第178話
国内大会を実質的に終えても彼らの戦いが終わった訳ではない。
ここから先により苛烈な戦いが待ち受けるとわかっている以上、練習には余念がなかった。
健輔だけでなくチームメンバー全員が世界を見据えてレベルアップに勤しんでいる。
しかし、魔導を習い始めて半年と少しだがそろそろ頭打ちが見えてくるの事実であった。
「……くそ。やっぱり、今まで通りだと難しいか」
いつもの練習フィールドで健輔は1人、何かを確かめるように空を舞う。
覇気に溢れる姿ではなく、どこか憂鬱そうであり、魔導に全霊を捧げる健輔には珍しい表情だった。
何度か空中での攻撃パターンを確認した後、地上へと帰還する。
眉間に刻まれた皺が彼の苦悩を示していた。
「……世界では単独は無理かな。はぁ……わかってても鬱だ」
己が未熟だと確認するのは辛い。
健輔は前向きであるがネガティブさと無縁と言うわけでもなかった。
『暗黒の盟約』戦後は文化祭の時に抱いた時とは違う悩みが彼を困らせている。
世界という舞台で戦えることは素直に嬉しいのだが、そこで戦えるだけの実力がないと恥を晒すだけで終わってしまう。
そのような締まらない事態は避けたいのだが、今のままだとそれは厳しそうだった。
「部長もあんなもの残してるんだもんな……」
真由美が見せた魔力固有化。
あれが健輔を悩ませる。
ここから先、世界で戦う相手についての詳細なデータを健輔はまだ知らない。
試合自体はまだ残っているため、ここで調子を崩さないための処置なのだが、幾分焦れったい部分もあった。
もう少し後輩のメンタルを信じて欲しいという思いもあったが、万全を期すという真由美たちの気持ちも理解できる。
喚かないだけの分別があることが悶々とした物となって健輔の内に残留していたのだ。
こういう時はひと暴れでもしてスッキリしたいところだが、事はそう単純でもなかった。
「マジでどうしよう……。部長の本気クラスを想定するとどうにもならないな……」
地面に座りこんで思うのは真由美の本気から考えられる敵のレベルだ。
桜香に関してはそこまで急激なレベルアップはないと踏んでいたのだが、予想の斜め上を爆走されてしまった。
今の桜香がどれほどなのかは戦闘を直接見ないとハッキリとはわからないが間違いなく以前よりは強いだろう。
そして、それを上回る者がいるチームと比する者がいるチームが敵なのだ。
健輔の持つ最大の武器たる万能性を力で粉砕しかねない傑物たち。
いや、粉砕出来ること考えた方がよいだろう。
敵を過小評価した結果、何も出来ずに撃破されるよりは一時の屈辱を受け入れる方がマシであった。
「単体能力での向上は、後2ヶ月では付け焼刃になるな。……となると」
健輔個人の戦闘能力はまだ伸びる余地はあれど時間が足りないという領域に突入している。
リミッターの解除により柔軟な火力の発揮も出来るようになった。
系統の切り替えも思うと同時に行える程度には慣れていた。
戦闘時の多重思考もバックス並みのレベルで習熟出来ている。
術式に関しても必死の勉強のおかげで多少のアレンジは行えるようになってきた。
強化計画は全て順調に進んでおり、遠からずダブルシルエットモードもより良い形へとシェイプアップ出来るだろう。
障害の見当たらない華々しい未来、憂鬱になる様子など健輔だけを見る限りそれほど存在していなかった。
問題は彼を取り囲む状況、敵についてである。
「あー、マジでどうしよ」
クラウディアの予想以上のレベルアップを含めて、敵が健輔の強くなる速度よりも圧倒に早い。
現時点で怪物めいた人物も含めて、勝てない相手が世界には多すぎるのだ。
彼の目標であり、相棒である優香が瞬殺される危険性のある領域などもはや想像の範囲外だった。
「……やっぱり、相談するしかないか」
健輔だけでなく優香も最近は考え込む様子が増えている。
予想が正しければ伸び悩んでいるのだろう。
『暗黒の盟約』戦では優香の長所、術式を封鎖されたことで彼女の持ち味を発揮出来ない苦しい戦いを強いられた。
相打ちに持ち込んだのは彼女の実力と機転があってのことだが、勝つことまでは出来なかったのだ。
瑠々歌は番外能力を除けば明確な格下である。
それに素の実力では勝てなかった。
これから世界で戦う上で見過ごしてはならない部分であろう。
九条優香は術式を封印すれば大したことがない、などと思われてはいけないのだから。
基礎練習などを含めて、いろいろと見直しを行っているとのことだった。
葵もまた、思うところがあったらしく何かの準備を進めている。
周りが動き始めている、その中で健輔もまた進んで行かねばならない。
「最初は圭吾かな。あいつにもメリットがあるだろうし……。よし! 着替えるか」
考えが纏まったのか立ち上がり、健輔は練習フィールドを後にする。
終わりは次の始まりへ。
立ち止まることなく、各々が新しい道へと走り始めている。
置いて行かれないように、健輔も駆け出すのであった。
部室で圭吾が和哉と机の上に展開された術式を睨む。
圭吾が以前から香奈に頼んでいた物がついに完成した。
和哉も待っていたこの術式こそが、圭吾の世界に向けての切り札である。
「……これでひとまず完成ですか?」
「うん、流石にこれ以上はシミュレーションでは難しいから実際に使ってもらう感じかな。和哉くんが相手をすればいいデータが取れるでしょう?」
「勿論、協力するさ。俺の今までの経験も詰め込んだものなんだ。ある意味で息子みたいなものだからな」
「ありがとうございます。……でも、これって扱いきれますかね」
「うーん、無理じゃないかな? ぶっちゃけると優香ちゃんクラスの術式制御能力はいるよ? 圭吾くんでは少しきついかな」
香奈の遠慮がない発言に圭吾は何の色も顔に出さない。
未熟な事についての揶揄など今更である。
怒るほどでもなかった。
事実として未熟であるし、自分をチームの明確な穴だと認識しているのだ。
そのことを最も恥じているのは圭吾自身である。
世界戦は基本的にベーシックルールで進むため圭吾が出場する機会はないかもしれない。
総合的な実力で判断すれば圭吾は出場できるようなレベルではないからだ。
しかし、それと対策をしないことは別の問題である。
圭吾は優秀ではあるが、天才からは程遠い。
準備なしで格上に勝てるどころか、戦えると思うことすら烏滸がましいだろう。
「未熟は理解してます。香奈さんがせっかく用意してくれたんだし、頑張ってみますよ」
「お、その意気だよー。うんうん、やっぱり頑張る男の子はいいねー」
香奈は嬉しそうに笑う。
圭吾の前向きな発言に感心していた。
和哉も同様の意見なのか深く頷く。
「そう自分を卑下するなよ。『暗黒の盟約』戦は悪くない出来だった。ただ、相手が悪かったな」
「水守怜、か。流石に次代のエースだよ。対応力とかも含めて立夏さんと似たようなタイプだね。圭吾くんのフィールドで戦って負けない打たれ強さもあるし、前衛系のエースとしては1流じゃないかな」
「葵よりも安定している。あいつは少し好みがうるさいからな」
「あおちゃんはそこが魅力で強みなんだけどねー。同時に欠点でもあるからさ」
圭吾の実力は同年代でならば上から数えた方が早いくらいである。
来年度ならば今の和哉や隆志、剛志のような位置づけの魔導師として十分に活躍できるだろう。
身の丈に合わない、早すぎる活用が彼の敗北を増やしてしまっているのだ。
圭吾がそれを理解出来る程に理性的だった故に、先輩たちもそこまで気を使わずに済んでいるが、これが『スサノオ』の望月健二のようなプライドが高いタイプだったならば話は大きく変わったはずである。
精神的な安定性という意味では圭吾はチーム内でも屈指のものがあった。
自身の敗北を見つめて、そこからの脱却を目指す。
言葉にすればその程度だが、実際に敗北をしっかりと認識するのは本人とっては相当に辛いことである。
それを実践し、着実に歩を進めている辺りが健輔とよく似た部分かもしれない。
頼もしい後輩の様子に先輩2人も安心していた。
「しかし、部長の能力から考えるに世界戦は連携での能力向上が重要だな」
「連携ですか?」
「ああ、やはり個々の戦闘能力の向上は限界がある。例外は九条のやつくらいだろうよ」
「優香ちゃんも桜香ちゃんに劣らずにスペック高いからね。なんか、劣等感があるみたいだけど、比較対象が悪すぎるだけで十分に優香ちゃんも天才だからさー」
「まだまだ余白があるな。そろそろ頭打ちだと思っていたんだが、まだ伸び白があるとはな。恐るべきは九条家、とでも言うか」
優香は基礎能力向上を主眼に置いているが、普通の魔導師ならば既に頭打ちだ。
鍛えればまだ伸びるという時点で比類なき潜在能力を持っていることがわかる。
普通の魔導師――スペック的にはと頭に注釈が付くが――健輔が詰まってきているのとはまさしく対照的であろう。
「そんな優香ちゃんが逆立ちしても勝てないのが女神とかだけどね。彼女、魔導競技のルールでは弱体化してるんだよ? 信じられる?」
「弱体化……? え、どういうことですか?」
「ルール上、魔導の防護を抜くような攻撃は禁止されている。固有魔力だろうが、魔力を無効化しようが空間系の防護結界であるスーツの保護は普通突破出来ないんだが……」
「彼女は突破する方法があるんだよね。マジでデンジャーだよ」
「後は単純に距離だな。女神は後衛系でも最大の射程を持っている。会場内では接近を許すからな」
創造系の空間展開などもそうだが、魔導の技の中で最も対処が難しいのは空間に関するものとなる。
展開したが最後、同種の能力を保持しているか、浸透系で空間に干渉するかの2択しか対応策がない。
基本的に魔力に対して強い破壊系を無効化する手段の1つとして広く知られていた。
圭吾も最終的にはそこを目指せるように創造系と浸透系の練習を重ねている。
この空間系の技術は魔導競技における最大の功績とも言われている『身体保護』術式にも用いられており、これがあるため普通なら死ぬような攻撃でも彼らは無傷で済んでいるのだった。
そして、当たり前の話だがルール上、この防護を無効化することは禁止されている。
基本的には記載されているだけで空間をどうこう出来る手段など桜香クラスの魔導師でも持っていないのだが、やはり物事には例外が付き物だった。
また射程が真由美すらも超えているため、本来ならば圧倒的なアウトレンジからの攻撃が出来ることも留意しておくべき点である。
「その、突破方法とは?」
「重力操作系の技術だね。空間を大きく揺らして突破が可能なんだ」
「ブラックホールまで生成できたら完全に禁止級の技術だが、流石にそこまではいかないな。それでも空間に直接干渉するのは可能だ」
「なるほど、ルール上危険だから使えない手もあるんですね」
「強力すぎるのも考え物だな。上位3名はなんだかんだでルールを突破できるだけの力がある」
「中でもあの女神は攻撃の単位が違うからねー。桜香ちゃんは個人戦に強いけど広範囲攻撃はそこまででしょう? 女神はデフォルトの攻撃が複数指定だからさ」
嘘くさすぎるエピソードとして、実際にアメリカに発生したハリケーンをハリケーンで迎撃したという話がある。
都市伝説の類だが、これが本当ではないかと思わせる程には自然現象操作能力に長けているのは間違いない。
理論上は不可能ではないがどう考えても1個人が持つ力よりも自然が発生させた力の方が上のはずなのだ。
圭吾はそれほどの化け物がいるとはあまり信じたくはなかった。
「宗則さんが可愛く見えるからねー。種類も豊富だからこちらの対策もポンポンと超えてくる可能性があるからさ」
「禁止されている重力操作だが加重を掛ける程度は許可されているからな。禁止されているのは空間に影響を及ぼす規模の物だけだ」
「世界戦は審査も厳しいからね。重力操作とかに関しては、今年のレギュレーションとか次第だからもうちょっと待たないとダメだね」
「防護結界を掛けた戦車をミンチにしたという話もある。そんな攻撃を受けるのは御免蒙りたいな」
「……魔導って戦闘利用は難しいじゃないですっけ?」
「難しいよ。ただ、例外は何事にも付き物なのですよー」
世界戦のレギュレーションはギリギリまで発表が控えられている。
もっとも年度ごとにそこまで大きな違いはない。
細かな部分、その中で最たるものは上位3名に対処するための変更だ。
真由美を見ればわかるが彼女にルールを逸脱する力はない。
しかし、世界の3強は突破するだけの可能性を持っている。
中でも女神は入学以来、運営本部を悩ませていた。
「力を発揮できない面があっても強い、ですか」
「皇帝も割と制限があるが、女神程ではない」
「みんなのためのルールが枷になるんだから怖いよねー」
能力を封印されていても世界の頂点に近い3名。
桜香は1度勝利した相手ではあるが、先の試合を見て侮る者はいないだろう。
強大な力を持つ魔導師たち。
圭吾は諦観に支配されそうな心に鞭を入れる。
仮にこの話を彼の親友が聞けばどう思うかなど火を見るよりも明らかだった。
「健輔は喜びそうな相手ですね……」
「女神はルールの枠組みの中では力を発揮しきれないタイプだ。仮になんでもありだと相当に手強いだろうな」
「ま、基本みんなそうでしょう? 女神も別に手を抜いているわけではないしね。重力操作に対応した防護術式が出来れば全力を使えるだろうしね」
「今後に期待だな」
「……世界は広いですね」
『アマテラス』を筆頭にこれまで戦ったチームも強かったがここから先は更なる警戒が必要だった。
ルールでは使えない強さ、世界の広さを知った気分である。
真由美たちがなるべく情報を隠しておく理由がよくわかった。
「技術は日進月歩だからな。まあ、次の世界戦ではそこまで考えなくていい」
「実際に女神に相対したら強さ談義とかどうでもよくなるからね。割とシャレにならないのがあっちの強さですよ」
「慢心しないように肝に銘じますよ」
「桜香を見てもわかっただろうが、あのクラスを見れば慢心などとはおさらば出来るよ。自分より確実に上だからな」
「欧州にはね、他にもヤバイのがいっぱいいるよー。うんうん、その辺りの解説も近々しないとね!」
「お手柔らかに願います」
香奈がテンションを上昇させて男2人が苦笑する。
圭吾は机の上に展開された術式を見ながら、次のステージを想像した。
自分だけは立つことが出来ない場所へ友と共に行く。
なんとも健輔が好きそうな感じである。
「……僕も頑張らないと」
親友に背負われるだけなど御免蒙る。
強豪戦での不甲斐なさに泣いた夜を胸に沈めて彼もまた世界を見据えていた。
静かなのにゆっくりと過ぎていく日々の中、万全とは程遠くとも必死に足掻く若き魔導師の姿が其処にはある。
その努力が花を咲かせることが出来るのか。
厳しい冬を前にして、誰も予想出来ないことだった。




