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白銀の風使いと呪詛の爪痕  作者: 灯乃


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3/25

はじまりのおわり

 知っているかい?

 人間というものは、大切な相手を心から愛しながら、顔も知らない誰かに呪いを撒き散らせる生き物なんだよ。


***


 かつて、大陸全土を覆い尽くした戦禍があった。

 人々がすべてに絶望し、疲弊しきった先に戦が収束したのは、一握りの英雄が活躍した末に平和を勝ち取ったからではない。

 魔力を持って生まれた者たちを例外なく兵士として育て上げ、彼らがより強大な力を発揮できるよう開発された魔導武器。

 次々に新たな技術が現れては消えていき、たった数年の間に大陸すべてを焼き尽くせるほどの魔導武器が生み出された。

 より強く、より効率的に人の命を奪うために――。


 そんな狂乱の果てに、最初に『それ』に手を出した者に関する詳細な記録は残されていない。

 名も無き彼、あるいは彼女だろうか。

 土の魔術に長けていたらしいその魔導士は、自らの命と引き換えに生み出した『呪詛』をもって、とある国の王都を一夜にして壊滅させた。

 すでに大量の人々の血を吸っていた大地に、己の血のすべてを捧げ、それまで誰も為したことのない呪詛を完成させたのだ。

 そうして生まれた人の血を求める巨大な植物たちは、逃げ惑う人々を誰ひとり逃すことなく強靱な蔓で縊り殺し、その命を糧に成長し続ける。

 悪夢のような夜が明け、太陽の光を浴びたその植物たちは、過剰増殖によって細胞が自壊し、ほんの数時間で跡形もなく消滅したという。


 ……そんな惨状を目の当たりにし、このような悲劇を繰り返してはならないと思う者が多くいれば、あるいはその後の歴史は変わっていたのかもしれない。

 だが、戦争の狂乱のただ中にあった人々は、それを好機だと考えた。

 たったひとりの魔導士の犠牲で、街ひとつを壊滅させられる。これほど効率的な戦争の道具が、ほかにあるものか――と。


 各国の軍部はこぞって呪詛の研究開発に没頭し、数え切れないほど多くのおぞましい惨劇がもたらされた。

 多くの人々は、たしかに一日も早い戦争の終結を望んでいたのだろう。

 だが、その結果を得るための過程の是非を、一度足を止めて問い直すだけの余裕を、きっと誰も持っていなかった。

 各国が総力を挙げて開発したありとあらゆる呪詛が大陸中に放たれ、その狂乱が過ぎ去ったときには、大陸全体の人口が戦前の三分の一にまで減少していたという。


 戦禍は、過ぎ去った。

 だが、人々が手に入れたのは平和がもたらす穏やかな生活などではなく、瓦礫の中から壊れた心のかけらを拾い上げるような日々のはじまりだった。

 呪詛の痕跡は大陸中に濃い影を起こしており、復興への道は遠く険しい。

 それでも、人々は立ち止まることだけはしなかった。

 何度も暗闇の中でうずくまりそうになりながらも、少しずつ少しずつ前へと進んでいく。


 ――それから、八十年。

 焦土と化した大陸が、それ以前と同じレベルの社会システムを構築し、各国から貧民街が姿を消すまで、それだけの時間が必要だった。

 けれど、どれほど大地が豊かさを取り戻そうとも、人々が心からの笑顔を浮かべるようになろうとも、今の大陸は戦前にはなかった脅威に常に晒されている。


 終戦間際、各国はそれまでに開発してきた呪詛を用いることに、なんのためらいも持たなかった。数多の呪詛が大陸中にまき散らされ、それに対するカウンターをどれほど用意しようとも、そんなものは焼け石に水に等しい。

 結果、この大陸にはいまだ芽吹いていない呪詛の種子が、数え切れないほどに眠っている。それらがどんな条件付けで解放されるものなのか、知る者たちもすでに亡い。

 ある日突然発動した呪詛により、これまでどれほどの人々が犠牲になっただろう。


 そんな呪詛の恐怖に対抗するべく、大陸中の国々の賛同の元に設立されたのが、呪詛対策機関。

 八十年という時間の中で、人々は呪詛に抗う力と知識を蓄え続けてきた。

 呪詛の核となっているのは、それを為した魔導士の命そのもの。

 ときに吹き荒れる嵐のように、ときにおぞましい獣やヒトの姿をとって現れる呪詛の脅威に対抗しうるのは、やはり魔力を持って生まれた者たちだけだった。


 呪詛対策機関は、再び大陸全土を巻きこむ戦乱を避けるため、数多くの制約をかけたうえで新たな魔導武器の開発に着手した。

 人を殺すためのものではなく、人を守るためのものとして開発されたそれらは、厳しい教育基準をクリアした者のみが手にできる。

 呪詛対策機関の承認を受けた魔導兵士たちは、大陸各地に呪詛の影が現れるたび、命がけでそれらを狩り続けてきた。


 ……そんなふうに、人々が呪詛に抗い続けてきたゆえなのだろうか。

 いつしか、魔力を持って生まれた子どもたちの中に、自然魔力に高い適性を持つ者が現れた。

 自らが生まれ持った魔力だけでなく、大地に、風に、水に、そして炎の中に満ちる膨大な魔力を自在に操り、人が作り出した魔導武器に頼ることなく呪詛に抗う。

 それまで、どんな魔導武器でも弱体化させることしかできなかった呪詛の核を、純粋な自然魔力を通す魔導剣ならば完全に破却できると知ったとき、人々は歓喜の雄叫びを上げた。

 彼らが操る自然魔力は、かつて人々が生み出した呪詛を浄化するため、この世界が慈悲を持って与えてくれたものであったのか。


 ……けれど、人はいつでも間違える。勘違いを、してしまう。

 束の間の平穏に慣れたときから、思い上がってしまうのだ。

 自然魔力に対する、異常なほど高い親和性を持つ子ども――いつしか『マスター』と呼ばれるようになった彼らの力を、己の欲望を満たすための道具にしようと考える者。

 高い地位と権力を持ち、無力な子どもの未来など、己の都合のために簡単に歪めることができる者。

 身分の低い者の心や願いなど、路傍の石よりも無価値な者だと思う者。

 そんな者たちが現れるのもまた、人の世の必然なのだろう――。


***


 王都郊外の小さな借家。

 簡素な寝室とキッチンにリビング、バスルームだけで構成された古びた家が、数日前にバルドメロ王国の水使い(アクアマスター)と認定されたギル・レノックスの住居だ。

 ギルがつい先日まで暮らしていたのは、レノックス伯爵家の本邸である。しかし、そこはギルにとって、まったく心身を休められる場所ではない。


 大変ありがたいことに、水使い(アクアマスター)としての働きに対して支給される給金は、ギルが想定していた金額より二桁も多かった。

 呪詛対策機関から指定された信用度の高い金融機関に、新しく作った口座に毎月振り込まれる給金は、ギル以外の人間に関与することは叶わない。魔導士の本人確認に、魔力の波長を利用した最新のシステムを採用しているというその金融機関は、守秘義務についても大陸随一の厳しさを誇っているという。

 つまり、今後は自由に使える金銭が――しかもとんでもない大金が、呪詛対策機関できちんと働いている限り、毎月欠かさず手に入るということだ。


 その事実を知るなり、即座に不動産屋に飛びこんだ自分の行動力を、全力で褒めてやりたい。

 レノックス伯爵家の人々も、ギルが『任務のことで、本邸のみなさまにご迷惑を掛けるわけには参りませんので』と言えば、それを当然と受け入れた。

 元々、ギルのことを絶対に自分たちに逆らうことのない、都合のいい道具のように考えている連中だ。こちらが水使い(アクアマスター)として問題なく働いてさえいれば、わざわざ何か言ってくることもあるまい。


 ……本当に、こんなふうにゆっくりと心と体を休めることができるなんて、何年ぶりだろう。

 シンプルな外出着のまま、仰向けに硬い床に転がったギルは、ぼんやりと目の前に右手をかざした。


(……『おれ』は、『ギル』。十八歳の、『ギル・レノックス』。十五歳の、『セシリア・ローウェル』という女の子は、もういない。もう、どこにもいないんだ)


 ギルがまだセシリアと名乗っていた、四年前のこと。

 空全体を覆い尽くすような雷が轟く嵐の晩、突然現れたヒトガタの呪詛に、彼女の両親は抗う術もなく食い殺された。激しく屋根を叩く驟雨の中、ふたりの肉がちぎれ、骨が砕けるおぞましい音は、いまだに耳の奥に残っている。

 ショックのあまり、瞬きすら忘れて呆然とする妹だけでも守ろうと、必死にセシリアを抱きしめる姉にヒトガタの手が伸びた瞬間、目の前が真っ赤に染まった。

 暴走し、姉以外のすべてを破壊し尽くさんとする魔力を前に、そのヒトガタはひどく楽しげに笑って言った。


 ――いいねえ、キミ。本当に、とっても美味しそうだ。

 ――だけどキミは、きっとまだまだ美味しくなれる。キミを食べるのは、もう少し先のことにしよう。

 ――ボクの名は、エサイアス。『裏返し(リバース)』のエサイアスだよ。

 ――キミの両親には拒絶されちゃったけど、ボクは人間の愛情を、その大きさに比例する殺戮衝動に変換することができるんだ。

 ――キミの肉体と魔力が充分育って、その心が真っ黒な絶望に染まったとき、最高のご馳走となったキミを食べてあげる。

 ――だから、今はさよなら。

 ――大人になったキミと、また会えるときを楽しみにしているよ。


 そう言ったヒトガタの冷たい手が、べったりとセシリアの顔を撫でていった。

 小さなパン屋を営んでいた両親が、ヒトガタの呪詛に食い殺されたという話は、すぐに領主であるレノックス伯爵家に伝わったようだ。

 伯爵家に保護されてからのことは、よく覚えていない。


 当時、姉のエレインは十九歳。

 何事もなければ、八歳年上の彼女は、その年の秋に幼馴染みの恋人と結婚する予定だった。

 事件のあと、両親の弔いを終えたら一緒に暮らそう、と彼が言ってくれたのだと、姉はセシリアの手を握りしめながら泣いていた。

 姉の恋人は、とても優しい青年だ。呪詛の爪痕を受けたセシリアの今後についても、周囲の人々に相談しながら、きちんと面倒を見ると約束してくれたらしい。


 けれど、そんなささやかで平和な未来が訪れることはなかった。

 呪詛の爪痕を刻まれるということは、膨大な魔力を持って生まれたのと同義である。そんな子どもが、力ある人間にとってもこれ以上ないほど魅力的なエサなのだと知ったのは、それからしばらく経ってからのこと。

 大人たちの間でどういうやり取りがあったのかは知らないけれど、両親が亡くなってからずっと気丈にセシリアを守ってくれた姉が、呪われた妹を疎んじて手放したとは思わない。

 姉が恋人とともに去っていくとき、泣きながらセシリアを抱きしめて「あなたはここで、ちゃんとした教育を受けられる。父さんと母さんのぶんまで、幸せになるのよ」と言ってくれたのは、決して嘘ではなかったはずだ。


 そうして、ひとりレノックス伯爵家に残されたセシリアに待っていたのは、使い勝手のいい魔導兵士となるための、ひたすら過酷な訓練だった。

 怒鳴る、殴る、蹴る、怒鳴る。

 その繰り返しの中で、姉が面会を求めてくることが何度かあったらしい。

 送られてきた手紙の中で、結婚式は両親の喪が明けてからになるけれど、彼女を正式に夫として守りたいという恋人からの希望で、籍だけ先に入れたのだという報告もあった。

 そんな姉夫婦を祝福するために、泣きながら彼女に会いたいと願うセシリアを、煩わしげに冷たく見据えた伯爵は、使用人に命じて無理矢理彼女の髪を切り落とした。


 ――これは、遺髪としておまえの姉に渡してやる。

 ――おまえは物見遊山の間に、事故に遭って死んだのだ。

 ――忘れるな。たかが平民の若夫婦、私がその気になればいつでも潰してやれるのだからな。


 父譲りの、少しだけ癖のある柔らかな黒髪は、セシリアにとってとても大切なものだった。

 丁寧に手入れされた長い髪は、女性であることの証であり、誇りでもある。それを奪われ、もはや泣くこともできなくなった。

 必死に抵抗するセシリアの悲鳴とともに切り落とされた髪は、メイドによってさらに短く整えられ、その日から彼女は『ギル』になったのだ。


 伯爵家から簡素な葬儀を出され、セシリアはギルという名の『死人』となった。

 膨大な魔力量ばかりが取り柄の平民の子どもが、毎日何度も気絶するほど厳しい訓練を施され、主の命令には一切逆らえないよう人質を取られる理由など、たったひとつだ。

 セシリアは、レノックス伯爵家の従順な奴隷。

 殴るのも蹴るのも自由、どんな危険な仕事を押しつけるのも自由。


 伯爵家の領内に呪詛が出るたび、旧式の魔導武器で密かに出撃させられた。はじめのうちはまるで上手くできなくて、何度も死ぬような目に遭ったものだ。

 彼女が必死で弱体化させた呪詛の核を、伯爵家の嫡男が易々と魔導剣で破却するたび、伯爵家の勇名はますます高まっていく。その影で、体中傷だらけになりながら、泣くこともできずにいる子どものことなど、誰も気に掛けることはない。

 それでもセシリアが歯を食いしばって戦い続けたのは、ただひたすらに姉のためだ。


 ――おまえの教育に、いったいいくら掛けたと思っている。

 ――せいぜい、感謝するがいい。

 ――その爪痕の主がおまえを食らいにきたとしても、生き残れるようにしてやっているのだからな。


 そんなことを、頼んだ覚えなどない。

 死んだほうがマシだと思う日々が続く悪夢のような現実に、どう感謝しろというのか。


 ――抗うな。おまえに自由意志など必要ない。黙って従え。戦え。

 ――もしおまえが無駄死にするようなことがあったなら、今まで投資してきたぶんはおまえの姉に支払ってもらうしかあるまいな。

 ――なに、心配するな。おまえの姉の見目なら、充分によい値がつくだろうよ。


 この生き地獄から逃れるために、自ら死ぬことすら許されない。

 殺してやりたい、と何度も思った。

 憎しみで人を殺せるのなら、セシリアはレノックス伯爵家の人間たちを、とうに皆殺しにしていただろう。


 ……それでも、たったひとりの肉親である姉だけは、どうしても幸せになってほしかった。

 両親はとても悲しいことになってしまったけれど、優しい幼馴染みと結婚し、愛する相手と穏やかに想い合う日々を送っているだろう彼女の幸せだけは、何があっても守りたかったのだ。

 セシリアにとって姉の幸福は、たったひとつ残された小さな希望。

 どれほど傷だらけになって戦うことが辛くても、苦しくて悲しいことがあっても。

 ヒトガタの呪詛から、必死で妹を守ろうとしてくれた彼女を思えば、何度でもひとりで立ち上がれた。


(二ヶ月前の、目の色が青くなったわたしを見たときの伯爵の顔だけは、ちょっと面白かったかな……)


 その日は、厄介な群れを作るタイプの呪詛と前日から一晩中交戦しており、かなり心身を消耗していた。

 逃走防止のフィールドに引っかかった呪詛の中心に対して魔導武器を構え、そのままフルパワーの魔力弾を叩きこもうとした瞬間、一切の手応えが消えたのだ。

 何度引き金を引いても、まったく反応しなくなった魔導武器に愕然とした瞬間、反撃に転じた獣型の呪詛が牙を剥いて飛びかかってきた。


 ――死ぬ。


 そう思うより先に、歪んだ獣の姿をした呪詛が数体、目の前で叩き潰された。

 困惑したのは、一瞬。

 緩やかに姿を変えながら空中を漂っている水の塊が、自分を守るものなのだと、本能的に理解した。

 そのとき、自分の喉を迸ったのが、歓喜の咆哮だったのか、狂気の絶叫だったのかはわからない。

 気がついたときには、周囲に動くものは何一つなく、膨大な魔力を孕んだ水のきらめきばかりが場違いなほどに美しかった。

 妙に重たく感じる魔導武器を抱えて戻ったギルの瞳を見た者たちが、次々に悲鳴じみた声を上げるのを、他人事のようにぼんやりと眺めていたことを覚えている。


(まさか、男扱いのまま養子にされるとは思わなかったけど。絶対に女だってバレるような真似はするなとか、他人事だと思って簡単に言うところが、ホント腹立つ。バレたらまずいことなんて、最初からしなければいいのに)


 今後は『ギル・レノックス』と名乗ることを命じられ、女性の婚約者まであてがわれた。

 伯爵の嫡男の愛人だというその女性の顔も名前も、いまだに知らない。ただ、今後ギルが外で暮らす中で、すでに婚約者がいるという事実は、某かの役に立つらしい。

 公表するのはまだまだ先のことだという話だし、何がどう役に立つのかはさっぱりわからないけれど、どうせセシリアに拒否権などない。ただ、あんな節操のない男の愛人などしている女性の正気を、少々疑ってしまっただけだ。


 ――いやなことを、思い出す。

 セシリアが十四歳になった頃から、訓練中や呪詛の討伐任務の際に、伯爵家の嫡男から偶然を装って胸や腰を触られることが増えたのだ。

 ぞっとした。

『このままでは戦いにくいから』と理由で、胸部を覆うプロテクターの使用申請が通ったときには、心底ほっとしたものだ。


 幸いなことに、それ以来ずっと使用しているプロテクターは、今も無駄に成長している胸部をしっかりと抑えこんでくれている。触れても硬いばかりの感触のそれに、伯爵家の嫡男は忌々しげに舌打ちしていた。

 激しい戦闘の際などは、時折息苦しさを覚えることもあるけれど、背に腹はかえられない。

 いくら戦闘時の興奮状態に引っ張られたからとはいえ、未成年の――それも男の姿をした子どもにまで発情するような変態など、股間から腐り落ちてしまえばいいのに。


(……姉さんは、幸せでいてね)


 姉にとって、セシリアはすでに死んだ身だ。

 もう、会いたいとは思わない。思えない。

 戦うことばかりを覚えた体は、四年間の間に見違えるほど背が伸びた。

 男のように短い髪をして、あらゆる武器に馴染んだ手指はすっかり硬くなっている。姉と同じ明るい琥珀色だった瞳は、今や不気味なほど鮮やかな青色だ。

 もし今姉と会ったとしても、彼女がセシリアを妹だと気付く理由があるなら、それはきっと呪詛の爪痕だけに違いない。


 戦って、戦って、戦って――そしていつか、自分には決して勝てることのない相手と巡り会えれば、何憂うことなく死ぬことができる。楽になれる。

 そんな状況であれば、いくら下劣なレノックス伯爵家の人々でも、姉に危害を加えることはないだろう。

 念のため、呪詛対策機関から得られる多額の給金も、必要以上に使うつもりはない。それを遺しておけば、あちらも文句を言う理由はないはずだ。


 ……もう、疲れた。

 早く、楽になりたい。

 水使い(アクアマスター)として、危険な現場に投入されることが増えていけば、もしかしたらその機会は早く訪れてくれるだろうか。

 そう思うと、クツクツと勝手に喉が鳴った。

 笑っているのか。よくわからない。

 この四年間、笑ったことなど一度もないのだ。


(父さん。母さん。安心して。姉さんは、ちゃんとわたしが――おれが、守るから)


 優しい両親と姉に愛され、幸せだった少女のセシリア・ローウェルはもういない。

 今ここにいるのは、水使い(アクアマスター)のギル・レノックス。

 呪詛と戦って、死ぬためだけに生きている。


(おれが死ぬまで、ちゃんと戦って守るから)


 だから、いつか会えたときには、褒めてほしい。

 がんばったね、と抱きしめてほしい。

 そのときの喜びを思うだけで、自分はどんな恐ろしい敵とも戦うことができるから。

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