閑話 母子並んで
「あの、ママ、今いい?」
「んー?どうしたの?」
パパがまだ帰宅していない、夕食を作るには少し早い、そんなタイミングでママに声をかけると、ママはつけていたテレビを消して私に向き直った。
「あのっ……あの、パパには話したんだけど」
「うん」
「私、配信者、やってみたくて」
「そっか」
「あの…家でやると、ママにも迷惑になっちゃうこともあると思うんだけど」
「なに言ってるの」
ママは呆れた様なため息を吐いて、長ソファの自分の隣をぽんぽんと叩いた。
促されるままにソファに腰掛けると、その手が今度は私の頭をそっと撫でる。
「娘がやりたいことをやるって言ってるのに、迷惑なことがあるものですか。音が気になるなら防音の工事とかする?」
「え、あ、基本VR配信のつもりだから、多分、いらない?」
家の防音はまあまあだ。学校のリコーダーの練習とかしていた時期もあるけど、帰宅したパパが音には気付かなかったと言っていたので、そんなに心配していない。
いや、えっと、迷惑はそっちじゃなくて。
「その、マナーの悪い人たちが家の場所を探したりすることがあるらしくて……ひとり暮らしのほうが迷惑にはならないと思うんだけど」
「それならなおのことこの家にいなさいな。ひとり暮らしで変な人に付きまとわれたら困るでしょ。この家ならご近所さんは顔見知りだし、防犯もそれなりよ」
「う、うん…」
あ、なんか、そういう感じなんだな。
もっと反対とかされると思ってた。
「やりたいことが見つかったのね」
「えっと、え、あ……うん」
ママは泣きそうな顔をする。
やりたいこともなにもなくてぼんやりと息をしているだけだったという自覚はあって、やっぱり、心配はかけていたんだろうな。
「――――ねえ、ママ」
「なあに?」
「あの、言いたくなかったらいいんだけど」
「うん」
「あの…なんで、パパと離婚しなかったの?」
ママは虚を突かれたようにぽかんという顔をした。
「あ、えっと、離婚してほしかったってわけではなくて、私パパのことも好きだし、今のほうがいいんだけど、あの、小学校の頃、すごく、こう、仲悪かったでしょ」
「……ごめんね」
「いや、あの……ごめん」
「――――そうねえ、紬は家ではいつもぼんやりしてて、学校はつまらないって言ってて。テストの点数は良かったけど、通知表には毎回もっと交流してみましょうって書かれてて」
「あー、書かれてたね」
小学校の時の通知表、毎回そんな感じだったな。
実際交流したら毎回変なことになって先生呼んでたから、絶対交流しないほうがマシだったと思うんだけど。なんで先生って交流を勧めたがるんだろうね……。
「学校が合ってない事は分かってたの。できればギフテッドの支援学校に、それが無理なら学校自体はやめてフリースクールに行ったらどうかって、パパに言ったのよ」
「あ、言ったんだ」
「言ったわよ、当たり前でしょ。そしたらあの人……『ギフ校は本当に特別な一握りが行くところだよ。ちょっと親バカがすぎないかい?』って……あーーーーもう、この言葉だけは今思い出してもムカつくわ!」
そんなこと言ったの、パパ……。アルマジロ先生に教育ネグレクト疑われてたよ……。
「三、四年生くらいの頃はなんていうか、こう、紬は普通になりたがってて、そういう学校にはもう行きたくなくなっていたでしょ」
「んー……そうだね、普通じゃないって言われるの、多分あの頃は怖かったかな」
「そうよね。だから普通の範囲でなんとかしてあげたいって思ったら、偏差値の高い私立中学に入れるのが一番現実的だったのよ。そうすると塾に入学費に授業料にって、結構お金もかかるから」
「……うん」
「まあ、塾の方は結局必要なかったわね」
塾ね、春休みに春期講習だけ行って、十年分くらい入試問題見せてもらって、だいたい全問正解して、それでやめちゃったんだよね。うちの中学受験は面接なかったから面接対策も必要なかったし。
塾の先生達にはすごく引き止められたって聞いたけど。あれ何でなんだろう。
「最低でも中学の入学費用は出させてからじゃないと、半端な時期に離婚したら大変でしょ」
「あ、離婚する気ではあったんだ」
「そりゃあね。仕事が忙しくて家に全然いないのも、小学校受験の面接に行けないって言い出して紬の受験が流れたことも、限度ってものがあるでしょとは思ってたけど、パパなりに家族にいい生活させようって頑張ってたっていうのは分かってたけどさ。真剣に紬の事を考えて言った言葉に現実を見もしないで親バカって返したことだけは許せなかったのよ」
よっぽどあの場でひっぱたいて出ていってやろうかと思ったわよ、と言うママの顔が険しい。あ、うん、本当にそこだけは今も許してないのね。
「母子家庭になったら私もちゃんと働かないといけないけど、ブランクも長いし…って色々下準備してる間にあの人が紬のことにちゃんと気がついてね」
「うん」
なんか大きい仕事が終わったとかで、ちゃんと夜私が起きている時間に帰ってくるようになったんだよね。
今からでもギフテッド学校にって、パパから言われた記憶がある。
「床に頭を擦り付けて土下座してきてね」
「うん?」
「最初の頃は無視してたんだけど、毎日毎日飽きもせずに」
「う、うん」
「それでまあ、ちょっと毒気抜かれちゃったのよ。怒りってあんまり長く続かないのね」
「……うん」
なにやってんのパパ……。
「紬の受験が終わって、中学校はそれなりに楽しそうに行っていたでしょう?」
「うーん、まあ、普通?」
学校に行きたくないと思うことは、中高ではなかったかな。
体育祭と文化祭滅びないかなくらいは思ったけど。
「結果的に紬が普通に学校生活が送れるようになったし、パパもちゃんと反省してるし……紬はパパのこと好きだしさ。離婚するほどではないかなあってなっちゃったのよね」
「……そっか」
「ねえ紬、今楽しい?」
「え?――――あ、うん。楽しい」
「じゃあよし!はい、つまんない話終わり!」
ママはそう言ってパンッと手を叩いた。
「さて、じゃー今度は紬の話聞こうかな~」
「あんまり話すこともないよ?」
「いやいや、あるでしょ。リーダー君?西生寺さん?ってどんな人なの?」
「はっ!?へっ!?」
「ママはあんまり配信見てないから知らないのよ。どんな人?かっこいい?」
「いやっ……り、リーダーさんはいいでしょ!?」
「良くないわよ!娘を任せる人なんだから!」
「なに言ってるの!?」
「それでそれで?どんなとこが好きなの?ゲーム以外では会ったりしてる?」
「~~~~~~~っ、ママの馬鹿!」
近場のクッションをボンとママの顔に押し付けて、部屋に逃げ込んだ。
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「…………年上好きは、私の血かしらね?」
真っ赤な顔をして部屋に閉じこもってしまった娘を思い出して、ふっと笑った。
さて、お姫様のご機嫌伺いに、今日は秋刀魚を焼きますか。




