8-6.真夜中のコーヒー
「なんでもない顔ができないなら、なんでもないなんて言うな」
彼はぐいと僕の顔を引き上げて瞳を覗き込む。
いつになく怒気を孕んだ声音に恐怖心がせり上がった。
いつもは頼もしいその瞳が、今は怖くて仕方がない。
顔を抑えられたまま、目だけを逸らす。
彼はただじっとこちらを見て、黙っている。
震えそうになる奥歯を噛みしめる。
相変わらず頬を掴んだままの彼の手を取り、顔から引き離……
「――――離せよ」
「お前がちゃんと俺を見たら、離すよ」
「見てる」
「見てない」
「見てるってば」
「見てねえだろ」
「見てるって!」
吸い込まれそうな黒曜の瞳と視線が合う。
彼の気配がふっと緩んで、手が離れた。
「何がそんなに怖いんだよ」
「――顔を思い切り掴まれたら、誰だって多少は怖いだろ」
「そうじゃねえだろ」
いつもより二段は低い、強い声がぶつかる。
「言いたくない」
「言え」
「言いたくないってば」
「言うまで帰らんぞ」
「君にだけは、言いたくない!」
「それ俺のことで悩んでるって意味だろいいから言えよ!!!」
しばしの沈黙。
彼はふと立ち上がってリビングに出ていくと、しばらくしてコーヒーを2つ持って戻ってきた。
「ん」
「この時間にコーヒーか?」
「長丁場になるだろ」
「本気で帰らない気か……」
「だからそう言ってる」
牛乳の注がれたコーヒーからほんの少し甘い香りがする。
「もうブラックでも飲めるよ」
「でもそっちの方が好きだろ?」
図星を隠すようにコーヒーに口をつける。温かくて甘苦いそれが胃の中に落ちた。
「僕には」
「ん」
「僕には、彼女が返事を濁した理由が、なんとなく分かるよ」
「ん?何の話?」
「セリスが、気持ちの問題で今は入れないって」
「ほう?」
「自信がないんだ。トップのギルドに入るということ。トップのプレイヤーの隣に立つということ。――君の隣に立つという、自信がさ」
「俺はそんなすごい人間じゃないけど」
「すごい人だよ。少なくともこのゲームではトップのプレイヤーだ。君自身がなんと言おうと、事実として」
「まあ、そうなる?」
「状況に流されただけで、自分で選択をしてこなかった。そういう負い目があるんだ」
「気にしなくていいのにな」
「そういうものなんだよ。だから、自分から売り込めるだけの何かが欲しい。そのための時間が欲しいんじゃないかな」
そういうもんかなと、僕と違ってブラックのコーヒーを啜りながら彼が言う。
「彼女なら、そのうち何かにたどり着くだろう」
「まあ、そうだね」
「理人」
「ん」
久々に親友の名前を呼べば、彼は何事もなく返事を返す。
「僕も、君に並べる人になりたかったんだ」
「――――は?」
「君の隣で、君のパートナーだと自信をもって言えるようになりたかった。状況に流されてなんとなく腐れ縁で隣にいるのではなくて、そうする必要があって、他の誰でもなく僕を選んでもらえる、そういうパートナーになりたかった」
「いやちょっとまてロイ」
「だから、君が」
「いや待てって、俺は」
「君がトラを連れてきた時、どうしていいかわからなくなった」
「え、あ……」
初めて、彼の目が泳いだ。
「君は自分が楽しくゲームをするためだと言った。それは事実だと思ってる。あの状況でゲームを楽しみ続けるのは無理があったし、だからといってわざと負けるようなこともできなかった。最終的にあいつをうちのギルドに招いて休戦、公認ライバルとしてそれなりにやっていくのが最善手だと、僕だって自信をもって言える。
それを相談してもらえなかったことは……根に持たなかったと言えば、嘘になる」
「その、それはほんとにごめん」
「いや、まあ、それはいいんだ。言うタイミングもなかったと思う。実際あの共闘で二人きりにならなければ、伝えるタイミングだってなかったはずだ。伝えるアテのない話を相談しても仕方ないという気持ちも、理解している」
もう一口コーヒーを口に含む。さっきよりも苦味が増している気がした。
「ただトラがギルドに来て……君の隣に、2番目の最強のプレイヤーが立った」
「…………」
「君たちが二強と呼ばれるようになった。最強ギルドのトップ二人で君たちの名前が上がるようになった。――――君たちが、トップペアと呼ばれるようになった」
「それは」
何か言おうとする彼を目で制す。
彼にしては珍しく随分と苦い顔でコーヒーを口にした。
「僕が君のパートナーだと、認められたかった」
「俺のパートナーでいるのに、俺以外の誰の許可がいるんだよ」
「もちろん、僕自身のだよ」
部屋の隅に追いやっていたローテーブルを引っ張り、コーヒーを置いた。
少し眠ったおかげか、コーヒーのおかげか、少しだけ思考が回ってきた。
「だから、弱かった自分を捨てに行きたかった」
「それが、不倒ソロクリア?」
「それもある」
「他にやってたのは……不死鳥と、爆弾坂、あと強欲もやってたか?……お前が死んで、クリアはしたダンジョンか」
「そうだね。でも、間に合わなかった」
「何に?」
「理人」
「ん」
「次の大会、トラと組めよ」
「はぁ?」
「それが一番勝てる」
「お前何言って」
「トラは今回シード枠をもらっていないはずだ。視聴者も、最強のペアが見たいだろう」
しばしの沈黙。
彼はゴンと強い音を立ててコーヒーをテーブルに置いた。
「――――なるほど、そういう事を言うんだ」




