15-4.メインヒーラーの思い
ニャオ姉が引退するという話は、ほんの数日でさざなみのようにギルド内に伝わった。
他でもないニャオ姉自身が隠さないのだから、もはやどうしようもない。
どうしようもなくてギルド外にはまだ公開しないで欲しい旨を全体通知するに至り、少しばかり人目から逃れたくて駆け込んだロイドのルームで、ソファにぐったりと背中を預けた。
「本当にちょっと待ってくれよ~~」
思わず弱音がこぼれ落ちる。
鳴り続けるギルメンからの呼び出しと新着メッセージに、根負けして一旦通知設定をすべて切った。ギルドチャットも新着書き込みが出続けている。
もはや1つも追いきれない。
「まあ、気持ちが分からない訳では無いが」
「そーなの?」
「君なら、自分が休んだ事が原因で1位から陥落すると言われて、安心して休めるのか?」
「俺は別に、絶対にトップに立っていたいわけじゃ、ねーんだけど」
以前やっていたクリスタルシティオンラインのランキングは累計スコア式で、ゲームのプレイ時間が全てを決めるスタイルだ。AI判定で発生するスキルは狙ったものが出にくく、雑多に色々なことに手を出していると汎用的に発展してしまってあまり強くない、なんなら死にスキルも非常に多い。そもそも異世界型ゲームはNPCの好感度による偶発イベントが多すぎて、配信業との相性がかなり悪かった。
そんな中公開されたEFOの仕様を見て、これなら上位になれるだろう、とは思っていた。
ストーリー型。完全スキルツリー制。出現装備すら固定の、今日日珍しいほどの旧来式MMORPG。
ランキング形式はハイスコア式で、一回のスーパープレイが全てを決めるスタイル。俺とロイドのためにあるゲームだと思った。
うっかり一位には乗ったけど、絶対に一位になりたいわけではない。というか、ゲーム配信者として複数のゲームを掛け持ちする以上は1位を維持することは難しいだろうと思っていた。少なくとも、俺の心づもりとしては。
俺の心づもりと、ギルメンの気持ちが別であることは、その通りなんだけどさぁ……。
「ねむ蝉の方はどうだ?」
「稼働は落ちるけど、辞めるつもりはないって」
「そうなのか」
「んー、言い方アレだけど、動画収入がパタッとなくなるとちょっと困るってことらしい。子供産まれたら金もかかるしな」
「ニャオニャオはそれではだめなのか」
「それはねー、結構ねむ蝉も言ったらしいんだけど」
休日は自分も見るから交代で遊べばいい、ということは提案しているらしい。
絶対に首を縦に振ってくれないと、過去一苦い顔をしていた。
はー、と息を吐く。
「逃げ場所、さんきゅ。ちょっと行ってくる」
「大丈夫か?」
「まー大丈夫ってかさ。こういうときって、大抵足りてないのは会話だろ」
「そうだな」
ニャオ姉はすぐに見つかった。
談話室で団子になっている。
ソファが撤去されクッションが敷き詰められた談話室の真ん中で、ぽこぽことニンカがぐずぐずに泣きながら両腕を占拠していて、彼女は困った顔でこちらを見た。
「離してくれなくなっちゃったにゃ」
「もう一生離さないいいいい」
「ぽこちゃんもニンカも、相方に怒られるにゃ」
「怒られないもん!ニャオ姉頼んだって言われたもん!!」
グライドは、この状態でも予定通り行動しているらしい。
「グライドがヒーラーやるからさ、気にせず残んなよ」
「無理よ」
「それは、何が?」
「グライドにヒーラービショップは無理よ。あの子はチャージ保持が苦手なの。セリスちゃんの避けタンクだと護衛は出来ないし、どこかで必ず無理が出るわよ」
「それでもなんとかするって。コイツラ置いてく方が破綻するよ?」
「リー君」
彼女が茶色の瞳を上げてこちらを見据える。
「わたしはね、ギルドメンバーではあるけれど、このギルドのファンでもあるの」
話してくれるつもりがあるらしい。
向かいに腰をおろして、続きを待つ。
「リー君なら分かってくれると思うんだけど……CCOやってた人って、うっすらギルド嫌いなのよね」
それは、少し分かる。
CCOではランキングを維持するために、トップギルドでは当たり前にボス討伐ノルマがある。好感度稼ぎのためにNPCとの会話が増えて、チームメンバーとの意思疎通がおざなりになりがちだ。成果を出すためには課金が必須で、そうすると課金額でのマウントが横行する。全てが折り重なって、全体にギスギスとした空気が漂っている。
上位を目指さないならいいゲームなんだけどな。裾野でなら、上位陣の廃課金の恩恵を存分に受けてのびのびと遊ぶことができる。
「だからEFOに来て、サザンクロスを立ち上げて、あなたがトップに立って。本当にびっくりしたの」
「びっくり?」
「うん、楽しくて」
とてもとても、幸せそうな顔で、彼女が言う。
「一度もプレイの強要をされなくて、うちの人の変な寄り道も笑って許してくれて、なんなら応援までしてくれて、ギルド内はいつでも他愛のない雑談があふれてて、皆が全力でゲームを楽しんでて。ああわたし、ねー君とこうやって遊びたかったんだなーって」
「そう思ってくれてたんなら、良かった」
「うん。ずーっと思ってた。でね、トップの空気って、下に移るでしょう?」
「そう、だね」
「EFOの空気が全体的にいいのって、サザンクロスのおかげだって、思ってるの」
「それは大げさ」
「そんなことないわ」
本当にそう思っているの、と小さくつぶやく。
「だからね、私が半端に在籍し続けてしまったら、新しいビショップの人は居着かなくなるかもしれないでしょう。それが、とてもとても、怖いの」
「怖い?」
「そう、怖い。サザンクロスが、ヒーラーが居着かないギルドだって外から思われることが怖い」
いつものひだまりのような笑顔ではなくて、優しく薄く微笑んで、両脇のニンカとぽこぽこを撫でる。
「新しいヒーラーを入れる方法は考えたんだけど、やっぱり難しいじゃない。最前線が出来るような無所属のヒーラーで、たまーに来てお喋りしてるだけの前任がずっとメインって呼ばれる状況に納得してくれて、それでもギルドの空気を壊さないで在籍してくれる、なんて」
条件を列挙すると、どんな聖人君子だよとは思う。普通の精神してたらどっかで病む。普通の精神してない人はギルドの空気に馴染めるかが分からない大博打になる。
「例えば、ニャオ姉のファンとかだったら?」
「私のファンに、帰ってくるかも分からない私の椅子を温めさせるの?」
「……ごめん、厳しい」
そこまでの決断は、すぐには出せない。
本当にそれしか選択肢がないのなら、事情を全部ぶちまけて募集するのはなしではないんだけども。周囲の反応も含めて、これもまた結構デカい博打になる。
「だからこれは、怖がりなわたしのわがまま。サザンクロスに、わたしの愛したトップギルドのままでいてほしい。抜けたら多少混乱はあるだろうけど、1,2ヶ月もすれば落ち着くわ。みんな、強い子だから」
彼女はゆったりと、全て諦めた顔で微笑んで。
「居ない人のことを思い続けるって難しいからさ。さっぱり居なくなれば、きっと新しい人も受け入れられるわ」
「条件に合うヒーラーが居りゃあ良いのか?」
思ってもいなかった声が聞こえて慌てて顔を上げる。
いつの間に談話室に入ったのか。大柄な金髪の男が、こちらを見下ろしていた。




