閑話 遠い背中
西生寺明成視点
臨時総会は無事全議題の可決で終了し、その後の懇親会も終わった。
酒に弱いつもりはないけれど、2時間も3時間も延々と挨拶に周り酒を注がれ続ければそれなりに酔うもので、送迎の車の中で秘書の安藤から渡された水を飲み下し回らない舌と頭を何とか正常に戻そうと努力する。
まずは、一勝。
「あいつ、ほんとに来なかったな」
「合同会社サザンクロスの伊郷様より、お祝いの返信が届いております」
ポツリと呟いた言葉に、安藤がタブレットを開いて画面を見せた。
金曜の夜だというのに返信が早い。ロイさんもマメだな。
「理人からは?」
「特には……本日夕方にはご帰宅予定とのことですが、飛行機ですとまだ帰宅されていない可能性もございますので」
「それもそうか」
今日の臨時総会中、一度たりとも笑わなかった伯父を思い出す。隣に立つ伯母はいつも通りの笑顔だったので、なかなか対比が激しかった。
西生寺の辣腕と女傑は、どうにも今回の件で意見が割れているらしい。
理人兄さんは、今まで西生寺の集まりで一度たりとも名刺を配ったことはなかった。請われれば渡していたとは思うけれど、そもそも彼は今更挨拶が必要な人ではない。
彼なりに「西生寺と仕事をするつもりはない」という意思表示だったのだろうけれど、それが結果として理人兄さんの立場を「西生寺の子息」たらしめていた。自身の会社の名刺を出さない、サザンクロスの社長ではない彼は、西生寺グループ関連の人間からはどこまでも西生寺の子息でしかなかったのだ。
今回エリシオンファンタジーオンラインを交えた大規模イベントで、彼は初めて西生寺の案件を受けた形だ。
今年の正月会合で初めてサザンクロスの名刺を配った。あの日初めて、理人兄さんは西生寺の子息ではなく、他所の会社の社長として宴会場に存在していた。
そしてどうやら関東へ会社ごと引っ越すらしい――これは二年くらい前からいい部屋がないと言っていたので、随分前から決まっていたことではあるらしいが。
「理人が今後も関わるのなら役員の席は彼のために空けておくべき」という意見は相当根強くて、今回の臨時総会に理人兄さんが来るのかどうかは、俺の取締役就任が可決するかどうかを分ける非常に重要なファクターだった。
出席するのなら、「外部の会社を運営しつつ、今後も西生寺に関わり続ける」。
欠席するのなら、「今後は他所の会社の人間として扱え」。
そういう意思表示になる。風見鶏はくるくると回って、直前になるまでどう転ぶか分からなかった。場合によっては予想票数が当日にひっくり返る可能性もあるという、なかなか胃にくる状況だった。
ロイさん主導のドッキリ旅行に連れていかれ、恐らく当人は総会に出られない。伯母は日程を把握していてそれを承認した。
まことしやかに囁かれた噂は瞬く間に社内に広がって、総会三日前になって風見鶏が一斉にこちらを向いた。
真弓伯母さんが、ロイさんと結託して理人兄さんを切った。
ロイさんはそんなつもりは全くないのだろうが、事実はどうであれ、社内の人間にはそう見えた。
女傑は息子を切った、と。
動き出した車から外を見る。
西生寺本社のあるビル街から、車はだんだんと住宅街へ向かっていく。
『本家には、理人君がいるからなァ』
二〇年前そう言った古株も。
『まあ、明成君も悪いわけじゃないよ。ただまあ、理人君と比べちゃうとね』
俺が聞いていると思っていなかったらしい雑談でそう言った役員も。
『あまり不相応なことは思わないほうがいい。社長は息子が大好きだからね』
俺の隣で父に釘を刺してきた管理職も。
『やっぱり血筋は出るよ。彼は西生寺の辣腕と錦戸の女傑の息子だからね』
酒の席で口のデカくなった親戚も。
一つ一つ、丁寧に、丁寧に、丁寧につぶ……懐柔して。
決議事項賛成率83%。辛勝も辛勝だが、勝ちは勝ちだ。
まずは一歩。取締役会の末席を獲った。
明日から方方連絡をつけて面会ラッシュだ。
『なあ明成、俺達さあ――――』
初めて酒を交わした時に彼が言った言葉を、鮮明に覚えている。
血筋があって、才能があって、商才があって、人望があって、人脈もあって。
生まれた家がほんの少し違う。生まれた年がほんの少し違う。
それだけで信じられないくらい遠く大きいその背中は、誇らしくて、羨ましくて、憧れで、だけど妬ましくて。
絶対に。
絶対に、理人兄さんを――――…………。




