第185話
朝のホームルームまでの僅かな時間、生徒が思い思いに過ごしている教室。
紫藤菜月は友人の木村悠花と談笑していた。
話題は昨日の放送部の雑用についてである。
「それで歩夢に頼んだのかい?」
「……うん、本当は私がいろいろ説明したかったんだけど」
「歩夢は男の人が苦手なのに良く引き受けてくれたね」
「け、健輔さんはその……あれだから」
「あれ?」
言いづらそうな菜月の様子に悠花は不思議そうに問いかける。
金瀬歩夢は悠花にとっても友人である。
放送部の中でもあまり表に出てこないのは男子が苦手だからと聞いていた。
いくら菜月の頼みとはいえ、ただのクラスメイトである男子に1人で声を掛けたというのは驚くべきことである。
理由が知りたくなるのは当たり前だった。
菜月が微妙に言いずらそうにしているのはわかったが、好奇心が優ってしまう。
悠花の様子から諦めたように溜息を吐き、
「歩夢ちゃんは……その、子どもは大丈夫だから」
「……子ども?」
「う、うん、その健輔さんは子どもっぽいから平気っていうから。だったら、いいかなって思って……」
「……そう言えば保母さんとかになりたいんだったっけ?」
「うん、まだ決めてないらしいけど」
悠花は歩夢の異性が苦手な理由を視線が厭らしいからと聞いたことがあった。
歩夢は小柄な体格の割に出るとこは出ていて、引っ込むところは引っ込む男好きのする体格をしている。
そのため、中学の後半や入学してからそういう視線に晒されることが増えていた。
結果、男性が苦手になったと聞いていたが、
「そっか……。佐藤選手はあれだね……。きっと、純粋な人なんだろうね」
「歩夢ちゃんも話しやすかったって言ってたよ……」
菜月も微妙な表情である。
憧れの魔導師が子供っぽいとは褒められているのか、それもと貶されているのか。
おそらく、歩夢からすれば褒めているのだろう。
菜月もそれがわかるから微妙な表情なのだ。
「それにしても――」
「あっ」
悠花が何かを言おうとした時と同時にざわついていた教室が静かになる。
この時間、ホームルームまで後10分という状況は彼女がやってくる時間だった。
「相も変わらず、美人さんだね」
「もう1年近くになるのにね」
クラスに優香が入ってきた瞬間、一瞬静かになるのは今やクラスの風物詩である。
優香が美人だと言うのは彼女らも同意するところであるが、いい加減慣れても良いだろうと思っていた。
思ってはいるが、同時にクラスメイトの気持ちも理解出来ないわけではない。
彼女たちも慣れてきたため、意識している時ならは大丈夫だが、ふとしたタイミングで目があったりした場合は目を奪われてしまうのだ。
「美貌もそうだけど、雰囲気なのかな? これだけ皆の視線を集めれるっていうのはさ」
「九条さん、静かというか。こう、何かを背負ってるみたいな感じだからね。雰囲気が凄く大人びているっていうのはそうかもね」
優香は綺麗だが、それ以上に雰囲気がある。
それこそが彼女の最大の魅力なのかもしれないが、放送部所属の彼女たちはそこまで気圧されてもいなかった。
クラスメイトの多くが目を奪われるているのは優香が最大値であるからだ。
菜月たちは直に桜香や真由美、葵と言った優香に負けない、それどころか優るエースたちを知っている。
彼女らのオーラを知っていれば、そうそう気圧されることもなくなってしまう。
「1年生だと九条さんとクラウディアさんが2強だもんねー」
「強さも美しさも?」
「うん。それにしても……佐藤選手はよくあの2人に素面でいられるね」
「け、健輔さんはすごい人だから……」
悠花の脳裏に歩夢の子どもっぽいという評価が過る。
あまり接したことがないがある程度は的を射ている意見ではないだろうか。
精神が鋼のような硬さだというのもあるだろうが、相手の状況などに頓着していないのだ。
悪い言い方をすれば空気を読まない男である。
傍にいる友人に視線を移す。
「……そういえば、ぶれない男が好きだったっけ」
菜月に聞こえないよう静かに呟く。
友人の男性の好みは一本気な道がずれない男性。
その条件にピッタリ当て嵌まっている。
少なくとも今の段階でそういう意味でファンになっていないのはわかるが、
「案外、もうちょっと距離が近かったらわからないかも……」
「どうしたの? 悠花ちゃん」
「いいえ。友人が厳しい戦いに挑まなくてよかった。そう思っただけよ」
「うん? 何の話?」
「気にしないでいいって」
「え、何よ。もうっ」
ライバルとして考えるのにあの美女が相手なのは厳しい事この上ない。
美貌、才能、後は立ち位置、あらゆる部分で敗北している。
菜月も水準以上には届くがよく見て、上の下、ネガティブに捉えるなら中の上程度だろう。
天から恵まれた者に届く程ではない。
悠花は友人が1ファンで終わることを祈って、もう1度クラスメイトと談笑している優香を見つめるのであった。
「優香ちゃん、どうしたの? 今日は機嫌が良さそうだけど」
「わかりますか?」
いつも通り涼しい表情をしている友人へ問いかける。
半年程前は近づきがたかった空気は今やどこにいったのか。
本格的に仲良く話すようになったのは秋からと考えればこの関係になったのはたったの3ヶ月前である。
彼女――丸山美咲も随分と『クォークオブフェイト』に馴染んできた自分を感じていた。
「良い事でもあったの? 欲しがってたクッションが買えたとか?」
「あっ、いえ、そちらの方はまだです」
「ありゃ、外しちゃった? じゃあ、何が理由?」
「実は雪風の改修が認められたんです!」
「雪風が?」
優香は美しく微笑みながら美咲に理由を話した。
美咲からすると意外な理由だった。
『雪風』――九条優香の専用魔導機。
専用機は魔導機の等級の中でも最大のものであり、その名の通り個人に合わせて作られているため余程の事がない限り大規模な改修などは行われない。
魔導機は全て学園側に登録されているため、何かしら改良を施す際には許可が必要なのだ。
しかし、専用機の改修許可はほとんどの場合が却下される。
理由は簡単だ。
ただでさえ、備品の差があるなどと言われている状況で専用機を持っている魔導師に更なる強化を許しなどしたら、めんどくさい事になるのは目に見えている。
「よく下りたわね? 専用機改修なんてハードルが高すぎるでしょうに」
「私の能力に追随していないとのことで、そちらの方が危険だと」
「ああ……。なるほどね」
現在の雪風が予想されていた優香の成長方向とずれているのだ。
魔導機は魔導師の成長を予測して、それに合わせて設計される。
成長の都度に新造などしていたら予算がどれほど必要かわからないため、そうなっているのだ。
カスタム機や専用機などは未来を基準にして組まれている。
学園が集めたノウハウをフルに活用して作られた専用魔導機、予算も潤沢に用いられているため。予測データであっても外れることなどほとんどない。
ないのだが、専用機を与えられる魔導師というのは基本的に良い意味でも悪い意味でも限界を超えてくる事が多々ある。
一時的なものならば、恒常的に急激に強くなる者も皆無ではないのだ。
ほとんど下りない改修許可もそのような場合のみ許可される。
「どの程度改修するの? 全面改修するくらいなら経験を引き継いだ新造機にするわよね?」
「基本的に健輔さんの『陽炎』と似たような調整になります。私の術式使用頻度、後は健輔さんとの連携を考えればそちらの方がよい、だろうと」
「ああ、なるほど」
美咲は優香の機嫌があまり見ないレベルで良い理由がよくわかった。
雪風がより良くなるのが嬉しいのは当たり前だろうが、それ以上に健輔と同じになるのが嬉しいのだろう。
優香に自覚はないのだろうが。
「……はぁ」
「美咲? ど、どうかしましたか?」
「あっ、いえ、ちょっと術式の構築で悩んでてね。新しい雪風の構成を覚えるのかと思うとちょっと……」
「あ……ご、ごめんなさい」
「いいのよ。優香ちゃんを責めてるわけじゃないから」
「わ、私もお手伝いしますから」
健輔の陽炎と同タイプの人格型。
美咲は陽炎しか知らないが人格型はマスターのために術式構築などで最善を尽くす。
提供されるデータは素晴らしいものばかりで美咲も嬉しいが、彼女ら――女性型であることが多いため――は要求のレベルも高いのだ。
機械の正確さと人の揺らぎを併せ持つタイプであり、主の忠誠を基本骨子に組み込んで安定させているため主に関しては絶対に妥協しない。
美咲も『陽炎』に認められるまでは本当に大変だった。
「雪風は聞き分けがいいんだけどね」
「だ、大丈夫ですよ。健輔さんの『陽炎』からデータを貰いますから!」
「それって……」
『陽炎』は既に相当育っている。
健輔がしっかりしていない、というか隙の多い人物のためかなりのしっかり者となっていた。
健輔のふわっとした依頼を受けて術式を開発。
それを搭載する際に質問攻めになったことは数えきれない程にあった。
「AIと戦う日々、再びかー」
「わ、私も頑張りますね」
遠い目をする友人を優香は懸命に慰める。
後日、優香は健輔へもう少し美咲の負担を減らすように進言するのであった。
学校と試合を終えて健輔は叢雲のラボへと向かう。
傍には優香の姿もあり、最近は減ってきていた2人での行動となっている。
以前は2人っきりでの行動が多かったのだが、美咲と親しくなるにつれて自然と3人、または圭吾の加えての4人でいることが増えていた。
久しぶりのためか、2人の会話は弾んでいる。
ほんの半年前に話題がなく困っていた2人とは思えないような光景だった。
「雪風の改修協力ありがとうございます。人格型は私もよくわからないのでいろいろとご迷惑を掛けると思いますけど」
「いいって。陽炎はいい奴だからな。雪風も似たような物になるさ」
「そうだといいんですけど」
『大丈夫ですよ、優香。マスターはその辺りの勘を外しません』
健輔のポケットの詰められた端末から涼やかな女性型合成音声が聞こえてくる。
陽炎に限らず魔導機は基本的に本体部分と武装部分に分かれていることが多い。
カスタム機以上の等級は持ち運びやすいようにそのように設計されているのだ。
学園支給品の汎用型は武装一致型のみしかなく、メモリーなどを指すことでデータを共有している。
優香の『雪風』も武装部分は双剣だが、本体は優香のベルトに設置するようになっていた。
健輔の『陽炎』も本体設置部分は同様であり、現在の流行がこのタイプである。
用途を分けた物を統合出来るということで柔軟性が高いのが主流となっている理由だった。
「あまり褒めるなよ? 調子に乗るから」
『マスターがそのような事を言うとは、ご冗談ですか?』
「お前は俺の事をなんだと思ってるんだよ」
「ふふ、仲が良いですね。私も雪風とそうなりたいです」
「簡単になれると思うけどなー」
健輔が『陽炎』を受領してからの日々は良くも悪くも濃くなった。
機械だからこその正確性は健輔の勘などの揺らぎを容認できず、最初の頃は結構ぶつかっていた。
それらを乗り越えて今の1人と1機の信頼関係は生まれたのだ。
優香にも相応の苦難が待ち受けていることだろう。
「優香は術式制動が大変だからな。発動タイミングまで魔導機が見てくれたら楽になるだろう」
「はい、私の処理速度に雪風が付いてこれてないのが今回の改修理由でもありますから」
「ハード的な要因ではなく、ソフト的な問題だもんな。今のAIでダメならそりゃ、人格型しかないわ」
「はい、笹山先生も同じことをおっしゃっていました」
今回の雪風の改修の直接的な理由は優香の術式を処理仕切れていないことだ。
健輔の系統切り替えの頻度もそうだったが、ハード的の性能は十分なのだが健輔の切り替えは彼の思考を追随できないと大変なことになるのだ。
各系統の魔力は各々特性があり、それにあった術式でないときちんと動作しない。
健輔の体内では連続で切り変わっているのに、魔導機はついていけない、というのが旧『陽炎』の問題点であった。
優香の雪風も同じような問題を抱えている。
健輔ならば、系統の切り替えだったが、優香は術式の断続的な切り替えが原因だった。
今はまだ問題ないが、より激しい戦いに至った時を考えると人格型に変えた方がよいと判断されたのだ。
「楽しみだな。陽炎も妹になるんだ。仲良くしてやれよ」
『妹…………。了解です。性能にかけてお約束します』
「おう。優香もよろしくな」
「はい、一緒に頑張りましょう!」
新たな剣に思いを馳せる優香に苦笑する。
女の子が喜ぶには些か以上に物騒な代物でもあるが、喜ぶ姿自体は年相応の女の子だった。
新たな雪風で劇的に強くなることはないだろう。
しかし、優香を更なる高みに昇らせる力はあるはずだ。
健輔の今の実力には間違いなく陽炎の功績もあるのだから。
人格型のメリットもデメリットも知り尽くしているからこそ、その力はよくわかっていた。
更なる高みへと昇る相棒に負けないように健輔も練習計画を新しく組み直す。
迫り、引き離され、また迫る。
徒労のようにも感じる努力を健輔は只管に続けていく。
小器用に全てをこなせる男ではない。
だからこその愚直さだったが、それが彼の良い部分でもあった。
そんな愚直さをこそ、隣の少女は尊敬していると彼だけが知らない。
半年前とは違う、肩がぶつかりそうな距離で2人は同じ道を歩いていくのだった。




