第274話
ラファールリーダー、エルネスト・ベルナール。
彼の切り札たる空間展開が術式『ラファール』である。
代々のリーダーも同じ名前を使っているが、当然効果は異なっている。
彼の場合は自分の身体に沿うように空間展開を行い、風を発生させる、というものになっていた。
傾向としては桜香と同様の個体能力を上昇させる空間展開と言えるだろう。
このタイプの特徴は術者が格闘タイプであることや、他の魔導師の干渉をほぼ完全に防げることにある。
1つの結界を自分に集中させるため、その術式強度において頂点に立つ。
如何に皇帝と言えども、今の彼の能力をコピーするのは難しい。
あくまでも、今の皇帝には、なのだが。
さらに言えば、この術式はそのままではエルネストだけが強くなるものであり、チームには何も貢献しない。
『エル、順調よ!』
「みたいだね。これで、とりあえず陛下の下へは行けそうだよ」
本来ならばラファールは個人用の術式なのだが、仮に個人用の術式のまま範囲を拡大することが出来るとすればどうだろうか。
その結果が今の光景である。
チームを包み込む嵐は、エルネストの空間展開を拡大させただけのものなのだ。
術式の範囲、効果の拡大を行える系統は遠距離系である。
基本的に距離を伸ばすものとして使われている系統だが、数を揃えることで他の使い方も出来るようになるのだ。
ラファールのメンバーは多くが、遠距離系・創造系の魔導師である。
エルネストだけでは流石に嵐となるほどの巨大化は出来ないのだが、そこをチーム全体の協同で補っている。
エルネストの個人術式とチーム力を合わせた術式。
戦術魔導陣『ラファール』。
個人の能力を全体に拡大した強力な術式であった。
「さて、ようやくお目見え出来そうだ」
元の術式が攻撃と防御だけでなく移動を含めた総合力を大きく上昇させる効果を持っている。
その効果は術式の規模が巨大化しても大きな変更はない。
『ラファール』の名の通りに、彼らは風となって皇帝に迫る。
「作戦通り、かな」
涼しげな眠たげな表情の多いエルネストが凶暴な笑みを浮かべる。
これから挑むのは、世界の頂点。
彼の風がどこまで通用するのか。
ここで確かめるのは悪くはないだろう。
彼にとって、ここでパーマネンスと当たれたことは僥倖だった。
ラファールは弱くないが、世界という規模では流石に厳しい面も多い。
相性の悪いチームと当たれば、簡単に崩される可能性もあるのだ。
その中で、相性が悪くない上に最強の魔導師と戦えるのは、運が良いと思うべきだった。
少なくとも、エルネストはそう確信している。
「この幸運から考えても、僕が勝つよ」
直接戦闘を挑めば、皇帝が取り得る次の手段はわかっている限りでは、能力を身に纏うことだろう。
彼の能力は魔力人形を生み出すだけでなく、味方に付与することも出来る。
この辺りがアレクシスが皇太子と呼ばれるようになった理由とも絡んでいた。
もっとも、未熟な部分が多い皇太子と違い、皇帝の能力は仲間の慣れも含めて次元が違う。
自分と異なる系統でも彼らはすんなりと対応してくる。
「さて、ラファール、いくぞ」
『術式の展開を行います。移動術式『ソニック』』
彼の身体の周囲に空間展開が再び展開される。
移動術式『ソニック』と空間展開『ラファール』を組み合わせた高速格闘戦。
それがエルネスト・ベルナールという魔導師の戦い方である。
昨年はまだ移動術式しか完成しておらず、あっさりと敗北してしまったが完成した彼の強さはナイツオブラウンドのアレン・べレスフォードに劣るものではなかった。
「いこうか。クラリス、後は頼んだよ」
『あっ、ちょ、ちょっと早いわよ!』
抗議の声を無視して、嵐を解除しておく。
攻撃術式としては、指向性がない故に扱いずらいのだ。
個別の乱戦に持ち込めば、無尽蔵の物量も脅威は半減される。
それに滾る血潮がこれ以上、世界最強を眺めていることをエルネストに許さなかった。
敵のガーディアンが反応出来ない速度で一気に後方に回り込む。
彼の強化された知覚では、敵も防御に回ろうとしていたが――遅かった。
「貰ったよ!」
皇帝の無防備な背中に蹴りを放つ。
しかし、
「は! 流石、簡単にはいかないね!」
「当然だ。お前は俺を誰だと思っている」
皇帝の身体の上に鎧のような魔力体が展開され、攻撃は防がれてしまう。
個人戦でも皇帝は弱くない。
いや、本人の戦闘能力は大したことはないのだが、その能力は格闘戦でも猛威を振るうのだ。
エルネストは唇を一舐めして、高速戦闘を仕掛けた。
同時に動く、鎧を着込んだ騎士。
外見のイメージとは違いエルに劣らぬ速度で皇帝は迫る。
戦いは第2ラウンドへ、格闘主体の乱戦模様に突入するのだった。
エルネストの速度にクリストファーは対応出来ない。
彼が振り返った時には、既に彼は消えている。
速度では圧倒的に不利だった。
その上、厄介なおまけも残っている。
思い出したように発生する衝撃波が彼の行動を阻害するのだ。
誤解を恐れずに言うならば、世界最強の魔導師『クリストファー・ビアス』は『疾風』エルネスト・ベルナールにボコボコにされていた。
終始優勢なのは相手であり、彼ではない。
まったく反応出来ずに、振り回される姿は世界最強とは思えないだろう。
しかし、鎧の内部で彼の表情は変わらない。
着込んだ魔力甲冑は何も揺るがないし、突破すら不可能なのだから。
「……見事な技だな」
格闘戦の技量で言うならば、クリストファーなど足元に及ばない。
音速という直線移動での魔導師の速度限界と処々の術式の発動の早さ。
身に纏う空間展開による攻防一体の風。
その風は遠距離でも密度を失わず、エルネストの意のままに相手を翻弄する。
数多の魔導師と戦い、全てに勝利したクリストファーでも10の指に入るほどの猛者と認識していた。
そして、同時に――、
「こんなものか」
「ぐっ……!」
――見慣れた脅威に過ぎなかった。
幾度目かの攻撃、背後から蹴りを放ってきたエルネストの攻撃を捉える。
放たれた蹴りがクリストファーの纏う甲冑にくっ付いてしまっていた。
魔力での吸着、甲冑の性質をそういうものに変えただけだった。
それだけで格闘戦による1撃離脱戦法は無効化される。
技量の差を利用して優位を築く。
悪くはないが、そのような対応策は見慣れていた。
忘れてはならない。
彼は『皇帝』、全ての挑戦を踏み潰した男なのだ。
「ここまでは予想通りだ! これで!」
「――ほう、工夫だな」
当然、エルネストも簡単に勝てるとは思っていない。
彼が出来る対策は全て抜かりなく用意していた。
空間展開と吸着する甲冑が軋み始める。
向こうの術式に取り込まれようとしているのだ。
密度で勝負すれば、クリストファーでも人間サイズまで圧縮された術式には勝てない。
広大な範囲を絞っているため、普通の空間展開には圧勝だが、こういうタイプのものは苦手だった。
一般論として、エルネストの対応は間違っていない。
だからこそ、皇帝のテンションは大きく下がった。
――また、見たことがある、と。
「いろいろと考えているが――目障りだな。そろそろ踏み潰そうか」
「はあああッ!」
魔力を流して、甲冑が破壊される。
そのままエルネストは流れるように移動して、再度蹴りを放つ。
無防備に見える皇帝の顔面に向かって放たれる1撃。
逆転とまではいかずとも、確かに一矢報いるはずの攻撃だった。
それをクリストファーは詰まらないものを見るように目を細めて、
「防げよ。『疾風』」
その言葉と共に、完全に無力化してしまうのだった。
エルネストの攻撃を防いだ存在、それは――、
「これが、最強の固有能力!」
「その通りだ。俺が頂点に立った力。そのものだな」
――他ならぬエルネスト・ベルナール本人であった。
対峙する2人のエルネスト。
『皇帝』クリストファー・ビアスの真の能力が開示される。
「超えてみせるさ。そのためのエースだからね!」
「期待しよう。今までここを超えることが出来た者は少ないからな」
敵の挑戦を止めはしない。
笑みを浮かべてクリストファーは『エルネスト』に命ずる。
――敵を撃滅せよ、と。
2人の『疾風』が正面から激突する。
もう1人の己、自分との戦いに勝利するのは偽物か、それとも本物か。
勝負の行方がそのままこの戦いを左右することになるのは明らかなものだった。
「出ましたね。『マギノ・ワールド』の第2段階」
「これは、強烈ですわ……」
「すごい……」
両者の激突を見守る健輔たちは改めて確認した『皇帝』の能力に驚愕の思いを隠すことが出来なかった。
これが姿だけの幻、というのならばいくらでも納得出来るが、目の前で行われる戦いがそれを否定する。
どちらのエルネストも空間展開を使用しているのだ。
あまり知らぬ人物からすれば、本物を見つけろと言われても難しいだろう。
「そうですね……。健輔さん、あなたはどう思いますか?」
皇帝の能力が開陳されても一言も発しない男にフィーネは問いかける。
茶目っ気があった時の問いとは違い、真剣な空気の問いかけ。
健輔は試合から目を離さずに答える。
「特性が厄介な能力だと思うよ。あの空間展開は、空間内の能力をコピーする空間じゃなくて、『イメージを具現化する』世界だからな。普通に正面からやれば――」
「――負ける。そういうことですよね」
「ああ、極点まで吹っ飛んだ願望だと思うよ。あれだけで、あなたよりも強い」
「理不尽なものですよ。創造系の基本形。それを極めた故にあの能力は本当に厄介なんです」
健輔の問いかけにフィーネは満足そうに頷く。
イリーネと優香の2人の疑問が張り付いた表情に気付いているが、構うことなくフィーネは次の問いを投げかける。
「中々に厄介な能力ですが、では、穴はどうでしょうか?」
「あの再生には限界があるだろう? 皇帝の想像力にも流石に上限値はある、はずだからな」
「そこを突くのは難しいですよ。流石に困難ではないでしょうか?」
「いや、皇帝の力は基本的に強固なイメージに沿っている。そこを揺らすのは大事だろう?」
「まあ、基本的に間違ってないですけど、それをやろうとして出来たのは多分、桜香だけなのですが」
皇帝が生み出す魔導師たち。
彼が創造したかつての敵や今の敵は彼のイメージから生まれている。
イメージ。
曖昧な印象を受ける言葉だろうが、まずはこの言葉の意味を考えることが『皇帝』を突破する上で重要な要素となる。
まだまだこの第2段階ではあやふやなものであり、完璧からはほど遠い。
それでも、エルネストの力を再現して、取り込んでいってしまう。
「それでも、だよ。皇帝が想像する自分を超えないと絶対に勝てない」
「否定はしませんよ。ここだけでも面倒くさいのに、この上があるのが皇帝の理不尽さの最大の理由ですから」
「……まあ、ここで終わるなら、まだ対抗は出来たからな」
そう、ここまでは対応できるのだ。
しかし、それは同時にここから先は厳しいということの表れでもあった。
「桜香もあれには苦しめられましたしね」
「ああ、むしろあの状況で生み出された人形を全て破壊しただけでも凄いだろうさ」
皇帝の空間展開はフィーネと同じように接触時間が長いほど、その力を増していく。
昨年の段階で桜香ですら、この第2段階から生み出される『魔導軍団』を突破出来なかった。
周囲のガーディアン――チームメイトを1人で倒して皇帝との一騎打ちに持ち込みライフを60%まで削っただけでも偉業なのだが、それでも勝てなかったのだ。
それに忘れてはならない。
皇帝はこの段階とその上を合わせて、昨年の世界大会を優勝したのだ。
健輔たちが知っている脅威ですら、所詮は去年の脅威である。
本当の力はまだ、人の目に触れてすらもいなかった。
「……動きがありますね」
「みたいだな」
エルネストが攻撃を加速させている。
健輔から見ても無茶な魔力配分、その上で魔力放出量の加速も合わさっていた。
普通に考えれば、暴発するしかないような状態だが、顔から闘志が消えていない。
「イリーネ、よく見ておきなさい」
「は、はい。わかりました」
突然の声掛けに驚きながら、イリーネは応じる。
荒ぶる風は画面上では、穏やかになっていく。
嵐の前の静けさ、誰もがその言葉を頭に浮かべて動きを待った。
エルネストもこの事態は想定していただろう。
危急を突破する手段も容易されているはずだった。
そこで、今年の真価が見えるかもしれない。
興奮の色を浮かべて、健輔は待つ。
自分の考えが通用するのか、ある意味で分岐点となる瞬間。
一瞬たりとも見逃さないように目を凝らすのだった。




