第188話
シンプルに纏められた調度品。
綺麗に整理整頓された机。
前日から準備された翌日の服や、学校へ行くための用意。
華やかな印象を与えるのは自作なのだろうか、花が刺繍されたカーテンぐらいであり、大枠としては16歳の――もうすぐ17歳になる女性の部屋とは思えない装いになっていた。
部屋の主たる女性の性格を反映したのか、満ちる空気までどこか硬い印象を受ける。
澄んでいる空気というよりも厳かな空気に満ちているのだ。
シンプルに纏まった綺麗な部屋でベッドに1人の女性が眠っている。
いつもの朗らかな様子からは考えられない静かで美しい寝顔。
黙っていれば美人という言葉にピッタリと当て嵌まる美女が勢いよく目を開く。
もぞもぞと布団の中で動く女性はゆっくりと起き出し、
「おはよう」
と寮監の投影枠が現れると同時に声を掛けるのであった。
『おはようございます。またぴったりですね、葵』
「ふわ~~! うん、そうね」
肩を回して良い音を鳴らしながら、葵はベットから出る。
そこには先ほど眠っていたとは思えない程はきはきとした様子であった。
準備運動なのだろうか。
軽く拳を突きだして構えを取る。
「はっ!」
静かな部屋に拳が空気を切り裂く音が響く。
たった1人の観客に披露される彼女の日課だった。
入寮して既に2年。
1日足りとも欠かすことなく行われてきた朝の恒例行事である。
『今日も問題ないようですね。葵は体調管理もしっかりしているので、監督のし甲斐がありません』
「自分の事は自分でやるわよ。在り来たりだけどよく言うでしょう? 私の事は私が1番よくわかっているの」
『変わらない信念ですね。多少は頼ってくれた方がよいのですに』
「そういうのは柄じゃないの。今日もありがと」
『あまりお役に立っていませんが。それでは失礼します』
毎朝のやり取り。
変わらぬルーチンワークで彼女は自分を認識し直す。
他者に厳しく、自分には何よりも厳しい。
勝利を希求して努力を怠らない才媛。
才能という分野においてのみ、桜香という逸材が彼女を超えているが、それ以外では負けていない。
「うん。今日もいい日ね」
カーテンを開けて仁王立ちする。
見据える方向にあるのは彼女の学び舎、天祥学園。
今日も彼女――藤田葵は絶好調だった。
いつもの確認が終われば朝食を摂るために食堂へと向かう。
葵の寮には他の2年生も居るため、必然として彼女たちはここで合流する。
「おっ、おはよう。今日もバッチリだね」
「おはよ。香奈は今日もボサボサね? そろそろ学習しなさい。女は身嗜みに気を使わないとね」
「いやー、葵に言われるとこう、傷つくよ……」
「香奈は容赦ないよね」
「どういう意味よ。私は女性として、その辺りはちゃんとしてるわよ」
先に席についていた真希と香奈の元に合流する。
真希と葵は元からの知り合いだが、香奈は入学後の知り合いだ。
最初出会ったころはいけ好かない奴だと思っていたが、まさか仲良くなるとは思ってもみなかった。
直後に人生はこれだから面白いと開き直るのが、葵の葵たる由縁である。
「私に劣るのは仕方ないとしても、努力はすべきよ。香奈も素材は良いんだから」
「女捨ててるような感じなのに、偶には香水も付けたりと以外と女の子してるよね。誰かに見栄張りたいとかそんな感じ?」
「その質問、もう10回目くらいよ。私は汚い自分が嫌なだけよ。どうせなら綺麗な方がいいでしょう?」
葵は自然体で香奈にそう言ってのける。
友人たちは葵の自信に溢れる様に苦笑し合う。
香奈はこれを見るために、毎度同じ話題を提供しているようなものだった。
真希はいつものやり取りを行う2人を呆れたように見ている。
ここ数ヶ月レベルの話ではなく1年レベルで同じ話題をループしているのを知っているからだ。
後輩が居ない時の真希はどちらかと言うとストッパーになるのは、気質がそちら寄りだからか。
和哉と2人して2年の良心と呼ばれているのは伊達ではなかった。
「今日のご予定は?」
「ほとんどオフかな。単位は取得済みばっかりだし。ちょっと魔導医学に関するレポートが止まってるから、図書館に行く予定」
「おっ、ちょうどいいから私も付いて行って良い? ホームルーム終わったら一緒に行こうよ」
「何かあるの?」
「うん、健輔にアレンジをお願いされた術式があって、資料集めに行こうかなって」
「香奈、この間も何かやってなかったっけ?」
2年生にもなると学生によっては単位の取得が一気に進んでいるものも多い。
桜香などはほとんどの授業が免除になっているし、葵も負けず劣らず授業をスキップしていた。
実力、学力など統合的に判断して問題ないとされた学生は上級生のカリキュラムも問題なく履修できる。
1年間、履修を自由に変更できるなど2年生からは相当に柔軟性を増すのが学園のカリキュラムの特色だった。
2年生の中でも一際優秀な学生として、その辺りの特権的なものを彼女たちは享受している。
こういった特権、というには微妙だが待遇が異なるにはそれなりに成果が必要だった。
葵ならばエースとしての名声でクリアしているし、香奈は研究成果で勝ち取っている。
真希は2人と比べると1段落ちるがベテラン魔導師として、通常の学生の半分程度の単位はクリアしていた。
「この間は圭吾くんのやつかな。あれだよ、敵に干渉する奴」
「ああ、拘束式ね。見事な錬度だったわね。練習を欠かしてないようで感心したのを覚えてるわよ」
「……和哉君が力入れてるしね。私も偶に応援したよ」
「お、どうなの? 他の2人が強烈すぎて目立ってないけど」
香奈が真希に圭吾の評価を求める。
他の3名、特に美咲に関しては香奈の方がよく知っているのだ。
聞くまででもない。
優香は言わずもがな、健輔はいろんな意味で問題だらけだが、評価は問題なかった。
圭吾だけがある意味で真っ当な魔導師を1人続けていると言えるだろう。
「実力は十分だよ。ただ、世界は……」
「そんな事、あの子もわかってるわよ。だから、支援系なんでしょうし」
「ああ、なるほどね。いやー、あの年で割り切るってすごくない? 健輔は親友だろうし、結構ジェラシーがあると思うんだよね」
1人だけ置いて行かれる感覚。
ここに集ったメンバーで感じる者はいない。
真希も実力的に自分のフィールドでは負けなしであったし、葵、香奈は両者共に傑出している上に片方は技術者だった。
「ないわよ」
香奈の疑問を葵は一刀両断する。
圭吾は嫉妬など感じていない、と本人でもないのに何故か断言していた。
「おろ? その心は?」
「健輔が何も反応してないわ。そんな後ろ向きな匂いを友人が出していたら、直ぐに嗅ぎ付けるわよ」
「わお、流石の信頼だね」
「私以上に練習してる1年生を健輔以外に私は知らないわ。あの子はやれる子よ」
「……お母さんみたいと言うか。葵は実は姉バカだねー」
「葵は良いお母さんになるだろうね」
ある意味で惚気なのだろうか。
健輔の友人だからと葵は圭吾に全幅の信頼を見せていた。
自信満々で断言する葵に2人は苦笑する。
「葵の言動は見ていて気持ちいいわね」
「友達として鼻が高いよ。いや、本当にね」
「今更ね。さ、行きましょう」
席を立ち颯爽と彼女はその場を後にする。
即断即決、悩む姿など長い付き合いの真希ですら、ほとんど見たことがなかった。
強くありたいと願う人間は多いだろうが、身も心もそうあるべきだと努力する人間は少ない。
葵はそれが出来る人間だった。
1度だけ真希はその動機を聞いたことがある。
この学園への入学前、魔導という技術に真希を通じて触れた彼女の言葉は――、
「――私が好きな人に私を誇りに思ってもらえるように、か。あなたは私の自慢の友達なんだけどな……」
「ん? 真希ちゃんどうしたの?」
「ううん、なんでもないよ。さ、行きましょう? 葵は遅いと本当に私たちを置いて行くから」
「はいはい。香奈さんは肉体派じゃないんだけどなー」
愚痴を言うも文句はないようで香奈も素早く移動を開始する。
どこまでも昇っていく葵、そんな葵に恥じぬように真希も自分を高めていく。
心も体も共にまだまだ未熟である、と彼女たちは一切疑いを挟まない。
周囲から見た藤田葵の印象そのままに生きる事、それこそが彼女の強さの神髄なのかもしれなかった。
「で、これですか?」
「そうよ。香奈から聞いたわ。すごく手広く資料と術式を要求してるみたいね? 美咲ちゃんだけで足りないの? というか、面白そうだから手伝わせなさい!」
仁王立ちがこれほど良く似合う女性を健輔は他に知らない。
言ってることは無茶苦茶で筋が通っているようでまったく通っていないのだが、説得力だけは何故か抜群だった。
健輔に免疫がなければ、ほいほいと頷いてしまっていただろう。
しかし、健輔も葵の猛攻に耐える事約半年。
これまで何もしてこなかったわけではない。
対策はしっかりと行っていた。
「人の術式、もしくは練習に関与するのならばメリットを供与せよ。チーム規則ですよ。……ちなみに私の教えがメリットはなしです」
「むっ、どうしてよ」
「ネタバレすると今回のやつは戦闘術式じゃないです。今の段階で協力は不要ですよ」
わざわざ今、という部分を強調して健輔は葵に告げる。
葵は理不尽というか、人の形をした嵐ではないかと思える程に行動的だが、何も考えていないわけではない。
むしろ、多くの考えを張り巡らせた上で直感を信じる女性だった。
運としか言いようがない勝負強さは健輔も良く知っていた。
だからこそ、言外の思いを汲み取ってくれると健輔は信じていたのである。
健輔の誤算はたった1つ。
彼女が健輔に絡むのに理由など何1つないということだった。
意図を察したからと言って乗るつもりがなければ完全に無意味となる。
「で、それがどうかしたの?」
「……え」
一瞬、自分が難聴にでもなったのかと健輔は魔力を耳に集中させる。
正面の女性はニコニコ、いや、ニヤリとした不敵な笑みのまま姿勢を動かさない。
葵のやろうとしていることを察して、健輔の表情が引き攣る。
つまり、この女性は理屈などどうでもいいから絡ませろと酔っ払いのようなことを言ってきているのだった。
仮にも後輩がひっそりと進めるパワーアップ計画に嘴を突っ込むというのに、呆れを通りこして感心するほどに無計画である。
「……か、勘弁してくれないですか? まだ葵さんに手伝ってもらうことはないんですけど」
「それってあなたの認識よね? 却下よ、却下。私の直感が今のままではよくないって呟いているもの」
「また都合の良いことを言って……」
「ふふん! それが私でしょう? 戦いも大好きだけど、練習も大好きよ」
邪気など微塵も有していない快活な笑みだった。
葵は傍迷惑で、巻き込まれて疲れることこの上ない人物だが、陰鬱さはなかった。
他の人間が何と言おうとも、自分の道を信じてやり切る女である。
その背中と生き様は目の前の男子生徒も認めるところだったが、結局疲れることは疲れるのだ。
出来れば避けたい。
そう思う心もまた真実であった。
「ぐっ……ぬ……」
「あら、私の勝ちかしら」
得意げな笑みが悔しさを倍増させる。
交渉事が成立すると確認したわけでもないのに信じていた健輔の落ち度だった。
もはや葵を翻意させる言葉は思いつかず、がっくりと肩を落とす。
「ま、参りました」
「うむ、苦しゅうない」
やけに演技めいた物言いに半目になるも、葵はさらに笑顔を見せ付けてくるだけだった。
この人には勝てない。
少女のような、それでいて色気も感じる年上の女性。
まるで違う印象を受けるのに結局のところ、彼女は藤田葵という存在に収束するのだ。
存在感では健輔は足元にも及ばないだろう。
何より刷り込まれた上下関係が拒否を彼に選択させてくれない。
「く、くそ……準備万端にして驚かせるつもりだったのに……」
「ぷっ、そんな事考えてたんだ。何々? お姉さんに言ってみなさいな」
「……失敗したからもういいですよ。くそ……漏らしたのは香奈さんでしょ!」
「動き方が派手だったから、何かやってるのは知ってたわよ? 勉強について、やたら熱心だったりして怪しかったしね」
健輔の些細な頑張りを見逃すぐらいの甲斐性はあったが、好奇心と姉心が優ったのだ。
それにまだ1年生だけでやらせるのは危ない面も多い。
好事魔多し、在り来たりな格言だが同時に真理でもある。
調子が良いからこそ、普段通りの様子の裏で葵はチームをしっかりと見つめていた。
自分と同じく好きに暴れた方が力を発揮できる後輩なのだ。
手綱の取り方もわかりやすかった。
「それで? 何をやろうとしてるの? 戦闘じゃないけど私の協力がその内いるってことは――」
「…………」
「――新しい連携方法とか、その辺りかしら?」
「……葵さんって偶に怖いですね」
「今更よ」
拗ねたような物言いの健輔に朗らかに笑いかける。
その姿は血こそ繋がっていないがまさに姉と弟と言うべきだろう。
姉に良いところを見せようと張り切っていた弟がバレてしまった事に対して照れているのだ。
いつもは大人っぽい、もしくは悟ったような健輔には珍しく年相応の様子なのはそれだけ彼女に気を許しているという証でもあった。
「はぁ……、それじゃあ、軽く説明しますよ。実は――」
そのまま解説は続き葵はテンション高く図書館に突入して、司書に注意されることになる。
冬の一幕。
賑やかな姉弟の交わりであった。




