星にねがいを
前語り
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「久しぶりだね」
「ご無沙汰しております」
約束の時間丁度に研究室へ来た彼は、8年前からは想像も出来ないほど大柄な青年になっていた。
「随分と背が伸びたね、見違えたよ。あの頃はかなり小さかったのに」
「中学の終わりごろから急激に伸びました」
男の子にはままあることだが、180くらいだろうか、そこまで伸びるのはなかなかだ。
確か父君が大柄な人だったから、そのあたりの遺伝もあるのだろう。
「……正直なことを言うとね、君がこの大学の、よりにもよってこの学部に来たのは、意外だったよ。私にアポイントメントを取ったこともね。昔話をしに来た、という顔ではないね」
アポイントメントのメールが届いた時、彼だと気づくのに少しだけ時間がかかった。
名字が当時とは変わっている。色々あったのだろうということだけは、想像に難くない。
「ある意味では昔話をしに来ました」
「聞こうか」
私の研究室に10冊は置いてある「教育学部の必読書」の筆者は、少しだけ目を瞑ってから、前を向いた。
「僕のしたことの、結果を見に来ました」
「……そうか」
「はい。施設見学の許可を頂けないでしょうか」
「君なら、希望を出せば通っただろうに」
「Ryuは、名前も顔も性別も非公開です。大学に申請するにはあの名前を使うしかありませんが、マスコミに嗅ぎ回られるのは御免です」
「まあ、ないとは言えないね」
申請を出せば多くの事務員の目に留まる。関わる人間が多くなれば、情報の漏洩も起きやすい。
日本最高峰を名乗る教育機関としてコンプライアンスは堅いとはいえ、全ての人の口に戸を立てることはできない。
「この形でしか、情報を出さずに内部見学をする方法が思いつきませんでした」
「それだけの理由でここに入れたのだから、やはり君も本物の手前くらいの人間なんだけどな」
「本物ではありませんでした。僕も、みんなも」
「今のカリキュラムなら、中等部までいられたと思うよ。重ね重ね、一期生には顔向けできない」
「教育実験というのはそういうものです。僕たちの母がそれを分かっていなかっただけで」
マスメディアは教育実験であることはほとんど取り上げず、天才学級という部分を大いに喧伝しもてはやした。驚くほど多くの親たちが、文字通りの実験に我が子を送り込んだ。
通常の進学校では確実に持て余す本物の傑物「だけ」に焦点を当てすぎた第一期教育は大量の脱落者を出した。特に労せず東大に入るような子ですらあのカリキュラムにはついていけなかった。
今は怪物向けと秀才向けはカリキュラムが別れている。秀才向けに長くいる子には、進級時に普通校への転校を促す形だ。
「2限から業間休み、3限授業時間のみ。教室への入室はなし。授業風景は廊下からの見学になる。児童へのインタビューも不可。それが守れるのであれば許可しよう」
「構いません。ありがとうございます」
「少し向こうの先生と日時調整をさせてくれ。そうだな、来週のこの時間にもう一度来てくれるかい。それまでに詰めておくから」
「分かりました」
彼は8年前、あの施設を卒業したときと変わらない綺麗な所作で研究室を出ていった。
氷のように固い表情まで、変わらない。
感傷を抱くことは許されない。他でもない私達が、彼をそうしたのだから。
初等部の施設長に連絡を入れた。
熱心な学部生が見学したがっている、と。
現在の施設長は、彼の顔を知らない。
見学の当日。
いかにも学生風の格好をしてきた彼は、緊張した面持ちで頭を下げた。
「見学を許可して頂きありがとうございます。教育学部3年の柳です。本日はお世話になります」
「礼儀正しいね、いいことだ。まあ、許可できるのは本当に見るところだけなんだけど、施設内の案内も少ししようね」
「ありがとうございます、よろしくお願いします」
君よりよほど彼のほうが詳しいんじゃないかな。
思ったことは言わずに、ただの好々爺の顔で後ろをついて歩く。
「――――という感じだね。どうかな」
「実習設備は大学並ですね」
「そういう場所だからね。図書館情報は大学図書館と繋がっていて、あちらの本も全て閲覧できる」
「学ぶ気さえあれば、どこまでも学べる環境ですね」
「そうなるね。そしてここには学ぶ気のある子供しかいない。さあ、授業風景を見に行こうか。じゃまになるから、喋らないように。ここの児童は少々物音に敏感だ」
「分かりました」
中野の古い校舎を歩く。
覗き見た授業では思念伝導の基礎を行っていた。最低でも大学1年程度の数学と物理学の知識が必要になる。
つまらない顔をしている子から、目を輝かせて黒板を見ている子、明らかに進んだ内容の本をずっと読んでいる子、完全に寝ている子まで、全くまとまりがない。
彼はじっと一人ひとりの様子を後ろから見て。
「……よかった」
本当に小さな声で、そう言った。
「感想を聞かせてくれるかい」
予定通り3限の授業終了後に場は解散となった。
良ければ研究室で茶でも、と言った私に、彼は頷いてついてきた。
「随分、変わりました」
「どこが変わったかな、まあ設備は多少新しくなっているけれど」
「そう…ですね。正直設備についてはあまり。元々オーバースペックなおもちゃですから。本物は、何もなくても勝手に遊びますよ」
「はは。上に聞かせてやりたいセリフだよ。良い設備を入れろって、大学の方にすら入ってない機器の予算もあっちなら降りるんだ。やっていられない」
「予算については相変わらずですね。……見学時期は、わざと、夏を選んだんです」
「へえ?」
「夏ならみんな半袖ですから。蕁麻疹が出ている子供が一人もいませんでした。机の配置を後で変えるとなんとなくぐちゃっとするんですが、席順はきれいでした。退校が出ると席に不自然な空きができます。冬だと感冒が流行っているのかとの区別が付きませんが、今の時期ならさほど多くの欠席は出ません。一人空きがありましたが、この時期でも一人くらいなら、病欠もあるでしょう。髪がぼさぼさの子供がいませんでした。多分全員きちんと毎日風呂に入れています。うつの初期症状が出るとまっさきに風呂に入れなくなるんです。つまらなそうにしている子はいましたが、目の焦点は全員何かしらに合っていました」
すらすらと説明をする彼に苦笑が零れる。スクールカウンセラーを目指すなら、学部はここじゃないかも知れないよ。
「僕がしたことは、間違っていただろうかと、ずっと、思っていました」
「結果はどうだった?」
「あれが、僕の書いた本の結果として起きた変化なら、書いて本当に良かったと思います。もちろん複合要因であることは理解しています。データが集まってよりよいカリキュラムが組まれているはずですし、集団訴訟の方も要因としては強いでしょう。ただ…死んだ目をしている子供がいないことが、嬉しかった」
「もう一度筆を取るきはあるかい?」
「今はもう、ありません。あの時は誰かが書かなければと思いました。書くのだとしたら6年間あそこにいた僕だという自負もありました。今の彼らの話は、書きたいのであれば彼らが書けばいい」
「そうか」
彼は何かを反芻するように瞳を閉じて、それからゆっくりと目を開いた。
「ご無理を聞いて頂き、ありがとうございました。以後は通常の学生として扱ってください。僕も、私的な用事では今後は伺いません」
「……そうか」
「はい。勝野先生」
「なんだい」
「――――6年間、ありがとうございました。先生のお陰で、僕は今日ここにいます」
「私は、それを言われるに値する教師ではなかった」
「僕が、そう思っています。本当にお世話になりました」
本当に、泣かせに来ないで欲しい。
「研究室配属にここを選んでくれてもいいよ。君なら歓迎しよう」
「ご遠慮します。僕の希望する研究内容はここではないので」
「はは、それは残念だ」
「また御縁がありましたら、何かご一緒させてください」
「ああ、良縁を期待しようか」
彼は深く深く頭を下げて、それから研究室を出ていった。
いれたコーヒーは、どうにも苦くしすぎたようだった。
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私の名義になっている、二人で暮らすにしても少しばかり広いような気がする部屋のリビングで、まんじりともせず連絡を待っていた。
予定時間を大分過ぎてから終わった、帰る、とだけメッセージが届き、そこから30分ほどして、すっかり周囲が夕焼けに焼ける頃に彼が帰ってきた。
「おかえりなさい、お疲れ様でした」
外は暑かったのだろう、彼は汗ばむ額をハンカチでぬぐって、いつも通り私の正面に座った。
冷たい麦茶を差し出すけれど、あまり反応がない。
しばらくぼんやりとした時間が過ぎて、それから彼がぽつりと言った。
「終わった」
「終われましたか」
オウム返しのように返した言葉に、彼が初めてこちらを見た。
「龍哉」
「ん」
「お疲れさまでした」
「……そうだな」
他のどんな荷でも共に背負いたいけれど、この荷物だけは持つことができない。
それがどれほど重たかったのか、私には想像すらできなかった。
今は背中の軽さに呆然としているのではないだろうか。
「聞かねえんだな」
「聞いたほうが良ければ聞きます」
「……話したくなったら話す」
「ええ」
誰からも責められなかったのだろう。
きっと誰かから責めてほしかったのだと知っている。お前のせいでこんな大変なことが起きたのだ、と言われたかったのだ。
そしてそうであれば、あっさりこの世を去ったのだろう。
「明日なんですが」
「あ?」
「よければ、少し買い物に行きませんか?」
「何か買いたいもんでもあんのか?」
「ええ、貴方の服を」
そう言ったら、彼はようやく目の前の麦茶をぐっと飲み干した。
「お前のじゃねえのかよ」
「私は必要だったら買いますけど、貴方は連れ出さないと買わないでしょう。去年の夏服は何枚かだめになっていますよ」
明日が終わってからにしましょう。
明日買った服を着てみてからにしましょう。
夏休みに旅行の予定を入れましょう。
ゲームの大会に出てみませんか。
プレイの様子を配信してみませんか。
一緒にギルドを立ち上げましょう。
視聴者を巻き込んだギルドにしませんか。
これだけ視聴者がいれば、別に就職活動なんて必要ないですよ。教師になりたいなら止めませんが。個人事業主なら、副収入の証明が必要ありませんから。
だからどうか、死ぬのは明日が終わってからにしましょう。
毎日毎日、少しずつ明日の約束を積み重ねる。
毎日必死に、明日まで生きる理由を作る。
それでも私は、貴方が未来を目指す理由にはなれない。
貴方がそう決めてしまったら私は止められない。
ただ一つ叶うなら、その旅路には連れて行ってほしい。
映画化の進行ですか。
委任代理人に私を指定していただければ、スケジュール関係は全てやりますよ。
私で判断できるところはすべてこちらでやりますよ。
だからそんな顔をしないで。
夜中にうなされるのならやめたっていいんです。
そう言ってもやめないと知っているけれど。
誰か。
誰か、彼を助けて。
「あのクソ野郎に勝つ。俺は最強になる」
彼の瞳に暗い暗い炎が宿る。
私が一方的に言う約束とは違う、未来の話を彼が口にする。
――ああ、私は悪い女です。
彼が悔しがっているのに。
彼が苦しんでいるのに。
彼の顔が怒りに濡れているのに。
嬉しくて嬉しくて仕方がないのです。
どうか。
どうか、負けないで。
ずっと目の前で輝き続けていて。
全力の彼を、紙一重で下し続けて。
1%の才能と99%の努力の果てに、どうかずっと彼に勝ち続けて。
どうか。
小さな星たち。




