第275話
エルネストの目の前で、いや――彼の前だけでなくラファールのメンバー、全員の前にいた彼らの分身が消えていく。
来るべきものが、来てしまった。
今年、世界に挑み皇帝と戦うことを覚悟していた全ての魔導師が覚悟していた脅威が姿を見せる。
クリストファーの魔力光、黄金に彩られた金色の人形たち。
空間内に長時間存在した者たちの能力をクリストファーの想像力によって形と成す空想の兵団。
「ふっ、最強の軍勢の1人になるわけだね。光栄だ、とでも言えばいいかな」
「喜んでくれるなら、俺は嬉しいぞ。――見事なり、お前もまた、素晴らしい魔導師だった。共に轡を並べたいと思うが、時と場がそれを許さない。ならば、こうするしかないだろう?」
向けられた賛辞は掛け値なしの本物だった。
『皇帝』クリストファー・ビアスは自負と自尊と塊だが、他者を認めないことはない。
認めた結果、己が配下に加えるに相応しいと判断したからこその全霊の軍団だった。
皮肉な話だろう。
皇帝を倒すために鍛えた技が、結果として己に牙を剥く。
この戦い、パーマネンスとの戦いは通常の魔導戦とは違う部分が多い。
ライフを0にして相手を撃墜していくことが、魔導の戦いだが、パーマネンスの――皇帝との戦いは彼の心を折らなければ絶対に勝つことが出来ないものなのだ。
皇帝の軍勢を破るために、彼の想像の限界を超える『現実』を叩きつける必要がある。
それが成せそうになったのは、今までで桜香ただ1人。
フィーネでもすらも1年目では容易く粉砕された。
『疾風』は輝く軍勢を前に唾を飲む。
「……気圧される。この程度の心持ちでは、ちょっと危ないかな」
「準備は良いか?」
皇帝の問いかけに笑みで返す。
仮に虚勢だったとしても、その程度出来なければこの軍勢は絶対に破れない。
ここからが本番なのだ。
準備運動は終わり、本当の戦いが始まる。
「行くぞッ!!」
エルネストらしからぬ叫び声。
これをサブリーダーである女性が聞けば、驚きに目を丸くするだろう。
彼も自分にこんな声が出せるのかと驚いたほどだった。
最高の状態、無敵に近い軍勢を前にしてエルネストの心は高ぶりを抑えられない。
自分を最強の魔導師が認めた上で、その想像をぶつけてくる。
つまるところ、この戦いは皇帝の描いた己を超えられるのか、その1点が勝負だった。
「ラファールッ!」
『術式出力を最大に、制御を放棄します』
術式には本来、基準以上の魔力を取り込まないようにリミットが掛けられている。
必要以上の燃料を注ぎ込んだところで普通は火力が高くなるものではないし、メリットが存在しないからだ。
しかし、物事には何事にも例外というものが付き物だった。
エルネストの空間展開などはその例外の1つである。
己だけを包み込むことになる結界という区切られた世界。
過剰な魔力を注ぎ込めば、強度は際限なく上昇する。
当然、燃費は最悪であるが、メリットも大きかった。
戦い方は変えないまま、力の規模だけがドンドンと成長していく。
エルネストが耐えられなくなる瞬間まで強化が可能なのだ。
「己の限界程度、超えずに、どうして最強に勝てる!!」
彼の動きに追随してきた人形の1つに蹴りを放つ。
確かに感じる空間の違和感。
これだけの人形がエルネストと同じように等身大の空間展開を行っている。
底なしの魔力に、恐るべき能力。
単純な数学の問題でこの戦いの決着は付いてしまう。
それを覆しえる圧倒的な質。
エルネストがここに降臨させようとしているのはそういうものだった。
「温いぞ、人形!」
無言で砕け散る人形を最後まで見ることなく、流れるように人形を砕いていく。
連続で放たれる蹴りが先ほどまでのエルネストと同格のはずの人形を次々と粉砕するのだ。
高まる魔力、次々と形を失っていく人形。
どちらが優勢なのかは容易くわかる。
「はあああああッ!」
細かい術式など全て捨てて自己の世界を強く信じる。
ドンドンと吸い上げられていく魔力に眩暈に似た症状を感じながらもエルネストは全てを粉砕していった。
その姿はまさに『疾風』、いや、『嵐』と言えるだろう。
人形は容易く砕かれていく。
そう、確かに砕かれているのだ。
なのに――
「クソ、減らないッ! 数が増えている。それに――!」
――数がまったく減らない。
それどころか彼の攻撃に耐える人形が出始めている。
耐えると言っても、9割方――いや、今は8割方の機能は喪失している。
そんな状態で戦闘に耐えられるはずもなく、次の攻撃、つまりは2撃で砕け散ってはいく。
しかし、増えた1発の間に人形の数はドンドン増えていき、エルネストが気付いた時には周囲のほとんどを囲まれていた。
「砕いても、砕いても! 終わらないか!」
猛攻を続ける。
最初は目の前にいたはずの皇帝が今は見えない。
感覚がおかしいような気がしてきた。
明らかに距離が大きく空いているような、より言うならば空間が広がっている感覚。
似たような光景、黄金の輝きを見続けているせいで時間の感覚も薄くなっていく。
異常はそれだけに留まらない。
「――総員、状況は! っ、総員、状況は!」
バックスから定期的に入っていた戦況報告が唐突に途絶える。
呼びかけるもそこに反応はなかった。
ここまで来れば、何が起こっているのかはわかる。
「女神と同系統の環境操作、いや、空間創造とでも言うのか……!」
エルネストの心の片隅にある言葉が過るが、必死に掻き消す。
「おおおおおおおッ!」
仲間に彼の健在が届くように、格闘戦のキレは加速度的に増していく。
再び、1発の攻撃で砕けていく人形。
盛り返しているはずなのだ。
先ほど、ただただこちらを見つめる黄金の王者が確かに見えた。
――今はもう、前にあるのは黄金の軍勢のみ。
さらに今更ながらに気付いてしまう。
先ほどまで相手をしていた人形、エルネストの戦い方をしていたものと異なる集団が彼の前に姿を現す。
人数は都合6名。
余程のアホでなければ、敵の狙いはわかるだろう。
その6人を中心として巻き起こる嵐。
敵が味方すらも巻き込む形で発動させたのは戦術魔導陣『ラファール』だった。
一瞬、言葉を失ったエルネストを責められるものはいない。
そのようなことが可能だとわかっていても、いざ目の前にやってくれば固まってしまうのは無理もないことだった。
「猿真似が!」
より高密度な風を纏っているエルネストには精神的な動揺以外での実害は存在しない。
風を超えて、中核となっているだろう己の人形を破壊しようと直進する。
相手は人形、能力こそは立派なものだろうが、動きは未熟だ。
この時まではエルネストの勘があっていたし、事実としてそういうものだった。
「なっ、この動きは……」
どこか見覚えのある動きをした人形がエルネストの人形を庇うように前に出る。
風による盾の生成と防御。
守りに重点を置いた動きに見覚えがないはずがないのだ。
「――そこを、どけええええッ!」
一閃、蹴り砕かれた人形は一瞬で魔力の塵となる。
その隙に迫りくる他の人形たち。
この動きも知っていた。
エルネストの心に暗い熱が生まれる。
――お前たちの技など、全て想像できるぞ。
そのような笑い声が聞こえてきそうだった。
「ふざ、けるなああああああッ!」
激昂と共に、敵は全てが消える。
怒っているが、全てを見失うほど愚かではなかった。
何故なら、この光景に至ることはわかっていたのだ。
去年、猛威を振るった黄金の集団。
姿は『ラファール』を模していても、魔力の輝きまでは誤魔化せない。
「わかっていたが、これほどか……!」
映像と実際に体感する迫力の差にエルネストも戦慄を隠せなかった。
心は熱く燃え上がっているし、まだ諦めてなどいない。
事前に集めた情報と事態から、今の状況は大きく外れていないのだ。
予想通り、と笑えば良いのにそれが出来なかった。
なぜならば――
「これが、『皇帝』の世界……」
囲むように存在するラファール『たち』。
チームの戦術すらも取り入れてしまう黄金の軍勢。
昨年の段階では、まだ能力だけのはずだった。
今は、彼らの戦い方すらも取り込まれてしまう。
去年よりも遥かに錬度が上がった軍団は、もはや皇帝への拝謁すらも許さない。
試合開始からおよそ30分。
ここにラファールの命運は尽きようとしていた。
いろいろと手段は考えたのだ。
ここから、エルネストが魔力をバーストさせて、各地にいる仲間とリンクして、巨大な嵐を巻き起こして、自分たちのチームと引き換えに大ダメージを与える。
悪くない手段だと思い、用意してきたが黄金の軍勢を見て、エルネストはハッキリと無駄だということを悟ってしまった。
敵に、写し取られてしまった段階で、もう試合の結末は決まってしまっていたのだ。
覆すことなど、不可能なのである。
「僕たちの能力が予想の範疇に収まる限り、絶対に勝てないのか。そうか、秒単位で進歩するような魔導師が、天敵……。見誤ったね」
わかっていてもこの手段しか選べなかったのは間違いないが、リーダーとしては悔いずにおれなかった。
「……それでも、手段はここにある。まだ、終わっていないよ」
自分たちの動きすらも再現する人形を前にして、エルネストは吠える。
こんなところで、終われない。
チームを背負うエースとして――何よりもリーダーとしての叫びにクリストファーは反応を示す。
敵の狙いもなんとなくだが、わかっていて術式を妨害する術もある。
しかし、余計なことはせずにただその力を示した。
『返す返す、見事。故に、せめて華麗に散るとよい』
宣誓と同時に軍勢が行動を開始する。
見事な動きや術式はまさに『ラファール』のものだった。
「さあ、絶望的な抗戦だ。何、良い見せ場だよ。本当にね」
『疾風』は軍勢に正面から戦いを挑む。
試合時間にして、30分。
目まぐるしく変わる戦況の中で、『ラファール』は見事に模造の軍団を打倒した。
チーム規模での大規模火力。
実質的な自爆を前に、確かに皇帝の軍勢は全滅したのだ。
――同時にそこが彼らの限界でもあった。
何事もなかったかのように迫る第2陣。
もはや彼らに打開策はなく、緑の風は黄金の兵団に飲み込まれる。
今大会において初の無傷による勝利。
ライフにすら傷を付けることが出来ずにラファールは敗退する。
全ての者に見せつけられた王者の強さ。
進撃する軍団の歩みに不足はなく、ただ歩き続ける。
道端にある雑草の気持ちなどに心を傾けることなく彼らは強くあるのだった。
「こんな、ことが……」
この戦いを見た時にイリーネの心に過った思いは何だっただろうか。
――当たらなくて、よかった。
一言、安堵の気持ちである。
そして、気付くと同時に激しい自己嫌悪が襲ってくる。
翻れば、敗戦してよかったと言っているような内容の思い。
自分が思ったことだからこそ彼女は自分を許すことが出来ない。
しかし、それでも湧いてきた思いを誤魔化すことも出来なかった。
必死に鍛え上げた技、仲間との絆。
全てがあの無機質な軍勢に飲み込まれる光景はそれだけの衝撃があった。
無尽蔵に思える物量は知っていたが、直接見たことはなかったのだ。
フィーネたちによる情報の封鎖。
今ならば、その理由にも納得が出来る。
イリーネとカルラのメンタルでは耐えきれないと判断したのだろう。
先輩たちの英断に頭が下がる。
「さて、ご覧になっての感想は如何ですか?」
「情報よりもインパクトがあるかな。何より、ラファールは強かった」
「あれで心が折れないのは立派だと思いますよ。まあ、折れているようなら私にも勝てなかったでしょうけど。流石、ですね」
「……それって、褒めてる?」
「一応は」
くすくす笑うフィーネの言葉にイリーナは驚きを隠せない。
恐らく、彼女が知る中では最大級の賛辞だった。
冗談めかして笑っているが、掛け値なしの本音であるはずだ。
少なくともイリーネはこのような言葉を貰ったことはない。
尊敬する女性の言葉を貰っている異国の男性。
試合において、かなりの強さを示した万能系はとても同じ年代とは思えないほどに落ち着いていた。
「……どうして、こんなに」
差があるのだろう。
出てきそうになる言葉を必死で飲み込む。
ヴァルキュリアの敗戦の原因の何割かは、間違いなくイリーネとカルラにある。
能力を見込まれて出場したのに、あの体たらくでは誰もが文句を言いたくなるだろう。
対して、健輔はフィーネを道連れにして実質試合を決めてしまっている。
彼の活躍を見て、万能系を侮る者がいるならばそれは心底見る目がない愚か者だった。
「悔しく思うのなら、まだあなたは大丈夫ですよ」
「え、フィーネ様……?」
先ほどまで健輔の方を見ていたフィーネが今度は穏やかにイリーネを見つめている。
反対側の2人、クォークオブフェイトの2人はデータと先ほどの試合を照らし合わせながら何かを相談しているようだった。
「眩しく見えるのでしょう? 今の、完膚無きに負けたあなたには」
「……はい」
「だったら、大丈夫ですよ。そこから這い上がれます。私がそうだったもの。まだまだ、これからなのよ」
「……はい、わかってます」
顔を伏せて、少しだけ影を作る。
優しく彼女の頭を撫でるのは、美しき女神の手。
負けた直後は何とか涙を耐えたのに、今更になってイリーネは悔しくなった。
次の試合へ進む2人。
同じ年頃であり、実力にもそこまで大きな差はないはずなのだ。
なのに、どうして自分がいるところはこんなに暗いのだろう。
輝く銀の女神が居ながら、どうしてここに至ったのかわからないのだ。
「……泣いておきなさい。いつか、きっと、これがあなたの糧になる」
実感の籠った言葉はフィーネの体験からなのか。
明と暗、光と闇。
分かたれた光景がそこには生まれる。
敗北という言葉を受け入れて、涙する後輩の背を優しく撫でながら、フィーネは前に進む2人に視線を移す。
彼女の歩みは孤独だったが、新世代の歩みには隣に誰かがいるようだった。
それはきっと幸せなことだろう。
対等でぶつかれる相手と同じぐらい苦難を共有できる存在は貴重なのだから。
「――青春ね。あーあ、勿体なかったな。後、1年遅かったら……」
そんな無意味な仮定が浮かぶほどに左右どちらの光景も眩しいものだった。
世界大会の2回戦はここで一旦、幕を引き大会は中休みに入る。
それぞれの思いを乗せて、戦いは進んできた。
残ったチームは4チーム。
クォークオブフェイト。
アマテラス。
パーマネンス。
クロックミラージュ。
この中で頂点に立つのはたった1つだけ。
それだけを決めるためにまだまだ戦いは続く。
しかし、今だけは戦い疲れた多くの魔導師のために、安らぎの時がやってくる。
奇妙な交わりもここで終わり、舞台は順位決定戦へ移り始めた。
健輔たちの戦いも、一時の安らぎを得る。
その後に待つ嵐を前にして、各々は最後の準備を始めるのだった。




