第291話
追いかける。
ただ無心でその背中を追いかける。
今から約1年前、彼は今の彼女と逆の立場だった。
虚勢とよくわからないやる気だけでずっと高みにいた少女に戦いを挑んでいた。
縁が巡るとでも言うのだろうか。
立場を変えて、今度は健輔が誰かの目標になっている。。
敵――瑞穂は背中を向けて逃げているが、心では健輔と戦っているのだ。
彼にはそれがわかった。
追われる恐怖、それに立ち向かおうとする意思。
どちらも身に覚えがあるものだった。
「流石というか、凄い人だな、女神。こういう状況に持ち込むか」
『データによく似たシチュエーションがありますが、どうするのですか、マスター?』
あの時は手元になかった相棒。
震える腕で魔導機を必死に握った日はもう遠い思い出となっていた。
瑞穂が一体何を思って健輔に真剣勝負を挑んできたかは知らない。
知らないが、その思いを無碍にするつもりはなかった。
かつて優香がそうやって健輔を粉砕したように――健輔も瑞穂相手に一切の手を抜かない。
「陽炎、シャドーモードを展開準備。モードは、そうだな。1人用でいってみるか」
『……肉体疲労的にはお勧め出来ませんが、仕方ないですね。礼儀ですから、やれるだけはやりましょう』
「サンキュー。お前は良い相棒だよ」
『それが私の存在意義です』
周囲の魔素を取り込んで些か強引にだが、地力の嵩上げを行う。
1人で使うためのシャドーモード。
身体への負荷などを考えて使用は避けるべきなのだが、健輔の頭の中にそんな賢い選択肢は残っていない。
やるからには全力であり、いつだって勝利を目指す。
相手が誰であろうと、それは変わらない。
ましてや、これが実質的な初陣だと言うのならば、健輔が葵と真由美からプレゼントされたように最高の物にするべきだろう。
これ以上はないというほどにボコボコにするべきであった。
昔を思い出して上がったテンション。
ただでさえ良い戦いの連続で気分は良かったのだ。
酒を飲んだわけでもないのに、雰囲気に酔った男はほとんど飛べるだけの素人に容赦なく全力全開でいくつもりだった。
白い魔力が少しずつ身体から溢れ出してくる。
何者にも成れるという意味で白い魔力は万能系たる健輔に良く似合っていたが、残念ながら本人の雰囲気とはあまり似合っていなかった。
楽しそうな笑みを浮かべる男は逃げる女を見て、口元を吊り上げる。
何処から見ても悪人面にしか見えないし、完全に悪魔の所業であった。
「うっし、いくか」
『シュートバレル展開。最初は軽く牽制でいきましょうか』
「おう、軽くだな」
何故か軽くを強調した男は本当に澄んだ笑顔を浮かべて、瑞穂にとっての死刑宣告を行う。
「よっしゃ、フルチャージ。ガトリング、バスターいくぞ!」
『て、展開します。マスター、これ牽制じゃないです』
「ん? 真由美さんは最初から全力だろう? だから、これが牽制じゃないか」
『……そこを基準にするのは、その……いえ、なんでもないです』
「珍しいな、お前が言い淀むなんて」
実に良い笑顔で健輔は再度、杖を構え直した。
集った白色の閃光はかつて健輔が真由美に向けられていたレベルとそれほど遜色はない。
きちんと、かつて自分が喰らったレベルまでに加減していた。
そこが既におかしいと気付かないまま、健輔は全力砲撃を放つのであった。
『申し訳ありません。ご自身が突破したものを翻させるのは厳しかったです。フォローを願います、フィーネ様』
陰でこっそり陽炎がフィーネにメッセージを送る。
主の不始末は己の不始末。
忠実な従僕はアフターケアのためにも頼れる女性に助力を頼んでいた。
いざと言う時の保険が開始1分足らずで必要になるのは予想外だったが、備えていた甲斐はあったと言ってよいだろう。
『瑞穂、頑張ってください』
主から無茶ぶりされている少女を思い、陽炎はエールを送る。
残念ながら彼女にそれは届かず、さらに言えばそれどころではないのだった。
『まったく、遠慮を知らないというか、加減を知らない人ですね』
「し、死ぬ! ふぃ、フィーネさん、なんとかして!!」
『わかっていますよ。トラウマでも刻むつもりですか、本当に!』
本当に珍しく口調を僅かに荒げながら、フィーネは瑞穂の補助を行う。
術式に干渉して、外部からある程度調整を行い、環境操作で各種フォローを準備していく。
『どうですか? 少しは動きやすくなったと思いますが』
「これ、すごい……!」
恐怖と緊張で強張っていた身体の力が抜けていく。
外から包み込むように大きな力が瑞穂を守ってくれていた。
「軽い……。これが、空」
空気を切り裂いて飛ぶ感じ。
重力から解放された圧倒的な解放感。
一廉に達した魔導師が見ることが出来る光景を瑞穂は少しだけ早く見ることになっていた。
しかし、そんな感動を引き裂くが如き物騒な光が瑞穂の直ぐ傍を通る。
「きゃああああ!? え、ええ、何、何、なんなの!?」
『落ち着いて。健輔さんの砲撃魔導です。見たことはあるでしょう』
「あ、あるけど、でも、あんなの当たったら死んじゃうじゃない!」
『だったら、私も健輔さんも死んでいますよ。というか、そこまで認識して驚く余裕があるとは、あなたはやっぱりこちらに向いていますね』
「こっちって、何、ですか?」
ここで問いかけることが出来るのが彼女の適性を示していた。
如何な事態に陥っても切り替えることが出来る精神。
普通の女子なら逃げるどころか立ち向かうことも考えない場所。
そんなところに何か理由があれば来れる者たち。
彼、もしくは彼女たちを『魔導師』と呼ぶのだ。
『ふふ、この戦闘が終わればわかりますよ。ほら、次の砲撃がきます。右に避けて』
「は、はい!」
答えているようで答えになっていないフィーネの言葉に問い返したいが、発せられた言葉が洒落にならないため、全力で回避に意識を傾ける。
「くぅぅぅぅ!」
『おや、これはいけませんね。術式を少々弄りますね』
「あ、楽になった。す、凄い」
方向転換の際に大きな力が掛かったが、急に楽になる。
真っ直ぐはそれなりの速度で飛べるようになったが、全力での旋回行動はまだまだ荒い部分があった。
それを一瞬で使える領域まで整えてしまったのだ。
女神の目立たない部分での実力。
本職のバックスにも負けない程の手腕がそこにあった。
『さあ、次が来ますよ。お礼をするのでしょう?』
「は、はい!」
瑞穂の様子にお構いなく叩き込まれる砲撃群。
避けられるようにある程度は調整していたのだが、瑞穂にはそんなことはわからない。
彼女にわかるのは、己の師匠はスパルタを超えたドSであり、やっぱり1発殴ってやらないと気がすまないということだった。
「あ、頭きたわよ。絶対にグーで腹に入れてやる!」
『ええ、その意気ですよ』
「お願いします!」
煽る女神のエールを受けて、瑞穂は逆襲のために作戦を練る。
必死で逃げながらも勝利を考える姿は春頃の誰かに良く似ていたのだった。
戦意の高まり、とでも言うのだろうか。
敵から感じるよくわからない圧力は強敵の試合で健輔が感じるものであった。
諦めない、鼻を明かしてやる。
言葉にするならばそんなものだろう。
健輔にはかなり覚えのある感情。
それを正面の弟子から強く感じ取る。
「なるほど、葵さんが楽しそうに俺のことを殴る訳だよ。実際に、楽しい」
美少女を笑顔で追い回す危険人物は口からとんでもない言葉を吐きだす。
一切の誤解無く鬼畜な所業を口に出していた。
「自分で育てた奴を叩き潰すとこんな感じなのか。勝とうと立ち上がるのがまた良いね」
ぶつけてくる戦意が実に素晴らしい。
余計なものが何も混じっていないからこそ、純粋にそれに応えたくなるのだ。
戦闘狂と言われても何も不思議ではない感想を健輔は抱いていた。
健輔も笑みを見れば、誰もが葵と真由美の教え子だと納得するだろう。
確信を抱ける程度には、物騒な笑みを浮かべていたのである。
しかし、そこに相手を害そうなどという意思は存在しない。
あるのは好意であり、純粋な善意だった。
――多少、基準が物騒ではあったが、疑いようもなく相手のことを思っている。
これは良い例であろう。
判断基準が違えば、仮に善意であっても危険極まりなかった。
「よっしゃ、いいな。向こうにきちんとチャンスをあげるべきだ。接近戦でいくぞ」
『マスター、素人に近接格闘戦とか悪魔の所業ですよ』
「いけるって、俺も初日からそんな感じだったから、問題ないさ! 何より、あいつもやる気みたいだしな!!」
『マスターを基準にすると、判定がガバガバになるのに……』
陽炎の忠告も虚しく、楽しくなってしまった男はテンションの赴くままに行動する。
ストレス、と言う程ではないが健輔もそれなりに溜まっているものがあった。
健輔は確かに強くなり、多くの魔導師を倒せるようになっただろう。
大抵の魔導師と一騎打ちをして負けない魔導師なのだから、それ自体には満足もしていた。
これ以上は贅沢だし、文句を言うのは罰当たりなのは間違いない。
それでも、健輔も言いたいことがあった。
「いいじゃないか、俺だって、力で圧倒とかやりたいんだよ!」
『あぁ……こんな本音が出るとは。マスター、結構疲れてたんですね』
健輔の評価の中には辛辣なものもあり、彼の単体戦力では評価されていない面も強い。
気にしていないと嘯いても、溜まっているものはあった。
原点回帰も兼ねて、一切の加減なしに暴れる機会を逃すようなことはあり得ない。
「おっしゃあああああッ!」
白い魔力をブーストさせて、健輔は空を切り裂くように直進する。
目の映るのは、瑞穂ただ1人。
本日最高潮のテンションで健輔は彼女に襲い掛かる。
「行くぞッ! 簡単に終わるなよ!」
「誰が!」
1度声を掛けたのは最後の理性だったのか、槍型に変形させて陽炎を掲げて前に突き出す。
空を切り裂く一撃は本気で容赦が存在しない。
まだまだ使っていない術式はあるが、加減は既に存在してなかった。
瑞穂の一瞬で青ざめた表情は健輔の本気をしっかりと示している。
「っ、わかってます!」
一瞬止まった隙を見逃さない男は追撃を放とうとしたが、正気に戻った瑞穂によりご破算となる。
誰かが彼女に入れ知恵をしたのは明らかであり、それが誰かもわかっていたが、健輔は気にしない。
既に健輔の中で、瑞穂は明確な敵となっていた。
「いい目だな。圭吾よりもそっちはセンスがあるな」
「え……、それって」
瑞穂が健輔に言葉の意味を尋ねようとするが、それは悪手である。
この男は基本的に愉快犯なのだ。
同時に極度の負けず嫌いでもある。
この会話ですらも、試合中に気を引くための戦術に過ぎない。
「甘い」
「は? って、かっ……」
容赦なく横合いから蹴りを放つ。
真剣な瞳は健輔が試合中に匹敵するほど、集中している証だった。
瑞穂が本気で戦うと感じたからこそ、彼も本気なのだ。
だからこそ、そこには妥協がない。
基本的に真っ直ぐ行って、ぶち破るのが葵流である。
継承者の1人としてご多分に漏れず、健輔も同類であった。
「――ふざけないでよ!」
そして、唐突な痛みによって意識が飛びそうになった少女は――逆に振り切れた。
多少はあった戸惑いなどがここで完全に消える。
あるのはぶん殴るという強い意志。
健輔が優香に対して抱いたのと同じ思いだった。
しかし、思いだけでどうにか出来るほど、双方の差は軽くない。
体勢を立て直すとする瑞穂に容赦のない第2撃が決まろうとしていた。
双剣が展開されて魔力がチャージされる。
放たれるのは魔導斬撃。
収束砲撃には劣るが十分に大技である。
未だに戦闘講義しかこなしたことのない瑞穂は当然ながら、喰らったことなどあるはずもなかった。
刀身に集う白い輝きを前にして、彼女は、
「女、舐めるな!」
「舐めてないさ! むしろ、この世で1番評価してるね!!」
「それが、舐めてるのよ!」
堂々と突っ込んでくる。
実に健輔好みの選択肢だった。
彼女が弟子になったのは、もしかしたら必然だったのかもしれない。
未知の恐怖よりも、近場の怒り。
実に共感できる思いだった。
「決める!」
×の字を描くように魔力を込めた斬撃は瑞穂に吸い込まれていく。
しかし、そこで健輔はとんでもないものを見ることになった。
双剣の動きをどのようにして見切ったかのかはわからないが、軽やかに躱されたのだ。
勝負を決めるための1撃。
やや大振りだったのは事実だが、完璧に躱されるとは思わなかった。
「――はは、やっぱり、目がいいな」
「お返しよ!」
魔力を込めて放たれるのは渾身の平手打ちだった。
腰の入ったスイングを前にして、健輔は爽やかに笑う。
実に素晴らしい攻防だった。
それでも、試合に勝つのはこの男である。
「悪いな、俺の勝ちだ。ま、流石に腹はダメだよな」
「脇、腹だったら、良いとか……あるわけないでしょう」
周囲に頬が叩かれる軽快な男を響かせた後に、妙に重い音が聞こえてくる。
変換された痛みに顔を歪めているが、これが魔導師の洗礼でもあった。
滝川瑞穂は、まだ補助輪が付いているとはいえ、間違いなく魔導師になったのである。
「おめでとう。凄い奴だよ、瑞穂」
「あ――、名前……って、ええ、それは」
『魔力チャージ完了。0距離砲撃準備良し。……マスター、私はこれに反対しましたよ』
「ちょ、ま、え!? 本気!?」
瑞穂の問いに答えることなく、健輔は砲撃発射のトリガーに指を掛ける。
「発射! やっぱり、クォークオブフェイトはこれでしょう」
「い、いつか、ぜ、絶対に、絶対に殴るからね!!」
瑞穂の怒りの言葉を最後に彼女は白い光に飲まれる。
全力で来たからこそ、自分なりの全力で。
健輔の美学ではあるが、中々に酷い幕切れであった。
光に飲まれていく瑞穂を見ながら、健輔は言い訳を考える。
美咲辺りはきっと良い笑顔で健輔を待っているだろう。
「……なるようになるか。良い体験させてもらったし、俺が悪いのは確定だからな。甘んじて受け入れよう」
『潔いのか、鬼畜なのかハッキリとしてください』
待ち受ける女傑たちを思い、健輔は通常空間に復帰する。
外に出た瞬間に多くの笑顔で歓迎されるのは言うまでもなかった。




