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117.だから私は泣いてしまうんだ

 


 ――――――――――――――――――――――――


 掘って、掘って、穴を掘る。


 埋めて、埋めて、穴を埋める。


 私は私、生きているから私。


 あなたはいない、死んだから無い。


 命は心、心は世界。


 命を失くせば、傷つかない。悲しい世界を、見なくて済む。


 憎しみ、恨み、怒り、妬み。


 私たちの心を覆う悲しみ、見なくて済むのが何より幸せ。


 だからあなたは幸せ。幸せなまま死んで、逝きなさい。


 そしてあなたたちも、幸せ。幸せ。


 もう決して恐れない。傷つかない。憎しめない。


 怒って悲しむことがない。

 傷ついて泣くことがない。

 憎しんで嘆くことがない。


 心を失くせば、きっと幸せ。幸せに私が、導いてやった。


 ―――だけど、私は?


 私は生きる。生きている。


 心もあって、世界が見える。恐れて、傷ついて、憎しんでしまう。


 どうして恐れる?

 どうして傷つく?

 どうして憎しむ?


 何を恐れる?

 何で傷つく?

 何を憎む?


 ―――分からない。私は、なんで悲しんでいるのか。


 なんで泣いているのかが、分からない。


 泣いて、うめいて、大声をあげて。


 私は星を眺める。太陽を見上げる。


 雲を眺める。雨に打たれる。


 死んだら心は痛みごとなくなる。きっと、そうだ。きっと、違いない。


 だから、あなたたちは幸せなんだ。


 だから、私は泣いてしまうんだ。


 ――――――――――――――――――――――――













「こんの馬泥棒! さっさとあたしの馬を返して頂戴!!」

「なっ、ふざけんなこのガキ! 誰が泥棒だ、誰が! 俺は大人として、心配してやってるだけだぞ!」


 キルヒ王国からクォーツ公国へ渡る為の唯一の関所。そこに最も近い王国の町オーレイ。その町中にある宿屋のうまやの前にて、口論をしている1組の男女がいた。


 男女―――とは言ったものの片方は身長120センチ程の、10歳前後に見える童女である。事情知らぬ者がその場を見れば、癇癪を起した子供とそれに付き合う大人の図として見たであろう。


 しかし今、道に人はいない。強い雨が降り注ぐ夜である。誰もが家へと籠り出歩かない。

 外へ出て口論する彼女達も、ものの1分経たずに濡れ鼠である。豪雨が大地と頬を強く叩く中、彼女達の声は相手の言い分にも雨の強さにも負けじと張り上げられる。


「だぁー! もーっ!! だから、何遍なんべんも言ってるでしょ?! あたしは18歳よ!! お・と・な!! 大人なの!!」

「てめぇ、つくならもっとマシな嘘をつけ! どこにそんなちみっこい18歳がいるんだよ!」

「っっっ!!!! 悪かったわね! あたしだって好き好んでこんなちっちゃい身体でいるんじゃないわよ!!」


 彼らの話は噛み合わない。平行線であった。


 一向に妥協点に向かわない彼らの話であったが、揉め事のきっかけとなったのは彼女、ミチが町を出るために馬を厩から出して欲しいと宿屋の亭主たる彼へと依頼したことである。


 彼の言い分はこうである。保護者であろうあの銀髪の少女が不在の中、冒険者なのかもしれないが年端もいかない子供である彼女(ミチ)を魔物が出るかもしれない町の外に、しかも前後不覚な豪雨の夜分に向かわせるわけにはいかない。


 勿論、勝手に出て行って死なれたなら彼に非は無いが、馬を出して与えたとあっては話は別である。保護者ルイナが戻ってきた時に子供の所在を聞かれ、馬を出して夜中の町外へ放り出したとあってはどうなる。

 言い出したのは子供であっても、子供の非行を止めるのが大人の役目である。よって、子供が野垂れ死んだら彼が悪いということになる。少なくとも、彼の倫理観の中ではそう帰結する。


 こうした意思でもって彼は頑なに童女ミチの頼みを聞かない。厩の扉を開錠せず、立ち塞がる様に彼女の行く手を遮るのであった。


「だぁー! もー! 埒があかないっ!!」


 一方、ミチは腹立たしげに頭を掻き毟る。髪を濡らしていた雨水が、粒となって雨に混じる。


 彼の言い分はミチにしてみたら、とんだ誤解であった。彼女は18歳、成人(15歳)をとっくに迎えた大人である。むしら彼女にとっての保護対象、ルイナが3日経っても戻ってこないので焦燥感に駆られ、宿屋の亭主に食ってかかっているのである。


 ―――ルイナを見送り一日経って迎えた朝。てっきりその日のうちに戻ってくるだろうと思っていたが、ルイナは戻ってこなかった。

 だが、まあ遠方まで行かなければいけない依頼でも受けたのかなと彼女はこの時、まだ軽く考えていた。


 明けて二日目、そういえばルイナには『光陰如箭』があるのだから遠方だろうと時間はかからないよなと彼女は思い始める。

 だが、もしかしたら拘束時間の長い―――例えば要人警護だったり乗合馬車の護衛だったり、そういう依頼を受けたのかなと、まだこの時までは軽く考えていた。


 そして迎えた三日目―――いや待て。血が苦手なルイナがヒト相手の可能性が高い要人警護だったり、自分を置いて他の町に行くような馬車の護衛だったり受けるのは考えにくいと思い、焦った。


 焦ったミチは、そうであるならどんな依頼を受けたのだと町へ出た。既に彼女の髪は赤一色である。大手を振って通りを歩き、この町の冒険者ギルドへと赴いたのであった―――空は曇天、ぽつぽつと小粒の雨が頬を叩き始めていた。


 雨に濡らされるよりも前にと早足にギルドへ駆け込んだ彼女は、初老のギルド職員に迎え入れられる。彼に問い合わてみると、銀髪の少女なる風体に思い当たる節はないと言う。否が応にも目立つ容貌のルイナである。覚えがないということは、彼はルイナを見ていないのであろう。


 昼時である。目撃者を探そうにも他に職員も冒険者も姿は見えない。彼女は仕方なく、他の冒険者達が戻ってきたり、受付の職員が入れ替わったりする時を待ったのである。


 待つこと、数時間―――外では雨が本格的に降り始めていた。最初は霧のように細かい雨であったが、やがて地と屋根を強く叩く豪雨となった。


 ……どこにルイナはいるのだろう。どこかきちんと屋根のある場所で、この雨を避けられているだろうか。窓の桟を叩く雨を眺めながらミチは目尻を下げ、鼻から息を漏らす。


 しばしそのまま待っていると、雨に濡れながら冒険より帰ってきた者達がいた。しかし、彼らに聞いてもルイナの所在は掴めない。続々と帰ってくる彼ら同業の面々に、ミチは望みをかけて聞くが空振りが続く。


 ……もしかすると、ルイナはギルドに来ていないのではないか。ギルドに向かう途中で何か不測の事態に巻き込まれたのではないだろうか。あまりに情報が掴めず、ミチの中で更なる不安が首をもたげてきた頃、ようやく彼女はとあるギルド職員より望んでいた情報を得られたのであった。


「あぁ、あの銀髪の……はい。彼女ならわたし、見ましたよ」


 どうやら、知り合いの葬儀の帰りだったらしい彼女。常なら白いシャツに黒いベストが正装のギルド職員であるが、今は黒のワンピースドレスとサテン生地の手袋をつけていた。

 腫れぼったくさせていた目を擦りながら彼女は、それでもミチの訊ねに真摯に応えたのであった。


 ようやく見つけた手がかりである。ミチはルイナをどこでどのように見かけたのか問い―――そして顔面を蒼白にさせる。


 何があったのかは分からない。


 それでも彼女は今、きっと、助けを求めている。

 力ではない。心の助けを求めているに違いない。そう思った。


 彼女は唇を真一文字に締めると踵を返し、宿へと向かった。ルイナが向かった可能性のある場所―――東の森へ行く為に。

 そして宿の部屋にて旅装を整え、厩に預けていた愛馬テトを出してもらおうと宿屋の亭主に頼んだところで―――冒頭に繋がる。


 ……彼女は焦っていたのである。故に、常の冷静さを忘れムキになる。初めは余所行きの口調で話していたものの、あまりに話が通じないので常の口調が出てしまっていた。

 それは子供らしさを増長させ、ますます宿屋の亭主を不審がらせてしまう。


 こうして彼女は宿屋にて足止めを喰らっていた。早く行かねば、速く行かねば……! 焦りと苛立ちはますますつのり、彼女の言動はますます大人げなくなっていく。















「―――ミチさんっ…!」

「へぁっ?!」


 しかし、唐突に抱きしめられる。それも背中から。

 感情昂らせ前にのみ集中していたミチは、肩の上から包み込むように、それでいて強く抱きしめてくる腕に、素っ頓狂に声を上げる。


「え、えっ、る、ルイナ―――?」

「ミチさん……っ、あぁっ、ミチさん……!」


 尋ねるように問うものの、その声に応えはない。ただ、視界の端にちらちらと覗く銀の髪と、自分の名をひたすら呼ぶ声音から、ミチは背に抱きつく者がルイナであることを知るのであった。


「どうし―――ぅぅっ…!」


 そうしてミチは振り返ろうとして―――身を震わせる。氷に抱かれていると錯覚するほどに、自身を抱く体は冷たかった。


「っ―――る、ルイナ。ちょっと、どうしたのよ!」

「ミチさん…っ、私、私っ……!」


 訳を問う。何かがあったのは間違いないだろう。彼女はその理由と顛末を問う。

 しかし、やはり応えはない。ただ、己の名前だけが叫ばれるのみ。


 ―――バチャッ……


 やがて、抱かれる力が不意に緩まる。背に感じていた圧がなくなり、途端に背より、何かがぬかるんだ地に落ちた音が聞こえる。


「ルイナっ…!」

「ああ、私、私―――」


 やっと、ミチは振り返る。地に落ちたのは両の膝。目の前に、常は見上げている銀の髪と真紅の双眸。見紛うことなきルイナの容貌であった。

 しかしそれは今、血と泥と雨に濡れ、常に感じる華の影すら感じられない。


 息を呑む。それら、みすぼらしい見た目よりも何よりも―――双眸囲む瞼の周りが赤く腫れ上がっていることに、ミチは己の無力さを痛感する。


「私……ミチさ、っ、生きて―――よかっ……あぁ―――」


 ―――バシャアッ!


「ちょっ、ルイナ!? ルイナ!!」


 その場に崩れる音が1つ。地に溜まった水がね、濡れる身体に当たって馴染む。

 慌てて抱き起こす、腕が灼けるように熱い―――否、凍りそうなほどに冷たい。


「っ……!」


 目は閉じられ、呼ぶ声には反応がない。荒い呼吸音が、豪雨に叩かれる中であっても聞こえてくる。

 ミチは火傷を負う錯覚を起こしながらも、ルイナの身体を抱き上げる。


「……お、もっ―――っ!!」


 ずしりと肩にかかる重みにめげそうになる。体格差は、それこそ大人と子供ほどもある―――しかし、泣き言なんて言っていられない。彼女は歯を食いしばりながら、ルイナを引きずって宿の中へと入っていく。


 心の状態も不安だが、とにかく今は体も大事だ―――ルイナの身体を休ませる為に彼女は歩み、安静取れる部屋へと向かうのであった。












「―――って、おい! ちょ、待てっ! そんな格好のまま部屋に……あー、くそっ!!」


 そしてその場に置いていかれた宿屋の亭主たる彼は、はっと我に返り後を追う。


 血まみれ・泥だらけ・ずぶ濡れの少女が汚してしまう内装を憂い、また結局は濡れ損であった自身の不幸を呪い―――しかし無残な有様を放ってもおけず、諦観と無情感を抱えながらも彼はルイナを運ぶミチに手を貸すのであった。




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