第314話
戦いと言ってよいのだろうか。
健輔は眼前の映像に言葉を無くす。
試合開始の合図と共に前に出た桜香の前に、クロックミラージュのメンバーが成す術なく粉砕されていく光景は出来の悪い悪夢だった。
試合時間はわずか数分。
如何なる魔導の干渉も許さない太陽は、前に進んで1つずつ、確実に敵を潰して試合を終わらせてしまった。
葵の固有化の能力である魔力干渉を断つのと傾向は似ているが、桜香の場合はもはや問答無用で全ての干渉を断ち切っている。
あのレベルは味方からの支援さえも切ってしまう可能性があるだろう。
誰を意識して、何を意識しているのかハッキリとわかる光景。
そして、この圧倒的な遮断能力と限りなく万能に近い戦闘能力の前に皇太子は何も出来ずに沈んでしまった。
「……これは、マジかよ」
「姉さん。あなたはここまで……」
『皇太子』アレクシス・バーンは固有能力によって、術式を封印して桜香を抑え込もうとした。
アルマダに完敗しそうな状況から、逆転したその原動力。
彼の固有能力はこの大会に参加しているメンバーの中でも上位のものだろう。
空間展開が可能な魔導師の上位2名が桁違いなだけであり、広域の空間展開を行える彼は間違いなく優秀な魔導師だった。
彼1人で大抵の魔導師を封殺するのは難しくない。
術式を――魔導の発動を妨害するというのは、それだけ協力な能力なのだ。
しかし、今回だけは一言に尽きる。
――相手が、悪かった。
「如何なる魔導の干渉も許さない。単純で、だからこそ危険すぎる力だな」
「うん、なんていうか、あれだね。動く要塞的な?」
「攻撃力も飛び抜けているし、機動力もあります。ぶっちゃけ弱点がないってヤバイですよね」
「健輔の万能性とはまた違う感じよね。戦闘者として、万能なのが桜香と言うべきかしら」
葵の結論は興味深い指摘だろう。
健輔を倒すために桜香が至った結論が自分も万能になることだとしたら、中々に皮肉な事態と言える。
万能系が万能性で負けるというのは、嬉しくない事態だった。
「健輔、お前の意見はどうだ?」
規定の時間よりも大幅に早く終わってしまったため、緊急のミーティングが開かれた訳だが、健輔から言えるようなことはほとんどなかった。
試合を見てもわかる。
健輔の強みを粉砕するためのバトルスタイル。
結果として、『万能』の戦闘スタイルに至った桜香は、彼にとって『皇帝』以上の強敵と化していた。
健輔は確かに『皇帝』クリストファー・ビアスに勝利した。
しかし、あれにはいくつかの幸運が存在している。
まず、皇帝が敵だったこと。
彼の能力を逆用することが出来たからこそ、健輔は遥かな高みに行けたのだ。
それが桜香には使えない。
「隆志さん、わかって聞いてますよね?」
「フッ、いや、すまんな。皇帝に勝ったから、と調子にでも乗られると困るからな」
「……そんな自惚れ屋に見えますか?」
「増長くらいは警戒していたよ。変化は必ずあるはずだからな」
隆志の瞳に健輔も何も言い返せない。
最強に勝った健輔の中で、意識の変化がないとは本人も断言は出来ないことである。
まだまだ増長出来るような強さを単体で持っていないが、あの強さと可能性に目が眩む可能性は0ではない。
隆志が警戒する気持ちを理解は出来た。
「そう暗い顔をするな。小言を言うのが俺の役割だからな。大目に見て欲しい」
「わ、わかってますよ。……ただ、これだとマズイなって。……そう思っただけですから」
「そうか」
後輩のバツの悪そうな顔に隆志は苦笑する。
こう見えて、健輔は結構素直なタイプの人間だった。
自分が捻くれているからこそ、隆志には余計に真っ直ぐな姿が良く見えている。
向こうには自覚がないだろうが、ここで忠言をあっさりと受け入れられるのも、健輔の強みだと隆志は思っている。
アドバイスを素直に聞き入れる、というのは存外に難しいものだ。
特に自分が実績を持っていれば、持っているほどにプライドが邪魔して、意見を聞かなくなる。
自分より弱いのに。
そんな感想を持ち、年上の警告を無視して痛い目を見る者は、魔導に限らず一定数は存在しているだろう。
謙虚は美徳、などとまでは言うつもりはないが、素直に物事を見る能力は健輔の隠れた長所の1つだった。
「お前は心臓に悪い奴だが、胃には優しいな。去年の葵の方がよほど扱いずらかったよ」
「ちょ……! 隆志さん、そういうことは言わないでくださいよ!」
「ああ、すまんすまん。今は関係ない話だったな」
桜香の強さに少し硬かった空気が柔らかくなる。
こういった目に見えない貢献こそが隆志のチームへの尽くし方だった。
パーマネンス戦で、全てをやり切った彼に出来ることは、試合前にしか残っていない。
実際に戦うことになる後輩を全力で支えるつもりだった。
「それで、健輔。お前にやれることはあるか」
「正直なところ……わかりません」
隆志の再度の問いかけに健輔は正直なところを答える。
桜香の強さがわからない、という意味ではない。
健輔にとっても、強敵が己に狙いを定めていること、それ自体は初体験なのだ。
彼は『皇帝』ではない。
想像力で創造し、如何なる事態にも対処することは出来ないのだ。
「対峙すれば、体は動きます。でも……」
「お前を倒すために、鍛え上げている。……そうだな。酷な質問だったか」
「お兄ちゃんも、健ちゃんも、そこまでにしようか。作戦はもう決まってるからね。悩んでも、何も変わらないよ」
ミーティングが始まってから沈黙を貫いていた真由美が場を引き締める。
ベスト4に残ったチームが蹂躙されるという事態にクォークオブフェイトのメンバーたちも動揺してしまったが、逆に言えば当初の予定通りでもあるのだ。
健輔というジョーカーは、大きく力を落としているが、まだ札は残っている。
「優香ちゃん」
「はい、真由美さん」
真由美の瞳が優香の瞳を射抜く。
チームの命運を託す少女の想いを真由美は読み取ろうとしていた。
此処に至って、桜香に対する想いを持て余すようならば、作戦の変更もやむなしである。
見つめ合うこと、数秒だったのか、もしかしたら数分だったかもしれない。
交差する視線に変化はなく、優香は澄んだ瞳のまま――ゆっくりと首を縦に振った。
「……大丈夫だね?」
優しく、そして少しだけ寂しそうに真由美は優香に微笑み掛ける。
もう、彼女が心配しないといけなかった強くて弱い少女はいない。
後輩たちの成長に嬉しさと、僅かな寂しさを感じていた。
真由美の鍛え上げた力ですらも、もはや決定打にならない。
後輩たちに頼らなければ、優勝できないこの状況に忸怩たる思いがあった。
顔に出すことはない。
信頼し、信用できる彼らに命運を預けることに戸惑いはないのだ。
あるのは、己への怒りだけである。
まだ足りない。
見果てぬ先に、真由美も思うところはあった。
それでもリーダーとして、『エース』に問わねばならない。
「はい。――私が姉の全てを引き摺りだして」
優香が決意の瞳で、決意の言葉を宣言する。
健輔は優香との約束を守った。
だからこそ、今度は優香の番である。
健輔と約束したのは、決勝戦に連れて行ってもらうこと。
そして、優香が心の中で決心したのは――
「――倒します」
――桜香を倒して、チームを優勝に導くことだった。
チームのリーダーへ、次の試合の『エース』として宣誓する。
力及ばずに敗れるかもしれない。
それでも、心は、魂だけは負けないとチームの全員に誓ったのだ。
「うん、任せたよ。――さあ、最後の戦いのメンバーを再確認しようか!」
真由美の明るい声が場を塗り替える。
公式戦において、彼女からメンバーの発表が行われるのは、これが最後になる。
健輔たち1年生も、葵たち2年生も、そして隆志たち3年生も全員が最後の儀式を目に焼き付けようと背筋を伸ばした。
「前衛は優香ちゃん」
桜香という規格外を姉に持った少女を真由美はしっかりと見つめる。
まだ伝えないといけないことはたくさんあるが、真由美はあえて多くを語らない。
優香ならば、自力で掴むと信じた。
桜香が次代の最強に君臨するというならば、優香もまた最強に至る可能性はある。
ただの1度も、優香が桜香に劣るなどと真由美は思ったことはない。
この試合で、必ず片鱗が見えると確信していた。
「2人目、あおちゃん」
「お任せあれ! 私が桜香を先に仕留めてみせますよ!」
快活で明るい、次代のリーダーに深く頷く。
真由美はここで終わりだが、葵には先がある。
彼女が迷った時に、参考に出来る背中であればよいと、常に己に課してきた。
真由美がその成果を見ることはないが――残るものはきっとあるだろう。
何よりも、真由美も葵のことを信じている。
「3人目、健ちゃん」
「勝ちますよ。俺、負けず嫌いですから」
チームを牽引してくれた1年生に改めて感謝をする。
真由美たちだけでは、此処に辿り着くことがなかった。
最強の魔導師は、最強のペテン師だからこそ倒せたのである。
健輔の全力の発露に先輩として、次の試合で応えないといけない。
狙いを定める強敵に、初めて恐怖を感じているのだろう。
いつもより、覇気が少ない。
それでも、今は信じるだけだった。
健輔もその時が来れば、己の意思で戦えると信じている。
「4人目、後衛、真希ちゃん」
「うへ、ヤバイ人相手ですよね。なるべく頑張ります」
中々素顔を見せない後輩だったが、真由美は彼女が努力家であることを知っている。
パーマネンスとの戦いに出れなかった時も、影で悔し涙を流していたと葵から聞いていた。
彼女にもまだまだ先がある。
来年からは真由美という砲台を失うクォークオブフェイトで、彼女の存在感は否応にも増すだろう。
役割に徹する強さは2年生が持つ美徳である。
それを伸ばしていってほしい、と強く願っていた。
「5人目、和哉君」
「俺、ですか。てっきり圭吾がいくかと思ってましたが。まあ、やるとなれば、微力を尽くしますよ」
2年生で最も戦場を俯瞰しているのは、和哉だろう。
隆志の教えを受けたものとして、合理的、かつ論理的に敵を追い詰めていく。
真由美も含めて、直感型が多いチームには貴重な存在だった。
彼らが脇を固めているからこそ、健輔たちが無茶をやれるのである。
如何なる時でも冷静さを失わない仕事人。
正しい意味での、隆志の後継者だった。
「そして、最後に私、近藤真由美」
己を指さし、最後の戦いに挑む6人を発表する。
直接的に矛を交えるのは、彼らだけ。
残りの者たちは試合を見守ることとなる。
「続きだ。バックスからは3名。いつも通りだな」
真由美から言葉を引き継ぎ、早奈恵が宣言する。
世界戦に来てからは分析などの仕事を終えて、試合での支援に集中していたが、術式の開発ではチーム全員が世話になっていた。
真由美がチームの意思ならば、早奈恵はチームの頭脳である。
どちらも欠けてはならない部分だった。
「ほいほーい、香奈さんだよー。よろしくね!」
「香奈、盛大に外してるわよ」
葵からツッコミを入れられるというレアな現象を引き起こしておきながら、獅山香奈は完全にスルーを決め込む。
葵と対等、友人関係にあるからこそ出来る芸当。
ふざけているように見えるが、彼女もこのチームの1員である。
常に自然体で、チームを安心させてくれた。
ここぞ、という場面できちんと仕事をこなす影の功労者でもある。
「私はいつも通りやるだけですから。今回は健輔の無茶も少なそうで安心してます」
「……悪いとは、思ってるぞ?」
「もう、いいわよ。あなたは好きにやればいいじゃない。それを楽しむ余裕ぐらいは、今の私にもあるわよ」
最初の頃の彼女はどこに行ったのか。
美咲の妙に逞しくなった微笑みを受けて、健輔が動揺するのに全員が笑う。
強くなった微笑みは活力に溢れていた。
健輔が柄にもなく、照れてしまうだけの魅力がそこにはある。
「この9人で私たちは世界の頂点に挑むよ。残った人たち、圭吾くん、剛志くん、お兄ちゃん、妃里。あなたたちの分まで戦うから」
「心配なんてしてないわよ。勝つか、負けるか。いつも通りでしょう?」
「妃里の言う通りだな。覚悟していたことだ。国内大会の、あそこでアマテラスに負ける選択肢もあった。それを蹴って、ここに至ったんだ。後悔なんてないさ」
自分たちが選んできた選択肢の果てに、この結果に辿り着いた。
結末もまた、その定義から外れることはない。
この1戦に全力を賭す、ただそれだけが出来ることなのだから。
託す側も託された側もやることは変わらない。
「……俺はこの系統を選んだことを後悔していません。チームの役に、立てましたか?」
「勿論、破壊系の使い手として、香奈子ちゃん以上に剛志くんを評価しているよ。大丈夫、あなたの費やした努力が認められる時がきっとくるから」
「ありがとうございます。……勝利を、祈っています」
寡黙で、多くを語らない剛志だが、熱い想いを秘めている。
真由美がいる間に花開くことはなかったが、破壊系の力が必ず彼に応える日がくると、彼女は強く信じていた。
努力は最後まで歩いて、初めて報われるのだ。
道の中途でやめるのは勿体ない。
「僕は、2試合出させていただいただけで十分です。紗希さんとも戦えましたしね。いい経験でした」
「だったらよかったかな。うん、来年は皆を支えてあげてね」
「必ず。真由美さんと戦えた1年、とても勉強になりました」
隆志、和哉と続く系譜を受け継ぐだろう少年に真由美は頼もしさを感じていた。
1人ではやれないことも、彼のような人間が居てくれれば達成できる。
真由美が去った後のチームにも、そのような人材が残るのは素敵なことだった。
「――さあ、最後の戦いだよ。『私』のクォークオブフェイトは、ここで終わる。皆、ここまでありがとう。そして――」
瞼の裏には、今までの日々。
真由美の3年間の総決算がやってくる。
敵は輝ける『不滅の太陽』。
相手にとって、不足なし。
「――勝って帰ろうね。きっと!」
各々が想いを込めて叫ぶ。
決勝戦、『アマテラス』対『クォークオブフェイト』。
対戦日は明後日の午前10時から、試合時間は2時間。
通常よりも30分長い最後の戦いを以って、今年の最強が決まる。
頂点に立つのは、数奇なる巡りあわせか。
それとも、最強の太陽なのか。
初の日本勢優勝を達成するチームがどちらなのか。
誰もが結末を待ち望んでいる。
健輔の1年生最大の最後の決戦まで時間はそれほど、残っていないのだった。




