18-2.友達
求められていたのは笑顔でいること。
お母様に似た人好きのする柔らかい笑顔で、ニコニコと行儀よく座っていること。
誰も自分を見ていないことに気づいたのはいつだっただろうか。
未就学児向けのピアノコンクールでの入賞を褒められて、だけど褒める言葉はすべて頭上を通り越して父と母に向かった。
ピアノの腕はお父様に似たのね。
さすがは西生寺の御子息ですね。
お顔立ちはお母様に似たかな。
西生寺と錦戸を結ぶ鎹。それが自分に求められていることで。
誕生日という本当は自分が主役になるのだろう場所でさえ、ただニコニコと、両親が返事をする隣にいることが求められていた。
漠然と、小学校に上がれば何か変わるのだろうと思っていた。
両親のいない環境になれば、一人で歩けば、子供だけの場所であれば、何かが変わるだろうと、ただ漠然と思っていた。
「西生寺理人です。よろしくおねがいします」
小学校の入学式。揚々と名乗って席につく。
ここから家とは関係のない新しい友だちを作って、一緒に遊ぶ。勉強はまあ、家庭教師が言うにはこの学校でもついていけると言われているから、なんとかはなるだろう。
二週間くらい経って慣らし登校期間が終わり、授業時間が通常授業に沿うようになった頃、業間休みに上級生が来るようになった。
一年生の面倒を見る5,6年生というのは一定数居て、というか多分持ち回り担当制だったんだろう。
活発な先輩が体育館や校庭でボール遊びに誘い、内向的な子の何人かは付き添われて図書室へ行っていた。
「西生寺君ってどのこ?」
「えっと、ぼくです」
ある日来た多分六年生の女の子が、嫌に耳につくわざとらしい甘ったるい声で言った。
「そっかあ、私■■■、仲良くしてね、一緒に遊びましょう?」
他の子達と一緒にドッジボールに行きたかったのだけど、上級生の誘いをどう断ればいいのかわからなかった。
その日はなぜかその先輩の話をずっと聞きながら、既に散々案内されている校内をまた歩かされた。
翌日も、その翌日も、何故か女の先輩がこちらに来て遊びに誘った。
さすがに四日目になって校庭遊びに行きたいと言ったら、今度は先輩の取り巻きっぽい女の子たちに囲まれての遊びになった。
ひどくひどくひどくつまらなかった。
六年生の女の子なんて誰も関わりたくないのか、みんな遠巻きにこちらをみているだけで、誰も放課後も遊びに誘ってくれなかった。
一週間がようやく終わって、もう学校に行きたくないとぼやいた。
「勉強に飽きるには早いですよ」
家から出されている運転手がそう言って笑った。勉強は別につまらなくない。というかつまるつまらないという話をするほど進行していない。だけど今の状態をうまく説明することができなかった。
週末が明けて、西生寺君の取り合いは激化した。
業間休みには複数人が席を囲むのが当たり前になり、五分休みすら上級生が来るようになり、教室では完全に孤立した。
これは後になって知ったことだけど、他のクラスにいる同型の、フリーの跡取り息子複数人が同時期に同じ状態になっていたらしい。
後日仔細を聞いたお祖父様が、だから適当に誰かあてがっておけと言ったんだ、と珍しくお母様を叱っていたことをよく覚えている。
他の子はどうだったんだろうか。ぼくは一瞬で音を上げた。
学校に行きたくないと家の老犬にぐすぐすと泣いて縋った。
ぼくが生まれる前から家にいるゴールデンレトリバーのジョーンは、ただ泣き愚図るぼくの隣に寄り添った。
ただひたすら怖かった。
自分よりずっと大きな女の子に囲まれることも。
無理やり手を引かれて歩き回ることも。
こちらの話を都合よく切り取ってちゃんと聞いてくれないことも。
先生も含めて誰も助けてくれないことも。
結局ただの一人も期待した友だちができないことも。
そして何よりも、誰も彼もがぼくを西生寺君としか呼ばないことが怖くて怖くて仕方なかった。
誰も理人を見ていない。
自分の存在が透明になって、西生寺という文字だけがそこに座っているような、底知れない恐怖があった。
毎日ジョーンから引き剥がされるように学校に行くことさらに一週間。
たまたま朝が遅かった母が、ぼくの登校時間にまだ家に居た。
その日初めて学校を休むことを認めてもらえて、安堵に泣いたことを覚えている。
即日医者に連れて行かれ、翌週にはカウンセリングが組まれ、その次の日には学校にはもう行かなくていいと言われた。
忙しいはずの母が病院に付き添ってくれて、学校にも直接抗議しに行ったと聞いた時、嬉しいよりも先に申し訳なかった。
塞ぎ込んだぼくへの気晴らしに、今まであまり周囲に置かれてこなかったゲーム類が大量に置かれるようになった。
キャラクターがたくさん喋るようなRPGすらなんだか怖くて、自然とアクションゲームを遊んだ。
完全にオフラインの状態から、挨拶すらない戦闘するだけのオンラインマッチングで遊ぶようになり、コマンドで少し挨拶をするようなゲームを遊ぶようになった頃には季節は夏になっていて、二学期からオンライン学校に通わないか、と聞かれた。
これ以上お母様の手を煩わせるのは嫌で、行きますと答えた。
錦戸の出資しているオンライン普通校だった。
俺の勉強進度は小学校三年生相当で、一年生の授業はただひたすら暇だった。
ぽつぽつ来る個人チャットで西生寺の家や事業の話を振ってきたクラスメイトは全員片っ端からチャットブロックした。
気にかけられているのは錦戸理事の孫であって、理人じゃない。
興味を持たれているのは西生寺家の人間であって、理人じゃない。
全員の興味が俺を通り過ぎて家を見ている。
話題の一つとして聞いたことのあるホテルの名前を出しただけ、別に大して興味を持たれているわけでもない、そういうものだ。そう理解して割り切るには、七歳や八歳というのは少々幼かった。
オンライン学校は生徒の入れ替わりが激しい。
実学校へ復学できればそのようにする人が多いし、基礎をしっかりやるという理念の基非常に遅い授業に嫌気が差して別の学校へ転校する人も少なくない。
俺には選択肢がないので、授業中もカメラに映らない画角でゲームをやっていた。
三年生になった時、新しく入ってきたクラスメイトは作り物のような金髪碧眼の美少年だった。
中性的な見た目のその子の名前は「ロイ」。まあ、多分男だろう。名前的には。
それに気づいたのは、美人な男だなー本当に男なのかな?とつい顔を見ていたからだ。
目線の動きがおかしい。結構な速さで上下に目が動いている。
こいつ、なんか本読んでるな。
じゃあ来月には居なくなってるかな。こういうやつは消えるの早いから。
そう思うと彼への興味は急速に消え失せて、またゲームに戻った。
意外なことに一ヶ月以上経っても、ロイはまだクラスに居た。
相変わらず毎日視線の動きがおかしい。毎日毎日何か本を読んでいて、正直飽きないのだろうかと思う。
学校を変えないということは、俺と同じ訳ありだろうか。
名字は……伊郷。学校の理事会の名前とは一致しない。桜花会でも聞かない名前だ。単に勉強に興味がないだけだろうか。
これだけ毎日本を読んでいるなら、ゲームに誘ったら乗ってくれるだろうか。
声も国語の朗読でしか聞いたことがない。チャットも来たことがない。どうやら俺に、というかクラスメイトにまったく興味がないらしい、転校してきたばかりの男の子。
家とは関係のない新しい友だちを作って、一緒に遊ぶ。
一度諦めた夢がことりと音を立てて転がって、足元にぶつかった。
『ヒマ?』
震える手でチャットを打った。
授業アプリの生徒カメラに映るロイが、チャットを開いたのだろう、こちらを向いた。返事はすぐに来た。
『ヒマですね』
『一緒にゲームやらね?素材集め手伝って』
誘ったのは始めたばかりのMMORPG。
画面を共有してキャラの大剣を振り回す。
『ゲームはほとんどやったことがないんですけど、いいですか?』
『いいよー。俺もこのゲームは始めたばっか』
チュートリアルフィールドから出てきた「ロイ」という魔法師にパーティ申請を送る。
『オレがリーダーだ!よろしくロイ』
『よろしくリーダー。なにするのか全然知らないけど』
初心者向けの中では少しレベル高めの森林フィールドでハイイロオオカミの毛とグリッドフロッグの粘液を集めるクエストだった。二人で走り回って、レベル1のロイは三回死んで、だけど新規プレイヤー特典でデスペナルティがつかなくて、高レベル帯の連れ回しで一日で俺のレベルに追いついた。
『ここ、初心者が来るフィールドじゃなかったんじゃない?』
『レベル追いついたからもういいだろ!明日はもう一個上のフィールド行こう』
『明日もやるの?』
『明日も本読んでるなら、やろうよ』
『本見えていた?』
『見えてなかった。でも目がめっちゃ動くから分かるよ』
『ああ、なるほど。次は気をつけよう。ゲーム怒られない?』
『別に、テストで点取ってりゃ言われないよ。先生になんか言われたら俺に誘われたって言っていいよ』
『友達売るようなことはしないよ』
『友達?』
『あー、嫌じゃなければ?』
『うれしい』
『そっか、よかった。明日は何限からやるの?』
『え、一限から』
『そっちこそ勉強大丈夫?』
『だいじょーぶだいじょーぶ』
『まあ、君がいいなら。よろしくリーダー』




