第295話
運命の朝。
いつもと変わらず、何の変化もない。
天に輝く太陽に照らされて、健輔たちが最強と激突する日はやって来た。
「陽炎」
『スキャン完了。監禁された甲斐がありましたね。私もマイスターの調整を受けましたし、万全と思われます』
「まあ、身体の動きは染み付いているからいいけど、2日も動かないとあれだな。少し鈍ったような気分になる」
『ご自身への言い訳ですか?』
辛辣な魔導機に苦笑する。
確かに鈍る、などと言うのはあまりないことだが、直球での物言いには笑うしかないだろう。
丁寧な言葉と合わせてダメージは倍増である。
「誰に似たんだ? ちょっと、口が悪すぎだろう」
『1人しかこの世に存在しないと思いますが。マスター、大丈夫ですか?』
「そんな可哀相な奴を見るような感じで言うなよ。……いや、俺はそこまで口は悪くはないだろう?」
『女性を直球で挑発して怒られていた記録がありますが、これは私側のデータがおかしいのでしょうか。誰かによる改竄の可能性が生まれますが』
淡々とした口調に健輔は少しずつ追い詰められる。
事実をありのままに並べると、時に凄い破壊力になってしまう。
認識はしていたが、自分がその立場に追いやられると辛いものだった。
「わ、わかった。わかったから、許してくれ」
浮気を弁解するようなダメな男のセリフを吐く主を、
『私は間違っていませんでしょう?』
陽炎は何事もなかったかのように受け入れる。
仮に表情があったのなら、笑顔を作って微笑んでいるのだろう。
やり手な相棒に健輔は全面降伏するしかなかった。
「ああ、流石だよ、相棒」
『ご理解、ありがとうございます。マスター、敵も中々のようですが、我らに勝てる者などいないということを示しましょう』
「目指すは常に頂点、だな」
『ええ、それでこそマスターです』
自分の主はこうでないといけない。
手元からそんな『想い』が伝わってくる。
かつてないほどの一体感に健輔は調子の良さを自覚した。
コンディションについては何も問題ない。
連携に関してはぶっつけ本番な部分もあるが、そこは何も心配していなかった。
参加メンバーの1人残らず、健輔が認める魔導師ばかりだ。
優香に大口を叩いた手前もある、退路が存在しないというのはそれだけで身を引き締める力があった。
「最強……。ここまで、来れたのか」
魔導に憧れて3年。
短いような長いような期間。
実際に触れ合ったのは1年という期間で、此処に至ることが出来たのは真由美が作り上げたチームのおかげだった。
厳しく、同時に優しく、ここまで導いてくれたからこそ、健輔の力は花開いたのだ。
恩返しではないが、チームの1人として、死力を絞り尽くす程度では足りないだろう。
何より、ここから先に健輔が死力を尽くした程度で勝てる相手などいない。
フィーネすらも超える魔導師が2人。
まだ決勝の相手は決まっていないが、待っていると約束した『太陽』。
桜香との約束を守り、優香との約束も守るために立ち塞がる邪魔な『皇帝』を倒す必要があった。
「本懐だよな。これ以上の花形はないよ」
『優香との約束ですからね』
「ああ、じゃあ、そろそろ行こうか」
『初期の武装展開はご指示通りに。術式の整理もしておきました』
「任せた。お前の判断は俺よりも的確だ」
健輔の戦い方を最もよく知る魔導機に全てを任せる。
あのように戦いたいと思った時に、陽炎は必ず応えてくれる。
『お任せを。マスターは前だけを見てください』
「……行くか」
『はい』
女との約束の前に立ち塞がる無粋な敵を倒して、国内大会の続きをしよう。
相手を侮るつもりなどはないが、これは前哨戦だと健輔は気合を入れた。
3年間君臨した『皇帝』。
策も技術も練り上げた。
後は、実際に試すしかないのだから。
健輔の心から桜香のことも消えて、浮かぶのは敵の姿だけになる。
覚悟は出来ている、足りないものは結果だけ。
背中に想いを乗せて、健輔は部屋を後にするのだった。
その日の会場は奇妙なほど静かだった。
熱気はあるが、まるでより大きな力に飲み込まれてしまったように、沈黙が会場を覆っていたのだ。
会場から離れた観戦室の1つ。
欧州の頂点たる女性と共に、多くの魔導師が固唾を飲んで試合の始まりを待つ。
「この編成は……」
「ええ、パーマネンスも本気ですね」
この場に集ったメンバーが注目したのは、両チームの編成である。
魔導競技のベーシックルールにおける出場人数は9名。
基本的な構成は前衛3、後衛3、バックス3の構成だが、別に意図的に偏りを作っても問題はない。
無論、何かしらに偏らせれば問題が生じた時に大変なことになる。
特にバックスを削ってしまえば、直接的な戦力以外の部分でダメージを負うことになるだろう。
国内大会では実力が近い相手とぶつかる際などに、意図的な偏りを生み出すことはあるが、ここは世界戦の舞台である。
僅かな差が決定的な弱点となる舞台で、バランスを崩すなど通常では考えられない。
「だからこそ、でしょうね。近衛の数が増えたらそれだけで面倒臭いもの」
「彼らしい差配です。クォークオブフェイトを相応に警戒しているようですね」
並び立つ2人の美女はパーマネンスの差配をそのように評した。
アメリカの女帝。
この中では最もパーマネンスについて知っているであろう女性の発言は重い。
戦った数ではフィーネすらも及ばないのだ。
何より世界ランク4位の総合力はフィーネに次ぐ魔導師として、流石の貫録だと言えるだろう。
「バックスが1で残りは全部が戦闘魔導師……」
クラウディアの驚きを隠せない声がパーマネンスが取った手段の非常識さを示している。
戦闘能力に全振りしてきた布陣は、実質的にクォークオブフェイト側のバックスを舐めていると言えるだろう。
早奈恵たちは目立たないが、無能な存在ではない。
侮ってよいことなどないはずだが、そんな博打をする程度にはパーマネンスはクォークオブフェイトを警戒していた。
「理屈としてはおかしくないでしょうね。私がほぼ1人で抑えられたのが、クォークオブフェイトのバックス陣です。私以上のバックス、癪ではありますけど、ジョシュア・アンダーソンなら不可能ではないでしょう。何より、戦域は皇帝の空間になってしまうのも考慮すれば、あながち舐めているとも言い難いです」
ジョシュア・アンダーソン。
態度が好かれていない人物ではあるが、実力は疑うべくもない。
バックスで2つ名を持つ程の魔導師なのは、莉理子と彼ぐらいである。
『ゲームマスター』とまで呼ばれる戦場把握能力に、リアルタイムでの術式の書き換えと補佐能力において彼の右に出る者はいない。
「クォークオブフェイトの総合力よりも攻撃力に注目したんでしょうね。長期戦になれば、皇帝の空間展開がどうしても重くなってくる。短期戦をするはず、って読まれたのよ」
「布陣から見ると、それは正解かもしれませんね」
立夏と莉理子の言葉にクラウディアはクォークオブフェイト側の編成に目を通す。
優香がおらず、前衛5に後衛1の構成。
間違いなく短期決戦用の構成だろう。
「優香を外したのは……どうして?」
クラウディアは健輔の、より言うならばクォークオブフェイトの思惑を考える。
ここで優香を外すことにメリットなどほとんど存在しないはずだった。
圭吾や隆志、妃里については彼女も良く知っている。
知っているからこそ、合理的に判断すれば、彼らと優香ならば優香を選ぶのが普通のはずだった。
雷光の戦乙女が不思議に思っている中、同じ部分に注目している人物がもう1人いた。
しかし、着目点は同じでも至った結論が異なる。
クラウディアは疑問を抱いたが、もう1人――フィーネは納得していたからだ。
「ふふ、なるほど。彼も覚悟を決めたということですか」
「フィーネ様? クォークオブフェイトの作戦に心当たりが?」
「まあ、多少はありますね。パーマネンス戦に関してはいくらかのアドバイスをしましたので」
対パーマネンスを考えた時に中心になるのは、皇帝に対する対策だろう。
あの物量と質に対して如何に対抗するかが問題にある。
大抵のチームが選択するのは火力であろう。
ラファールがそうだったし、シューティングスターズも同様である。
おそらく、そこから少し外れた対策を考えたのはフィーネだけであり、健輔はそれを引き継いだ形となっていた。
「アドバイス?」
「桜香のような戦いは彼女にしか出来ないオンリーワンです。でも、健輔さんにも彼にしか出来ないことがありますから」
「女神はあいつを高く評価しとるの。負けたのはそれだけ衝撃だったか?」
あまりにも不躾な問いにヴァルキュリア勢の視線が強くなるが、フィーネはそれを笑顔で制する。
「愚問ですね。私は負けたから、彼を気にしてるんじゃないですよ」
「ほう……、では、如何ほどの理由で?」
武雄の笑みを含んだ問いに、フィーネは、
「私の全身全霊を受け止めて下さりました。これで気にならない方がおかしいでしょう?」
「直向きな男が好きか。なるほど、お前さんは乙女だな」
「ええ、女はいつだって、自分を肯定してくれる人が好みですよ。ましてや、全力で応えてくれるなら……」
「はっ、すまなんだな。無粋だったわ」
「いえ、あなたも面白い殿方だとは思いますよ。友人には、欲しいですね」
友人、と強調したフィーネに武雄は笑う。
「なるほど、健輔と気が合う訳だの」
「あら、そう見えますか?」
「おうよ。まあ、お前との戦いであいつが何を学んだのか、楽しみにさせてもらうか」
武雄が視線を宙に移す。
両チームの緊張感は極限まで高まっている。
見守る者たちをも飲み込む熱量は間違いなく今大会、最大級のものだった。
「……ご武運を、健輔さん」
雷光は静かに祈りを捧げる。
想いよ届け、と少女は純粋に祈り続けるのだった。
今までも試合を見守ってきたことはある。
しかし、試合に絶対に出ることがないと明言されて、外で待つのは初めてだった。
控えの陣にいるが、彼女が試合に出ることはない。
『優香ちゃん、大丈夫~?』
「はい、香奈さん、すいません。私だけ、こんな情報を貰って」
『いいって、あのクソメガネが舐めプしてくれたおかげでちょっとは余裕が出来そうだしね。今回は早奈恵さんも本気だし、私たちも完全に出涸らしになるから』
「……全部、しっかりと見ます」
『うん。優香ちゃんはそれでいいんだよ』
香奈の優しい声に優香は見えてないとわかっていても、しっかりと頷く。
次の試合。
そのために、彼女はここで待っている。
焦燥感はあるし、同時に恐怖もあった。
負けてしまい、桜香に挑めなくなる恐怖。
仮に勝っても、桜香に何かを出来るのか、というそもそもの疑問。
渦巻く思いは複雑で、明確な形を成していない。
それでも目を逸らすようなことはしたくなかった。
今日、チームのメンバーは世界の頂点に全てを賭けて挑む。
『優香ちゃん、きっと真面目な表情してるでしょ?』
「えっ、……そ、そんなことないですよ」
『あっ、嘘吐いたね。優香ちゃんは嘘吐いたり、後ろめたいことがあると、声のトーンが少し落ちるからね』
「……私、そんな癖があるんですか?」
確かに今の優香は笑えていない。
そもそも笑うような場面でもないし、笑えるような心境でもなかった。
しかし、香奈は優香の内心を見抜いたかのように、
『癖とか言うよりもこれだけ一緒に戦えばわかるよ。だから、先輩からアドバイスだよ』
「アドバイス……」
優香は確かに香奈から補助を受けたりすることが多かった。
獅山香奈。
クォークオブフェイトに所属する2年生でバックス。
お茶目なところの多い人、というのが優香の認識だった。
だが、優しい声を聞いて優香は自分の無知を恥じた。
桜香が健輔に対するリベンジに力を尽くしているように、心の表情など容易く変わる。
移ろいやすいとかではなく、角度が変わるだけで見え方が変わるのだ。
そんな事を、此処に至ってようやく気付けた。
『健輔も葵も、後は真由美さんも皆、楽しくて笑ってる、ってだけじゃないよ? わかるでしょう。あの3人が表情なかったら怖いじゃん。……不安になるでしょう?』
「……はい」
いつだって、健輔は楽しそうに戦っている。
その笑顔に不思議な思いを感じたことはある。
桜香と同じ道に来て、でも袂を分けてしまい、1人で歩むには怖さが付き纏った。
これだけに集中していないと押し潰されそうな感じがあったのだ。
あれを感じなくなったのは、いつからだろう。
もう優香も覚えていなかった。
『あっ、今、ちょっとだけ空気が柔らかくなった。優香ちゃん、笑ったでしょう?』
「えっ……」
慌てて口元に手を当てると、確かに少しだけだが弧を描いている。
「す、すいません。試合の前なのに!」
『いいよ。というか、そのまま応援してあげなさいな。真由美さんとかはともかく、健輔にはすごく効果があるから』
「へ? それって」
『ふふ、それは内緒だよん。お姉さんは後輩を2人共応援してるからね。ま、優香ちゃんは男の意地をもうちょっと、評価してあげないとね』
「男の、意地?」
誰のことを言っているかはわかるが、何を言っているかはわからない。
しかし、そんな優香でも1つだけハッキリとしていることがあった。
笑顔で応援することが、健輔の力になる。
ならば、是非もなかった。
「よく、わからないですけど。――健輔さんは、勝つって約束してくれましたから」
『うん、それで良いよ。あー、いいなー。健輔は良い感じの男の子だよねー。こっちは捻くれたのしかいないのにさー』
唐突に拗ねたような声色になった香奈の発言に、念話を聞いていたのだろう早奈恵からの介入が行われる。
『文句を垂れる余裕があるなら大丈夫だな。始まるぞ。香奈、気合を入れろ』
『はい! 了解しました! 優香ちゃん、じゃあね~。応援、よろしく!』
「はい。ご武運を」
念話が切れて、全体の戦況が優香に送られてくる。
試合の開幕を告げるブザーが鳴り響き、両チームは戦闘体勢に移っていく。
進むカウントダウンは運命の岐路。
ここで、優香たちの戦いの成否が決まる。
「頑張ってください。勝利を、信じてます」
――クォークオブフェイト対パーマネンス、試合開始。
決勝に進むのは、最強か、それとも新星か。
今大会、最大級の決戦が始まった。




