第261話
「何やら凄い風評被害を齎されている感じがしますが……」
魔力固有化を発動させたフィーネは常と変わらぬ笑顔を少しだけ曇らせていた。
戦況を確認したところ、イリーネが撃破寸前、リタは終始劣勢、エルフリーデは拮抗、そしてレオナもなんとか拮抗と全ての戦場で優位な部分が存在していない。
彼女であっても、多少表情が歪むのは仕方ないことだった。
まだまだ余裕はあるが、あまり良い兆候とは言えない。
「ふむ……。あそこは良いですけど、こっちはちょっと困りましたね」
劣勢部分はいくらでも逆転が出来るため、ギリギリまで放置しておく。
問題はレオナの相手であった。
いくらフィーネが圧倒的な力を持っていると言っても、流石に同じ上位ランカー、しかも耐久度が高い真由美を容易く撃破は出来ない。
真由美は固有化を早期発動する手段を保持していないため、今ならまだ楽と言えば楽なのだが、
「流石に健輔さんがさせてはくれませんか」
厄介な男が簡単に事を運ばさしてはくれないだろう。
真由美を落とすとなれば、相応の準備はいる。
その隙を健輔に晒すのは、フィーネも遠慮したかった。
相手が全ての系統を使えるだけの魔導師なら、そこまで気にはしなかったが、相手は全ての系統を使いこなす魔導師である。
まともに組み合えば、フィーネでも対処は厳しい。
今のフィーネでも力押しには相応のリスクがある以上、簡単に選べる選択肢ではなかった。
予定していたプランの1つを選択する。
念のために考えていたものだが、本当に実行することになるとは、フィーネも思っていなかった。
「はぁ、仕方ないですね」
槍を一振りして、魔力を散らす。
活性化した魔力によって、見える範囲全てが銀に輝いていた。
幻想的で美しい光景。
しかし、これからここで激しい戦いが行われることになる。
「テンペスト、準備は良いですね?」
『術式展開『ヴァルハラ』――セカンドフェーズへ移行します』
「よろしい」
フィーネは頷くと、微笑み、次の準備へと移る。
「私の作る、私のための楽園。その真実の一端をお見せしましょう」
自らに暗示をかけるように、フィーネは広域念話を用いて宣誓を行う。
この宣戦布告は戦場に存在する全ての魔導師に聞こえていた。
全員が理解する、女神が動き出した、と。
「誇りなさい。これを見せる『敵』はあなたたちが初めてです」
アマテラスでもなく、パーマネンスでもない。
データの段階から予感はあった。
クォークオブフェイトは強い。
今回、世界大会に参加しているチームの中でも、意外性と安定感のバランスが取れた良いチームだろう。
それでも、初めて全力で戦うのが因縁の相手ですらないとは思ってもいなかった。
桜香でも、クリストファーでもない。
1年生の万能系という、まだまだ芽のような系統を携えて彼女に正面から挑んできている。
視線を敵を移せば、そこにはフィーネに向かって早く見せろと言わんばかりの笑みを向ける男が1人。
「笑顔……ここで笑いますか。あなたは本当に面白い方ですね」
恐怖もあるだろう。
冷静に勝率の計算もしているのだろう。
しかし、それら全てを合わせても健輔の中では喜びが優っているのだ。
フィーネが呆れるのも無理はない。
どんなピンチでも相手の凄さに目を輝かせる。
戦士云々というよりは少年のような心の根だった。
フィーネとしても、好ましいような腹立たしいようなよくわからない心境になる。
「まあ、敵としては望み通りです。後は――」
――私が望むような勇者であるのか。
フィーネはその言葉は出さずに冷たい視線で健輔を睨むに留めた。
ここからが彼女にとっての本番。
フィーネの意識が研ぎ澄まされていく。
油断はない、同時に高ぶりもない。
静かな境地でただ前を見つめる。
「行きます」
全ての準備を完了した女神が進軍を開始する。
巨大な力の移動を感じた健輔も覚悟を決めて前に出て行く。
欧州の頂点――現在の魔導世界における最強の1つと健輔が対峙する。
桜香のようなまだ未完成だった魔導師とは違う成熟した強さを――その強さを意味を健輔は実際に体験することになるのであった。
銀の輝きが移動を開始する。
周辺で輝く魔力のものとは、比べ物にならない輝きを目にして、健輔のような小物の目は潰れそうだった。
桜香と対峙した経験があるからこそわかる。
あの時の桜香よりも確実に強い。
「陽炎ッ!」
『武装形態を『双剣』に移行』
優香と同じような双剣を展開して、健輔は白い魔力を身に纏いフィーネの元に直進する。
健輔の行動自体は最初の邂逅と何も変わらない。
しかし、フィーネの対応の仕方が大きく変わっていた。
健輔の視界の中、槍を掲げる戦神の姿が見える。
「展開」
空間に滞留する大きなエネルギー、先ほどまで快晴だった空から雷が降り注ぎ、雲が空を覆い始める。
大きな環境操作、先ほどまでとは違う大規模な攻撃は健輔を脅威と認めての返礼だった。
健輔も表情を引き締めて、前に向かう。
後ろのことも全て忘れて、ただ前を見つめる。
雑念は消えて、今思うのは眼前の敵のことだけ。
『警告、進路上に雷撃が来ます。数は最低でも10』
「その程度ッ!」
健輔は空間に干渉して、雷撃を逸らそうとする。
やろうとしたことは先ほどまでと同じ。
しかし、次の瞬間――、
『マスター?』
「障壁を展開、回避行動ッ!」
『――了解です』
――健輔は全ての作業を中断して、逃げを選択する。
陽炎は健輔に問いかけることなく、命じられた作業を粛々と実行した。
両者に説明の言葉などいらない。
魔導師としての健輔を最もよく知っている人間が優香ならば、最もよく知っている機械は陽炎である。
主の行動には必ず意味があることを彼女は知っていた。
「くっ、やべえッ!」
自らの武器の心など知るはずもない健輔は、只管回避に専念していた。
本来なら回避よりも豊富な手段を用いて、攻撃を凌いだ方が効率が良い。
健輔がそれを出来ない理由こそ、このヴァルハラの真価にあった。
先ほど空間に干渉した際に、違和感を感じたのだ。
こちらだけでなく向こう側からも干渉されている感覚。
外部に放出しようとした魔力が別の物に書き換えられているような感じはつい先ほどまでは存在しなかったものだ。
「魔力の性質を覚えたって事は、次は……」
「私の魔力で上書きする、で合っていますよ」
『マスター!』
陽炎からの警告よりも先に右足で回し蹴りを背後に放つ。
直撃などあり得ないし、何より当たるとは思っていなかった。
そのまま勢いを利用して、回転方向に離脱を行う。
「いつの間に来たんだよ!」
「ふふ、少し油断のし過ぎでは? しかし、見事な反応ですね。本当に1年生ですか?」
「どういう意味だよ!」
「いえ、実は年齢を詐称しているのかと」
「それは、こっちのセリフだ!」
「あら――女性に年齢の話はダメですよ」
「うるせえッ!」
咄嗟に口から出てしまったが、流石にマズイと思い、気を引き締める。
案の定と言うべきか、攻撃はより鋭くなり健輔を追い詰めてきた。
「ああ、もう!」
フィーネの言葉に怒鳴り返しつつ攻撃を避ける。
いつの間にか背後を取られていたことなど、警戒しないといけないことは多い。
最大級の警戒はしたままで、2人は武器をぶつけ合う。
何故か雷撃などの遠距離攻撃がないまま、2人は激しく攻防を繰り返す。
そんな中、健輔の中である違和感がどんどんと大きくなっていた。
術式を使用するたびに、大きなノイズのような感覚を得るのだ。
「なんだ、この鬱陶しい感覚は……!」
「直感だけで判断するから、あなたみたいなタイプは厄介ですよね」
「だから、何が!」
涼しげな表情のままフィーネは連続で攻撃を行ってくる。
淡い感じになった銀の魔力は彼女の全身を覆っており、固有化を発動させた状態であることがわかった。
先ほどまでとは段違いのパワーとスピードもそれを示している。
しかし、それだけならば対抗はいくらでも可能だった。
今、健輔が焦っているのは他でもない周辺環境の異常についてである。
「さっきの言葉の意味は……まさか!」
フィーネの言葉から意味を考えていると、答えが味方から齎される。
『マスター、美咲からの連絡です。外部に出た魔力が変質してる、と』
健輔の中で、フィーネの能力が1本の線で繋がった。
「上書き、そういう能力か!」
「――先ほど、そう言ったじゃないですか」
「っ、またッ!」
いつの間にか、フィーネが背後に来ている。
今度は視界から見失わないようにしっかりと見ていた。
陽炎もマーキングしていたのに、何故か後ろを取られている。
わざわざ話しかけているのは、攻撃の瞬間、このタイミングはばれるからだろう。
僅かでも気を散らそうとしてきている。
「こなくそっ!!」
「っ、これも止めますか……!」
槍の一閃を双剣で受け止める。
力ではフィーネが優っているため、徐々に押し込まれるがそのままやられるような男ではない。
「武装形態変更!」
「っ、テンペストッ!」
『風を纏う』
「くそ!」
フィーネが槍に風を纏ったことで攻撃を仕掛けた健輔は弾き飛ばされてしまう。
手には手甲型になった武装部分があり、ダメージ覚悟の近接戦闘を仕掛けるつもりだったのだが、読まれていたようだった。
徹底してダメージを避ける姿勢は臆病とも言えるが、だからこそフィーネは危険である。
戦いは臆病な方がよいと言うのが、実際の戦争などで言われた言葉であるが、それは魔導の戦闘でもそうだろう。
どんな初見殺しが潜んでいるかなどわからないのだ。
健輔は万能系、相手の意表を突くことでは間違いなく頂点に立つ系統だった。
「どれだけ警戒してるんだ。格上が臆病に立ち回ると隙がなくなるだろうがっ」
愚痴を零すが零したところで現実に変化はない。
普通あれだけの強さがあったら、見せびらかしたくなるものだ。
ましてや、健輔たちはまだ高校生。
そういう感覚を求めるのは、褒められはしないが悪いことではなかった。
持っている力は使いたいものだ。
健輔にも覚えのある感覚だった。
しかし、フィーネには一切それが存在しない。
自己顕示欲や他の願望が自制されていて、まったく見えてこないのだ。
『マスター、注意を。何かおかしいです』
「これは……」
周りの銀の魔力が少しずつ集まってドームを作り出す。
健輔の粘り具合を見て、やり方を変えてきたのだ。
感覚が欺瞞されている感じがさらに強くなる。
人を不快にさせるような環境を作っているのだろう。
同時に何か嫌な予感がするのだが、状況把握にまずは努める。
「……ここで、魔力を外部展開すると、持っていかれるのか」
真由美の固有化のように干渉をある程度弾けるならば大丈夫だろうが、格下の健輔の魔力では障壁などの外部に展開する術式は使用出来ないだろう。
「陽炎、外との通信は?」
『遮断されています。美咲からの最後の送信では他のメンバーも同様のドームに包まれているとのことです』
フィーネの姿が見えないため、警戒は続けながら状況把握に努める。
空間展開『ヴァルハラ』が本格的にその能力を発揮してきた。
第1段階は広範囲に空間展開を行い、自然操作などを使ってあらゆる方向からの奇襲などを行えるようにする。
後は推測になるが空間内部で使用されたことのある魔力パターンに偽装出来るのだろう。
性質の完全な再現などは出来ないが、相手のパターンを取り込めるのだ。
これを利用して敵の連携を分断する。
ここまでは第1段階だとすれば、第2段階は――、
「固有化発動後、記憶したパターンの魔力を自分の魔力に強制的に変化させる」
同じ固有化状態なら抵抗なども不可能ではないだろうが、おそらく固有魔力を使用していない外部に展開するタイプの術式はほぼ全てが使用不能だろう。
障壁などは展開した瞬間にフィーネの魔力に汚染されて使用不能になるのが目に見えていた。
「さて、それはわかったけど対抗策が……ないな」
『おそらくですが、フィーネ・アルムスターを超える空間展開能力がないと能力そのものへの抵抗は困難です』
「だよな……。そんなの皇帝しかいないぞ。たくっ、いや、それにしても何もない――」
部分的な要素には対抗出来るが、ハッキリ言って全てに対処するのは困難だった。
5感に対する欺瞞に対抗できるだけでも健輔は頑張っていたほうである。
何より、今はこのドームに猛烈に嫌な予感を感じていた。
これが健輔と戦うための闘技場なら不利でもなんとかする自信はある。
しかし、仮にこれが――、
「――もしかして、檻か」
『マスター?』
「ま、マズイ! ここで俺を閉じ込めて他のところに行ってる可能性がある!」
健輔とのタイマンは他の全てが片付いてから時間ギリギリでやればよいと判断されているとまずかった。
ここで待っている間に味方が全滅しかねない。
外と情報が遮断されているのも最悪だった。
「陽炎、バスターモードだ!」
『了解』
収束砲撃で脱出を図る。
白い光が砲塔に集うが、いざ発射というタイミングになってから、
『それは困りますね。ですので妨害させていただきます』
「なっ!?」
『魔力干渉を感知。マスターの魔力が書き換えられてます』
白い輝きに銀の輝きが混じり出す。
健輔は慌てて、魔力を収束をキャンセルしようとするが上手くいかずに、
「しまっ――」
自分で集めた魔力の暴発を許すことになる。
白と銀の共演、健輔を閉じ込めた檻は彼を疲れさせるための舞台でもあった。
如何な万能系でも戦いの基礎となるのは魔力である。
最も根本的な部分に干渉してくるフィーネの力を前にしては十分な力を発揮出来ない。
『申し訳ありませんが、しばらくそこで休んでいてください。少々、こちらの分が悪いのであなたは後回しでお願いします』
「――こ、この! これだけ煽って放置プレイかよ! ふざけんな! おい、絶対にぶん殴るからな! 覚悟しとけよ!!」
『マスター、ライフ90%です』
「……ああ、わかったよ。くそっ!」
フィーネの丁寧だがどこか慇懃な言葉に健輔は盛大に罵声で返す。
檻に囚われた男は怒りを胸に決断する。
このままここに閉じ込められるくらいなら、切り札を使って無理矢理でも脱出してやろう、と。
「陽炎、シャドーモードはいけるか?」
『問題ないです。しかし、接続先がありません』
「空間が遮断されてるから、だろ。いや、ちょうどいいさ。モードトライでいこう」
『……まさか、マスター』
「このままここで何もせずに袋叩きになるよりはいいだろう?」
健輔の問いかけに陽炎は僅かに沈黙する。
仮に彼女に表情があったのなら、困ったような視線で健輔を見つめていただろう。
『ダブルでも無茶なのに……はぁぁ……わかりました。私はマスターの武器ですから』
「サンキュー」
不敵な笑みを浮かべて、健輔は準備を始める。
健輔が何かしようとするのも予測していたのか、視界には魔力弾などが展開されていく。
おそらく自動迎撃の術式なのだろう。
健輔を倒すのではなく妨害するのが目的と思われた。
「これぐらいでなんとか出来ると思うなよ!」
自分を振り切って駆けていった女神を追うために限界を超える。
燃え上がるテンションのままに、健輔は大博打を行う準備を進めるのだった。




