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小話.『ミチ、その詩を知る』

 




 ◆ミチ、その詩を知る



「―――ぶっ、ふぁぁ!!?」


 それはキルヒ王国内、宿の食堂にて昼食をとっていた赤茶髪の少女―――ミチが直面した出来事である。


 彼女は今、1人である。旅の供であるルイナは現在沐浴の真っ最中であった。

 彼女達の間では、いつの間にか別々に沐浴するのが習慣づいてしまっており、ミチが沐浴している間にルイナは部屋で荷解きを行ない、ルイナが沐浴している間にミチは食事を取る、というのが常の宿泊形態(スタイル)となっていた。


「ふあぁっ!? げほっ! げほっ!!」


 そして今、彼女は盛大に飯を噴き出していた。

 さらに、変なところに飯が入ったのか、咽せ返る。ドンドンと己の胸元を叩き始める。


 必死である。彼女は寸分の間飯で溺れ、喉につっかえていたものを水と共に無理やり飲み下したところで、ようやく人心地つけたのだった。


「っ、っ、ふぅ~、た、助かったぁ……って、落ち着いてる場合じゃないわ…!」


 独りちる。彼女はその吊り上げられたまなこでもって、咽せ返った原因たる彼の顔を見やる―――その彼とは、食堂の奥で詩を謡っている吟遊詩人であった。


 彼の詩は佳境に入る。少年達を襲ったオーガの前に颯爽と現れた2人組。赤毛の魔術師『暴風』は棍棒の一撃を風魔術で往なし、その隙に躍り出た銀髪の戦士『白銀』が、一筋の閃光となってその場を駆ける。

 その鮮烈な出で立ちは詠歌特有の言い回しによって英雄的ヒロイックに、且つ劇的ドラマチックに謳われる。


 それを聞いて、ミチの動悸は激しくなる。

 ―――待って。ちょっと待って! 嘘でしょ?! やがて、その動揺は内側に収まらず、冷や汗となって体外にも表われ始める。


 ―――謡われているその話について、ミチには聞き覚えがあった。いや、身に覚えがあると言った方が適切であった。


 それは今より2カ月前、冒険者となって最初に立ち寄った町ヒヒトネスコでの出来事である。コボルトを狩りに行ったつもりがオーガと遭遇し、その場に居合わせた少年達を助け出したことがある―――今、謡われている詩は、まさしくその時のことではないのか。


 何故、そんな超局地的な出来事が詩となり、くだんの町より離れたこの町で聞く羽目になっているのだろうか。


「あり得ない……いや、絶対におかしい、おかしいわ、なんで、どうして……」


 彼女はその柔らかそうな髪をくしゃくしゃに搔きむしり、呻く。


 ……いや。絶対におかしいし、あり得ないのだ。ミチは沈みゆく心持ちを無理やりに奮い立たせ、今一度吟遊詩人の彼を見やる。


 どこかで自分達の知る話と食い違ってくるはずだ―――ミチはそう信じ、願い、懇願の気持ちでもって彼が謡う詩に耳をそばだてた。


「おっ、なんだい。嬢ちゃんもあの詩が好きなのかい?」


 そんな風に彼を見ていると、隣のテーブルから壮年の冒険者が話しかけてくる。赤ら顔の酔っ払いであった。


「………」


 ミチは彼の問いかけに対し、応じるか刹那の間、逡巡する。


 普段であれば適当にあしらうような相手である……だが、今は少しでも情報が欲しい。ミチは彼の瞳へと視線をやり、そこにまともな会話をし得るだけの理性があるのを認め、相対することにした。


「いえ、初めて聞きました。もしかして、最近出来た詩だったりしますか?」

「おう、そのはずだ。なんでも王都寄りの町であった最近の出来事を詩にしたって聞いてるぜ……でも、すげぇよなぁ。その『白銀』ってやつ、強すぎるからって戦士なのに杖を武器にしてるんだってよ。不殺の心構えってやつだな。そこまでするなんて、よっぽど強いんだろうなぁ……しかも、めちゃくちゃ可愛いって話らしい。一度見てみてぇなぁ……」

「そう、ですね……」


 彼は酔っ払いである為か、饒舌に語る。

 その語りを聞きながら、ミチは表情が苦り切っていくのを止められなかった。


 彼の話が長すぎるからでも、彼の息が酒臭いからでもない。

 あの詩が古い英雄譚のそれでなく、自分達を謳ったものであると確信してしまったが為である―――そんな、『杖を武器にした』、『銀髪の』、『美しい女戦士』という条件を満たした人物がこの世に2人といるとは思えなかった。


 ―――ただ、不幸中の幸いなのは、『暴風』と呼ばれている―――何故そんな暴力性溢れる名前になっているかは知らないが、魔術師(ミチ)の方は描写が少なかった。


  『白銀』は外見から人物像に至るまで、やたらと細かい描写があるにも関わらず、『暴風』の方は赤毛である、風の魔術を使ってオーガの攻撃を往なした、と謳われる内容もその2点のみである。

 それだけの情報しかないのであれば、あるいは気にしなくても―――


「いやいや、ダメでしょ。あぁぁぁぁ………」


 ミチは、とうとう頭を抱え込む。やり場のない焦りと後悔の念が、彼女の口より唸り声となって出ていく。その様子を隣のテーブルの彼は不思議そうな面持ちで見るのだが、そんなこと知ったこっちゃない。


 その詩では、彼女にとって最も広まって欲しくない部分が詩となってしまっていたのである。


 たしかに、謡われている情報のみで、行きずりの他人が自分を『暴風』であると察することは、まずない。人前で風の魔術を使う時はひと並みになるよう加減に注意しているし、赤毛の魔術師なんてそれこそいくらでもいる。


 そもそも、詩では性別すら明かされていない、全く焦点の当たっていない端役である。そんな中、『暴風』であることを疑われても適当に誤魔化し切ることなど容易である。


 だが、しかし、それでも―――件の者は悟るだろう。この詩を聞けば、『暴風』と謳われている者がミチである可能性に思い至るだろう。棍棒の一撃を風魔術で往なせる者など、この世に決して多くないのだから。

 ましてや赤毛の魔術師などと聞こえれば、確信めかれてもおかしくない。


 ―――不味かった。()に自分の居所を知られることは、何が何でも避けねばならない事態であった。


 故に彼女は考える。どうすれば件の者に居場所を知られずに済むか、その方法を必死で模索する。


 今謡われている詩を即刻止めさせるか? ―――いや、そんな行為に意味などない。この詩の発祥は今は遠いヒヒトネスコであり、口伝でもって広まったものであると推測できる。最早彼の詩を止めさせたところで、その伝播は止められない。


 であれば、その伝播を止める手段はないか? ―――あるわけがなかった。唯一あるとすれば、とんでもない悪事を働き、『白銀』と『暴風』は謡われているような人物ではなかったと英雄譚を塗り潰すことくらいである。

 だが、そんなことしたくもないし、したところで今度は悪名が轟き、厄介度が上がるだけである。


 ―――なれば、取れる手段はただ1つである。ひたすらに、自分が『暴風』であることを世間にばれないように立ち回る。この策に尽きる。


 件の者も、詩を聞いてその『暴風』なる者が本当にミチであるのか確認する為に情報を仕入れるだろう。だが、世間が『暴風』の正体を知らなければ情報は入ってこない、足取りは掴めない、そもそも実在するかも分からない。


 そうなれば、件の者も探すことを諦めてくれよう。うん、そうだ。そうに違いない―――そう思い至ったミチは、心に一時の平穏を取り戻したのであった。


「……うん、何とかなりそ―――」

「お待たせしました。ミチさん」


 ―――しかし、そんな『一時の平穏(げんじつとうひ)』は、とある者の来訪によって儚くも崩れ去ったのであった。


「……あ、え、…ルイ、ナ?」

「……? えっと、はい。私、ですよ? あっ、すみませ~ん! お水1つくださ~い!」


 それはミチの呟きに対して不思議そうに小首を傾げながら、対面の席へと腰かける。そして元気よく声を上げ、店の奥へ注文を送る。


 彼女の名前はルイナ。銀の髪を有し、絶世の美貌を備え、他を圧倒させるような力を内包する―――まさしく、詩で謳われている『白銀』、その当人であった。


「ぐっ、あぁぅぅぅ……」


 ―――不味い。非常に、不味い。

 ミチは先までの己の考えが甘すぎるものであったと自覚し、喉を低く唸らせるのであった。そんな様子を、ルイナはますます不思議そうな顔で見返してくるのだが、そんなことも知ったこっちゃなかった。


 自分1人であれば、『暴風』であることがばれないよう立ち振る舞うことなど容易であった。だが、その隣に『白銀ルイナ』がいれば別である。『白銀』の隣に立つ赤毛の魔術師は、即ち『暴風』以外ないのだから。


 彼女は目立ち過ぎる。

 その銀の髪はまずもって珍しい。ルイナ以外の人間種において、銀の髪を有している者をミチは見たことがなかった。

 また、その美貌。洗練されたその美しき容姿はただそこにいるだけで目を惹く。老若男女問わず、視線に乗せる感情は様々であろうが、やたらと注目を浴びる。

 故に―――


「おっ、なんだ。嬢ちゃんたちも2人組なのか! 『白銀と暴風』と一緒だ、な……?」


 先にミチへ声をかけてきた壮年の彼が、新たに席についたルイナを見て再び声をかけてくる―――が、その視線はルイナへと釘付けになる。


 今、彼女はそのケープについているフードを被っていない。彼女の髪の扱いに注意しなければならないのは夜間のみであり、吸血鬼が存在しないはずの昼間においては、むしろその白銀の色を曝け出させている。

 夜間、想定外に彼女の髪が明るみになってしまったとしても、昼間に一度でもその姿を見ていればヒトは彼女のことを吸血鬼とは思わないからである。


 故に、壮年の彼はそれを見てしまう。沐浴上がりで常よりも艶やかに白銀の輝きを放つ、彼女の美しき髪を―――


「……あっ」


 更に彼は見る。銀の髪の向こうに並ぶ、整った眉目を。

 切れ長の瞼に透き通った深紅の瞳。可憐な花の蕾を思わせる、薄紅色の小さな唇。

 鼻は立ち、顎は小さく、頬には女性らしい若干の肉付き。肌の色は柔らかな雪を思わせる白であり、その色には濁りも染みも1つとしてなく、服の襟元に隠れるまで幻想の雪原が広がる。

 そして服に隠されようとも分かる、線の細さと2つの双丘の存在感。


 あまりに惹きつけられる美であった。大人の色香はなく、未だ少女としての未熟さが垣間見える身体つきではあるが、それが見る者に幻惑をもたらす。美と未完成は両立し、彼の心に大きな楔となって穿たれる。


 既に虜。彼は美の魔性に囚われ、彼女より目を離せなくなっていた。


「……あ?」


 そうして彼の目線はとうとう、それに行き着く。彼女が持つ白い杖へと。

 普段であれば何とも思わないそれも、先に話題へ上がった詩の内容が彼の脳内で反芻はんすうされ、もしやという閃きに至ったのであった。


「お、お前、もしかして『白銀』か?!」

「ハクギ……? いえ、違いますけど……」


 彼は問う。白銀の髪をなびかせ、圧倒的美をかざし、杖を持つ彼女自身が、謳われる『白銀』その者でないかと。


 しかし残念なことに、それに応える者は『白銀』が何たるかを知らなかった。故に答えは否。ルイナはいきなり訳の分からないことを訊いてくる者へ、不審に細めた目でもって対するのであった。


「え、知らない…のか? ほら、あの詩。有名だろ?」

「詩?」


 そうして彼は背中越しに吟遊詩人を指差す。ルイナは差された彼の方へ集中し、その謡われている内容を―――


 ―――パチィンッ!


「ご、ご馳走様! さあルイナ、部屋へ戻るわよ!!」


 ―――と、そこで盛大に手を打ち鳴らし、ルイナの手を引き、強引に立たせる者がいた。

 もちろん、その者とはミチのことである。


「ミ、ミチさん? え、ええっと、どうかしました?」

「何でもない! 何でもないから!! ささっ、早く戻りましょ、さあ行くわよ!」

「わ、わわっ、ミチさん、何か強引……」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、話を―――」


 足早にその場を去ろうとする彼女達に制止の声がかかる。しかし、その言葉は途切れる。


「ひっ…?!」


 ミチは声をかけてきた彼を無言で、しかし言葉を発する以上の圧でもって鋭く睨む。これ以上引き留めるなら覚悟しろよと、異常に見開かれた目でもって語る。

 最早殺気めいたものすら感じるその眼力に、彼は引き攣った悲鳴を上げて引き下がる。最早、その口から引き留めようとする勇気は漏れてこなかった。


 ―――そうして、障害のなくなった彼女達は足早にその場を去るのであった。

 残された彼はただ、呆然とその後ろ姿を見送る他なかった。













 ―――こうして、ミチはこの日の窮地を脱し、何とか自分達が『白銀と暴風』の2人組であることを世に知られずに済んだのであった。


 だが、それはほんの一時しのぎでしかなかった。

 その後訪れた町でも、件の詩は彼女達を待ち受けていたのであった。ミチはその詩に出会い、正体を問われる度に挙動不審に惑い、焦り、逃げ出した。一方のルイナはそんな彼女のことを不思議そうな目で見続けたのであった。


 幾多の窮地を首の皮一枚で乗り越えながら、とうとうミチは確信した。最早詩との遭遇は避けられないのだと。


 ―――であれば、自分が『暴風』であることをバレずに済む方法はただ1つ、より詳細に謡われているルイナの特徴を全て隠す他に方法はない。


 特徴を隠すとは即ち、銀の髪や顔など目立つ部位を全て覆い隠し、個性を埋没させ、万が一にもバレぬよう他者との接触を無くさせることである―――が、そんな非道い仕打ちをルイナへ強要することなど出来るわけがなかった。


 故に、どうしたか。


「―――もう、いいわ……あたしが『暴風』よ……」


 諦めた。


 隠れることも誤魔化すことも諦め、暴風であること(それ)を認めたのである。


 こうして世に『白銀と暴風』の2人組の正体が知れ渡ることになる。

 彼女達の冒険と受難は、まだまだ続く―――








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