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 鏡を抜けた先の別館は、本館とはまるで違う雰囲気だった。


 まず目に飛び込んできたのは中庭の光景。本館の整然とした広場とは違い、そこには柔らかな雰囲気が漂っている。陽を避ける白いパラソルが規則正しく並び、その下には木製のテーブルと椅子がいくつもセットになって置かれていた。


 テラスのような空間は、自然と生徒たちが腰を下ろして談笑する光景を想像させる。中庭の一角にはガラス張りの壁があってその中にはカウンターがあり、まるで学園内の小さなカフェのように見えた。


「「わぁ……!!」」


 周囲の生徒たちも同じように気付いたみたいで、一斉に歓声をあげる。驚きと期待が入り混じった声が、広々とした空間に弾むように響いた。


「ここ別館には、特別教室や職員室、保健室、そして食堂とカフェがあります」


 列になって前の人に続いて歩いて行くと、先生の落ち着いた声が耳に届いた。案内に従って曲がり角を抜けると、視界が一気に開ける。


 そこは大きな食堂だった。寮の食堂と似てはいるけど規模がまるで違う。磨き込まれた床に規則正しく並んだ長テーブルと長椅子は、見渡すだけで数え切れないほど。入り口近くには巨大なカウンターが構え、背後の厨房には幾人もの料理人や補助員が動き回っているのが見えた。


 天井は高く魔械(マギア)灯が柔らかな光を放ち、窓からは朝の陽光が差し込んで空気全体を明るく照らしている。思わず息を漏らす生徒の声があちこちから聞こえてきた。


「食堂は、多くの生徒が同時に利用できるように広く設計されています。皆さん、どうぞ安心して利用してくださいね」


 先生の説明が続く中、私はその広さに圧倒されながらここでどんな日常が待っているのかを想像せずにはいられなかった。


 その後も案内は続いた。


 理科室、家庭科室、音楽室、美術室、視聴覚教室、多目的室——


 どれも初等部の時に利用したことがある特別教室ばかりだけど、どの部屋も広さも設備も格段に充実していて、同じ“特別教室”という名前でも、まるで別世界のように感じられた。


 さらに、保健室や職員室といった基本的な場所に加えて時計塔、中は見れなかったけど生徒会室や生徒会長専用の部屋まで案内される。廊下の一角には文具店が並んでいて、さらに制服の仕立て屋まであったのには驚いた。校舎というより小さな街の中を歩いているような感覚。


 そして案内の最後に辿り着いたのは、別館と渡り廊下で繋がる背の高い建物——図書棟だった。


 本館からも遠くに(そび)える姿が見えていたけど、間近で見上げるとその壮大さに思わず息を呑む。


 重厚な扉を抜けると、そこにはいくつも並ぶ書架が広がっていて視界の果てまで本が積み上げられている。天井近くまで届く本棚は、梯子や浮遊魔法を使わなければ手に取れないほどで、知識の山が圧倒的な存在感を放っていた。


(本当に、こんなに本があるなんて)


 本というと、緑の教会の図書室しか知らなかった私はただただ驚いた。


 まるで世界中の言葉と知識が集められた宝物庫のようで、私の胸は高鳴っていた。


 キーン、コーン、カーン、コーン——


 三時間目の終わりを告げるチャイムが校舎に響いた。


「皆さん、これで学園案内は終了です。四時間目はそれぞれの教室で、鏡の使い方と教科書の説明を行います。机の上に配布してありますので、戻ったら確認してください」


 先生の声に続いて、あちこちで安堵の溜息が漏れる。


 気付けばあっという間に時間が過ぎていた。それだけ案内は濃くて、見て回るものも多かった。だけど——


(カナタの言った通り、意外と大丈夫だったな)


 最初はこんなに広い学園で迷わず過ごせるのかなって不安だった。でも、校舎の造りは広いわりにシンプルで、要所には必ず鏡が設置されている。あれを使えば、迷子になる心配はなさそう。


 問題は——鏡を自在に使いこなせるかどうか。


 前の人たちに合わせて歩いて行くと、廊下の突き当たりで先生が鏡を操作しながら案内していた。


「宵の人はこちらに入ってください」


 その声に従って、巨大な鏡に飛び込んだ。


 温かい水に飛び込んだ感覚が抜けると視界が揺れて、次の瞬間には少し見慣れた階段の踊り場に立っていた。


「ふぅ〜……終わったぁ」


 背後から力の抜けた声が聞こえ、振り返ると玲央くんがすっかりくたびれた顔をしていた。


「ふふっ。疲れちゃった?」


「疲れたよぉ。俺、こういうのは慣れて覚えるタイプだからさ。まとめて詰め込まれると頭がパンクしそ〜」


 後ろからも次々に宵のクラスの子たちが鏡を抜けて出てくる。その流れを避けるように、玲央くんは手すりに背を預けて深い溜息を吐いた。私も何となく、それに(なら)って隣に立つ。


 そんな時——


「あっ! 莉愛ちゃんっ!」


 聞き慣れた声が弾んで、振り向くと鏡から出てきた芽依ちゃんが駆け寄ってきた。


「学園、広かったねぇ! 他の子の教室に行くの、大変そうだよねっ。……あれ?」


 芽依ちゃんの視線が、私の隣にいる玲央くんへと移る。そして私に「この人は?」とでも言いたげに、分かりやすい目配せをしてきた。


(まぁ、名前くらいならいいよね)


「同じクラスの玲央くんだよ。私の後ろの席なの」


「あっ……ど、ども」


 紹介すると、芽依ちゃんは安心したように表情を和らげ、ニコっと笑って挨拶を返す。


「初めまして、芽依ですっ。莉愛ちゃんと同じ、弥生寮なんです」


「あっ、えっと……俺、睦月寮です」


 玲央くんは、どこか落ち着かない様子で言葉を選びながら名乗った。その頬は少し赤く染まっていて、普段の人懐っこい雰囲気がすっかり影を潜めている。


 ——芽依ちゃんの前だと、どうやら緊張しているみたいだった。


 鏡から出てくる、宵のクラスの子たちの流れがひと段落した頃、三人で途中まで一緒に戻ることにした。


 とは言え、階段を上がれば一九組と二〇組はすぐそこだった。


「じゃあ、また後でねっ!」


 芽依ちゃんが軽やかに手を振る。私と玲央くんも手を振り返した。


 芽依ちゃんが自分のクラスへ入って行き、その背中が見えなくなっても、玲央くんはしばらくドアをジッと見つめていた。


 その様子が気になってチラッと横目で見ると、ちょうど玲央くんと目が合った。玲央くんは気まずそうに咳払いをして視線を逸らした。


「ふふっ……よかったね」


 私が揶揄(からか)うように笑うと、


「あー……うん、ありがとうございます」


 何故か丁寧過ぎる言葉で返してきた。妙に真面目なその態度が可笑しくて、私はまた笑ってしまう。


 そんな調子で教室に戻りながら、玲央くんがふざけたように言った。


「いやー俺、もうずっと莉愛ちゃんのそばにいるわ」


「ふふっ、え〜、なにそれっ!」


 軽口を交わしながら、それぞれの席へ向かうと、見慣れない本が綺麗に積まれていた。分厚いものもあれば、表紙に鮮やかな模様が描かれているものもある。


(これが教科書かっ!)


 胸の奥で小さく弾むような感覚。いよいよ、本当に中学生になったんだと実感した。



ここまで読んでくださりありがとうございます。もし少しでも面白いと思っていただけたら、感想や評価で応援していただけると嬉しいです。

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