第217話
「ヴィオラ」
「ええ、わかってますわ。お姉様、一旦後ろに下がりましょう」
アリスの後退が伝えられて、ヴィオラは速やかに行動を開始する。
葵がこちらに向かっているのはわかっていた。
それほど時間を掛けずに砂嵐は突破されるだろう。
あくまでも、砂嵐は攪乱のもの。
ダメージを覚悟すれば、突破はそこまで難しくない。
何より、彼女たちは前衛魔導師だがそこまで硬くはないのだ。
生粋の格闘前衛の前に姿を晒して、大丈夫だと思うほどヴィオラは耄碌していない。
「アリス様でも相手にならないなんて、流石は次代の星と言うべき方ですわ」
「……そうですね。こちらも微妙に思惑を外されてますし、痛み分け、という程度の勝利になってしまいました」
「難しい事はわからないけど、ヴィオラが言うなら間違いないわね」
「健輔様にダメージを与えれなかった事といい、事前の想定がここまで役に立たないのは笑えないですね」
「ふふ、私は予想を超えられる殿方は素敵だと思うけど」
ヴィエラのどこかズレた言葉に癒されるも、ヴィオラの冷静な部分は嫌な予感を感じていた。
葵が規格外の存在であり、アリスでは勝てないのは彼女からすればそこまで驚く事ではない。
だが、健輔にダメージを与えられなかったのは大きな問題だろう。
地の利を掌握した状態で、健輔を完全に嵌めたのに仕留められなかったのだ。
夏の頃とは比べ物にならない対処能力だった。
評価の大幅な修正が必要なのは間違いない。
当初想定していた実力ならば、ここで討ち取るまではいかなくても半分はライフを削る事は出来たはずだった。
それが逆に削られてしまっているのだから、想定外と言う他ないだろう。
冬からの1ヶ月で信じられないほど強くなっている。
「国内大会の最後の試合から考えても大分強くなってますね」
「そうね。私たちがここまでやってダメージを与えられないなんて、サラ様ぐらいだと思っていたけど」
「……ここでわかっただけよしとしましょう。――それにお客様も参られたみたいですし」
「ふふ、葵お姉さまは豪快ね」
「そこにいるわね! ヴィオラ、ヴィエラ!!」
ヴィオラの浸透系で巧妙に隠蔽された場所を何故か簡単に発見してくる。
葵の嗅覚とでも言うのだろうか、怪しい部分を見つけるのはもはや一種の才能だと言ってよいだろう。
「お姉様」
「ええ、健輔様もこちらにくるわ」
「バレてたか……。葵さんもご苦労様です」
「あら良いところにくるわね。私の事を待ってた?」
「ええ、焦がれる程には」
「あらあら」
対峙する2組。
間に漂うのは友好的な雰囲気だったが、双方が敵から目を離さない。
「さて、お姉さん的には降伏してくれると嬉しいけど……どうかな?」
「申し訳ありませんが、私たちも魔導師の端くれです。戦う前に諦めるのはあり得ません」
「ごめんなさい、葵お姉さま」
心底申し訳なさそうなラッセル姉妹だが、目は悪戯を思いついたような色をしている。
葵と、そして健輔がその事に気付かないはずがない。
それをわかった上で彼女たちは笑っているのだ。
この場所、この状況では2人を倒せない。
「葵さん、こっちもいきましょう」
「ええ。まったく、似たような事を考えるのは仕方ないわね」
「ふふ、踏み込んでくださったら、最後のデザートをご馳走しましたのに」
「悪いな、俺はもうお腹はいっぱいだし、葵さんはその程度では足りないだとさ」
「それは気が利きませんで申し訳ないです。――では、また後で」
「健輔様、葵様。またお会いしましょう」
双方の背後に転送陣が現れて、彼女らを飲み込んでいく。
転送陣を展開するのに必須の技能は創造系だが、それだけではかなり難易度が高い。
空間転送、という言葉だけを聞いて具体的なイメージが湧く人間は少ないからだ。
健輔は万能系だからこそ、転送陣を展開出来るが、創造系だけで展開を行っているヴィエラはまさしく天才と言うべきだろう。
立夏ですらディメンションカウンターを行うには2人分の力――莉理子の力を合わせる魔導連携が必須だったというのに、彼女は独力で成し遂げていた。
予想を超える。
この前哨戦は全てがその言葉に集約していた。
「いろいろと収穫はありましたね」
「そうね。この情報で早奈恵さんが何かを考えるでしょう。健輔は後ろに下がって、休んでおきなさい。私は一応、剛志の救援にいくから」
「了解です。近くに落としておきます」
「じゃ、また後で」
「はい。また後で」
砂嵐は嘘のように掻き消え、茹だるような暑さだけがその場に残る。
人形劇はひとまず幕を降ろし、次の舞台へ役者は移っていく。
全ては夢のように、戦いの後すらも此処には残っていなかった。
「そこッ!」
「がっ!?」
サラの蹴りが剛志の脇腹に直撃する。
苦悶で歪む表情、激痛が走るが剛志もただでは転ばない。
足を掴むとそのまま力の限り、振り回す。
「剛志は紳士だと思っていましたが、女性の足を掴むとは!」
「悪いが、今は戦士と戦士の戦いだ。性別などと萎える要素を持ち出さないでくれるか」
「きゃあ!!」
回転する速度上げて、タイミングを見て地面に向かって投げつける。
サラは飛行術式を使って、勢いを殺すがそれこそが剛志の狙いだった。
空中で速度を殺した彼女は望み通り、地面にぶつかる前に止まる事は出来た。
それは敵に無防備な姿を見せるというリスクを孕んでいる。
棒立ちとなったサラに向かって、剛志は上空から強襲を仕掛けた。
落下の勢いもプラスされたキックがサラに向かって放たれる。
「っ、障壁展開!」
30枚の壁が剛志とサラの間に展開される。
しかし、相手が悪いとしか言いようがないだろう。
「無駄だ」
足が触れる度に障壁は無残に消し飛ばされていく。
破壊系と戦った時に幾度も繰り広げられてきた光景を前に、サラは悔しさで表情が歪む。
「感傷に浸るのは後で良いっ」
1秒も稼げずに砕け散る障壁でも無意味ではない。
本当に僅かだが、勢いを殺す事は出来ていた。
サラは攻撃が当たるギリギリのタイミングで体を横にずらす。
「甘いな」
「かっ!?」
「はああッ!」
蹴りは確かに避ける事が出来た。
だが、そこで攻撃が終わるはずがなく拳の連撃を受けてしまう。
サラが体術をみっちりと鍛え上げていたのは間違いないが、それが戦闘技術の根幹部分である剛志に優る事などあり得なかった。
積み重ねた年月が違う。
「げほっ! 口に砂がっ」
砂に埋もれた状態から体を起こす。
拳に殴り飛ばされた事を利用して、なんとか後ろに下がったおかげで仕切り直しが出来ていた。
サラは上体を起こして、周囲を見渡す。
剛志が危険性を無視して、ここまで攻め込んでくる確率も高い。
いつまでも寝ていられる余裕はなかった。
探査術式などを展開、速やかな迎撃態勢を構築する。
そして、半分砂に埋もれた状態のままで意識を集中させた。
時間にして、1分程だっただろう。
息を吐いて、完全に砂から身を起こす。
「まだ特攻する程ではない、そういうことですか」
気配が感じられない事にひとまず安堵した。
剛志とサラではチーム内でのポジションが異なる。
実力は高いが、用途が限定的な剛志は主力ではない。
言い方は悪いが、サラとトレードするなら安いと言える。
サラはシューティングスターズの根幹を成しているのだ。
精神的な意味でもハンナに次ぐ主柱であるし、戦術的にも重要な位置にいる。
クォークオブフェイトからすれば、落としておきたい相手だろう。
「しかし、ここで攻めてこない。……こちらの狙いに感づいている?」
自陣に引き込むように後退しているが、それは結果として敗退したからである。
無論、いくつかの罠は仕込んであるが、ここまで攻めの姿勢が弱いとは思ってもみなかった。
ここで踏み込んでいれば、ダメージ程度は与えられたのだ。
仮にこの意図を読まれているとしたら、恐るべき直感だろう。
サラは頭を振って、仮定にすぎない妄想を追い出した。
まだ試合は続いているのだ。
無意味に悲観的な予想はやめておくべきだった。
「ライフは……今は60%。思ったよりも削られてる」
魔導機が表示するライフゲージを見て、完敗だった先の戦いを思い出す。
どんな形であれ、負ける事は心に大きなダメージを与える。
わかっていた事であるとはいえ、サラも慣れる事が出来ない感覚だった。
これを幾度も味わって、平気な顔で次に挑める人物のメンタルは鋼などというレベルではないだろう。
「まだ負けてない。そう、自分を慰めておきましょうか」
サラは空へ身を翻して、戦場に帰る。
両陣営が1度態勢を整えるため、奇妙に静かな時間が訪れた。
この戦いを見守る者たちも、レベルの高い駆け引きに様々な思いを抱く。
その中にはいずれ激突するであろう者たちも含まれていたのだった。
各チームに割り当てられた宿舎の1室。
そこには試合会場に用いられている技術の小型版と呼ぶべきものが用意されている。
選手たちが観客席で観戦して、騒ぎにならないようにとの配慮から各宿舎に設置されているものであり、選手たちが敵チームの試合を見るのに使われていた。
「フィーネさん、これは……」
「ええ、良い試合だわ。どちらが来ても厳しい試合になりそう」
彼女たちチームヴァルキュリアの面々も当然、試合を観戦している。
この戦いの勝者と戦う事になるのだから、それは当然の事であろう。
次の敵を知るのにこれほど良い機会はない。
試合に参加する面々が真剣な表情で映像に見入っていた。
「両チーム、リーダーが物凄い砲台ですね。去年よりも『女帝』は3割増しくらいでしょうか」
「『凶星』もとんでもないわよ。単純な威力だけならフィーネさんよりも上でしょうね」
「規模では負けてないけど、私たちも拮抗は厳しいですね」
「あなたちでも幾分火力不足ですか。私たちの特性的に仕方ないのですが、口惜しいものもありますね」
チームの後衛を預かる2年生たちが口々に世界最高クラスの両名に賛辞を送る。
同じ後衛、とは少し言い難いが、遠距離戦を生業にする魔導師として尊敬に値する敵だと全員が思っていた。
それほどまでに基本を突き詰めた両名は強い。
「シューティングスターズは傾向としては、守り。逆にクォークオブフェイトは攻めの傾向が強いようですね。よく似ていますが、こうして直で見ると違いがわかりますわ」
「うん、あの前衛、葵って言ったっけ? 凄いよ、あれだけの砲撃を掻い潜れるのはそんなにいないと思うな」
「あら、カルラは怖いの? あなたが抑える事になりそうなのに」
「むっ! 先輩でもその言い方には怒りますよ! 訂正してください、エルフリーデ先輩」
姦しく騒ぎ出した後輩たちに苦笑しつつも、フィーネの視線はある魔導師を捉えて離さない。
その事に気付いていたのは、直ぐ傍にいたレオナとフィーネの様子に注力していたイリーネぐらいだろう。
普段は穏やかな笑顔で周囲を見守っている彼女が、ある魔導師――健輔が映った時だけは一瞬だけだが深い深い笑みになっていた。
「フィーネさん、ご期待には沿えそうですか?」
「……あら、レオナ。何の事かしら?」
「隠してもダメですよ。あの男の子の事、見てたでしょう?」
「……わかるかしら?」
「私も付き合いが長いですから。獲物が横から攫われて頭に来ているのはわかりますけど、少しみっともないです」
先輩にして、チームどころか欧州を代表する魔導師に対する言葉ではないが、そこには親愛の情があった。
また、直言できる程にはレオナも優秀な魔導師である。
フィーネも特に不快感を示すことなく、苦笑して頷いた。
桜香とフィーネの因縁は誰でも知っている。
だからこそ、多くのものは彼女の逆鱗に触れる事を恐れて、話す事すらしないのだ。
確かに屈辱は屈辱だが、そこまで彼女は自身を狭量だとは思っていなかった。
碌に面識もない相手に負の感情を抱くほど、周囲が見えていないわけではない。
「ハッキリと言うものね。この話題に触れるのはあなたくらいよ。……開会式の後で少しだけ桜香と話したわ」
「それは……どうでしたか?」
「彼女は強くなっていた。今の私でも、結果はわからない程に……。でもね、その目に私は映ってなかった。……なんていうか、皮肉なものね」
「……かつてのあなたと同じですね。皇帝だけを見ていた」
「ええ、ふふ、変な話よね? 負けたのは私なのだから、映ってなくて当たり前なのに……。直接話すまで、そんな事もわからなかったのよ」
桜香が誰かに雪辱を誓っている事など直ぐにわかった。
彼女はかつてフィーネが通った道を今、辿っているのである。
未だに目的を果たせていない身のため、最終地点こそわからなかったが、やりたい事は双方で一致していた。
フィーネは今までの全てを清算するために優勝を望んでいて、それ以外には興味がない。
桜香も同じであろう。
勝利を以って、屈辱を塗り替える必要がある。
「なんとも……年頃の女性が熱い視線で男性を見つめるのだから、もう少し甘酸っぱい香りがしても良いと思うのですが」
「あら、私を組み伏せる程の殿方なら構わないわよ。ただし、ただ勝つだけじゃ足りないわ」
「全力を受け止めた上で超えてくれ、でしょう? 男性に求めるハードルが高すぎるのではないですか? 皇帝ぐらいでしょうに、そんな事が出来るの」
「難業を超えるだけの価値があるように磨きあげているつもりだわ。愛ってそういうものじゃなくて?」
年頃の女性の会話なのに、何故か戦いの匂いが染み付いている。
肉食系人種の本能なのか、かつてのクラウディアと同じようにフィーネもまた男性に求めるハードルが高すぎた。
普通の男性ならば、くぐった方が間違いなく早いだろう。
自然を操る女神を打破できるものなど、同じ領域にいるものだけだ。
小手先の技で倒せる程、彼女は甘くないのだから。
「流星か、運命かはわからないですけど。小さな勇者様のためにはここで負けた方が幸せかもしれないですね」
「どちらが勝っても私の悲願を叶えるための良い試金石になるわ。だから、後は好みの問題」
「では、欧州が誇る女神はどちらに勝って欲しいのですか?」
レオナの軽い笑みを含んだ問いに、フィーネは意味深に笑うだけで答えを返さない。
何かを誤魔化すように、先ほどまでと同じような笑顔で画面を見つめるだけであった。
そんなフィーネの様子を見て、レオナは呆れたように溜息を吐く。
フィーネが答えないだろうと、長い付き合いから察した彼女は視線を戻して観戦に戻った。
戦乙女たちが見守る中、試合は新たな動きを見せ始める。
お互いに小競り合いは終わり。
次からは撃墜を狙った本格的な交戦となっていく。
高まる戦意を映像越しにも感じて、女神は頬を上気させる。
彼らと戦うのが楽しみだ、と偽りなき思いでフィーネは結末を見守るのであった。




