第313話『迫る虹』
勝者が生まれれば、敗者が誕生する。
コインの表と裏。
背中合わせの存在たる者たちとして、彼らも試合を振り返っていた。
王者『パーマネンス』。
もはや、元と付けるべきなのかもしれないが、そんなことを言い出す者はここにいない。
全員が円卓に座り、皇帝の言葉を待っている。
「……ふむ」
腕を組み、何事かを考える『皇帝』クリストファー・ビアスに誰も声を掛けることはない。
ただ黙って、彼らは待ち続ける。
1度の敗北程度で彼らの在り方は揺るがないのだ。
最強はまだ彼らのリーダーだと全員が信じている。
讃えるべきは相手の奮闘であり、彼らに恥ずべきことなど何もなかった。
「クリス。何か言葉を。黙っていられると、息が詰まるよ」
試合終了後、控え室から宿舎に戻り、このミーティングルームに入ってから皇帝は口を開かない。
ロイヤルガードたちは黙って、皇帝の言葉を待つだけだったが参謀たるジョシュアは違う。
主に対する忠言も彼の仕事であった。
歯に衣を着せぬ物言いは、僅かばかりの消沈が見えても健在である。
「……何、先の試合を追憶していた」
「追憶、かい? 反省点でも探したのかい? 次の勝利のために」
「いいや、違う」
豊かな想像力を持つ男が念入りに行っていた追体験。
脳内で行われたシミュレーションの内容をジョシュアは問う。
普通に考えれば、敗戦の理由を探っていたとなるのだろうが、王者は違った。
彼の行動に後悔など存在してはならない。
頂点に立つものとして、斯在るべしと己に強いたのであれば、最後までそれに殉ずるのが、クリストファーの定めた魔導師としての在り方だった。
「実に良い戦いだった。これ以上があるのか、と思いたくなるほどにな」
「過ぎ去った最高に思いを馳せたのかい? 君はロマンチストだね。たった1度の機会、それを全力で楽しんだから良かった、と?」
「ああ。俺は全霊だったよ。後悔など、己自身と、何よりお前たちに失礼だろう? 余力を残しての敗北など、笑い話にもならんさ」
最強ではあったが、無敵ではない。
故に来るべきものがついに来てしまっただけである。
皇帝はチームメイトたちに淡々と己の心の内を語った。
ロイヤルガードも、ジョシュアも異論を挟むことはない。
このチームは皇帝を核としたチームである。
戦う力の大半は彼のものであり、栄光のほとんども王者が1人で担ってきたに等しい。
クォークオブフェイトなどのチームとは違い、エース頼りのワンマンチームという評価は至極正しいものであった。
皇帝が白と言えば、黒であろうが白であり、チームメイトもその事に納得している。
「俺の道を阻むのが新世代だったのは、予想外と言えば、予想外だったがな」
「てっきり、太陽だと思ってたからね。次代の最強として、君を降す可能性があるのは、彼女だけだと思ったのがそもそも間違いだったんだろうね」
「我が未熟が、このチームの最後に敗北を齎した。それ以上でも、それ以下でもないよ。言い訳など不要だ」
敵は自分よりも優れていた。
言い訳など何1つせずに、皇帝は断言する。
仮にもう1度戦えば、健輔に圧勝することは十分に可能だろう。
彼は勝つために全てを賭してしまった。
今の状態では、クリストファーの想像を超えることは出来ない。
1度の機会に全てを賭けて勝利をもぎ取った。
その決断と勇気に感服するしかない。
同じことを、クリストファーにはきっとやれないだろう。
「楽しみだよ。彼がこの先、どのような魔導師になるのか」
「そうだね。来るべき時、リベンジ出来るように、僕たちも精進しようか」
最後の戦いは3位決定戦となる。
しかし、そんな理屈など彼らは知ったことではない。
公式戦で戦うことがなくとも、次に備えて準備をするのが敗者の義務だった。
月並みな言葉であるが、次は負けない、と誓っている。
「終わったことを嘆いても意味はないだろう。我らは常に前進あるのみ、だ」
「仰せのままに、陛下。僕たちの在り方は変わらないさ。ただ、そうだね。敗戦というのも偶には悪くないよ。自分を見つめ直す機会になる」
「ちょうど良いから、お前は口と態度の悪さを直せ。我がチームの好感度が低いのに一役買っているからな」
「お、オリバー……。それはちょっとひどくないかい?」
部屋が笑い声で満ちる。
彼らは王者、1度の敗戦程度で暗い気持ちになることなどあり得ない。
今までいくつものチームの絆を粉砕してきた。
だからこそ、自分たちが敗れる時が来るのも覚悟していたのだ。
絆や可能性ではなく、孤高と君臨を選んだ時からこの時が来るのはわかっていたのだから。
「……惜しむべきは、時間か。お前が最後に魅せてくれた境地に自力で至るのが、本当に楽しみだな」
メンバーには聞こえないように、小さく独白する。
健輔たちはまだ1年生。
可能性という名の未来が溢れている。
あの戦いを見て、かつての己のように戦いを志す者も現れるだろう。
新星は常に誕生している。
王者として彼も3年間、輝きを見守ってきた。
「未完の翼よ。太陽に近づきすぎるなよ。あの輝きは危険だぞ」
ただ1人、上から桜香を見たことがある人物だからこそ、彼女の危険度もよくわかっている。
健輔と戦い、その可能性を垣間見た。
経験とセンスには十分なものがある。
後は時間が彼を強くしてくれるだろう。
「時間、時間か。そこだけは魔導でもどうしようもないな」
出来れば、もう1度戦いたい。
健輔が完成域に近づいた姿を想像して、頭の中で戦ってみる。
勝てるのか、それとも手も足も出ないのか。
妄想することは嫌いではなかったが、答えが出ない問いは好みではなかった。
何より、この手の想像はいつも同じ結論になる。
つまりは、やってみないとわからない、だった。
「……ふっ、総員、傾注!」
『はっ!』
問いを切り上げると、全員に向かって言葉を発する。
敗戦の影響などそれほど心配はしていない。
このチームが最強であると、最も信じているのは他ならぬ『皇帝』クリストファー・ビアスなのだから。
負けても成すべきこと、やるべきことに変化はない。
「次の相手はどちらかわからんが、これ以上の敗戦を積み重ねるつもりはない。精々、蹂躙してやろう」
『了解!』
「りょーかい。うん、君はそっちの方がらしいよ」
ジョシュアの指摘にクリストファーも頷く。
感慨に浸るのも悪くはないが、己のキャラではない。
「俺は、最強の魔導師だろう? ならば、斯在るべしだよ」
「そうだね。ああ、その通りだ」
その名の通りに、パーマネンスは変わらない。
引退するその時まで、彼らは確かに最強であり続ける。
その背で魔導を牽引した男は最後まで、王者のままで全てを見下ろすのだった。
空気が痛い。
正確には、死ぬほどに居辛い。
健輔は自分を見つめる黒い瞳に、追い詰められようとしていた。
今回は修羅場や胃の痛い展開はないと思っていたのだが、甘かったとしか言いようがないだろう。
次の試合に向けて温存していた女性が、健輔を簡単に離してくれるはずがなかった。
「……ゆ、優香?」
「ダメです。大人しくしていてください」
宿舎の自室でベッドの上に横になっている。
それだけならば別に問題ないのだが、脇に優香が陣取っていることが健輔にはよろしくなかった。
決勝戦まで、時間はそれほどない。
体を休める時間というものがあまりないのだ。
無論、条件は敵のチームも同じためそこまで大きな差異とはならないが、万全を尽くしたいというのは、スポーツを行う者としては持っていてしかるべき心だろう。
真由美たちに言われるまでもなく、自主的に休んでいたのだが、日頃の行いがここで祟ってしまったのだ。
監視役として、優香の派遣。
本当のところは、話し相手として送ってくれたのだろうが、今だけは2人っきりにしてほしくなかった。
パーマネンスとの戦いでいろいろと恥ずかしい想いを暴露しているのだ。
気付かれているかはともかくとして、少しは時間が欲しかったのだが、現実はいつも健輔に厳しかった。
「ゆ、優香さん?」
おまけに優香のこの態度である。
何かを探すかのように、真剣に健輔をジーと見ている。
人からこれほどまでに凝視された経験など、健輔には存在しない。
優香ほどの美少女が相手となると、いろいろな思いが混ざってしまい、非常に居心地が悪かった。
「……」
「……」
視線を逸らしたら、負ける。
よくわからない戦いを心の中で繰り広げつつ、優香の瞳から視線を逸らさないように見つめ合う。
クロックミラージュとアマテラスの戦いも始まろうとしているというのに、何をやっているのか、健輔もわからなくなりそうだった。
「け、健輔さん!」
「は、はいぃ!」
痛いほど続いていたにらめっこは唐突に終わりを告げる。
優香らしくない、と言えるほど彼女を知っている自信はないのだが、少なくとも過去の健輔の記憶には該当しないほど声を張り上げた彼女に僅かに驚いてしまう。
微妙に声が上擦ってしまったことに、恥ずかしさを感じるも、気合で口を閉じた。
「あ、あの……お、お疲れ様でした」
「お、おおう。あ、ありがと……」
どんな言葉が飛び出してくるのかと警戒していると、思ったよりも普通な感想が出てくる。
あの前置きの時間は何だったのかと、愚痴を言いそうになるが、流石の健輔も今の空気を読める。
優香には意味のあることだったのだろう。
彼女の行動が健輔の予想から外れることなど、左程珍しいことではなかった。
健輔の観察眼をすり抜ける、というと大袈裟かもしれないが、実際に優香のことは健輔も掴み切れていない。
「え、えーと、その素晴らしい戦いでした。私、途中で泣いちゃって、その……」
「あ、ああ、いや、その……か、勝ったぞ。うん」
「は、はい! 健輔さんは、約束を守ってくださいました。本当に、本当に……嬉しいです」
泣いた、という言葉に申し訳ないと思いつつ、目尻を観察してみる。
確かに涙の跡が残っていた。
どうして、自分が気付かなかったのかと、内心で首を捻るが優香だから、と納得する。
優香の顔を長い時間直視する自信は健輔にはない。
正確には女性を正面から見つめられる自信がない。
中でも優香は最高レベルで、見るのが辛かった。
彼女たちの容姿云々の問題ではなく、健輔の心理的な問題のため、解決方法は健輔が高みに至るか、悟りを拓くしかなかった。
美少女が照れながら、感謝を述べてくれる。
1年前には想像も出来なかった光景だが、嬉しさなどよりも胃が痛くなるのは、彼が生粋の小市民だからだろうか。
大金などを手に入れたら、貯金すると言ってしまうぐらいには、日常での健輔は普通の男子高校生だった。
「け、決勝は桜香さんが来るといいな」
「はい、そうですね。でも、そこは心配していないんです」
「そうなのか? クロックミラージュも一応、流れはあるんだけどな」
「相手の方には失礼だと思いますが――流れがある程度で、『太陽』が昇るのを止められるはずがないです」
確信したかのような声に健輔も返す言葉がない。
自然現象を、人の流れなどで止められるはずがない、と優香は断言した。
クロックミラージュが弱い、などという問題ではないのだ。
桜香を誰よりもよく知るからこそ、優香はわかっていた。
今の桜香は、きっと止まらない。
少なくとも、クロックミラージュでは止められない。
「試合も、きっと……酷いことになると思います」
「酷い、ね」
破滅の未来を予言する巫女のように優香は厳かに宣言する。
新進気鋭のチーム。
新たな皇帝と呼び声の高い、『皇太子』率いるチーム『クロックミラージュ』。
試合での固有能力の覚醒もあったのだ。
簡単に負けるとは思わないが、桜香に勝てるとも思っていない。
健輔もそこは同感だった。
「優香、そろそろ試合を見――」
空気が落ち着いたのを見計らって、試合を見ることを提案しようとした時に、念話が健輔に届く。
「隆志さん? 今は観戦中のはずなのに」
健輔は多少訝しがりながらも、念話に返信する。
既に試合開始から7分ほどは経っていた。
序盤戦は終わっていてもおかしくないのだ。
ここからが本番という時に念話を送る意図がわからない。
早く見にこい、とでも言うつもりなのだろうか。
視界の隅で、覚悟を決めたような表情を優香が見せているのに、僅かな引っ掛かりを覚えつつ、隆志に問い返す。
「隆志さん? そろそろそっちに行こうと思ってたんですけど、何かあったんですか?」
『ああ、大問題が発生した』
続く言葉に優香は驚きを見せなかった。
誰よりも、何よりも、彼女は姉を信じている。
――同時に、その恐ろしさも知っていた。
恐らく、この地球でただ1人だけ桜香の真実に掠っているのだから。
「大問題?」
『試合はもう終わった。桜香が6人を瞬殺して終わりだ。最初から一切の手加減なく全力全開だったな』
「……え」
アマテラス対クロックミラージュ。
アメリカの新鋭は日本の最強に鎧袖一触で蹴散らされる。
健輔や優香に約束した通りに、桜香は決勝戦にやって来た。
国内大会での敗戦。
屈辱を塗り替えるために、『不滅の太陽』は影を滅する。
最後の戦いを前にして、いよいよ最後の脅威が立ち塞がるのだった。




