第269話
「ふむ、次の試合の相手が決まったか」
部屋に響く重苦しい声。
ただ1人を除いて、彼――『皇帝』クリストファー・ビアスの発するプレッシャーに抗することすらも出来ない。
このチームはワンマン、などういうことすらも憚れるチーム。
『皇帝』こそがチームであり、他のメンバーは数合わせに過ぎない。
彼の能力により、全員が準エースに等しい力を持つ数合わせ、と注釈が付くのを忘れなければ――の話であったが。
無論、数合わせというのは極論に過ぎる言い様でもあった。
しかし、一面の事実は捉えている。
『皇帝』こそが『パーマネンス』であり、彼を倒すことがそのまま勝利に繋がる。
他の者を何人倒したところで、絶対に結末は変わらない。
無言でクリストファーの言葉を聞くチームメイトの中で、ただ1人だけ違う空気を持つ男は自分たちの主に問いかける。
「我らが皇帝、この試合をどう見る?」
ニヤニヤとしたジョシュアの問いかけ。
仏頂面を見せつつも、皇帝は椅子に片肘を置きながら気だるげな様子で答える。
この3年間、幾度も繰り返された問い、答えも決まっていた。
『俺が負けるはずがない。故に考えることすらも無駄である』
ジョシュアだけでなく、部屋にいる全員の声が一致する。
王者にして、不変の強さを持つ『パーマネンス』。
勝率、勝機、チャンスなどそんな言葉には興味すらもなかった。
ただ、あるがままに勝つ。
彼らはそういう集団なのだ。
他のチームが行う工夫、技術、才能、全てをただ肯定した上で、自分たちが上だと証明する。
それだけが、彼らのチームの信念であり――数多の信念を踏み潰してきた責務だった。
自分たちに負けたチームが己に言い訳出来るほどの問答無用の王者。
ある意味で魔導世界を安定させてきた圧倒的な強さと自負がそこにはある。
「全員の考えが一致しているのは良いことだな」
「まったく、良いチームメイトに恵まれたね」
「皮肉を言うな。こいつらの評価を落としているという自覚はある」
「いやいや、そんなつもりはないさ。全員、しっかりと君のことはわかっているよ。ただ強ければ良い。僕たちが望むのはそれだけさ」
「貴様は本当に良い度胸だな。……ふん、女神が消えたのは意外だが、まあ、良い。次は『疾風』だったな」
友人の変わらない態度に呆れたように溜息を吐いて、話題を自分たちの試合に移す。
午後からの第2試合、今期の世界大会における彼らの初陣である。
皇帝に自負と自信はあっても、侮りはないのだ。
『ラファール』が彼らの暴力に抗えるチームであることは、しっかりと把握していた。
「ああ、欧州最速だね。それがどうかしたのかい?」
「最初から全力でいく。近衛は俺の護衛。――蹂躙だ。女神に勝利したチームに、そして我が敵の1人に風を手向けよう」
「ヒュ~、なるほどね。様子見もしない、ってことだね。いや、これは楽しくなってきたね!」
初めは無難に行く予定だったのを変更して、当初からの全力に切り替える。
ラファールを舐めるわけではなく、無駄に試合時間を長引かせる安全策を放棄しただけだった。
女神を打ち破り、皇帝に初めて挑むチームへの手向けでもある。
――世界最強とは、こういうことを言うと見せつけるのだ。
仮にラファールがそれに抗うのならば、それはそれで良いだろう。
クリストファーがやろうとしているのは、ここから先には詰まらない試合は必要ないということを示すことである。
「総員、いいな」
『了解!』
「了解、了解、我らが陛下、どうか御照覧あれってね」
「ふん、それでいい」
伝えたいことを伝え終えるとクリストファーは何かを考えるように目を閉じる。
彼の心に浮かぶのは先ほどの試合内容だった。
瞼の裏に浮かぶ、1人の魔導師の不敵な笑み。
今まで彼が見てきた精いっぱいの虚勢と同じものだった――少なくとも表面上は。
しかし、万能の魔導師は欧州の女神に勝利した。
そこが最大の違いだろう。
同じ国の皇太子の覚醒と、その固有能力といい新しい時代が来ているのを感じる。
「……次代、か。まだ若いつもりだったが、時間が過ぎるのだけはどうにも出来んな」
己の異名と能力を思い返して、珍しく苦笑する。
追いかけられることには慣れているが、勝ち逃げのような形になるかもしれないのは始めてだった。
来年から生まれるであろう新星と彼が戦う機会は少なくとも現状はない。
この大会で芽吹こうとしている可能性の完成形と戦うことはないのだ。
それが些か残念だった。
「後1年。いや、繰り言だな」
勝利した後に思うべきことを忘却して、皇帝は前に進む。
己の歩みが魔導という世界であると彼は疑っていない。
最強として、その強さを再び天下に示すために歩む。
背中と歩みで3年間君臨した男の最後の戦いが幕を開けたのだった。
始まりがあれば、終わりもある。
欧州最強と呼ばれながら、ただの1度も玉座につくことがなかった女性の戦いが静かに終わりを迎えていた。
「……ここは、白い……」
試合終了後、彼女は医務室に運ばれていた。
どこぞの誰かの新しい自爆技は魔力回路に大きな負担を掛ける。
問題などがないかを確認するために精密な検査が必要だった。
彼女はそんな事情など知らないが、ぼんやりとした意識の中で直前の出来事を思い出す。
「……っ、レオナ! 痛っ」
経緯を思い出して、体を慌てて起こすが走る痛みに顔を歪める。
「っ……痛い。これは、ああ……そうか」
僅かに体を起こそうとしただけで激痛が走る。
痛みに耐えながら体を起こしきる頃には、意識もハッキリとしていた。
カーテンで仕切られたベット、微妙に漂う薬品の匂い。
おかげでフィーネはそこが何処か気付くことが出来た。
「医務室……。そう、そうか。……そう、ですか」
一頻り周りを見渡してから、フィーネはある部分に視線を向ける。
誰もいない、誰もいないように見えるがそれこそがフィーネに結末を教えてくれた。
「……レオナ」
返事はない。
しかし、フィーネは確信していた。
そこには彼女の大切なチームメイトがいて――泣いているのだと。
勝利したのなら、顔を見せてくれたはずである。
ならば、結末は1つしかなかった。
顔向け出来ないと、姿を隠す後輩にフィーネは微笑んだ。
痛む身体、激戦の名残に少しだけ顔を顰めてベットが出る。
カーテンの外側、直ぐの場所に妙な魔力の流れを見つけて手を翳した。
「ぐす……。ふぃーね、しゃん」
「もう、泣かないの。いいの、頑張ってくれたんでしょう? 全力でやって、それでも届かない。辛いけど、良くあることだわ」
心配で看病してくれるのは良いが、顔を見せてくれないとは思わなかった。
遮音に光学、こんなところで使う技でもないだろう。
フィーネは自然に笑みを浮かべる。
確かに、勝敗は敗北で終わった。
事実は事実、ここに欧州最強の魔導師、フィーネ・アルムスターの挑戦は終わったのだ。
ただの1度も玉座に辿り着くことなく、才能に恵まれたが機会に恵まれなかった彼女の戦いは終わった。
「ゆ、優勝……一緒に、って」
「ええ、それは残念。でも、機会は1回で、そこに行けるのも1つだけ。仕方ないわよ。偶々、私たちの番がなかっただけ」
「フィーネさんは、強くて、素敵で」
「ありがとう。だから、そんなに泣かないで。あなたたちと戦えた1年が、とても素敵だった」
フィーネの言葉にレオナの瞳がさらに歪む。
今のヴァルキュリアはフィーネを慕う後輩が努力して生まれたチームだ。
そのことに感謝こそすれ、恨みなど欠片も存在しなかった。
彼女という星を追いかけてくれた者たちがいる。
フィーネにとって、それ以上の勝利は存在しない。
背中に追いつくことは無くても、追いかけてくれたのだ。
他の2人にはない、小さな勝利が此処にあった。
フィーネという1人の戦いは終わっても、彼女を慕ってくれた者たちがいつかもっと高い伝説になってくれると信じている。
――それが、他の2人とは違う彼女の道だったのだから。
「それに、チームの敗北の責任を背負うのは私だわ。――覚えているわよね? 私も前のリーダーに同じことを言って貰った」
「はいっ、『チームの名を背負う特権はリーダーの物です』……しって、ます」
「そう。だから、負けたのは私が弱かったからです。あなたたち程度が、烏滸がましいですよ」
「はい……はいっ!」
少しだけ胸を張って、フィーネはおどけるように言った。
去年、チームが負けた責任は自分にあると言った時に当時のリーダーに頬を張られて言われた言葉である。
『あなた程度が烏滸がましい』。
今でも忘れない、大切な言葉だった。
最強だの、なんだのといろいろ言っても結局は1人の魔導師だと言外に教えてくれたのだ。
口下手な人だったが、厳しくも優しい先輩だった。
彼女から学んだことを今度は次に託す。
フィーネの最後の仕事にして、最高の特権だった。
涙を払って、レオナが顔を上げるのを見て懐かしくなる。
1年前、同じことをしてリーダーになったのだ。
因果は巡る、良かれ悪しかれ必ず回っていく。
フィーネと合わずにヴァルキュリアを抜けた人もいた。
衝突した者、無関心な者、心配してくれた者、背中で教えてくれた者。
辛かったこともあったが、それ以上に素晴らしいこともあった。
自分がきちんとやれたのか、それだけを不安に思うも結果は今はまだわからないだろう。
「レオナ・ブック。――次のヴァルキュリアをお願いね」
「ら、来年は、絶対に……!」
「うん」
ここに1つの時代が終わった。
大袈裟かもしれないが、魔導という世界を席巻した女性の戦いが終わったのだ。
それは時代と表現しても良いだろう。
次代は進む。
託された物を胸に秘めて、レオナが部屋を出て行く。
しかし、最後に、
「……まだ、あなたのヴァルキュリアでいても良いですか?」
「ええ、勿論。最後まで、そう、最後まで私はヴァルキュリアの女神よ」
後輩の心細そうな声にしっかりと返す。
敗北しようがそれだけは変わらないし、誰にも変えさせない。
フィーネ・アムルスターは何よりもそれに誇りを持って、ここまでやって来たのだから。
まだ完全な終わりではない。
この先は残り火のようなものだが、それでもレオナたちは尊んでくれるのだろう。
彼女が去年、先輩たちとの最後の戦いを名残惜しんだのと同じように。
「……また、後で」
「ええ、みんなによろしく。頑張れ、新リーダー」
「っ、はい! 今まで、ありがとうございました!」
「あっ、こら、ここは医務室って。……もう、行っちゃったか」
涙声を誤魔化すような大声で返事をすると、レオナは部屋を駆け出していく。
1人になったフィーネは少しだけ身軽になったことに寂しさを感じた。
ヴァルキュリアで優勝することは出来なかったが、やることはやったし、最後の戦いは本当に楽しかったのだ。
文句を言ったら罰が当たるだろう。
それでも僅かに心残りがあるとすれば、1つだけ。
「あの子に、桜香に努力だけじゃどうにもならないこともあるって、教えて上げたかったんだけど。仕方がないか」
そう言うとフィーネは医務室の奥、ある部分に向けて視線を向け、
「ですので、頑張ってくださいね」
部屋には彼女以外の人間はいない。
少なくとも、気配の上ではそうだった。
しかし、フィーネの感覚は誤魔化せない。
魔力回路に大きな負荷が掛かって運ばれる場所は同じはずである。
その上で、自爆元である存在がフィーネよりも軽傷なはずがないだろう。
「気を使っていただいたようだけど……。と言っても、素直には出てきませんか」
声を発してみるが、反応はない。
フィーネからすれば、予想通りの行動だった。
かなり巧妙に隠してあるが、遮音結界や意識を逸らす術式などと無駄に大量の魔導を使用している。
魔力回路に負荷が掛かった状態で良くやるものだが、あまり賢い行動とは言えない。
何より、彼女の探知から逃れられると思っているのがあり得なかった。
「……はぁ。運営にはこういうところも気遣って欲しいものです」
慣れているからよいが気まずい間柄のものもいるだろうに、と何処か他人事のように思う。
今から向かう人物からすれば、まさに気まずい間柄の人物がやってくるのだが、フィーネはその辺りを勘案しない。
いろんな意味で大物なのは何も変わらないのだ。
軋む身体に眉を顰めながら、自分のよりも奥の方に向かう。
生意気にも接近を妨害しようとする意思が窺えるが、フィーネは軽く溜息を吐くと、
「テンペスト、捻り潰しなさい」
『了解』
持ち運び用に分離できるカード型の魔導機に命じて、全ての魔導を吹き飛ばす。
障害全てを排除したフィーネは満足したように微笑むと、勢いよくカーテンを開け放った。
そこにはベッドの上で悶えている白い芋虫。
ついさっきまで激戦を繰り広げた相手のアホな動きに流石のフィーネも言葉を失う。
「……何、してるんですか?」
『マスターは、魔力回路を暴走させて自爆したのを忘れて魔導を使用したので、現在悶えております。お話があるようでしたら、少しお待ちください』
「……こんなのに負けたとか、少しだけ悲しいですね」
肩を大きく落とすが、その時はフィーネはどこにでもいる女の子のように朗らかに笑っていた。
重荷を下ろして軽やかに笑う彼女は今までよりもずっと魅力的である。
多くの男性が靡かずにはおれない、色気と健康さがあった。
しかし、現在、それを唯一見ることが出来る男は痛みに悶えており、フィーネの顔など見る余裕はなかった。
肝心なところでダメなのは春から何も変わらない。
悶える男と笑う女。
医務室で生まれた奇妙な光景を知るのは2機の魔導機だけ。
彼らは主に忠実な下僕として、無言を貫くのだった。
「……それで、何ですか?」
「あら、用事がないと話し掛けてはいけないの?」
「ぐっ……」
「ほら、こんなことで表情を晒してはダメよ? 後、女性にその視線はいけないわ。私の胸元をじろじろ見るよりは良いとは思いますが」
動くことが出来ない健輔は訪問してきたフィーネを拒絶出来ず、堂々と傍に居据わられていた。
この間出会った時はもう少し得体の知れない感じの女性だったのだが、今日は清楚だけど妙に色気のあるお姉さんになっている。
健輔としては非常にやり辛いことこの上なかった。
隣から流れてくる良い匂いと合わさって気分は既に拷問のようなものである。
「そんなにそっけない表情だと、お姉さんとしては少し悲しいんですが、紳士として、応えてくれませんかね?」
「……なんでしょうか、お姉様。正直、体中が痛いので休ませてほしいのですが」
「あら、私とのおしゃべりはつまらないないですか?」
「……そういうのではなく、こう、わかってくれません?」
「ハッキリと言わないと伝わらないですよ。あなたは想っていれば、愛は伝わる、とか考えるタイプの人?」
小首を傾げて、艶やかに微笑む。
試合でもないのに、何か追い詰められている感覚。
どきどき高鳴る心臓は不整脈を起こしそうだった。
試合での感覚はいくらでも楽しめるが、日常で、しかもこんな感じなのは勘弁して欲しい。
心の中で号泣しつつ、表は無表情という器用なことをしているのだが、格上には通じていないようだった。
くすくすと笑われてしまう。
「……あ、愛を伝え合うような間柄でもないでしょう? というか、そちらこそ本題を早く教えてくださいよ」
「ふーん、なるほど。……私は想うだけで、愛は伝わると思うタイプですよ? だから、察して欲しいかな」
「ふぇ!? いや……こう、ああ……」
フィーネに軽やかに振り回される。
元々、健輔は女性に弱いのだ。
プライベートだと効果は3倍増しぐらいである。
ここに女性らしい、という形容詞がついてさらに2倍。
もはや戦力差がありすぎてどうにもならないレベルでの負け戦が確定していた。
「試合中はあれだけ頑張ったのに、プライベートでは『男の子』ですね。残念です。そこを読み違えましたか」
「べ、別に使い分けてないですよ。……どっちも素です」
「ぷっ、素って。ふふ、ふふふふ、はははは」
仏頂面で健輔が言い放った言葉に目を見開いて驚きを示す。
その後、品良く笑い出すのだが、何やらツボに入ったようで顔を覆い隠して笑い出した。
目尻に輝く涙などが無ければ、健輔としても素直に受け入れられたのだが、世の中そう上手くはいかないようである。
勝った方と負けた方、奇妙の間柄の2人。
周辺から隔絶されたような空間でなんとなく時間を過ごすうちに、妙に仲良くなるのだが、それを今の健輔はまだ知らなかった。




