怪物大公から人生相談の手紙が来ましたが、私、あなたの妻ですけど!?
数ある中から選んでいただきありがとうございます。
カーディス・モルンは怪物大公と呼ばれている。
先の大戦で残虐で冷酷非情の印象を貴族界に刻みつけた。
大戦の長期化により、婚期を逃したカーディスは今年で三十歳。
大戦での恐ろしい印象により、名乗り出る貴族令嬢はいなかった。
公爵家どころか伯爵家すら沈黙。
焦った王家は──“こっそり”口伝えで募集をかけたのだ。
“貴族としての爵位があれば誰でも立候補を許可し、王家から口添える”
真っ先に手を挙げたのがルセル男爵家のネアだった。
* * *
すべてが順調だった。
婚約もすぐに執り行われて、結婚も滞りなく盛大に行われた。
一番喜んでいたのは王家、いや、大公家……いや、私、ネア・ルセル。
ネアはこの世界に原作があることを知っていた。
『怪物大公の娘に生まれましたが、なぜかめちゃくちゃ溺愛されています』に出てくる怪物大公に特徴が一致する。
黒髪の琥珀色の瞳、胸元は外からでも分かるほど隆起している大柄な身体。
ただ一つ原作と違うのは、娘がいないのである。
ヒロインでないネアがカーディスと結婚したからだろうか。
ネアは男爵家であり、公爵家のカーディス。
同じ貴族でありながら身分違いだった。
まさに届かぬ存在。
それが王家から通達を耳にした瞬間、父の部屋へとスライディング土下座。
父は目を丸くして「どこでそんな異文化儀式を覚えてきたんだ!?」と声を荒げた。
心の内で盛大に舌打ち。
優雅な笑顔の後、毅然とした態度で細かく、細かく説明。
父の驚愕めいた顔は、娘を取られた妬み顔に変わる。
一時間後、父は呆れ果てた顔へと変わった。
ネアはカーディスの魅力を余すことなく父へと伝えたのである。
ネアの話の最中、父が決意したように『分かった』を何度も零すのを無視して、カーディスへの熱い想いを伝え続ける。
『ネアの気持ちは十分に分かった』と言い始めてから三十分後、ようやくネアは口を閉じた。
もう一度、ネアの口が開いたときには災いでも起きるかと思うほど、狼狽する父。
『それで王家にお返事を出してほしいのですが──』とネア切り出す。
熱心に頷いた父は『今すぐ出そう』とネアの顔を必死で見つめた。
ネアは顔を綻ばせたのだった。
* * *
すっかり夫婦として慣れた、ある日の夜──。
ネアはベッドの上でカーディスがやってくるのを見ると、濡れた瞳を向けて首を傾けた。
「カーディス様、抱いてください」
色気の滲むナイトガウンの隙間からのぞく筋肉にネアの心は暴走する。
(私の旦那様、素敵すぎる! 超好み! 今日こそ私を食べて!)
中身は日本人の肉食女子、いや、猛獣系女子?
カーディスは眉一つ動かさず、ネアの正面にやってくる。
カーディスの無骨な手が、柔らかな髪を後ろからなぞる。
ネア、思わず小さく息。
そして、頬にそっと口づけ。
そこで短く力を抜いた口から漏れる吐息が耳をくすぐる。
(きゃー! ご褒美すごい! 尊死案件確定!)
たくましい腕に華奢なネアの身体はすっぽりと包まれる。隆起する胸板の“サービス”付き。
ネアの心情は最高潮! ストップ高!
「ネア、おやすみ」
そう言うとカーディスは腕を解いてベッドに横になった。
置いてけぼりのネア。期待は大暴落。
(まただわ……これはただの抱きしめるという行為ですの!
これじゃあ“おやすみのほっぺにキス”と“ハグ”だけじゃない。
『ダディ、おやすみ。大好きよ』って外国の映画くらいしかやらないわよ!)
心の中では、部屋の調度品すべて壊すくらい地団駄を踏み荒らした。
このネアの毎晩の挑戦はいつしかおやすみの挨拶の習慣に成り下がっていた。
* * *
しばらくして──。
カーディスが遠征に出かけると、ネアのドレッサーの表面に転移魔法が放たれた。
光の輪は宙へと帯のように伸びる。
空気中に光が分散してなくなると一通の手紙があった。
「早速、手紙を下さったのですね!」
すぐに手紙を読み始める。
『聖女様、突然このような不躾な手紙を出すことをお許しください。明後日、貴殿のいらっしゃいます懺悔室へお伺いしたいのですが、確実な予約をしたいのです。
実は内密な相談がありまして──』
「聖女様? あら? これは私宛では……?」
すぐに推理が始まる。
(まさか座標ミス!? うちのドレッサー、神殿じゃないのに!)
ネアは慌てて返事を書く。
『そのように心の内に複雑な想いを秘めている方は、たくさんいらっしゃいます。内密なのですから、このまま文にてご相談をお伺いします──』
ネアの下心が暴走する。聖女の代わりに文のやりとりを提案。
落ち着かない気持ちで部屋を何度も行き来する。
届いた手紙。
無駄のない動きでエレガントキャッチ。
『実は妻とは結婚して11ヶ月になりまして──』
『一回目の記念日には彼女の好きなパティスリーへ行き──』
『二回目は彼女のチャーミングな瞳と同じピンクダイヤモンドを──』
カーディスは結婚記念日の十一日に合わせて毎月十一日にお祝いをしてくれる。
“付き合いたてのカップルか!”と嬉しさのあまり心の中で何度もカーディスに抱きついた。
その手紙は、感情の記録みたいに詳らかだった。
「それにしても、私の好みをよく知っているし、細かいことに気がつくからどんな敏腕侍女長なのかと思ったら、カーディス様ご本人がすべて手配していたなんて……」
(尊い! 最高すぎじゃない!? 控えめに言っても永久保存レベル!)
ネアは手紙を抱きしめて身悶えしていた。
そうそう、忘れるところだったが相談内容は結婚一周年を迎える盛大なお祝いをしたいとのこと。
『ここはサプライズもいいですが、あえてご本人に聞くことも良いかと思います。結婚一周年は二人でお祝いしたいものですから』
自分へのお膳立ては完璧だった。
* * *
遠征から帰ってきたカーディスはベッドの上でかしこまって話を切り出した。
もちろん結婚一周年について。
(今日のカーディス様は浮足立っているわ。だって声にこんなに抑揚があるんですもの)
ネアにしか分からない違いだった。
二人でお祝いを考えるのが楽しすぎて聖女の代わりに手紙をやり取りしてしまった謝罪をすっかり忘れていた。
当日は素晴らしかった。
まずはお揃いの柄の一張羅でお出掛け。
思い出の場所を巡りながら記憶をたぐり寄せて、思い出話に花が咲く。
盛り上がって思い出話をするのはネアだけで「うむ」「そうだ」とカーディスは短い相槌を打つだけ。
相槌にも今までにない抑揚。
お昼には食後に大好きなパフェを頬張り、午後は観劇。
夜にはバルコニーで花火のような魔法弾が夜空を飾る。
その下で甘い口づけをした。
ネアは幸せを噛みしめた。
* * *
しかし幸せな日々は長くは続かない。
最近やたらと席を外すし、お茶会の回数も減った。
そしてやんわりと距離を置かれる。
今までは“いつでも”触れられる距離だったが、今はベッドも別々になった。
(これは倦怠期? 女の影? 何が起きているの?)
ネアは頭を抱えた。
目を閉じれば先程、距離を取られた時にカーディスからの“拒絶の目”。
脳裏に思い出した時、膝から崩れた。
(やっぱり娘ができないからシナリオが崩れた? 魅力が足りない? それとも色気? それは絶望的!)
集まらない胸元の肉。希望は解散。
その時、懐かしい光の輪。
ドレッサーに駆け寄った。
一通の手紙。
内容を読んでみる。
ネアは衝撃のあまり手紙を落とした。
「カーディス様が不治の病……ですって!?」
『聖女様、先程は治療をありがとうございました。やはり理由は分からないようですね。聖水でも治癒しないなんて……妻になんて伝えたらいいのか──』
この世界では、神殿での治療でほとんどのものが治ってきた。
それなのに治らないなんて……。
* * *
夜遅くに帰ってきたカーディスは物音を立てないように忍び足で動く。
ネアが敵兵だったら、百回ほど命を落としている。
カーディスの気配に息を大きく吸い込むと、わずかに声が漏れた。
「カーディス様、不治の病とはどういうことですか?」
ベッドの上で正座をして待っていた、ネアは眉をひそめる。
膝に置いた拳は震えている。
カーディスの目は揺らぐ。
悔しそうに顔を歪めた。
ネアが初めて見る表情。
「どこから聞いたのかわからないが、これは治らない。もしかすると君にも感染るかもしれない」
「うそ……」
両手で口を覆った。
ネアの大好きな人。
不器用で誤解されやすいけど、心優しく繊細な人。
私に抱えられないほどの幸せと愛をくれた人。
毎日がこんなにも鮮やかで楽しいものだと思っていなかった。
時が止まったようにセピアに色褪せていく。
声がうまく出ない。
「なにか……手立てはないのですか……?」
「神殿で治してもらっても、また症状が再発した。見たこともない病なんだ。君に危険が及んでほしくない」
カーディスは拒絶の手をこちらに伸ばす。
(信じられない、信じたくないわ!)
「どんな症状なのですか?」
(私は諦めたくない! 日本にいた時の知識を今使う時よ!)
カーディスが頭を垂れた。
怪物と言われた面影はもうない。
「……かゆいのだ」
「へっ?」
カーディスは青ざめたかと思いきや、顔を紅潮させる。
「なぜかとてもかゆいのだ。足の指先が、指の間が……大戦でもこんなことはなかったのに⋯⋯屈する自分にも悔しい!」
ネアは「あ⋯⋯」と小さく声を漏らし、勘づいた。
「それは足の指の皮が剥けたり、じくじくと強いかゆみや白くふやけた状態になっていますか?」
落ち着いた機械のオペレーターのようなトーン。
「そうだ。かゆくて頭がおかしくなりそうだ」
カーディスは苦しそうな声を絞り出す。
「治療の後はもしかして同じ靴を履かれて帰宅?」
「……? そうだ。治しても何度もぶり返す、地獄の呪いだ」
ネアはカーディスに同情しながらも下を向いて身体を震わせた。
(水虫で不治の病だなんて⋯⋯カーディス様、頭も抱えて可愛すぎる! この世界にはないのかしら? 治るのよ。カーディス様、治るのよ〜!)
「ん゙ん゙っ! ん゙んっ⋯⋯カーディス様⋯⋯それは治りますわ」
「本当か!? これは治るのか?」
「えぇ、本当です」
顔を輝かせたカーディスの可愛さに身悶えするネア。
(可愛い〜! 推せるわ〜! 大好き!)
「ネア、本当にありがとう!」
「あっカーディス様、素足で近寄らないでください」
水虫を不治の病だと勘違いしたカーディスの可愛さを何度も脳裏でリピートした。
* * *
水虫が完治したある日──。
お茶をしていたカーディスが突然思い出したように切り出した。
「そういえば、不治の病のこと、誰から聞いたんだ?」
ネアは盛大に面食らった。
ドレッサーから手紙を持ってくると、
スローモーション土下座──。
が、完成する前に止められた。
「まさかとは思うが、君は聖女だったのか?」
「いえ、身分《聖女》を偽っておりましたわ」
カーディスはしっかりと頷いた。
「やはり……聖女だったか」
「違います、妻です!」
首を横に振るネア。
カーディスはネアの両肩に手を置いた。
「……妻が聖女でも構わん」
(話が進まない!)
このあと誤解を解くのに二十分苦戦。
真相を聞いたカーディス。
大きなため息とともに床の方を見た。
「ということは、私が相談した内容はすべて知っているんだな?」
「えー、あ、はい。あのカーディス様のこと、私大好きですよ」
黒歴史を知られた少年のように頭をかき乱すカーディス。
「ならば⋯⋯⋯⋯私の気持ちも知っているんだな」
「合点承知の助でございますわ」
「ガテンショー・チノスケイ?
それは誰なんだ? 君は私の知らないことばかりだ。全部調べさせてもらうからな」
カーディスのふっきれた顔。
初めて見る表情、脳内に名前をつけて保存。
「ふふふっ⋯⋯全部調べてくださるの?」
ネアは大きな期待と興奮、それに少しの恥ずかしさ。
カーディスの大胆さと喜びに嬉しい悲鳴をあげる。いや、恥ずかしさかも。
だってこれから、これから『娘』ができるかもしれないから!
まだ夜は始まったばかり。
「やっ、やっぱり、ちょっとタイム〜!」
珍しくネアの狼狽する声と楽しそうに笑うカーディスの声が飛んで、跳ねて──夜はゆっくりと更けていった。
怪物大公から人生相談の手紙が来ましたが、私、あなたの妻ですけど!?(完)
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