『マスターの戦力強化にはなるでしょう。フィーネのヴァルハラと合わせれば、効果は倍増ではないでしょうか』
「あのイメージの訓練は大変そうだよな。また、やれることが増えたよ」
マスターするのは大分先になるだろうが、良い目標が出来た。
万能系からの創造系を用いた空間展開。
健輔の目標の1つだったが、より明確なラインを描くことがこれで出来るようになっていた。
「……それにしても、試合の後にここに来てくれるとはな」
『流石はパーマネンス。多少の流れではどうにもならなかったですね』
この日、最終日前日に行われた3位決定戦は『皇帝』対『皇太子』――『パーマネンス』対『クロックミラージュ』の試合となっていた。
新鋭対元王者、さらに言えば後継者と目される魔導師との激突は、それなりに話題になったのだが、結果は残酷な結末となってしまったらしい。
律儀に観戦していたらしいクラウディアからのメールによると、皇太子は前の試合、『アマテラス』戦と同じく、ほとんど何も出来ずに敗退したとのことだった。
「結局、『最強』も引っ張りだせず、自分の人形に自爆されて終わり、か」
『順当な結末ではないでしょうか。『皇太子』の固有能力は、確かに強力ですが、制約が多いです。同系統の『皇帝』に通用するものではないでしょう』
「そうだな。あいつのスペックが高いから、世界戦に来れたのが問題だったんだよ」
強い魔導師がいるというのが悪い方向に働いた例だろう。
クロックミラージュは実に運が良かった。
運が良かったからこそ、あっさりとベスト4に辿り着いてしまったが、残念なことにベスト4クラスの戦いでは運程度の要素ではどうにもならないものが待っていたのだ。
クロックミラージュは皇太子アレクシスのワンマンチームである。
それは、アマテラス、パーマネンスと変わらないことだが、決定的な差異が存在していた。
後者の2チームがワンマンチームとして、ほぼ完成しているのに対してクロックミラージュは自分達の方向性が確立していないのだ。
皇太子の便利な固有能力に頼っている。
それが通じるチームなら問題にはならなかったが、相手が悪すぎた。
桜香、皇帝、どちらもが格下の干渉力を封殺してしまうタイプなのだ。
おそらくフィーネと対戦しても同じ結果になっただろう。
皇太子の力は下を向き過ぎている。
格下には無双できる能力だが、格上には何も通じない。
「本当に可哀相だと思うよ。いろいろ足りてないのに、こんなところに来たから、何も通じない」
『マスターと違い、周囲が1年生だったのも辛いでしょうね』
「経験は目には見えない要素だからな。慣れ、っていうのを甘くみてはいけないさ」
アレクシスが基準になってしまったチームでは、努力を重ねても最高点は高が知れている。
流れに乗ったように、錯覚してしまったのも、後に尾を引いていた。
それが地獄への行先だったのに、気付かず無邪気に喜んでいたのだ。
彼らは今大会最下位のアルマダに押されていた。
そのことをクロックミラージュというチーム全体が忘れてしまったのが、蹂躙、という結末を呼び込むことになったのだ。
強気な格下、などと言う存在が長生きできるはずがない。
「俺も、気を付けないといけないな」
『私も注意しておきます。油断、これで負けるのは嫌ですから』
「同感だな、我が相棒よ」
そこで話題を打ち切ると、健輔は宿舎に向けて移動を始める。
既に頭から敗者たちのことは消えていた。
未来への種を貰い、健輔は前に進む。
花を咲かせるのは、今とは違う世界大会であるだろうが、それでも種は植えられたのだ。
健輔という養分で、最強の術式がどのような方向へと向かうのか。
種を与えた本人も予想できない、素敵な未来となるだろう。
人知れず、最強の因子は根付く。
それが世に晒される時の相手が誰になるのか。
来年度の戦いに、明かされることであろう。
「しゃあ! もう一眠りするか!」
『よい判断です。私も支持します』
遥かな先よりも明日が楽しみな男は、今回のことを心の奥にしまって準備を始める。
泣こうが、喚こうが最後の時が来た。
決戦は明日。
世界大会決勝戦――『クォークオブフェイト』対『アマテラス』。
初の日本勢の優勝であり、日本勢同士の決勝戦。
開幕の時はもう、直ぐそこに迫っていた。
1位、頂点に立つ栄冠がどちらになるのか。
結末を全ての魔導師が楽しみにしている。
運命の時間まで、もう24時間を切っているのだった。
試合が残り1日になり、閉会式まで含めても後2日となった。
健輔たち魔導師の関心は試合に向いているが、裏方のものたちはまた別のところに興味が向いていた。
初の日本勢の優勝、これに対応する準備が密かに進められていたのだ。
「うんうん、それでお願いねー。先生たちにも、連絡して学校で行事としてやらないと! どうせ、3月なんか皆暇でしょうし、問題ないない!」
張り切る部長の傍で、菜月は複雑な表情で推移を見守る。
どちらが勝っても良いように、早めに準備を始めているだけなのだが、まだ戦いが終わっていないのに後について考えることが微妙に引け目となっていた。
「……はぁ、明日かぁ」
「あら~? なっちゃんは嬉しくないの~?」
菜月は間延びした声で話し掛けてくる友人――斉藤萌技に苦笑を返す。
嬉しくない訳ではないが、彼女にも現実感がなかった。
昨日、心臓の音しか聞こえなくなるほどの緊張に包まれて、気付けば日付が変わっていたのだ。
未だに、世界最強のチームに勝ったという実感がない。
「ううん、凄く嬉しいんだけど……こう、遠いところに来たって感じで」
「そうよね~。同級生が、1番強い人に勝てるとは思わなかったわ~」
「本当に、凄いよね」
健輔の努力が実を結び、花を咲かせたのは我が事のように嬉しかった。
しかし、同時に寂寥感も感じてしまう。
近づいた距離が離れてしまったような、不思議な感覚だった。
最初の頃はあれだけ緊張しながらだったというのに、今では離れたことを悲しむのだから、現金なことである。
自分のことだが、自嘲するしかない。
菜月は少しだけ、暗い笑みを浮かべる。
「……私も、もっと頑張らないと」
「そうそう、なっちゃんはその意気だよ!」
「わ!? ぶ、部長、ビックリさせないでくださいよ!」
何を頑張ればいいのかもわからないが、とりあえず決意を表明した時、背後から声を掛けられた。
先ほどまで忙しそうに連絡を取っていた人が、ニコニコと微笑んで菜月の背後に立っている。
放送部部長――宮永瑠愛。
アマテラスの応援団長も兼ねている放送部のトップに立つものである。
「ごめんごめん。真剣な顔で立ってたから、ついつい」
「つい、で人を脅かすのはやめて下さいよ」
「ごめんね! でも、萌えちゃんも共犯だから、怒るならセットにしてよね」
「え…あっ、まさか!」
「ごめんなさい~。見えてたんだけど、なっちゃんが真剣だったから~」
首を傾げて両手を合わせる。
謝罪のポーズなのだろう。
この友人の卑怯なまでに可愛い容姿に、微妙に嫉妬が疼くが菜月は抑えた。
部長がこうやってからかうことは日常の出来事なのだ。
最近は応援団の業務があって、あまり接触していなかったからこそ平和だった。
からかわれることは嫌ではないが、頻繁にやられるのは疲れる。
「もう……」
「ふふ、なっちゃんも貫録が出てきたかな。リーダー、ちゃんとやれてるじゃない」
「そ、そうですかね。だったら、嬉しいです」
「うん。選手たちが努力したのは間違いないけど、私たちの貢献も必ずあるよ。今回の大会はいろいろなものが結実した成果だからね」
「はい、そうですね……」
アメリカ勢、欧州勢と比べて遅れている部分もあるが、最終的に引けを取らないレベルまで来れた意味は大きい。
組み合わせの妙もあったが、1、2フィニッシュは確定しているのだ。
負けた方の気持ちさえ考えなければ、この時点で大喜びしてもよかった。
2位、という形に終わっても偉業なのは変わらない。
変わらないが、やはり、1位とは異なるものではあった。
「そんな暗い顔しないの。どっちのチームが相手の夢を砕いても、笑って祝福しないとダメだよ。少なくとも、表ではね」
「……顔に出てましたか?」
部長の困ったような笑顔に、菜月もバツが悪そうに問いかける。
これまでは無邪気に勝利を信じておけばよかった。
言い方は悪いが、よく知らないチームであれば残酷な事実から目を背けられる。
しかし、アマテラスは流石にそうもいかない。
応援団に所属している人たちと、桜香も含めた選手たちのこともそれなりに知っているのだ。
負けてくれ、と思うほどの戦意は保てない。
「バッチリとね。ダメだよ。私たちは、裏方で、一緒のチームじゃないの。……どれだけ感情移入しても、私たちは笑って祝福しないとダメ。それが、応援団のルール」
「ルール……」
一緒になって悲しんでしまえば、相手も素直に喜ぶことが出来ない。
たとえ、どちらかの夢が破れても、泣くことが許されるのは当事者たちだけであるべき。
放送部部長、宮永瑠愛の考えであった。
彼女が部長の間は、このルールは絶対のものとして守ってもらうつもりだった。
「泣きながらでもいいから、ちゃんと伝えないと。私も去年、そうしたよ」
「部長……」
菜月だけではない。
放送部は魔導をもっと多くの人に知って欲しいと思った人間たちの集まりなのだ。
魔導ファンの集まりに、贔屓のチームがないなどあり得ない。
国内大会で破れたチームを応援していた人もいるだろう。
等しく、全ての者が辛い想いを経験したことがある。
「パーマネンスのサポーターもちゃんと拍手で勝利を祝ったでしょう? 勝ちたい、と思わせるチームだったよ。いろんな意味でね」
「そう、ですね。私も、きちんとやれるように努力します」
「よろしい! ま、なんか大袈裟に言ったけど、最後は笑顔でいれるように努力しようってだけだからね」
誰もが平等に敗北を受ける。
桜香とてそうだったし、皇帝や女神も変わらない真実だった。
常に勝ち続けるのは、それこそ神にでも願うしか叶える方法はないだろう。
敗北による屈辱を受けなくなれば、今度は勝利という退屈に耐える戦いが待っている。
形は違えど、結局のところ世の中というものは上手くバランスが取れた構造になっていた。
「はい。部長、こちらは負けませんよ。健輔さんたちが、太陽をもう1度落とすと信じています。1度あった事は――」
「――2度ある、だもんね?」
実際に戦う訳ではないが、2人の間にはほどよい緊張感が漂っていた。
瑠愛はアマテラスを、菜月はクォークオブフェイトを信じて待つ戦いが始まる。
戦っているのは、1人ではない。
誰もが何かを託して、結末を待っていた。
大会開催期間、凡そ2週間。
この大会に至った10のチームの戦いがいよいよ終わろうとしている。
菜月は壁に貼り付けられた順位表に視線を移した。
激闘の結果、運などに翻弄された末の戦い抜いた結末がそこには記されている。
――4位『クロックミラージュ』。
未完の大器。
様々な意味で、今回の大会に翻弄されたチーム。
潜在能力などは今大会でもトップクラスであり、実際に覚醒によって格上を仕留めていた。
このチームに悲劇があったとしたら、彼らが破った格上など、本当の上位にとっては普通の相手だったことだろう。
ベスト4で出会ってしまったランキング第1位と第2位の魔導師。
彼らに文字通りの意味で、捻じ伏せられてしまった。
屈辱をバネにして、飛び上がるのか、それとも折れてしまうのか。
来年以降が正念場となるチームだった。
――3位『パーマネンス』。
まさかの敗北に沈んだ王者。
総合力や爆発力など、あらゆる分野において彼らは頂点に立っている。
世界最強の魔導師の強さに誇張はなく、彼を正面から打倒する者がいたことが、この大会のレベルの高さを物語っていた。
皇帝という蓋を失った世代を牽引するものが何なのか、全ての者が楽しみにしているだろう。
初の敗北を喫した後も、彼らの在り方は何も変わらない。
王者は、来る嵐の世代の楽しみにして、刃を研ぎ澄ませる。
まだ、戦いは終わっていないのだから。
「まだ、終わってないか。ちょっと、かっこいいかも」
皇帝が敗北した後に応えた言葉だった。
魔導競技を終えても、魔導師としては終わらない。
そんな意思表示に、皇帝の矜持を感じた。
「頑張ってください。皆さん。私は応援しか出来ないけど、それだけは全力でやりますから」
ここでも1人の乙女が祈っている。
数多の祈りを乗せて、戦いは最後の日へと移っていく。
運命の朝、変わらない夜明けを太陽が告げて、その日は始まるのだった。




