第184話
「へぇ、よかったじゃないか。あれだけ、騒いでたんだから喜びも一塩だろう?」
「おう! いろいろ迷惑かけたりもしたけど、お前のアドバイスのおかげで落ち着けるところに入れたわ」
「迷惑? なんかあったけ?」
「……い、いや、覚えてないならいいさ」
昼休み、珍しく教室でパンを摘まむ健輔は大輔と共に食事をしていた。
タイミングが良い、いや悪いことに他の3人に用事が重なってしまい、1人になってしまったのである。
健輔が1人でいるところを見た大輔がいつものメンバーではなく、彼のところに来てくれたのは彼の優しさと言える。
1人で堂々と飯を食べている健輔を放っておけないと思ったからなのだが、心配されている当人はそんな理由だとは知らずに眠そうな顔で会話に勤しんでいた。
「しかし、あれだね。この学園て異性交遊は推奨なのか? 流石にホイホイと増えるのはあれだと思うんだが」
「公序良俗に反しない程度ってやつだろう。付き合ってる奴が増えて、俺みたいなやつには肩身が狭いぜ」
「ついさっき、女友達が出来たって言ってただろうが」
「……あれだよ。隣の芝生は青いって言うじゃないか」
「そんなもんかね?」
「……自覚ないのがお前の悪いところだよ」
嘆息する大輔に健輔は釈然としない物を感じる。
爆発しろだの、死ねだの、少し親しくなった同級生に言われるのだが、一体何のことだかさっぱりわからないのだ。
優香や美咲の事だと察してはいるのだが、チームメイトと一緒にいるのがそこまで不自然なのかと言いたい気分である。
感情的になっている人間に理屈を説いても無意味なため口に出すような事はなかったが、割と健輔もストレスを溜めていた。
もっとも、1度試合をすれば解消できる辺りに健輔の強靭なメンタルが窺えるだろう。
悩みはあってはスッパリと切り替えられるのが健輔の長所であった。
「自覚しろと言われてもな……。じゃあ、聞くけどその美少女にボコボコにされる日々がお前は楽しいのか?」
「……そう言われると、微妙だな」
「恋愛感情を自分よりも上の相手に持つのはキツイだろう? お前、葵さんとか美人だけど付き合いたいか?」
「……あの腹パンの本家、なんだよな?」
「ああ、俺は今でも思い出すだけで腹が痛くなる」
『クォークオブフェイト』に属する女傑は何人もいるが、一際強烈な相手を名前に上げてみる。
真由美も強烈だが、日常では良いお姉さんだ。
あまりプライベートでは頼りにならないことも含めて愛嬌と言えるだろう。
一緒にいて、楽しくなる人柄でもあるし、恋愛感情はともかく友愛を抱かせるには十分だ。
だからこそ、どんな時でも厳しい、正確には強烈な人物を上げたみた。
葵も四六時中無茶ぶりや拳をお見舞いしてくるわけではないのだが、刷り込まれた上下関係が体を萎縮させるのだ。
そこが良い、という人間もいるらしいが残念ながら健輔と大輔には理解出来ない境地だった。
「ほ、他の先輩は結構普通だろう? やっぱり羨ましいんじゃないかな?」
「……それって他のチームもそこまで変わらないと思うんだがなー」
「じゃ、じゃあ、同級生はどうだよ? あの男なんてゴミです、みたいな目をしてるクラウディアさんに笑顔を向けてもらえるんだろう?」
「どんな失礼な人物像だよ。割と普通の女の子だと思うんだがな。優香と買い物とかに行ってるらしいぞ?」
「なんだ、その桃源郷……。すごく見てえぇ……」
大輔の念の籠った声に苦笑するしかない。
健輔からすれば、クラウディアとは仲が良いがそれ以上に彼女はライバルである。
想像されるような甘酸っぱいものは含まれていないと少なくとも健輔は思っていた。
先輩軍団など言わずもがな、である。
辛うじて女性として意識したことがあるのは真希ぐらいだろう。
夏にお世話になったあの先輩が実は1番落ちついている女性な事を健輔は知っていた。
葵などが美人なのは事実ため、皆無とまでは言わないがやはりそういった幻想は距離感がある程度はある人物に抱くものである。
どれほど美人でも近づき過ぎれば飽きる、というのが健輔の基本的なスタンスだった。
「……外から見てると綺麗どころばかりで羨ましいんだけどな」
「そりゃな、近づけば人間なんだから幻想が壊れるのは当たり前だろう? 身も蓋もない事言えば、あの人たちだってオナラとかするぞ? 聞いたことはないけど」
「……げ、幻想が崩れるからやめてくれよ!」
大輔の本気の拒絶に笑う。
屁はともかくとして、あくびなどの生理現象は全員に付き物だ。
女性陣ならば追加であの日もあって、葵が近くなった時は男性陣が鋼の結束で完璧な行動を見せるようになる。
機嫌が悪い葵など、餓えたライオンのようなものだ。
下手に絡まれると大変なことになると既に健輔も学習していた。
「ま、順調なようで何よりだ。空も慣れたのか?」
「おう! って言いたいけどまだだわ。お前の凄さが最近分かってきたよ」
「ほう、もっと褒めてもいいぜ」
「断る! ま、すごいと思ってるのは嘘じゃないぜ。俺には砲撃の中を突っ込んでいく勇気がないわ」
大輔が臆病というわけではない。
防弾チョッキを着ているからと言って、銃弾を恐れない者がいないとの同じことである。
防げるとはいえ、自分を蒸発させかねない攻撃に立ち向けるのは並大抵の度胸ではない。
しかも、それを1ヶ月程度の段階でやっていたのだから、真由美の練習は常識外れもいいところだった。
クラウディアから他のチームの事を聞いた時に、健輔はようやく自分がどれだけやばかたったのか知ったぐらいである。
初心者に砲撃を叩き込むという行為を聞いた時に、あのクラウディアが優しい目になったのは忘れられない出来事だった。
「砲撃以外にも斬撃とかもあるからな。怖いなら関わらないのが1番ではあるんだが」
「そこまで怖いわけでもないさ。ま、練習していけば慣れると思いたいね」
「慣れるだろうさ。もう1年あれば、そこそこまでは普通に行けると思うぜ」
「サンキュ」
健輔が文化祭の時に対峙した2年生たちのように、1年あれば十分に魔導師として戦えるだろう。
大会で活躍出来るかは怪しいが、大輔の目的がそこにないのであれば十分な強さであった。
元々、大会で活躍出来るほどの強さは過剰だと言う人たちも少なくない。
そこから考えれば大輔は健輔よりも余程堅実である。
「ま、友達は大切にな。愛想尽かされないように」
「健輔もな」
そのまま2人は昼休みが終わるまで話し続けるのであった。
「佐藤くん」
授業が終わり、騒々しい教室。
他の生徒と同じように帰る準備をしていた健輔に声を掛けてくる人物がいた。
「えーと……」
振り返るとそこには小柄で温かみのある笑顔をした女性がいた。
このタイミングで教室内にいるのだから、クラスメイトであることはわかる。
しかし、肝心要な名前が出てこない。
こういう時は圭吾の力を借りるのが最善なのだが、昼からの延長で用事があるらしくいの一番に教室から出て行ってしまっている。
大輔は友人と話しているため、健輔の危急に気付いていない。
この時点で自力で思い出すという選択肢しか残っていないのだが、どれほど記憶を漁っても何も出てこなかった。
無言のまま見つめ合う2人。
片方はニコニコと、もう片方は冷や汗を浮かべて。
どちらも表面上は笑顔なのだが、内面いは恐ろしい程の差が生まれていた。
「あれ? 歩夢、どうしたの?」
「あっ、瑞穂ちゃん。その」
歩夢と呼ばれた女性は滝川瑞穂に視線を移した後に再度健輔を見つめる。
新しく声を掛けてきた女性は流石に覚えがあった。
先週の出来事の後に健輔へ練習をして欲しいと頼んできた人物である。
親しそうだが友人なのか、思って健輔が見つめると、
「歩夢、用件があるんなら何か言ってあげたら? 佐藤くん、困ってるみたいだけど」
「あっ、そ、そっか。ごめんなさい。初めまして、私は金瀬歩夢と言います」
「えーと、ご存知みたいだけど佐藤健輔です」
「急に声を掛けてごめんなさいっ。その私は放送部所属なんですけど」
「あっ、もしかして」
「はい、ご連絡した件でお向かえに上がりました」
『アマテラス』対『明星のかけら』が終わった日の夜、放送部から連絡が来ていた。
インタヴューなどの編集が終わったのでよかったら確認しないか、という内容である。
優香などは今日に用事が重なったため行かないとの事だったが暇だった健輔は行くことにしていたのだ。
その際に誰かを寄越すとは聞いていたが、
「なるほど、金瀬さんが」
「はい、同じクラスでちょうど良いだろうとの事で。驚かしてごめんなさい」
「いや、てっきり紫藤さんが来るかと思ってたからさ」
「菜月ちゃんはちょっと、いろいろと準備があるから、代わりです」
経緯はわかったし、それならば問題ないと鞄を持って立ち上がる。
いつまでもお見合いを続けるのは時間の無駄だろう。
用事は素早くこなすのが健輔の信条であった。
「佐藤く~ん?」
「うげっ」
急いで場を離れようとしたのだが、案の定もう1人に捕まる。
今回は助け舟を出してくれたが、健輔はこの滝川瑞穂という女性が苦手なのだ。
葵程に突き抜けているわけではなく、優香程に知っているわけでもない。
慶子もそうだったが女性らしさが強い異性が苦手なのだ。
勿論、瑞穂はそんな健輔の内心を知っているはずがない。
遠慮なく接近してきて指を突きつける。
「避けるのはいいけど、ちゃんと返事して欲しいな。空で戦う時はあんなにカッコいいのに普段はへタレないでよ」
「……断ってるじゃないか」
「それはそれ、これはこれよ。何度でも頼みこむわよ?」
「折れるまで?」
「折れるまで」
頷く瑞穂に果てしなくめんどくさい雰囲気を感じる。
優香やクラウディアとは別種のめんどくささだった。
押しの強さという意味では葵すらも上回る逸材である。
これだけ我が強ければわざわざ健輔に頼まなくても誰かが了承しそうだが、一体何が彼女の琴線に触れたのだろうか。
考えても答えが得られることはない問いが頭に過る。
「…………」
「さ、答えを」
良い感じの笑顔でこちらを見つめる。
大輔の言う通り、クラスの美少女ランキング上位の笑顔は傍から見てるだけならば素晴らしいものだろう。
中身が地雷でなく、自分が関わりなければ健輔も素直に認めることが出来たはずである。
「……はぁ、わかった。今度、ちゃんと話を聞くからまたな」
「ふふ、ありがとう」
安心したような綺麗な微笑が浮かぶ。
別に異性感情が消滅しているわけではない健輔は普通に綺麗だと感じた。
そして、ある事を思う。
本当に美人は得である。
かつて、優香に同じ思いを抱いた時程ではないが似たような感想が湧きあがってくる。
こちらの都合を無視したお願いで不愉快なのは間違いないのに美人ならこれも良いか、という気分にさせるのだから世の中というものは本当に不公平であった。
「じゃあ、金瀬さん。お願いするよ」
「はい。放送部の方に参りましょう」
「行ってらっしゃい。また、明日ね」
「ああ、じゃあな」
ひらひらと手を振って教室を後にする。
また美人を引っ掛けているとクラスメイトに思われているとは露とも知らずに健輔は歩夢と連れ立っていく。
1人歩きする風評の恐ろしさという物を健輔が知るのはそう遠くない話であった。
放送部での用事は直ぐに終わった。
作られた資料に書かれていたのは自分のことで間違いないのだが、妙に現実感がなく、背中がむず痒くなり、表情は苦笑いで固定されてしまう。
太陽を落とした、どんな相手でも手玉に取るなど一体どんな怪物魔導師だと言うような事が書かれていて羞恥心が湧きあがってきたのだ。
こういう物は多少誇張するのは仕方がないことだが、実際に誇張されて虚像を纏うのは洒落になっていない。
優香や桜香の気持ちを少しだけだが理解出来たと言えるだろう。
健輔よりも背負うものが多い両名には多少なりとも同情心が湧いた。
「俺なら無理だなー。日常から完璧に近いからより人気が出るんだろうけど」
チームメイトの顔を思い浮かべる。
人間、誰だって不得意なことやあまり見栄えの良くない部分があるものだが、あの姉妹からはそれが見受けられない。
深く接すれば見えてくるのだが、それは逆に言えば表面上は完璧にしか見えないということでもあった。
熱心なファンが付くのも納得できる。
そんな彼らに健輔が好かれないのもまた、道理であろう。
幻想の周りをウロチョロする現実などファンでなくても、憤慨するしかない事態である。
仮に同じ立場なら健輔も同じことを思う。
もっとも、周りにいる立場の人間として言いたいことはあるため理解はしても直すつもりは微塵も存在しなかった。
「ま、気にしても仕方ないか」
下駄箱で靴を履きかえて学園を後にする。
綺麗に掃除されていて、地元の公立中学とは比べ物にならない美しさだが放課後の下駄箱が纏う空気は同じだった。
懐かしい空気と言えなくもないこの感じが、健輔は嫌いではない。
「今日の晩飯は何にするか」
珍しくも1人でいることが多かったためか、らしくない考えが頭に過っていた。
もし、自分が魔導に関わらなかったらどうなっていたのか。
意味のない仮定だろう。
健輔の才はスポーツの才能ではなく命の危機に反応する戦闘の才能である。
仮に魔導に携わらなかったら、武道でもやらないと意味がない類のものだ。
その武道も身体的にはそこまでの才能がない健輔では上にいける可能性は低いだろう。
魔導こそが彼の天職であり、運命だったと信じている。
「ん? あれは……」
校門のところで話し込む男女3名が見える。
強化した視力はそれが誰なのか簡単に健輔に教えてくれた。
控えめに手を振る黒髪の美女と爽やかな笑顔のイケメン、そして軽く手を振ってくる知的な美少女。
どうやら健輔がまだ校内にいると知って待っていてくれたようだった。
「ははっ、まあ、こっちの方が楽しいのは間違いないな」
有名税だのファンだのめんどくさい事も多いがそれ以上に楽しみに満ちているのがこの学園だ。
このルートを選んだ事を健輔はきっと、終生後悔することはないだろう。
着実に過ぎていく時間、真由美たちと戦えるのは後僅かしかないが仲間たちとはまだまだ時間が残っている。
彼らとこの学園で戦い抜いた時に後悔が残らないように今は全力で駆け抜けよう。
健輔はそう決意して走り出す。
「悪い、待たせた!」
「そんなに待ってないですから気にしないでください」
「1人で今日はどうだった? 健輔、私たち以外に付き合い薄いからね~。寂しかったんじゃないの?」
「そうだね。でも、大輔が気を使ってくれたんじゃないかな? 健輔が構ってオーラを出してたら気付いてくれると思うよ」
「人をボッチみたいに言うなよ」
賑やかな様子で門を出て行く4人。
黄昏時の日の輝きがそれを見送る。
魔導師たちの日常、それは言うほど特別な物ではなく、どこにでもある放課後の一幕で変わらないのであった。




