第113話
祭りの時期は街が装いを変える。
健輔はどこでだったかそんな言葉を聞いたことがあった。
今までいた地元などではそこまで大きな祭りなどはなく、せいぜい学校の盆踊り程度だったので祭りという空気を強く実感したことはない。
だからこそ、今日まで自分が過ごしたきたはずの街がすっかり様子を変えてしまったことに驚きを隠せなかったのだ。
「何、これ……」
都会に出てきたばかりの田舎者のように呆然としながら周囲を見渡す。
飾りつけていることは知っていたが、ここまで大規模だとは思ってもみなかった。
見慣れた街並みは異次元かと思うほど姿を変えて、人で溢れている。
時刻は午前9時。
健輔が呆然としている間にも天祥学園文化祭は盛大に開幕しようとしていた。
「クラウに連絡を取ろう」
心細さから早急に連絡を取ることを決意し、冷静にメッセージを送る。
今日ほど、己の人見知りさ加減を認識したことはないだろう。
健輔は祭りの初日に微妙な居心地の悪さを感じるのだった。
「さなえーん、これどうかな!」
後輩がそんなことになっているとは露とも知らずに近藤真由美は嬉しそうにコスプレを親友に披露する。
健輔を筆頭にチームの男性からは異性として認識されていない真由美だが、容姿は抜群であった。
快活な笑顔や魔導師としての姿勢、後は知名度と下手をしなくても学内では有名人である。
『クォークオブフェイト』内で人気投票をやって勝てる可能性があるのは優香ぐらいしかいない。
そんな超1級クラスの魔導師も今日は可愛い衣装に身を包んで喜んでいる1人の少女となっていた。
「……ああ、似合っているよ……」
「て、テンション低いね、さなえん」
そんなノリノリの真由美と対照的にこの世の終わりのような表情をしている早奈恵がいた。
生気が抜け果てて幽鬼のようなオーラを背負っている。
はっきり言って接客できるような状態には見えなかった。
早奈恵がそこまでテンションを下げていることには当然理由がある。
「そんなにその衣装、いやなの?」
「……本気で聞いてるのか?」
「ご、ごめんなさい」
真顔で問いかけられた真由美は反射的に謝ってしまう。
目が開き切った状態でこちらを見つめてきた早奈恵に下手なことを言えば、まずいと本能が訴えたためである。
目がギラギラとしていて怖かったというのもあるが。
「……お前は、私の日課を知っているよな? 当然、コンプレックスも」
「も、勿論! あ、もしかして私を疑ってる!? はっきり言うけど今回は無実ですよ!」
「無実じゃない時もあったのか? ええ」
「そ、それは今は関係ないじゃない。とにかく! 私は無実ですので当たるのはやめてください。証拠を出さないとダメだからね」
「子どもか……。ふん、今回のこの衣装が貴様の画策だったならば縁を既に切っている」
「そこまでのモノなの……」
早奈恵が不機嫌な理由となっているのは彼女が担当するコスプレが『小学生』、『幼稚園』といった早い話、その幼い容姿にぴったりのものばかりだからだ。
早奈恵は毎朝牛乳も欠かさず、あらゆる運動も試しているが一切の努力は実らず小学生のような体躯のまま成長してしまっていた。
それの脱却に賭ける思いは相当な物なのだが、そんなところにこんなコスプレを用意されば機嫌が悪くなるのも当然である。
「私は小さくて可愛いと思うって言ってるじゃない」
「お前……。本人が望んでいなければどんな褒め言葉も意味はないだろうが!」
「さなえんが怒鳴った……。しょうがないじゃない! クラスの総意で決まったものをどうして反故に出来るのさー」
「……だから、不本意ながらも着ているだろう!! これ以上を私に望むな!!」
クラスメイトたちは「ああ、いつもの2人だ」と言わんばかりにスルーして粛々と準備を進める。
クラスの風物詩である2人の喧嘩を遠目から見て微笑む人物や拝んでいるものがいるあたりかなり訓練された集団だと言えるだろう。
チームに所属していて、活躍するような選手は我が強い。
真由美たちに限らず多くの人物たちが文化祭には駆り出されている。
健輔は初日である今日の文化祭でいやという程それを味わうことになるとは露とも知らず、クラウディアの到着を切に待っていたのだった。
「すいません。準備に時間が掛かってお待たせしました!」
健輔からすれば拷問にも等しかった30分が終わり、天からの救助やってくる。
「あの人1人で何してるんだろう」と回りから噂されているような気がして落ち着かなかった彼もようやく知人が来てくれたことに安堵の息を吐く。
「おお。そんなに、まっ……てない……え――」
「あ、あの? どうしましたか?」
視線を上げてクラウディアと目を合わしたが何かが違った。
目の前にいるのはクラウディア・ブルーム、その人なのは間違いないが妙に大人っぽいのだ。
服装も制服ではなく私服で品よくコーディネイトされている。
彼女のイメージカラーとも言える黄色系統で纏められた装いはよく似合っていた。
髪型もいつもは美しい金の髪をストレートにしているのだが、今日は戦闘時の優香のようにポニーテールに纏めてある。
周囲に多くの人がいるためはっきりとは言えないが、クラウディアから漂ってくるいい匂いから判別するに香水も付けているのだろう。
本気すぎるクラウディアの装いに戦慄する。
念のため、制服でなく私服でそこそこ纏めてきたのは正解だったと言えるだろう。
仮に制服で来ていたら間違いなくこの時点で即死だったのは言うまでもない。
制服ではなく私服を進めてくれた圭吾へ感謝の念を送る健輔であった。
そんな心の動きは無視して、とりあえず言うべきをことを言うために口を開く。
女性が本気でお洒落をしてきているのだ、理由などを把握するよりも先に言うべきことがあった。
「お、おう。……うん、いや、あれだな。す、すごく似合っていたからつい見惚れてさ!」
「そ、そうですか……。よ、よかったです」
どうしてこうなった。心の中でどれほど突っ込みを入れても追いつかない。
もしかしなくてもこれってデートなのではと遅すぎる疑問を胸に外国人美少女を連れて彼は文化祭という名の戦場へと旅立つことになる。
「そ、それで? 行きたいところとかあるのか?」
「そうですね……」
照れ臭そうだったクラウディアは既に慣れてしまったのか、常と変わらない微笑みを浮かべて歩く。
周囲の視線を集めながらも泰然としている様は視線が集まることに慣れていることを示していた。
健輔のようなどこにでもありそうな面構えとは違う。
外国人であるということも目を引く要因だろうが、それ以上に彼女は美人だった。
優香とは違う形だが彼女にも華がある。
そんな美人が気合を入れた格好で己の隣を歩いていることの意味がさっぱり理解出来ないが現実となってしまっている以上仕方がない。
「まずは香奈子さんのところに顔を出したいです。普通に食べ物系をで出しているということなので。その後は健輔さんのご自由に」
「そっか。了解。うんじゃあ、いこうぜ」
「はいっ」
まったく意識していない場面でクラウディアが女だったことを意識させられて微妙にドギマギしている健輔だったが、ここを戦場だと思うことで平常心を保っていた。
平和な時代である現代は役に立たない非常時の才もこのような使われ方をするとは思ってもみなかっただろう。
ある意味で贅沢な使い方なのかもしれなかった。
隣を歩く美少女に気後れせずに対処出来ているのもそれのおかげなのだから、誰も文句をつけることは出来ないはずである。
イレギュラーに狼狽えながらも健輔はなんとか文化祭を乗り切ろうと努力を怠らない。
しかし、現実は彼の必死の抵抗も虚しく徒労に終わることなる。
次々とが襲い掛かってくる難敵の前に防衛線などいくらも持たないのを彼はまだ知らなかった。
「香奈子さん!」
居心地の悪さに耐えて文化祭で賑わう学園を歩く。
クラウディアの不意打ちのおかげもあり、景色を楽しむ余裕など欠片も存在しない健輔は念仏を唱えながら必死に心を落ち着けていた。
これでも表面上はきちんとクラウディアをエスコートを出来ているのだから大した仮面である。
女性に慣れていないため、100点とは言えないが堂々とだけはしていた。
クラウディアが笑顔でエスコートされていることを考えれば十分及第点は得られるだろう。
たとえ、心でどれだけ泣き喚いていようとも。
健輔が男泣きしていることなどまったく知らないクラウディアは嬉しそうに香奈子と談笑をしていた。
香奈子のクラスメイトの男子生徒が何人か、クラウディアに見惚れているあたり、罪作りな女である。
「どうして俺と一緒の時にあれだけ気合が入ってるんだ……」
女子が身嗜みに気を使うことは知っていたがこんな感じで理解したくはなかった。
クラウディアに見惚れていた男子数人が健輔を見て、その後に失笑していることに健輔も納得がいくぐらいなのだ。
どう考えても釣り合っている2人ではない。
健輔は自身をそこそこ肝が太いと評価していたが、そこに修正を加える必要性を感じていた。
まるで、部下と上司の理不尽な要求に挟まれた中間管理職のようなストレスに晒されている。
胃の痛みと共に胃壁が削られる感じは久しぶりであった。
「デートは鬼門かもしれん……」
クラウディアと一緒にいる時に考えるのは失礼かもしれないが、前回胃に大ダメージを負ったのもデートの時だったのを思い出す。
あの時は前日から覚悟出来た分まだマシだったが、今回は不意打ちであるため初期ダメージが大きすぎであった。
また人目も数倍になっているため、そちらも激しい攻撃を健輔に加えている。
ある意味で桜香以上の強敵だ。
むしろ、桜香の方が打倒が可能だったという意味では優しいかもしれない。
「あ、健輔、すいません。放置してしまって。きちんと話すのは初めてですかね? 我が『天空の焔』リーダーの赤木香奈子さんです」
「ん、赤木香奈子、です。よろしく」
クラスで作ったのであろう服を着て、眠そうな顔を向けてくる。
チラチラと香奈子のクラスメイトから向けられる視線にうんざりしていたこともあり、これ幸いと健輔は挨拶を行う。
「ご存じでしょうが『クォークオブフェイト』佐藤健輔です。よろしくお願いします」
「ん、借りは返す。――今度は負けない」
「――そうですか、楽しみにしてます」
眠そうな瞳が挑発的な色を帯びる。
香奈子の戦意に呼応して健輔の表情にも笑みが浮かぶ。
実にわかりやすくて良い対応だった。
クラウディアのように女らしいところを見せられる方が対処に困るのだ。
健輔は異性慣れしていないのだから。
正しく少年の心を持っている。
これで好きな女の子には悪戯をする、などまで完備していたら完璧だったが流石にそこまで子どもではなかったのは良いことだろうか。
「ん、クラウはいい子だからね?」
「へ、は、はい……」
そんな風に思っていたら香奈子の敵意は急に霧散し、今度は悪戯めいたものがその瞳に浮かぶ。
健輔はその変化にとても見覚えがあった。
快活かどうかの差はあるが、自身のチームのリーダーとよく似ている瞳だったからだ。
そう、玩具を見るようなその視線は真由美がろくでもないことを考えた時とそっくりなであった。
「ああ……やっぱり……」
「どうしたんですか? そんなに肩を落として。まるで気付いてはいけないことに気付いたみたいになっていますよ」
「間違ってないかな……」
香奈子は魔導師としては類を見ない女性だ。
執念のみで3つもの固有能力に覚醒した人物など彼女しか知らない。
健輔も世界中の魔導師知っているわけではないが、赤木香奈子は間違いなくレアケースだろう。
突き抜けた魔導師である彼女はその能力も極悪だった。
まさか自分のチームのリーダーを上回る後衛が出来てくるとは健輔も考えたことがなかったのだ。
それほど傑出した魔導師であるからなのか、暗く見えて性向などは真由美と似ている部分が窺える。
すなわち、人をからかうことが結構好きなのではないか、ということだった。
「クラウ、お前も大変なんだな……」
「へ? は、はぁ。何か悪いもので食べたんでしょうか?」
「ん、クラウは気にしなくて良い。きっと、男の子の特有のもの」
「そうなんですけか……。私が知らないことってまだまだ多いんですね」
波乱の開幕となった文化祭。
この5日間がどうなるかは神のみぞ知ることであった。
最後の行事、『鬼ごっこ』まで穏やかな日常が過ぎ去っていく。
おそらく、健輔以外の人にとっては。




