23-3.幻痛
「いってえ」
いつの間にか切れていた配信を終え、集まったのはワークスペースではなく親友の部屋。
置きっぱなしのウイスキーにこれまた置きっぱなしの炭酸水を注いで口をつけ、なんとなく痛む気のする頬を撫でる。
「幻痛はどうにもならないからな」
「そーね」
実際に殴られたわけではないのだけど、VRポッドを出ても頬が痛むような気持ちは消えなかった。
幻痛なんて久々だわ。初めてCCOやった時以来か?
「で」
ジュースにクッキーに野菜チップスにチーズに、適当に棚から持ってきましたという風のつまみを並べて、ロイが言う。
「多少はスッキリしたのか」
「……なんで勝ってくんなかったの」
「負けたいと思っている相手に勝ってやるほど良い教育は受けていない」
こいつは本当に手厳しい。負けて「負けちまったなー」って言いたい気分のときに、負けさせてくんないんだもんな。
――――ロイにだったら、負けてもよかったのにな。
横に置きっぱなしの俺とロイのスマホから、交互に着信音が流れる。
発信主はドリアン。びっくり箱は「今日は何があっても休む」と言って有給を入れたので、今この段になっても本当に休んでいるらしい。
画面がちらつくのも面倒なので、サイレントマナーにして伏せた。
「昨日の質問の返事は、聞けるのか?」
「……………………………」
知っている。
こういう時、言葉にしてしまったら終わりなんだ。
だけど目の前の親友は今日は逃がしてくれるつもりはないらしく、ただゆっくりと俺の言葉を待っている。
「――――――――好きだよ」
「そうか」
はあああああああとどうしようもないため息が落ちる。
そんなあっさり返すなよ。こちとら今EFOに入ったら心拍数エラーで弾かれかねないってのに。
「ロイがさ」
「ん?」
「ロイが、本気でセリスが好きで、彼女と付き合いたいって思ってるなら、別にいいんだ」
「何を言ってる?」
「だから昨日の話だよ。泣かせたら殴り飛ばすくらいは多分するけど、でも、お前ならあの子を幸せにしてあげられるって思ってるよ」
ロイは、世界で一番いい男だから。ちゃんと彼女と向き合ってくれるならそれでいい。
「だけど、本気で好きってわけじゃないならやめてくれ」
「承知した」
「あっさりね」
「そりゃあ。親友の好きな人にやることではないと、昨日も言ったつもりだ」
言ったけどもさ。
「だいたい、恋人って話ならお前こそアネシアさんとどうなんだよ」
「それこそどうもない」
「コメントでめっちゃめちゃ言われてんだろ」
俺とセリスはくっつくなって言われることが多いけど、ロイとアネシアさんはくっつけって言われることが多くない?
「そもそも僕は、基本的に負けず嫌いだよ。あの終わり方で負けと言われたら、相手がアネシアさんでなくともムキになる。――――アネシアさんは」
「んー?」
「彼女は、普通の恋愛ができる人だろう」
カラになったジュースのグラスをテーブルに置いて、アイスブルーの瞳が少しだけ遠くを見ている。
「僕に、普通の恋愛は難しい。普通を求められても返してあげられない。そういう人を巻き込むべきではない」
「セリスはいいわけ?」
「セリスも、普通の恋愛は難しいと思う。これは自惚れでもなんでもなくただの事実として彼女の思考速度についていける人間はごく少数で、僕はギリギリそこの縁に立っている」
だろうね。彼女の思考にワンテンポ遅れくらいでついていけるのは、ロイとトラくらいだ。俺は――――少しばかり、ついていけてないと思う。
「恋人ではなくパートナーとして隣に立つのなら、僕がいいだろうとは、思っている」
「あれ、俺に発破かけるために言ったんじゃねーのかよ」
「僕は、ドッキリのような必要な場面は除くけれど、君に嘘をついたことは一度もないよ」
ああ、うん、こいつはこういうやつだったよ……。
何度目かのため息をハイボールで飲み下す。
キャンディチーズの包を開けて口に放り込んだ。
分かったからって、どうしろってんだよ。
「君は、何が納得できていないんだ?」
「……俺とお前についてるファンは、少し質が違う」
「それは、そうだが」
ロイドのファンは正しくアイドルとファンか、あるいは母親気質な人が多い。
ロイドはあまり私生活を出さないし、喋り方もこれなのでファンとは少し距離がある。ロイドに恋人ができたと言っても、驚かれはするだろうけれど、さほど荒れないだろう。
リーダーのファンは、ガチ恋系や腐女子系のコメントが異常に多い。リーダーロイドで掛け算してる方たちはどちらかというと俺のファンだ。そして、少し前に大掃除したとはいえ、俺のファンの方が過激な発言はやはり目立つ。
いや分かってんだよ。俺がなんにも言ってこなかったからそういう人たちが遠慮しないで残っちゃったんだってことは分かってんの。だけどもさ。
「なんやかんやあって付き合うことになったとするだろ?」
「ああ」
「その時に、ファンの中傷が俺に向くのは耐えられるの。すげえ嫌だけど、見たくないけど、でもそれは俺が放置してきたことのツケを俺が受けてるわけだから、仕方ないって思うよ」
「まあ、こちらでも対処はする」
「うん。でもさ……高い確率で、その中傷を受けるのはセリスなんだよ」
長い事この業界にいて、炎上だって大量に見てきて。だから分かるけどさ。こういうときに攻撃を受けるのって女性側なんだよ。
「俺から告白したら、あの子は断らないかもしれないけどさあ。でもそんな形で地獄に突き落として、それで幸せにできんの?」
少し長い沈黙。
しばらく何か考えていたロイが言った。
「なるほど。君の懸念は、セリスが一般女性であるということなんだな」
「…………まあ、まとめるとそう」
有名になる、芸能に近い活動をするというのは、賞賛と同時に大量の誹謗を受けるということだ。
俺もロイも、自分で覚悟してここに立った。
だけど彼女はそんな覚悟をしてサザンクロスに来たわけではない。元々は成り行きで巻き込んでしまって、ずるずるとここまで話が大きくなってしまって。その上一番真正面から誹謗中傷を浴びる場所に来てほしいなんてどの面下げて言えんだよ。
ロイはふらりと立ち上がって作業部屋に入って行ったと思うと、何やらでかい紙束を俺の目の前に積んだ。
「――――ドリアンがしびれを切らすまで1時間といったところか?」
未だにスマホの着信はちかちかと鳴り続けている。
それはそれとしてだな。
「いや、おい、これ」
ロイが持ってきた紙束に目を落とす。
見たことのある文章に大量の赤と付箋が付いて訂正や代案が書かれたそれは。
「さあ、詰め直そうか」
5月に俺が作っていた、インフルエンサー事業計画書だった。
ドンドンドン
『開けなさい!居るのは分かってるんです!』
一時間を少し過ぎた頃、ドアが乱暴に叩かれてその向こうからドリアンの声が聞こえた。
「普通にインターフォンを押せないのか」
「電話でてねー俺らがそれ言っちゃダメだろ」
ドリアンから特大の雷が落ちるまで、あと30秒。




