15-1.メインヒーラーの引退
『ニャオニャオが相談があるそうだ。終わったら来てくれ』
というメッセージを受け取って、面接を終えて休憩を挟まずにEFOへログインした。
待ち構えていたニャオ姉は珍しくねむ蝉と別行動でこちらに合流し、3人で会議室に入る。
「今日はね~セリスちゃんと一緒にレベリングに行ったよ~」
いつもどおりの穏やかな口調で彼女が言う。
「大分ギルドに馴染めたようで良かったにゃ」
「ほんと、心配かけてごめん」
「ほんとにゃ~!もうああいうことはダメよ?」
「分かってるよ」
優しくたしなめるような言葉に、どうにも頭が上がらない。
そんな彼女が、会議室内で、パーティ申請を送ってきた。
フレンド:ニャオニャオ から パーティ申請 が届きました。
パーティ申請 を受理しました。パーティリーダーは ニャオニャオ です。
パーティに ロイド が加入しました。
ウィスパーモードが選択されました。
ギルド内の、それも小会議室内でウィスパーとは、随分穏やかじゃない。
「忙しいところごめんね。相談というか、報告があって」
「うん」
「今すぐって話じゃないんだけど、もう少ししたら、ギルドを抜けようと思うの」
全くまとまらない頭を抱えて、一旦返事は待ってもらってその場は解散になった。
「――――先に、そっちの首尾を聞いておこうか」
「あ、あー……まとまった。こっちの提示でそのまま通った。今度リアルで一度合って終結予定。書類頼む」
「開始日は?」
「4月1日」
「承知した」
「追加で、俺の隠れ家の1つを使用貸借で貸す。こっちは会社の部屋じゃないから、全部俺がやる。友達に部屋を貸すって扱いだな」
「分かった。覚書程度でいいから軽く書類は交わしておけ。必要なら添削する」
「了解」
世界の揺れる感覚が消えてくれない。
引き継ぐ話は、これ以上は、多分、ないと思う。
「続きはどこで話す?」
「そっちに行く」
「分かった」
ゲームをログアウトして、服は適当なまま上着を引っ掛けて、まだ冷える2月末の空の下を歩き出す。
途中のコンビニで適当な酒とつまみを買い込んで、親友の住むマンションの扉を開けた。
「おまたせ」
「待ってないと言うか、随分早いな」
部屋着姿の親友は何かスマホを弄っていて――俺のスマホが反応した。サザンクロスのグループメッセージか。
ああ、そういえば面接結果通知してなかったわ、助かる。
「酒とつまみか?」
「そう。飯って気分じゃなくて」
「今お湯を沸かしている、先に飲め」
「いらん」
「飲んでおけ。経験則だが、腹が冷えている時はロクな思考にならない」
マグカップに入った少し熱めの白湯をすする。
悔しいことに、温かいものが腹に落ちると確かに少し落ち着いた。
「…………どーすっかなぁ」
リビングのソファに沈み込む。
ガサガサと酒缶を取り出して、とりあえずハイボールを開けた。
「代理のヒーラー確保、通達時期、どうやって伝えるか。どこまで伝えるか」
ロイがやるべきことを列挙していく。
持ってきた皿につまみを雑にひっくり返して、ポテチを齧った。
「ヒーラー自体はさ、ボタニカでもいいんだよ。あいつが駄目でも人を募集すればすぐ来るだろうし」
「そうだな」
ニャオ姉は別に、ヒーラーとしてすごく優秀というわけではない。もちろんトップ勢の中ではという注釈は付くけれど、彼女より上手いヒーラーを10人挙げろと言われたら結構簡単に10人言える。
なんなら、今目の前にいる親友の方がスキルの並列使用まで含めたら上手いだろう。
ボタニカは少々……一部の敵で怯んでしまう性格をしているので、最前線には難しいかもしれないけど。
募集すれば一瞬で人が来ることも分かっている。
「けどさ、ニャオ姉やめます!この人新しい人です!なんて言い出したらさ」
「ギルド員の7割は抜けるだろうな」
「残るのトラ小屋だけって計算じゃねえかよそれ」
「僕とドリアンは残るさ」
「初期ギルドかっつーの」
ニャオ姉が担ってきた精神的な支柱という役割が、大きすぎる。
彼女が背中にいるから前に出れる。彼女が隣に立つなら大丈夫。プレイの上手い下手とは全く異なる次元の、勇気とか気合とか、あるいは安心とか愛着とか、そういう役割の人だった。
ぐびりと缶を傾ける。
ニャオ姉やめます、この人新しい人です、なんて言い出したら?
そんな俺、俺が一番信用できねえよ。
新しく入ったヒーラーなんて欠片も信用できねえ。その人がどれだけヒーラーとして優秀でも、信頼関係を築くのにかなり時間がかかるだろう。これは俺だからって話ではなく、おそらくうちのギルド全体の総意だ。
だからこそ辞めるしかないなんて、笑い話にもならない。
「――他の、どんな理由でも、引き止めたんだけどな」
「そうだな」
「これだけは、引き止められねえわ」
知ってはいた。ねむ蝉が酒が入るとする話の一つだ。
ただ、現実とリンクしていなかった。
自分からは遠い話にしかなっていなかった。
提示された嫌に明確なタイムリミットに、もう一度ため息が溢れた。
「本当に、どーすっかなぁ……」




