第294話
沈黙が部屋を覆う。
健輔を熱く見つめる視線。
穴が開くのではないかと、あり得ない心配をする男は視線元の人物たちに掠れた声で問いかける。
「……あ、あのー、そんな見つめられると困るんですが」
「……健輔さんが、余計なことをしないように、と言われてここに居ますから」
「私もです! もうすぐ、パーマネンスとの決戦なのに魔導を使い過ぎです! 身体にダメージが残ったらどうするんですか!」
「わ、わかってるから、ちゃんと大人しくするさ……」
健輔を部屋に拘束しておくために放たれた2名の刺客。
九条優香と紫藤菜月。
両名共に普段の健輔にとっては付き合いやすい女性なのだが、こういう状況になると途端に強敵となるのが、彼女たちの特徴だった。
強い意志があるため、健輔の誤魔化しなどにも乗ってくれないし、彼女たちに強気で命令するなども出来ないため強硬突破も実行出来ない。
おまけとばかりに追加の者たちが他にも送り込まれる予定である以上、健輔は大人しく拘束される以外の選択肢が存在しかなかった。
最小限の魔導発動すらも防止するために、陽炎まで取り上げられているのだ。
温厚な真由美にしては、今回の処置は徹底していた。
「何で、俺だけ……」
「そりゃあ、一昨日、あれだけ暴れ回れば、真由美さんたちも心配ぐらいするさ。ま、多少大袈裟にしている面もあるだろうけどね」
「優香を使うとか、ずるいだろう……」
「昨日、無理して寝込むからだよ。真由美さんたちの方はきちんとセーブしたらしいし、僕たちも無理はしてないよ」
健輔だけがテンションの上がりすぎで限界を無視した形となっている。
だからこそ、昨日は大人しく休んだのだが、まだまだ不十分と捉えられていた。
今日もしっかりと休みを取らされることになってしまったのはそのためである。
「真由美さんたちも楽しんでたのに、この待遇の差は……」
「自業自得だろう。テンション次第で限界を投げ捨てすぎなんだよ。滝川さんと戦ってる時も、健輔基準で判断してたじゃないか」
「……あ、あれはうん、反省してるよ?」
「なんでそこで疑問形なんだい? ま、今日は大人しくしとけばいいよ。明日には嫌って言うほど、暴れられるんだしね」
「……はぁぁ、仕方ないか。ああ、クソ、もうちょっと自重すれば良かったかな」
「最近、戦闘、戦闘って言い過ぎな面もあるからね。もうすぐ2年生だし、葵さんみたいに表面上ぐらいは落ち着くといいんじゃないかな」
今のままだと、葵にすら届いていないと言われて健輔は微妙に凹む。
増長していた訳ではないが、いろいろとテンションが上がってしまったのは確かな事実であった。
冷静に、かつ慎重に戦うのが健輔の持ち味である。
時に大胆であることは求められても、常に大胆である必要はなかった。
「……気付いてなくても、緊張してたかな?」
「僕もそうだし、仕方ないよ。まだ1年生だしね」
言い訳ではないが、大舞台の大詰めを前にして何かをしていないと不安になる部分があった。
フィーネは健輔たちのこういった様子も鑑みて、動いてくれたのだろう。
健輔がやろうとしていることにも、気付いている感じがあった。
聡い彼女は気晴らしも兼ねて、骨を折ってくれたのだろう。
結果的に健輔のブッキングにより大きな遊びになってしまったが、大筋は彼女の思った通りに運んだと言っても間違いではない。
「……何か、お世話になってばかりな気がするわ」
「同じく、だよ。気になるなら、次の試合で返せば良いよ。しっかりしてよ、作戦の要は健輔なんだからさ」
「そっちこそ、紗希さんの技を、きちんと体に染み付けてるんだろうな? 物真似じゃなくて、コピーくらいはいっていないと話にならんぞ」
健輔の言葉に圭吾は答えない。
試合で見て欲しい、そういうことなのだろう。
「たく、都合が良い時だけ黙るんだもんな」
「悪いね。でも、健輔なら確実に合わせてくれるだろう?」
「煽てても何もないぞ」
「事実を言っただけだよ。健輔が勝つ、と言ったからには勝つさ。約束もあるしね。……だから、ちょっと気になることもあるんだ」
「――何が? って惚けても意味なさそうだな。まあ、今は胸にしまってくれ。俺も自覚はある」
圭吾が問おうとしていることを、健輔は察してしまう。
努めて表に出さないように努めていたことを親友だけには隠しきれなかった。
健輔にはある不安がある。
口には出さないのは、出してしまえばそれが現実になってしまいそうだからだ。
何より、先への不安は今は関係がないものだった。
最強の魔導師に勝てるかもわからないのに、決勝にくるかもわからない相手への不安は意味がない恐怖である。
「……随分と遠いところまで来たような気もするが、結局、根本の部分は何も変わらないのかね」
「また、らしくないことを言うね。いつも自信満々で笑え、とは言わないけど健輔に悩む姿は似合わないよ」
「うるせえ」
うじうじとするのは健輔も本意ではない。
決戦は明日。
立ち塞がる最強の魔導師に勝つためには、もっと自信を見せるべきだった。
「あーあ……この緊張感は慣れないな」
「だね。僕も前日が1番嫌だよ。いろいろと想像できてしまうのが、さらに嫌な感じだしね」
「心臓に悪いよなー」
健輔がここで泣こうが喚こうが明日はやってくる。
それにここで悩んだところで当日は楽しくなっている自分の姿がハッキリと見えていた。
魔導の世界に君臨した最強の魔導師。
『皇帝』クリストファー・ビアス。
彼に勝ったから、健輔が最強の魔導師になるという訳ではないが、誇るだけの戦果になるのは間違いないだろう。
欧州の最強が敗北したのも当然だ。
誰もがそう思うだけの戦果なのは間違いない。
「健輔さん、あまり考え込むとドツボに嵌りますよ」
「おっ、サンキュー」
会話は聞いていたのだろうが、口を挟まなかった菜月がドリンクを手渡してくる。
決戦前日はこうやって、静かに平凡な形で終わりに向かう。
特別なことなど何もない。
明日、朝日が昇れば最強との戦いはやってくるのだった。
「実際のところ、あなたはどっちが勝つと思うの?」
「わからんな」
「……ちょっとは予想する姿を見せなさいよ。あなたに聞いた私がバカみたいじゃない」
「立夏さん、それは流石に失礼じゃないでしょうか」
「悪いな橘、俺が謝っとくわ」
立夏は質問にきちんと答えない武雄に呆れたように溜息を吐く。
本当のところは皆がわからないが、それでも予想することに意味があるのだ。
呆れたところで自分の道を行く男には意味がないが、それでも抗議の意味での溜息だった。
「いいのよ、小林君。だったら、私から予想を言うわ。個人的には、この大会はアマテラスが優勝すると思う」
「その心は?」
武雄が間髪入れずに立夏に問う。
あまりにも素早い問いだったため、少し虚を突かれたが立夏は直ぐに気持ちを立て直すと持論を語り出した。
「桜香ちゃんの実力を評価した上での判断よ。彼女、強力な近接系じゃないと絶対に倒せない。もう、私程度じゃ相手にもならないと思う」
魔導連携を使えばわからないが、既に単独では抗することも難しい。
硬く素早く、そして一撃が重い。
攻撃の3要素、攻防走が全て飛び抜けている。
おまけにまだ、進化の途中なのだ。
強く成り続ける最強。
これほどに恐ろしいものがこの世に存在するだろうか。
健輔が知恵を尽くそうとも、努力する天才に届くかなど、誰にもわからない。
しかし、残酷な数学の問題として、才能と努力が揃えば小さな細工を超えてしまうのはハッキリとしていることだった。
同じだけの努力を費やせば、勝つのは他の要因によるものになる。
「おまけに桜香ちゃんは明確に健輔を意識してるわ。なんだかんだで、万能系の強みは対処能力の高さにある。でも、それは逆を言えば」
「後手に回る。普通の相手には事前の準備と合わせた先読みである程度は対処できるが、桜香相手ともなれば容易くはいかない、とでも言いたいのか?」
「……ちゃんと考えてるなら、それこそ教えて欲しいんだけど?」
霧島武雄は天祥学園でも屈指の魔導師である。
彼が一目置かれている理由は格上を嵌めて殺すことも可能な智謀。
傍から見れば勝算の低い戦いをある程度戦える領域に持って行ったことが幾度となく存在している。
世界的に見れば知名度的には微妙だが、国内で武雄の活躍を知っている者が彼の意見を侮ることなどあり得ない。
立夏が彼に問うたのも、自分にはない視点を求めてのことであった。
残念ながら、結果はわからない、という在り来たりな答えではあったが。
「さっき言ったのは掛け値なしの本音だの。わからん、と言うのは一切の誇張なしだ」
「そりゃあね。私も願望込みでの予想なのは間違いないわ」
「ま、あえて言うなら……、残りチームはそれなりにバランスが良い、ことくらいかの」
「ふーん。なるほどね、チーム単位では考えてなかったわ。では、各チームの賢者の評価をお聞きしても?」
立夏の楽しそうな問いかけに、武雄も口元を綻ばせる。
「そうだの。まあ、無難にパーマネンスからいくか」
パーマネンス。
言うまでもなく現在世界最強の魔導師チームである。
彼らの特徴は皇帝を中心とした特化集団であることだろうか。
天祥学園ではツクヨミなどがそうだが、何かしらに特化することでその範囲内で1流に伍する力を得ようとするのは珍しいことではない。
ただ1つ、パーマネンスが他のチームと違うのはこのチームが本当に皇帝を核にしているこということだった。
メンバーが防御に特化しているなど、他にも特徴があるが忘れてはならないのはその1点だろう。
「奴らは組織として、良く出来ている。あの完成度は目立たないが脅威だろうて」
「でしょうね。私たちでは成す術なく蹂躙されて終わり。防御を突破するのも難しいわ」
「だよな。俺たちの魔導陣も効果はあるだろうけど……」
「火力だけでは勝てない。未だに攻略法がないのも頷けます」
最強を如何にして倒すか。
魔導師ならば誰もが考えたことのあることだった。
皇帝を倒さないと勝てない。
かと言って、皇帝だけを狙おうにも周囲は防御に長けている。
数を超える火力を、数で補ってくるため、イタチごっこになり最後は敗北してしまう。
王道の勝利パターンが確立しており、ここを崩すのが難しい。
優勝候補筆頭は間違いなくこのチームであった。
それは武雄ですらも変わらない評価である。
「本命はパーマネンス。では、あそこに勝てるのは何処か、という話だの。アマテラスは……儂は勝てるとは思わん」
「理由は?」
立夏は努めて平静に声を掛ける。
何が返ってくるかはわかり切っていた。
「桜香1人に仁を合わせた程度ではな。奴らには覇気がない」
「そうよね。……はぁ、桜香ちゃんの仲良しクラブ、でしかないから」
対抗候補たるアマテラスも強いのは間違いない。
桜香は個体として見れば、魔導の歴史において頂点に立つ逸材だろう。
単純な戦闘能力では皇帝すらも上回りかねない。
それでも、魔導はチーム戦だった。
ここまで来たチームに弱いチームは原則存在しない。
桜香の道は他ならぬ彼女が切り拓いてきたものだった。
其処に仲間の存在はいてもいなくても変わらないものに過ぎない。
「誰かが奴を止めてやればよいのに、根性なしばかりだ。仁にやる気はないだろうしな」
「仲良く、って言葉の意味を狭く捉えすぎなのよ。古巣ながら、ちょっと頭が痛いわね」
「ここは正直、語ることが少ない。チームとしては割と落第だからな。ちなみにクロックミラージュも似たような評価だ」
クロックミラージュについても武雄は多言を避けた。
少なくとも現状においては、アマテラスと似た傾向以上のチームではない。
ここはエース対決になるだろう。
敵の力を発揮させないエースと己を高めて、正面から突破するエース。
どうなるかはまだわからないが、中々に面白い対決ではあった。
「じゃあ、最後は?」
「あいつらについてはいろいろと語ったからの。だが……」
「だが?」
「妹の潜在能力に期待、かの。儂はあいつが桜香に劣るとは思っておらんよ」
桜香というビックネームを姉に持つ割にはパッとしない優香だが、武雄は戦闘においていろいろと感じるものがあった。
この間の祭りでは、じっくりと観察出来たのもある。
何より武雄には気になることがあった。
今大会では覚醒の事例が少ない。
未だに戦闘中の覚醒が『クロックミラージュ』だけなのだ。
世界大会は激戦であるが故に、魔導師の覚醒が多い。
なのに、過去最高レベルと言われる大会で奇妙なほどに覚醒は少なかった。
「クォークオブフェイトもまた、未知数。ここまでくれば無粋な予想はいらんと思うがの」
「結局、そこに行くの? もう、詰まらないわね」
「女の期待に沿えないのは申し訳ないが、儂にもわからんものはあるよ。桜香が皇帝に勝てないと評価したが、あれは現時点、ではと注釈が付くしな」
何が切っ掛けで魔導師は化けるかはわからない。
まだその真価を発揮していない者が多数残っているため、武雄はわからないと言ったのだ。
「1つの結果は明日には出る。どんな戦いになるかが楽しみだの。パーマネンスも、もはや隠すものなど存在しないだろうさ」
「皇帝陛下の全力もお披露目、か。ええ、楽しみね。そこは私も同意するわ」
立夏たちはフィーネの声掛けによって、集まって観戦することにしている。
欧州の女神は戦ってわかったことだが、桜香に確かに匹敵する存在だった。
人間的な安定感では圧勝と言っても良いほどの女性。
立夏にも良い刺激になる。
頂点に近い視野からの試合の推移も聞けるのだ。
これ以上ない環境での観戦になるだろう。
「明日、か」
「ああ、明日だ。これはそろそろ日本が頂点を取る日も近いかもな」
「それもあったか。ええ、取って欲しいわね」
「本当に、楽しみですね。立夏さん」
「後輩の頑張りに乾杯でもしておくか?」
最後の凪は終わり。
最大の嵐がやって来る。
世界最強『パーマネンス』対新星『クォークオブフェイト』。
激突の日がやって来たのだった。




