第298話
3名の撃墜。
試合を開始してから30分も経っていないことを考えれば、最短で突破されたと言ってよいだろう。
残存5名。
1人は『皇帝』その人のため、彼の壁となるべき相手が僅か4人しか残っていない。
判明している情報の中では、『皇帝』個人の戦闘能力はそこまで優れたものではないはずなのだ。
にも、関わらずこうまであっさりと突破されたのには、クォークオブフェイトの後先考えない全力戦闘が大きな理由だった。
「さっきから大型の術式をポンポンと使ってるね。そんなことをすれば、あの万能系が直ぐに枯れるはずだろう? 一体、どこから魔力を持ってきてるんだ!」
いつも飄々としているジョシュアにしては珍しいほどに焦燥している。
チームの頭脳たる自覚があるからこそ、彼は仕事を果たせない自分に苛立っていた。
後半戦を一切考えない魔力の消費には必ず仕込みがあるはずなのだ。
その正体が展開されている術式から、判別できない。
全体の状況は余さず捉えているはずなのだ。
彼の力を持ってしても、健輔が仕掛けた詐術の種がわからない。
「クソ! 僕の能力を知った上で、隠す自信がある? 魔力の固定か? 確かに不可能ではないが、試合開始直後にあの万能系は術式を展開したはずだ……!」
決戦術式『クォークオブフェイト』。
その名に相応しい力を現在進行形で見せつけているわけだが、戦場にいる5名に的確な補助をしつつ、魔力を固定して変換後に保存する、などという工程を実施出来たとは思えなかった。
1個人で購える負荷を軽く超えているだろう。
演算的には魔導機の補助があれば可能だが、制御の段階で必ず魔力が暴発する。
「必ず、何か詐術があるはずなんだ……! そこに干渉できれば、こっちは楽に勝てるのに!!」
叫ぶジョシュア。
彼がこうまで焦るのも仕方がない話であった。
皇帝は確かに強いが、無敵ではない。
最強であるが、倒されない存在ではないのだ。
去年のピンチが彼らに残酷な現実を叩き付けていた。
排除できる可能性は排除しておきたい。
ジョシュアの思いは万人が賛同できるものであろう。
チームのナンバー2、頭脳たる者が焦る中、チームの全てたる者の声が彼に届く。
『落ち着け。そうやって苛立たせるのも奴らの狙いだ。冷静さを失えば、勝てる試合も落とすことになるぞ。まだこちらが優位なのだ。無駄に焦るな』
「クリス……ごめん、慣れてないから、少し冷静さを失ってた」
『構わん。確かに幾分は筋書きから外れているが、まだ俺の予想から完全に外れてはいない。焦るほどの戦況ではない。何より、俺にもまだまだ余裕がある』
落ち着いた声は『皇帝』クリストファー・ビアスの威厳を示していた。
先ほどまで取り乱していたジョシュアもいつもの飄々とした調子が戻ってくる。
この声が今までに存在した危機を全て乗り越えた証であった。
皇帝が存在する限り、この試合でのパーマネンスの勝利は消えない。
ロイヤルガードなど全滅したところで、五体にすら相当しなかった。
あくまでも彼らは盾、武装の1部が欠損した程度で破れるような王者ではない。
『ジョッシュ、まずは順番に片付けろ。こちらに来た念話妨害を遮断して、早急に連絡網を復帰させろ』
「了解だよ。直ぐに掛かる」
『次にオリバーを戻せ。向こうが短期戦を望むなら、こちらは長期戦を狙うまでだ』
敵の思惑にのる必要などない。
言外の意にジョシュアは頷く。
敵チームのデータを纏めた時にも結論づけていた。
健輔の揺さぶりにいちいち真剣に応対していてはいけない。
ほとんどがブラフなのだ。
見掛けほどの余裕はないことばかりで実行力を伴っていない。
「そうだったね。彼はペテン師だったよ。向こうの舞台に乗る必要はなかったよ」
『それで良い。とりあえずは全体の戦況を整える。向こうもまだこちらには攻め切れていない。今が再編のチャンスだ』
「オッケー。流石だよ、陛下」
『返事は良い。急げ』
「りょーかい」
念話が切れて、ジョシュアは直ぐに作業に移る。
卓越したバックス魔導師ではあるが、質だけではどうしようもない部分もあった。
彼は常人の数倍の速度で仕事をこなすが、逆を言えば常人でも数人分でしかないのだ。
ましてや、こういったものは切っ掛けの要素が強く、同じ人間の思考が幾つあっても解決できることは少ない。
パーマネンスの頭脳たるジョシュアがわかっていても健輔の策に嵌ってしまう。
冷静に対峙しているクリストファーにしても、健輔の本当の狙いを見抜くのは困難だった。
こうして、仲間を落ち着けている間にも彼は思考を続けている。
考えるのをやめてしまえば、勝機を失うとわかっているのだ。
「何を考えている。……いや、何も考えていない? いくつもこちらに選択肢を見せて考えさせるか。知ってはいたが、これは厄介だな」
実際には何もない、と切り捨てるのは簡単である。
しかし、健輔にはもしかしたら、という前科が山ほど存在していた。
ジョシュアにはあのように言ったが、クリストファーも何とも言えない不気味さは感じたのだ。
クリストファーのように、空間内なら万能、などという評価とは違う。
真実の意味での魔導における万能。
「万能であるだけならば、大した脅威ではない。道具は持ち主が使いこなしてこそか。神は厄介な男に厄介なものを渡す」
健輔は選択肢の提示と見極め、無理をする部分と退くべき部分の判断が上手い。
戦上手と評するべきだろうか。
1年生の段階でありながら、明らかにロイヤルガードの面々よりも上手にいる。
クリストファーも近接戦闘を行って勝てるかは怪しいだろう。
先の試合で撃破した『疾風』エルネスト・ベルナールは既知の範囲の魔導師だったが、健輔は皇帝の知っている範囲から逸脱している。
彼と同じように勝てるとは思っていない。
「データよりも大幅に上昇した仲間。……あれの理想形を思い浮かべるのは難しいな。あれこそが、理想だ。完成形を提示されてしまうとな……」
想像の軍団に対する手もきちんと打ってある。
クリストファーは相手と戦い、その可能性に思いを馳せることでさらなる力を人形たちに与えていた。
無限に湧き出てくる自分よりも能力だけは上の軍団。
動きなども自分と同じように動くのだ。
ラファールのメンバーのように、動揺したり、怒りを抱いたりするのは当然のことだった。
荒れた心は行動を稚拙にして、失敗を犯させる。
ただ受け止めて力押しをしているように見えても、裏ではいろいろな思惑を巡らせているのだ。
だからこそ、健輔の決戦術式には困ってしまう。
誰がどう見ても、今の隆志たちはあれが理想の力だ。
クリストファーもそう納得してしまうだけの飛び抜け方をしている。
あれ以上を想像しろ、と言われてもどうしてもその想像力には制限を受けてしまう。
強烈な印象を与えられてしまったことが、大きな問題となっているのだ。
「俺をよく研究しているな。……このままでは危ない」
危ない、という自分の口から出た言葉にクリストファーは驚く。
そのような事を言ったのはいつ以来か、彼自身でも把握出来ていなかった。
「ふ、ふふふ、ハハハッ! 危ない、などという言葉を使うことになるとはな。この、俺が、魔導の『皇帝』たる俺が、か」
肩を震わせて最強の魔導師は笑う。
現段階において、パーマネンスは間違いなく不利な要素を抱えていた。
ジョシュアには心配するなと言ったが、皇帝の頭脳には敗北に至るルートも見えていたのだ。
それらの要因は次の段階に移行しても容易く覆せないものである。
最強。
この名を背負い、自負を持ってやって来たが、ここまであっさりと追い詰められたのは彼にとっても初めての経験だった。
昨年、2人の太陽を相手にした時の方が、まだ余裕があっただろう。
紗希には手を焼いたが、負けるとは思わなかった。
桜香の突然の覚醒には驚いたが、このように追い詰められるという心理には至らなかった。
「――ああ、いいぞ。このスリル。恐怖を感じた上で、貴様を蹂躙する。実に、甘美な所業だよ」
舌を一舐めして、歯を剥き出しにして、皇帝は笑う。
王者の仮面を脱ぎ捨てて、獣の相が顔を出す。
まだ本気など見せていない。
余裕はあるが、ピリピリとした感覚が懐かしいものを呼び起こしていた。
負けるかもしれない。
そんな状況下で勝つからこそ、戦いは楽しいのだ。
「良い敵だ。故に、俺が勝つのが真理である。戦いは勝たねば、楽しくないからな」
皇帝の世界が牙を剥く。
相手を超える理想を具現化できずとも、相手に匹敵する軍団は生み出せる。
動きは見た、魔力は覚えた。
ならば、十分である。
足りない分は数でいくらでも補えるのだから。
「勝つのは俺だ。貴様は下にいるのがお似合いだ」
見覚えのある顔がクォークオブフェイトに襲い掛かる。
戦いが動き出す。
ついに本番に突入したことを、戦場にいる全ての魔導師が理解するのだった。
一気に増殖する軍団。
妃里であり、隆志であり、葵であり、真由美であり、圭吾である顔を前にして不動の健輔は笑みを浮かべる。
皇帝の判明している能力はそれほど多くない。
多くない内の最後にして、最大の能力がこれだった。
敵チームの能力、ひいては技術すらも再現、模倣してしまう軍団。
発動に幾分時間が掛かっているのは、これほどの能力を発動するにはクリストファーにも集中する時間が必要なのだろう。
実戦という生のデータも合わせて初めて完成する、という面もあるのかもしれない。
「陽炎、準備はいいな。圭吾! そっちもいいな?」
『我が機能の全てに誓って、問題ないです』
『こっちもいいよ。健輔の下には1体も通さないさ』
「じゃあ、俺は準備に入る。……頼んだ」
『任せて。約束するよ』
圭吾と念話を切って、健輔は陽炎と共に最後の切り札の準備を始める。
この無限の物量を捌くのは実質、不可能に近い。
健輔は相手に理想を押し付けることでなんとか対応可能レベルまで力を落としたが、真由美の軍勢などは正直なところ、対応策が本人をぶつけるしかなかった。
皇帝の能力は別に固有能力を再現している訳ではない。
結果だけ見れば、再現しているように見える場合もあるが、あくまでも過程は異なっている。
だから、真由美の全力を完璧に再現するのは不可能だろう。
それでも、いくらか劣る程度の質は揃えられる。
この試合における難所はいくつかあるが、その1つが真由美をコピーされた際の対処にあった。
健輔は何があろうとも撃墜されることは許されない。
しかし、身動きが取れないため、どうしようもないという問題があった。
健輔が優香ではなく圭吾を望んだのは、この時のためなのだ。
彼のバトルスタイルの本質は守り。
ただ太陽への憧れから選んだ訳ではない。
「……俺の相棒が優香なら、背中を任せられるのはお前しかいない。頼んだぞ、圭吾」
いつも前に突出しがちな健輔の背中を守ってくれた親友。
腐れ縁の果て、何の因果か知らないがこのようにおかしな学校に来てまで2人は一緒にいる。
喧嘩をしたことなど1度や2度ではない。
些細な衝突ならそれこそ山ほどあった。
器用で物事をそつなくこなす圭吾に嫉妬したことなど、それこそ星の数ほどにある。
そんな友人だからこそ――この決戦で自分の護りを任せたのだ。
「来いよ、皇帝。俺はここにいるぞ」
圭吾が健輔を守り抜けるのか、というのも山場であるが、他にも超えないといけない壁はあるのだ。
ロイヤルガードをなんとかして、全員排除しないといけない。
迂闊な奴らは既に落ちたようだが、まだ強いのが4人も残っている。
彼らを排除するのは葵たちの役割だが、敵の軍団はそこら中に出現しており、向こうも抵抗は難しいだろう。
困難がどんどんと積み重なっていく。
こうして健輔が動けない間にも、戦況は刻一刻と変化しているのだ。
焦燥感で胸が焼けてしまいそうだった。
待つ、ということの辛さをこれ以上ないほどに感じている。
「ふぅー。落ち着け、俺……。ああ、クソ、こういうのは、慣れないな」
『健輔が焦っても仕方がないでしょう? それよりも、優香が見てるわよ』
「美咲? ……って、これは、え……」
念話がきたかと思えば、健輔の隣に映像が転写される。
映るのは心配そうに試合を見ている優香だった。
涙を耐えるかのように潤んだ瞳が、彼女の心境を表している。
『優香に勝つって宣言して、あなた以上に辛い場所に置いたのよ? なのに、健輔が焦ってどうするのよ。まだ、本番でもないでしょう?』
美咲は呆れたように言っているが、健輔の気分が上昇するところを的確に突いていた。
戦いにおける相棒は優香。
背中を任せる戦友は圭吾。
そんな彼らを影から支える者が美咲だった。
ある意味で4人の母であり、姉のようなポジションの彼女である。
優香や圭吾、そして陽炎でも出来ないことを彼女はやれるのだ。
こんな激励も彼女だからこそ、出来ることであった。
「……ああ、そうだった。そうだったよな。俺はアホか。戦場に居ない方が100倍は辛い」
『最後まで、私たちのやれる仕事は完遂するわ。敵の術式解析も全力で妨害する。『ヴァルハラ』自体は突破されても問題ないけど、思惑を見抜かれるのは嫌でしょう?』
「心配してないさ。陰険メガネに負けるような女じゃないだろう?」
この試合ではバックスの全てを捧げてもらう予定である。
健輔が提案して、早奈恵たちが飲んだ。
文字通り、チームの全てを捧げてでも勝利する。
世界最強に届かせるにはそれぐらいはしないといけない。
全てを達成するには、戦闘陣が頑張るのは勿論のことだが、バックスの戦いにも成否が掛かっていた。
どれか1つでも欠ければ負ける。
全員がそれを認識して、この場で戦っていた。
『そろそろこっちも余裕が無くなるわ。……お願いね?』
「――当たり前だ。最後に勝つのは、俺だよ。悪かったな、不安にさせて」
『いいわよ。じゃあ――多分これが最後だから』
「おう。任せてくれ」
念話が切れる。
敵への対応と味方へのサポート、そして来るべきタイミング。
いろいろと忙しいだろうに無意味に焦っている健輔を見て、何かをしたくなったのだろう。
お節介な同級生に健輔は苦笑を漏らす。
根が良すぎるから健輔の無茶ぶりにいつも付き合わさせてしまうのだ。
申し訳ないと思いながらも、顧みることは出来ない。
必要ならばやってしまうのが健輔であり、美咲はそんな彼の後始末をしてくれる存在だった。
口に出したことはあまりないが、感謝はしている。
「圭吾、美咲、それに――」
2人の級友が戦場で健輔を支えてくれている。
外にも、待ってくれている人がいた。
優香とは約束したのだ。
お前を姉と戦う舞台にまで連れて行く、と。
アマテラスが来ない時のことなど、その時に考えれば良い。
健輔はただ、決勝で待つと宣言した太陽を信じるだけだった。
「何度でも言うさ、こいよ、皇帝。俺は――此処にいる」
迫る軍勢に臆するものなどない。
量は確かに脅威だが、それを凌駕する質というのもが世にあるというのを教授してやる必要があるだろう。
玉座から皇帝を引き摺り下ろすのを夢見て、健輔は笑う。
彼の仲間たちが、木偶人形に負ける道理など存在していないのだから。
「勝つのは俺たちだ。華麗に撃ち落としてやるさ」
今はまだ直接拳を交える時ではない。
来るべき時まで、心の熱量を高め続ける。
熱く煮えたぎる心は解放の時を待っているのだった。




