07
「……結構話したな。もういい時間だ」
利玖が中庭に立つ時計へと視線を向ける。いつの間にかもう直ぐ十七時になりそうだった。
気付けば周囲のテラス席は少しずつ空席ばかりになっていて、ついさっきまで賑やかだった空間が少し寂しげに映る。
(そろそろ寮に戻らないと)
「そうっすね。利玖先輩、瑛梨香先輩、涙先輩、今日はお時間いただき、ありがとうございますっ」
玲央くんがきちんと姿勢を正し、感謝を口にする。その真面目な声音に釣られるように、私たちも同じように頭を下げた。
「いいえー。また聞きたいことあったら聞きにおいで。情報の量が多い方が優位だからな」
利玖は軽く笑みを浮かべ、自分のカップを持って立ち上がった。その背中はどこか頼もしく見えて、言葉以上の説得力を持っている気がした。
瑛梨香先輩も涙先輩も続いて立ち上がり、それぞれのカップを片付けに向かう。
「っ、涙先輩!」
その時、立ち上がった詩乃ちゃんが、緊張を隠しきれない声で涙先輩を呼び止めた。小走りで近寄って行く背中から、勇気を振り絞る気持ちが伝わってくる。私はその様子につい目を奪われた。
だからテーブルに残った自分のポットやカップに気付かなかった。視線を戻した時、すでにトレーごと影も形もない。
(あれ? 誰が?)
少し戸惑いながらキョロキョロ辺りを見回すと、少し離れたところでカナタが自分のグラスと一緒に、私の分まで持って行ってくれているのが見えた。それに気付いた瞬間、ふっと肩の力が抜けた。
胸の奥がほんのり熱くなって、何だか言葉にできない気持ちが押し寄せる。慌てて椅子を元に戻して小さく息を吸ってから、私は急いでカナタのところまで駆け出した。
カナタの横に並ぶと、無機質な鋼鉄のマスクが僅かに私に向いた。鼻から口元を覆うそれは、金属故の冷たさが目に入るのにそこから続く目元だけは不思議なくらい柔らかくて、その対比が却ってカナタの優しさを際立たせて見えた。
その眼差しに包まれた気がして、胸の奥がそっと温かくなる。
「ありがとう、カナタ」
『ううん、大丈夫だよ。……この間のお礼』
機械混じりの声は落ち着いているのにどこか安心感があって、自然に胸の奥に灯りがともる。
「この間?」
『アイスコーヒーのグラスと空のパック、一緒に片付けてくれたでしょ』
その言葉を聞きふっと記憶が蘇る。そう言えばあの時、玲央くんと三人で初めて食堂で昼食を食べた日。私は自分の食器を片付けようとして、ついでにカナタのグラスと空のパックも一緒に片付けたんだった。
「あ〜……そんなことあったね。覚えててくれたんだ」
『まぁね』
カナタは歩きながらも時折、私をチラリと見てくれる。その視線がまるで私を確かめるみたいで、何だか胸がキュッとなる。
中庭からカフェに入るドアを開けると、カナタは小さく「ありがとう」と言った。私はそれに笑顔で返す。
「じゃあ、今度は私が“お礼のお礼”をしないとねっ」
少しおどけて言うと、カナタのチョーカーからふっと笑う息遣いが聞こえる。なぜか胸の奥がキュンとして、思わず手を握りしめたくなるくらいドキドキした。
『それじゃあ“お礼のお礼のお礼”を考えないと』
「えーっ! ふふっ」
カナタは返却口にトレーを置きながら、私の真似をするように言った。カナタがそんな冗談を言うとは思わず、口元に手を添えて笑ってしまう。
笑い声の奥で、胸の奥が熱くて、どうしようもなく弾む。何だか世界が少しだけ柔らかくて優しくて。
カナタと一緒にいるだけで、心がこんなにも揺れるなんて思わなかった。
その温かさに包まれたまま、私は胸の奥で小さな秘密を抱えた気分になっていた。言葉にはできないけど、確かにここに生まれた大事なもの。
そんな時だった。
「莉愛ちゃん、莉愛ちゃんっ!」
軽やかな駆け足音と一緒に、詩乃ちゃんの声が近付いてきた。カナタとのやり取りに浸っていた私は、慌てて背筋を伸ばす。
「涙先輩、また今度会ってくれるって!」
詩乃ちゃんの瞳は、夕陽を映したみたいに煌めいていた。両手で小さなメモ帳をギュッと抱きしめる姿は、宝物を守るみたいに大事そう。
きっとそこにはさっき先輩からもらった、大切な言葉がギュッと詰まっているんだと思う。
「よかったねっ! 魔械のこと、聞くの?」
「うんっ!」
返事は短いのに、そこに込められた熱が伝わってくる。さっき涙先輩の話を聞いている時も、詩乃ちゃんは人が変わったみたいに真剣で、あの横顔を見て私は胸が少しざわめいた。
夢に近付ける人の言葉を聞けて、きっとすごく嬉しかったんだと思う。
詩乃ちゃんはさらに目を煌めかせて言う。
「操縦と、魔械創駆のことは任せてねっ!」
その言葉は、冗談なんかじゃなくて本気で。同い年なのにちょっと大人っぽく見えて、思わず私は見惚れてしまった。
“詩乃ちゃんがいるなら、きっと大丈夫”
そんな安心感までくれるから、不思議。
「……うんっ! 私も操導者、頑張るねっ」
言葉にすると、不思議なくらい心の中がポッと温かくなった。詩乃ちゃんが笑って頷いてくれるだけで、それがまるで約束みたいに思えて。
気付けば夕陽はすっかり傾いて、空を茜色に染めていた。
「それじゃあ、帰ろっか」
玲央くんがグラスを返却口に置くと、軽く伸びをして声をかけてくれる。
「うんっ」
私と詩乃ちゃんは顔を見合わせて歩き出す。カナタが静かに歩み寄って来て、いつもの優しい眼差しを向けてくれる。その視線だけで不思議と安心してしまう。
利玖たち先輩三人と私たち六人は、一緒にバスロータリーへ向かって歩いていた。
玲央くんは夢中で利玖に質問を浴びせていて、優ちゃんは瑛梨香先輩や涙先輩と楽しそうに談笑している。
その様子に自然と間が空いて、気付けばまたいつもの四人が揃っていた。私と詩乃ちゃんを真ん中に、私の隣にはカナタ、詩乃ちゃんの隣には拓斗で並ぶ。
横に肩を揃えて歩くと、まるで帰り道そのものが私たちの場所みたいに思えて、胸の奥に小さな温もりが広がっていく。
「……まさかこの四人で、それぞれペアになるなんてね〜」
隣を歩く詩乃ちゃんが、ポツリと呟いた。
その声には、カナタと拓斗の初等部の頃の確執を心配する響きと、ここから良くなってほしいという祈りのような願いが重なっていた。
少しずつ拓斗を知っていくと、あの態度の裏にあったものがただの意地や反発だけじゃなかったんじゃないか、と思えてしまう。
負けたくない気持ちとか、認められたい気持ちとか。もしかしたら、言葉にできない不器用さがあの時の行動に繋がっていただけなのかもしれない。
(だからって、許される行為じゃないけど)
それでも……カナタと拓斗の間に流れていた冷たい空気が、ほんの少しずつ解けていくような——そんな未来を信じたくなる。
「……そうだな。ていうか、またお前ら一緒なんだな」
拓斗がボソッと呟いた瞬間、詩乃ちゃんの肩がピクリと動いた。
「っ! そうなのっ! いいでしょっ!」
次の瞬間にパァッと顔を輝かせる。反応してくれたのが嬉しいみたいで、花が咲いたように笑う。自慢げに胸を張るその様子は見ているだけでこっちまで嬉しくなる。
拓斗はそんな詩乃ちゃんの反応をチラリと見て、ほんの少しだけ笑った。本当に一瞬だけ、口の端がピクリと上がったくらいの笑顔。
「いや、俺も操導者だしなぁ。どっちにしろ莉愛とは組めねぇよ」
ぶっきらぼうに言いながらも、その声音はどこか柔らかい。意外と気を遣ってくれているのかもしれない。
「あ、そっかっ」
詩乃ちゃんは一瞬目を丸くしたけど、すぐに安心したように笑った。その笑顔はまるで「これでいいんだ」と言っているみたいで、胸の奥がふわりと膨らむようだった。
バスロータリーへ向かう道は、夕焼けと魔械灯の明かりが混ざり合って、どこか柔らかい色に包まれていた。少し冷えた風が吹いて、羽織の袖を揺らす。
並んで歩く足音が心地よく重なって、まるでそれ自体が音楽みたいに響く。
今日聞いたこと、話したこと、笑ったこと。その全部が、胸の奥でキラキラと光っている。その煌めきにうっとりしながら、私はみんなと一緒に、歩いていった。
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