第106話
「……気が抜ける……」
机に突っ伏しながら健輔は緩みきった顔を見せる。
『アマテラス』戦から一夜明けて、ようやく浮かれ気分も抜けたのだが今度は燃え尽き症候群を発症してしまった。
国内最強最大の相手に辛勝とはいえ、勝利したのだから仕方がないと言えばその通りである。
一切の比喩なく健輔の全てを費やした試合だったのだ。
もっとも、健輔からすると些か反省する点の多い試合でもあった。
最後の最後に結局『例のやつ』に頼ってしまったり、途中、途中で桜香の底力に圧倒されたりとうまくことが運んだとは言い難い部分も多々あったからだ。
最終的には結果良ければ全て良しであるとはいえ、反省は必要だろう。
「気持ちはわかるけど、まだ半分しか終わってないよ。何よりももうすぐ文化祭なんだからしっかりしてよ」
「おうー……。……今日中には復活するから見逃して下さい……」
健輔は空気の入っていない風船のように気が入っていない返事をする。
「重症だね。昼までには復活しておいてよ」
「あー、うん。鋭意努力しますー」
どれほどの戦いを乗り越えようとも学校はある。
当たり前のことだが、少しは勝利に浸りたかったと恨み言めいたことを言いたくなった。
圭吾に言ったところで詮無きことのため、特に口に出すようなことはなかったが、妙にだるい気持ちで里奈の到着を待つのだった。
「皆さん、どうかしましたか?」
「そうですよ。お昼なんだし、もっといろいろ話しましょうよ」
昼休み、いつもの4人で食事を摂ろうするとクラウディアが声を掛けてきた。
以前は練習以外はきっちりと分けていたのだが、最近はこういう場面でも共に過ごすことが増えてきている。
そこまでは別段、問題はなかったのだ。
問題はもう1人追加されている人物である、
よく似た容姿を持っている優香に比べて女性的な印象が強いその人は笑顔で誤魔化しているのだろうが、目元が若干腫れていた。
顔に涙の跡も微妙に見える。
前に見た時はほとんど化粧などしていなかったのに今日はうっすらのメイクの跡も窺えた。
原因が思い当たるなどというレベルではない。
圭吾と美咲、優香はともかく張本人たる健輔からすると死地に居るような気分であった。
仮にこれが撃墜に対する返礼だとしたら、ドぎつい精神攻撃だった。
既に健輔は内心で白旗を上げている。
「そ、その姉さん、今日はどうして?」
「優香も普通に接してくれるようになったからもういいかなと思って。1度も一緒に食事を摂ってなかったでしょう?」
「それは……」
「後はお礼も言っておこうかな、って思ってね」
視線が桜香から見て優香の隣にいる人物、つまりは健輔に向かう。
「昨日はお世話になりました。佐藤健輔君」
貴様の名は覚えたぞ、という布告なのか健輔の心が恐怖で悲鳴を上げる。
恐ろしすぎて顔を直視出来なかった。
正面にいる美咲のこれから締められる家畜を見るような瞳がやけに生暖かく居心地が悪い。
「健輔君、どうかしましたか?」
不思議そうに問いかけてくる桜香に乾いた笑いと笑顔を向ける。
優香とは違う意味で空気が読めない。
常に場の中心にいる桜香はそういう気遣いと無縁だったからだ。
普段は人当たりがよく優しく美人、さらには母性的な側面も強くコミュニケーション能力も万全に見えるが実際のところ優香よりもひどい。
空気を読むとか、遠慮するという考えがないのだ。
「いえ……。今日はどんな御用で?」
「さっき言った通りですよ? 優香と一緒に食事を、そう思いまして」
だったら、別の日にしろ、とツッコみを入れそうになる口を必死に閉じる。
右隣に座っているクラウディアが笑いに耐えているのがやけに癪に障った。
「……ああ、もしかして私が怒ってるとか思ってますか?」
「いえ、思ってないです」
「じゃあ、どうして、その、そこまで他人行儀というか、遠慮しているのですか?」
「普通に考えてやり辛いでしょう!!」
先ほどの努力はあっさりと無に返り、思わずツッコみを入れてしまう。
今日ほど優香との血縁に納得したことはない。
優香とは別の意味で天然素材である。
「やり辛い、ですか? どうして?」
「昨日、戦った相手と食事とか罰ゲームじゃないですか! それも俺が倒した人って」
「え? ……そうなの? 優香」
「えーと、はい。……姉さんが泣き顔を隠せてないのも……」
「え、いや、泣いてないわよ。本当よ!」
優香が踏まなくていい地雷を踏み抜き、姉がまったく誤魔化せない言い訳を行う。
この場にいる全員がそれまで微妙に不思議だった血縁関係に才能以外の面で深い繋がりを感じたことで疑問が解消される。
ああ、姉妹だ、と4人の心が1つになるのだった。
「ひどいサプライズだった」
「その、ごめんなさい」
「優香が悪いわけじゃないでしょう? 桜香さんも悪気があったわけじゃないんだから、それぐらいでいいんじゃない」
「健輔、カッコ悪いよ」
「私の時といい、健輔って以外と不測の事態に弱いですよね」
優香以外の言いたい放題な3人にイラっとくるが飲み込む。
桜香に悪意がなかったことなど承知しているのだ。
落ち着いた時に話し合う約束を取り交わしたのもそれがわかっているからである。
国内最強の魔導師はどうやら健輔を認めてくれたのか、いろいろと聞いてみたいことがあるらしかった。
光栄であるし、とても嬉しかったのだが流石に翌日は勘弁して欲しい、やり辛いことこの上ない。
「……お前ら好き放題言いやがって」
「仕方ないじゃない。優香もそう思うでしょう?」
「の、ノーコメントで」
「九条さんも柔らかくなったもんだ」
「私としては以前の優香の方が気になります。どんな暴れ馬だったんですか?」
「今日の桜香さんみたいな感じだよ」
「……ああ、なるほど」
「く、クラウ? その目はなんですか!」
「いえ、姉妹なのだな、と。健輔も大変ですね。難儀な方を呼び寄せる」
クラウディアが同情したような目を向けるが、健輔からするとクラウディアも同類だった。
本人ばかりが気付かない。
自分のことは案外見えないというのはどうやら世界共通らしかった。
「どうしたのですか? そんなに私を見つめて」
「いや……、礼を言ってなかったと思ってな。サンキュー、お前からのプレゼントが役に立った」
「使いこなしたのは健輔ですから。私も自分の切り札が学園最強撃破の一助となったのは素直に嬉しいです。本家よりも使い勝手と錬度が高いのはあれでしたけど」
「お前の本家本元は『雷』の出力が高すぎるんだよ。俺のはパワー不足だけど、その分小回りが利く」
同じライトニングモードでも性質はかなり異なる。
健輔のは低燃費で馬力が上がる良いこと尽くめの切り札だが、クラウディアのはまだまだ問題が多い。
はっきり言って後発である健輔の方がいろいろと改良されているのは当然だろう。
「ま、俺のデータは提供するよ。頑張って『アマテラス』を倒して世界戦に出場できないようにしてくれたまえ」
「データはありがたく。勿論、やるからには必勝の心構えでいきますよ」
凛々しく、自信に溢れた物言いは彼女らしかった。
健輔が進めている計画の中でも変換系は最大の切り札となるものだった。
まだまだ応用できる範囲はいくらでもある。
そんな力を与えてくれた友人に彼もエールを送るのは吝かではない。
「頑張ってくれ。世界でお前と決着を付けるのも良いかもしれん」
「ふふ、そうですね。今度はリベンジさせていただきますよ」
どうせ戦うのなら気持ちの良い相手が良い、それは双方納得出来る理屈であった。
クラウディアも、そして健輔もかつて戦った時よりも強くなっている。
どちらがより成長したのか、それを競うのはきっと楽しいだろう。
優香が目標だとするならば、クラウディアはライバルだろうか。
才能という物差しは変わらないが何故関係に違いが現れたのか、健輔にもわからないのだった。
「なんでそんなに不機嫌なんだよ?」
「いーえ、怒ってませんよっ」
活動を終えて2人での帰り道。
微妙に膨れた様子の優香に困り果てる。
昼にクラウディアと別れてからどうしてなのか、こんな調子だった。
子どもっぽいというか、まんま子どもである。
半目でこちらを見ているし、微妙に大股で歩いていて、全身から怒りアピールをしていた。
随分可愛らしい怒り方だが、健輔は居心地が悪い。
「怒ってるじゃん……」
「何か言いました、か!」
「いいえ、何も……。お、女はわからん……」
理不尽な怒りに晒されながらの帰宅。
本来なら圭吾と美咲もいたはずなのに優香の様子を見た2人は笑顔で健輔を送り出した。
友達を見捨てるとは見下げたやつらである。
仮に逆の立場なら健輔も同じことをしただろうことを棚に上げて、理不尽に嘆いていた。
それきり無言での帰宅になるのかと身構えていたのだが、寮に近づくにつれて優香の態度に変化が生じ始める。
まるで、何かを思いついてそれに悩んでいるかのような表情だった。
「でも……。やっぱり、あっ……どうしようかな……」
何やら独り言をぶつぶつと呟いている。
怖い。一体何を考えているのか物凄く気になった。
ここに美咲がいたら頭を抱えただろう。
そんなところは似なくていいのに、と。
健輔すら知らないところで優香の健輔化という恐ろしい現象が進んでいることを感知している人物は幸いにもここには存在していなかった。
良くも悪くも素直で影響を受けやすい優香は身近な人物の癖を貰ってしまうのだ。
優香がやっているから怖い、程度で済んでいるのであり、健輔がやった場合は推して知るべしである。
自分の癖が移った結果だとは露とも知らない健輔は意を決して優香に話しかけてみた。
「さっきから何、独り言漏らしてるんだ?」
「ひゃい!! え、き、聞こえてましたか!?」
「うん、恥ずかしいとか、なんとか」
茹蛸のように顔が真っ赤になっていく。
肌が白く、きめが細かいため赤い色が良く映えた。
微妙に涙目になりながら、ワタワタし始めた優香に和むものを感じる。
同時に健輔は聞き方を間違えたと深い後悔に囚われるのだった。
「落ち着いたか?」
「す、すいません……。その……醜態をお見せしました」
「いいよ、別に気にするほどのことじゃない」
あまりに混乱していたため、寄り道を敢行するとようやく優香が落ち着きをみせる。
買ってきたジュースを手渡し、健輔もベンチに腰掛けて様子を窺ってみた。
「…………」
「……落ち着いたなら帰るか?」
「も、もうちょっと待って下さい」
落ち着いたはいいが今度は考え込む様子を見せている。
隣でうんうんと唸っている優香を含めておそろしく居心地が悪い。
まどろっこしいのはあまり好きではないのだ。
健輔は決めた後に熟慮するタイプなのでこういう間が好きではない。
優香にあたるようなことはなかったが切実にこの空間から解放されることを望んでいた。
「そ、その!」
「はい?」
「えーと、け、健輔さんは文化祭どうされるんですか?」
「文化祭?」
ようやく優香が口を開けば出てきたのは文化祭のことだった。
確かに開催まで後2週間に迫り、徐々に学園だけでなく街全体にお祭りムードが漂い始めていた。
とはいえ、まさか優香の口からその話題が出てくると考えてもみなかったことである。
真由美ならいざ知らず、優香はこういう話題には興味がないのだと健輔は勝手に思っていたからだ。
「文化祭、ね……」
「え、えーと、答えづらいことなら……べ、別に構わないんですけど……」
「いや、答えたくないわけではないんだけど」
クラスの出し物も免除されているし、1日寝るのもありかな、と男子高校生にあるまじき詰まらないことを考えていたのだが、それをそのまま言うのは憚れた。
かと言って何も考えてないです、というのもなんだが情けない。
大したことのないプライドだが皆無というわけではないのだ。
「あー、うん、予定ないよ」
「え? その、ご友人と回ったりとかは? 高島君がいますよね?」
「あいつは大学部に顔出しに行くから俺はねー」
圭吾の目的を考えればはっきり言って健輔は邪魔である。
それぐらいの空気は読める。
ここで付いていくとか言い出したら、圭吾は当日健輔を部屋から出れないようにするぐらいは実行するだろう。
長年の付き合いから健輔はきっちりと退避していた。
代わりにやることもなくなってしまったのだが。
「葵さんとかは?」
「なんだかんであの人真面目だから、ちゃんとクラスの手伝いだな。俺たちのクラスも魔導関係をやってくれたらなんとかなったんだけどな」
「で、でしたら、私と回りませんか?」
「え?」
一瞬、幻聴もしくは耳が壊れたかと思ったが真っ赤な優香を見るに現実らしい。
回る、誰が誰と。
健輔の頭脳は戦闘時並みの速度で高速回転をする。
これはもしかするとそういうお誘いなのか。
「うぇ、あ、え? 優香はクラスの方に出るんじゃないのか?」
「1日だけです。ずっと拘束されるのは流石にあれでしたので」
前日準備と開催期間は5日間で後は終日片付けの大体11月頭の1週間を使って行われる文化祭。
優香は1日だけクラスの方に出るらしい。
「ど、どうでしょう?」
「あー、うん。いいよ、やることないしな」
この期間中は試合も完全に停止している。
当然、練習なども禁止だ。
そのため、健輔は最終日夜に行われる鬼ごっこまで何もやることがない予定だった。
優香から誘ってくれたのだから断る理由はない。
「あ、ありがとうございます!」
「い、いや、こちらこそ」
優香は花が開くような満面の笑みを見せる。
まっすぐな感謝を直視できず顔をそらす。
そこから2人はまっすぐに寮へと帰る。
後日、健輔は女子から誘わせたと葵から理不尽な制裁を受けることになるのだが、彼はそれをまだ知らなかった。




