第310話
創造されたロイヤルガードの能力に不足はない。
皇帝自身も理屈のない想いにより、『最強』としてあらゆる力を退ける。
魔導というルールの中にいるため、健輔の決死の封魔陣によりダメージこそ負ってしまったが、実質的に受けたダメージはあそこの分だけであった。
『最強』である彼を傷つけることは、それこそ桜香であっても不可能に近い所業なのだ。
この空間を破砕することでしか、防ぐことは出来ず、その破砕が不可能な以上何も出来ることはない。
実質的に、この戦いは最初から皇帝が勝つように出来ていた。
健輔がどれほどの可能性を見せていようが、最終的には想像が勝ってしまう。
慢心、という訳ではないが、その安心感がなかったとは、クリストファーも断言は出来なかった。
確かに見えた敗北の可能性、この試合が真実の意味で死地となった瞬間に走った怖気を否定することは彼にも出来ない。
「俺の力を逆手に取るか……。考えもしなかったな」
健輔が敵のバトルスタイルなどを取り込む戦い方をするのは知っていた。
だからこそ、この戦いはお互いの積み重ねが勝負を決めるとクリストファーは思っていたのだ。
それがそもそも間違いだったのだろう。
佐藤健輔の戦いは今も昔も根本的には敵と己、2つ分の力を用いて行われるものなのだ。
それがわかっていなかった時点でこの状況に陥るのは確定していた。
今の健輔は、クリストファーの干渉を直接受けている。
つまり、クリストファーが弱い健輔を想像することが可能ならば大幅な弱体化を強いることは出来るのだ。
それをやれないのは、一重に健輔が叩き付けた強烈なイメージのせいだった。
相手に恐怖を覚え、負けてしまうと思った心を王者のプライドから誤魔化すことも出来ない。
それが、健輔に王者打倒の機会を与えるとわかっていても、退けない戦いがあるのだ。
「――見事だ、惜しみなく賞賛しよう。その上で、再度断言する! 我は最強の魔導師なり。軽々と首を与えてはやれないなッ!」
「当然だ! 簡単に獲れるような最強なら、魔導をバカにしてるだろう! もっと、もっと大きな力を見せてみろ!」
「1年ごときが、大言ばかりを!」
生意気な発言に皇帝の口元が緩む。
彼は王者として3年間君臨した。
しかし、魔導を始めた時から王者だった訳ではない。
今の健輔と同じように、1年生の身で世界に挑み、その果てに勝利した。
つまりは、彼もかつては挑戦者だったのだ。
彼が1年生の時に、アメリカで頂点に立っていた魔導師がいた。
称号は『皇帝』、アメリカで受け継がれる王者の証である。
アメリカ対アメリカの頂上決戦を行い、『皇帝』の座を奪い取った。
そして、彼は――クリストファー・ビアスは魔導の王者となったのだ。
その時の戦いで、健輔と似たようなことを言った記憶が彼にはあった。
いつの時代も新鋭が口にする言葉は同じ、その事に口元が綻んでしまう。
「歴史は繰り返す。……なるほど、それは良くも悪くも変わらない、ということか」
愚行が行われた時によく聞く言葉だが、クリストファーは今、言葉の本当の意味を強く感じていた。
虹色の輝きを纏った挑戦者は、ロイヤルガードたちを蹴散らして彼の下に迫っている。
獰猛な笑みと、ここまで持ち込んだ戦局に相手が心底この戦いを楽しんでいるのが伝わってきた。
ただ上だけを見て、自分ならば出来るという根拠のない自信に溢れた姿は、どうしようもないほどにかつての彼を想起させる。
「クク、くっははは、この戦況になるわけだ! その可能性に、俺も心を躍らせていたという訳か! 慢心、いや、希望とは性質が悪いな!」
「何を、楽しそうにしてやがるッ!」
ついに皇帝に肉薄する距離に迫った男は言葉だけでなく武器を向けてくる。
双剣の軌跡を見切って軽やかに回避する中で、皇帝は健輔と視線を交えた。
必ず倒すという強い意志。
戦う相手であるクリストファーの支援すらも受けながら、この男は全てを費やしてここまでやってきた。
「お前は楽しくないのか! 最強と戦うたった1度の機会だぞ。魔導に君臨した実力を存分に感じるといいさ!」
「今も感じてるさ! とんでもない奴だよ、あんたはな! どんな、実力してやがるッ!」
「クハっ」
素直すぎる感想にクリストファーは笑いを漏らしてしまう。
ただ1つの念だけでここまで登りつめた男。
『皇帝』クリストファー・ビアス。
魔導の根本にある自分の理想を魔力を用いて具現化する、ということをただ突き詰めた男は、間違いなく魔導の世界を総べる王者であった。
好かれないのもある意味で当然だろう。
自分たちが努力で至ろうとしているのに、この皇帝は想い1つだけであらゆる魔導師を置き去りにしてしまうのだ。
誰もが魔導に真剣だからこそ、実力という形で想いの差を見せつけてくる男を好きになれない。
実力に劣り、実績が存在せずとも真剣に己が取り組むことを愛している者は多いだろう。
実力、実績に劣るからこそ愛では負けないという想い、弱者の最後の拠り所を最悪の形で粉砕するのがこの男の力だった。
想いという形のないもので、最強の実力を掴んでしまった。
想いを形にしてしまう故に、彼は王者として君臨してしまったのだ。
魔導を誰よりも愛していて、力の凌ぎ合いを望んでいた彼にとっても皮肉なことにこの力は圧倒的すぎた。
それこそ、才能すらも凌駕する力だったのは間違いないだろう。
『最強』たる彼を敗北させることが出来るのは、才能による実力などといった分野ではないのだ。
彼が負けてもよい、負けるかもしれないと思わせることこそが肝要となる。
「俺との戦いは、想いと想いのぶつかり合いだ。こんなことが出来るのか、と驚いた時点で俺はお前に隙を晒していたか!」
「そうさ、あんたに勝つにはそれしかないと確信していた!」
魔導師のルールから微妙に外れた相手と戦うには、こちらも同じ舞台に昇るしかない。
普段はチェスのルールで戦っているのに、皇帝だけ将棋をしているようなものなのだ。
だからこそ、皇帝は最強であった。
しかし、ここにあらゆるルールに適応できる男がいる。
――万能系。
可能性だけは無限大の系統である。
何をしようとするのか、何が出来るのかを選択するのが重要な系統であり、使いこなすのが難しいなどと言うレベルではない魔導。
全てに精通して、かつ全てを使いこなすだけの意思が必要となる。
「今の俺なら、攻撃が届く!」
「肯定しよう。今の貴様に、俺は敗北の可能性を感じている!」
ギリギリの鬩ぎ合いに、クリストファーは壮絶な笑みを浮かべて戦いに臨む。
最強の防御も攻撃ももはや意味をなさない。
純粋な技の競い合いに持ち込まれてしまった、両者のバランスは徐々に崩れ出していく。
「剣よ!」
「――くっ、ここに至って、まだ技があるのか!」
皇帝を追い立てるように、剣の猟犬たちが放たれる。
健輔の攻撃は緩まない。
ようやく同じ舞台に立っただけ、まだ天秤は揺れている。
だからこそ、やるべきことはハッキリとしていた。
「このまま押し切るッ!」
思考の暇すらも与えない連続攻撃、それしか健輔が出来ることはない。
全てを初見の技で構成して、皇帝を撃ち落とすのだ。
「これは、葵さんの分!」
「甘い! 勢いだけで勝てると思うな!」
「思ってないさ! 術式選択!」
『炎よ、燃え上がれ』
健輔の拳から両者を飲み込む炎が噴き上がる。
変換系――『火』。
健輔がぶつかり合った戦乙女は1人ではない。
女神が率いた乙女たちの技を、健輔は完全に把握している。
この戦いはクォークオブフェイトのためだけでない。
優香を桜香と戦うための舞台に連れて行くために、そして『女神』の力が決して劣るものではなかったということを証明するためのものでもあるのだ。
『術式を解析! 無効化するよ!』
「ウオオオッ!」
予想されていたのか、ジョシュアから皇帝の元に対抗術式が転送される。
皇帝の全てを砕く力が無効化されても、魔力の純粋な格差は残っていた。
力任せに炎の変換式を粉砕してしまう。
伏せていた札があっさりと無効化されてしまうが、今更その程度で健輔が驚くことはない。
むしろ、ジョシュアに抵抗する力を与えないように、戦闘速度を引き上げようと矢継ぎ早に次の技を繰り出す。
「水よ! 敵を貫け!」
ジョシュアにより火の術式が消されても、変わりなどいくらでも存在している。
バックスとしてのジョシュアの能力は中々に厄介だが、戦闘中に全ての力を発揮するには速度が足りていない。
目まぐるしく変化する戦況など、彼にはほぼ初めての体験に等しいだろう。
1秒の遅れで、準備は全て無意味となる。
「っ、流石だな。ジョッシュの力をこうもあっさりと!」
皇帝もわかっているからこそ、最後のチームメイトに指示を出さない。
もはや、この戦いに余人が介入するスペースなど残っていないのだ。
対峙する2人の、ここまでの軌跡が天秤を傾ける重さとなっていく。
「光よ!!」
『術式選択『ジャッジメント・レイ』』
「その程度で、止まるものかよ! 塗り潰せ、世界を!」
『魔導世界、出力最大』
皇帝の世界が密度をさらに高めて、彼以外の魔力を排斥する。
健輔本人はともかくとして、大規模な放出系の術式は無効化されてしまう。
おまけに『ロイヤルガード』たちも健在なのだ。
攻撃を捌いて、粉砕しながら皇帝の相手をするのは健輔でも厳しかった。
考えうる全ての手段を使ったのに、勝ち切れない。
立ち塞がる相手の強大さを改めて感じる。
「ここまでやって、まだ抵抗出来るのかッ!」
健輔の叫びに焦りの色が浮かぶ。
ただ己を信じて、高みに昇っていく。
桜香とは異なる形での孤高の道が険しい壁として、仲間と敵と力を束ねる健輔に立ち塞がる。
「これを、超えるには――!」
健輔の中で、この戦いの結末が見えた。
このまま素直に戦って勝てる可能性はない。
時間が経てば、王者の中で衝撃は薄れてしまい、健輔という魔導師の実力を『定義』されてしまう。
そうなってしまえば、何をしたところで通用しなくなる。
敗北――託されて重みを前にして、座してその結末を待つつもりはなかった。
「……陽炎、リミッターを外すぞ」
『既にやっています。外すようなものは残っていませんよ?』
相棒の解答は想定していた通りのものである。
外せるだけのものは確かに外している、しかし、それらは健輔が『安全』に扱える範疇のリミッターだった。
普段は無理だが、今の状態なら可能、つまりは常識の範囲内のものに過ぎない。
解放したらどうなるのか、皇帝どころか、世界中の魔導師が知らない特別なものが1つだけ残っている。
「まだあるだろう? 万能系のリミッターが!」
『……後で怒られても知りませんからね』
「ここで負けるのと、怒られるのなら、俺は後者を選ぶね」
今の健輔は大きく力が増大した状態だが、万能系としてはまだリミッターが掛かっている。
集った系統は破壊系を除いて、全て最高レベルで揃っているのだが、同時使用に制限が掛かっているのだ。
万能系の力は制御が難しいからこそ、分割して扱うように設定されている。
今、健輔はその制限を外そうとしていた。
万能系の本当の力で無ければ、王者には勝てない。
相手に目には闘志がまだ残っている。
今ならまだ健輔の怒涛の勢いもあり、皇帝は冷静にこちらの実力を測ることが出来ていない。
今が、最初で最後のチャンスだった。
博打をするならば、このタイミングを終えて他にはない。
「無茶をしないと届かない!」
『推定戦闘可能時間は5分です。……いけますか?』
「十分だ」
この攻撃で決着を付ける。
これを凌がれれば負けるという覚悟で、戦闘に臨むしかない。
健輔の勘がそう叫んでいた。
既にいくつもの技を繰り出している。
もう皇帝に驚きはないだろう。
慣れてしまえば、敵は再び最強に戻ってしまう。
「今まで、なんだかんだで俺は不確かな状況で勝ったことがない。……陽炎、言いたいことはわかるな」
『ここで勝利を掴まないと、次の戦いで勝利を掴めない、ですね』
己の言い分を直ぐに理解してくれる優秀な相棒だった。
勢いでは勝っているが、向こうも簡単には折れてくれない。
健輔のことを認めているが、敗北を受け入れるほどではないのだ。
トランスモードは健輔が思い描いた人物を降ろしてくる形態。
フュージョンモードはそれらを融合させて新しい姿を生み出すための形態。
この2つでも最強は崩れなかった。
だからこそ、健輔も無理をしないといけない。
これまでが無理をしていなかった訳ではないが、健輔の『無理』とは計画の範疇での無理である。
事前に綿密にシミュレートを行い、その上で全力を尽くす。
最後は自分すらも捨て駒にして、相手を潰すことで勝利を近づける。
それが健輔の戦い方だった。
しかし、この試合ではそれをすることは出来ない。
健輔の戦い方はジョーカー、エースキラーとしては極めて優秀なものであり、誰もが認めるだけの実績もあった。
勝利を掴むための一助を確かに成してきたのは、健輔の実力である。
「俺は、エースになる。エースキラーで終わるつもりはないんだ。そして、エースとは――」
『如何なる状況でも、勝利を引き寄せて、生き残る者です。マスター、あなたがそう望むのであれば、私の望みもそこにあります』
自爆して勝つような選択肢はこの試合には残っていない。
健輔が勝たねばならないのだ。
「俺が、俺自身でもわかっている力は、きっと皇帝にもわかっている。あいつが今、楽しそうに笑っているのは、この戦いが望みに合致しているからだ」
容易ならざる敵。
皇帝たるクリストファーとは、反対に位置する力との対峙を心底楽しんでいる。
壁が高ければ、高いほどに達成感も大きなものとなる。
女神という強敵を倒した時の喜びから、健輔は実感としてそれを知っていた。
皇帝は今、その快感に手を伸ばそうとしている。
健輔の力の底を感じ取り、再び『最強』に返り咲こうとしているのだ。
終わりを感じ取っている。
これらの感覚に理屈はない。
追い詰めても、追い詰めても楽しんでしまう王者を仕留める最後のピースは、自分の系統の『可能性』に賭けるしかなかった。
健輔の経験が、勘がその事を叫んでいる。
勝率の見えない博打をするのは、今しかないのだ、と。
「怖いな」
体が震える。
自分の敗北がそのままチームの敗北となることに恐怖しかない。
同時に、負けてはならないという想いが胸から湧き出てくる。
託されたもののためにも、健輔はこの試合を生き残ったままに終わらせないといけない。
予定調和でここまで持ち込めた。
だからこそ、後は、運を天に任せるしかない。
勝算はない。
健輔の全ての力を解放しても、なんとか出来る自信など微塵もないのだ。
「――はっ、でも、あれだな。皇帝には無い物がこっちにはあったか」
リミッターを外す刹那、全てを賭ける5分間に入る直前に健輔は優香の顔を思い浮かべる。
彼女だけでない。
女神、と呼べそうな美しさを持つ女性が幾人も頭に過っては消えていった。
彼女たちが、全員こちらを応援してくれるとは思わない。
しかし、彼女たちほどの女性が最低でも2人は健輔の勝利を信じて待ってくれているはずだった。
ならば、自分はきっと負けないだろう。
古来からのお約束、という奴である。
女の声援があって、それが美女なら勇者は負けてはいけなかった。
「リミッター解除! この時間で、『最強』を超えるッ!」
自分でも見たことのない領域。
想像すらも出来ない『未知』へと手を伸ばす。
誰も知らないという奇襲を以って、健輔は皇帝に最後の攻勢を仕掛けるのだった。




