猫と和解せよ 4
「なあ、それだったら私の謎も解いてくれないか」
太刀川先輩が言った。
「見事に私の謎を解き明かしてくれたら、そのミステリ研究会に力添えしてやってもいいぞ」
どうしてこうなった。
「おれはどちらかというと裕美のお付き合いで入っているだけで、謎解きに関しては裕美やオカメインコのほうが得意だと思います。理系の知識でも、そこに名前が書いてある林原詩織さんが学年でもトップです。おれでは――」
陽向が言った。
「でも、いま私の目の前にいるのは陽向だ」
手を合わせ、太刀川先輩が言った。
「頼むよ」
和服美女って、どうしてこう色っぽいんだろう。
陽向に拒否の選択肢はない。
「家の後ろに、小さな公園がある」
確かにある。
というか、そこに兄の太陽から借りたロードレーサーを置いてある。
すぐにこの家にたどり着けたわけじゃない。先輩の家と手土産用のお店をマップソフトで確認して早めにロードレーサーで家を出たのだが、目の前になんかの博物館のような大きな純和風の家があるけれどさすがにあれではないだろういくらなんでも違うだろうと、約束の時間ぎりぎりまでさんざん探してしまったのだ。
目立つからすぐわかるといわれていたのだけども。
たしかにその通りなのだけども。
まさか、こんな素直に目立つ家だとは思わなかった。
「聞いているのか? そこにブランコがあってな」
「あ、はい」
「それが、夜になると音を立てるようになった」
今までそんなことはなかったんだ。
それが、この頃になって急に、夜にひとりでに揺れるようになったんだ。
「それも、だ」
先輩の言葉は続く。
「二列のブランコなのに、片方だけだ。そんなことがあるだろうか」
陽向は眼をしばたたかせている。
あれれ。
謎解きって、これでいいのか。
身構えていたのに正直気が抜けてしまったが、それでも知りたいのなら教えてあげようかなと思った。ただ、陽向の頭の片隅にひっかかるものがある。
「どうした、陽向。おまえでもわからないか」
先輩が微笑んだ。
そのさみしげな笑顔にもう少し考えてから、陽向は言った。
「ありえない事ではないです」
「ブランコには固有振動数で揺れるとその揺れ幅が大きくなる性質があるんです」
専門的にはパラメトリック励振と呼ぶ。ブランコに乗り慣れた子なら体でそれを覚えていて、ぐんぐん揺れ幅を大きくしたりする。
「風だったり、工事とかの振動だったりがたまたまそのブランコを共振させた場合、人にわかるほど揺れが大きくなることはあるんです」
「でも、陽向」
先輩は納得がいかないようだ。
「あのブランコは片方だけ揺れるんだ」
「あの公園のまわりで、新しく建った家はありませんか。家がなくなった場合よりそっちのほうが可能性が高いんじゃないかな」
「……ある」
「風の流れと言うのは案外複雑で、特にビルが建ち並ぶ都会だと二人で並んで歩いていても違う風を受けることもあるそうです。新しく建った家のために風の流れが変わり、片方のブランコにだけ共振を起こす風が吹いたんじゃないでしょうか」
「……」
先輩は明らかに気落ちしている。
想像が当たってしまったのだろうか。陽向は気まずい。
「わかった」
にっこりと先輩が微笑んだ。
「ありがとう。聞いてみるものだな。ミステリ研のことはまかせてくれ。ただ、まずは賛同者を五人揃えることだ」
「ありがとうございます」
陽向は頭を下げた。
そうか。
あれは高校生にも答えることができる物理現象なのか。
私のセンチメンタリズムなんて、簡単に吹き飛ばされてしまう。
夜になってまた聞こえてきた。
太刀川先輩の部屋まで届いてくる。あのブランコが揺れている。
――龍馬!
太刀川先輩は寝巻の上に一枚羽織って公園へと向かった。
龍馬!
おまえじゃないのか!
おまえがブランコを揺らしているんじゃないのか! おまえが私に会いに来てくれているんじゃないのか!
公園の入り口に立てかけられたロードレーサー。
ブランコにだれかが座っている。
あれは――。
「陽向」
陽向が振り返った。
「なぜわかったんだ?」
陽向の隣のブランコに座り、太刀川先輩が言った。
パジャマじゃない。
ましてやスエットの上下なんかじゃない。寝巻なんだな、着物の。予想できたことだとはいえ、陽向はドキドキしてしまう。
「想像しただけです」
門に犬の登録シールが貼ってありました。
ああ、こんな立派な門にも貼るんだなと思って見てしまいました。つい最近、犬を飼っている家に行ったことがあって、シールが同じ色でした。最新のものなんです。でも庭の犬小屋に犬の気配がなかった。
「だから、愛犬を喪ったばかりなのかな、と」
「うん――そうだ」
「ブランコの話題をしたときの先輩の顔がさみしげでしたから。それと関係あるのかもしれないと思いました」
「陽向は、上には上がいると言ったな」
太刀川先輩が言った。
「それを思い知っているのは私だ。去年は全国に行けなかった。一年生だから当たり前か? そうじゃない。県レベルでも、もう上の人たちと私では器が違う。弟が才能あってな。前は、あれが太刀川琴絵の弟だと呼ばれていたのが、今は私が太刀川森太郎の姉だと呼ばれるんだ。キャリア官僚として東京で働いている姉のようにも私はなれないだろう。ときどき、たまらなくなるんだ。陽向は『武士の娘』という本を知っているか」
「タイトルだけは」
「あれは私のご先祖と同じく、長岡藩に仕えた家の娘が書いたものだ」
お坊さまから個人教育を受けるシーンがある。
彼女が少し膝を崩しただけで、「勉学をなさる準備ができていないようです」とぴしゃり言われて放置されてしまう。
ゾッとしてしまったんだ。
もし私が同じ時代に生まれていたら、私も同じ教育を受けていたのだろうかと。私はそれに耐えられるのだろうかと。
姉はそうして成長した。
弟もそうして成長するのだろう。私だけがふにゃふにゃだ。
「太刀川先輩がふにゃふにゃなら、おれは原形を留めていませんよ」
陽向はそう思ったが、さすがに口に出せなかった。
「龍馬は黒柴の子でね。人懐っこい子だった」
先輩が言った。
「意外と器用で、散歩の最後に私がこのブランコに乗ると、隣の、今、陽向が乗っているほうのブランコによじ登って座るんだ。そして私の弱気や愚痴を聞いてくれたんだ」
でも私が殺してしまった。
拾い食いしてるのには気づいていたんだ。
叱るのもかわいそうな気がして。
すぐに龍馬は苦しみだした。獣医さんに駆け込んだら、症状が砒素中毒のものらしいと言われた。このところ、竹輪とか猫缶とかに砒素を入れて放置するのがいるそうだ。獣医さんも注意を喚起していたそうだ。
「私はそんなことすら知らなかった。それどころか、放し飼いでもなく飼い主の私がリードを引いている目の前で拾い食いしているのだから、ただ叱ればよかったんだ。でも」
龍馬は死んでしまった。
「悔しいんだ。さみしいんだ」
先輩が言った。
「できそこないの私の愚痴を聞いてくれた龍馬はもういないんだ。龍馬が死ぬ前からだったのかもしれない。でも龍馬が死んでから気づいたんだ、このブランコが夜に揺れていることに。龍馬が私に会いに来ていると思いたかったんだ。でも、龍馬はいないんだ。もうどこにもいないんだ。私の無責任が龍馬を殺したんだ」
「先輩」
ごめんなさい、と陽向は言った。
「ブランコがひとりでに揺れる理由はわかりません。自然にそんなことがおきるとは思えません――そう言ってほしかったんでしょう。その予感があったのに、おれは馬鹿みたいに知識をひけらかしてしまった」
「馬鹿だな」
そう言って、先輩はくすっと笑った。
「いや、すまない。今のはおまえを責めたんじゃない。優しいなって言いたかったんだ」
「先輩は何かあれば相談しろと言ってくれました。今度はおれに言わせてください。なにか愚痴を言いたいときにはおれを呼んでください。おれでは龍馬ちゃんの代わりにはなれないと思います。でも、ロードレーサーを飛ばしてきます。家だってわかったんだ。すぐに来ます」
「馬鹿だな」
もう一度、先輩が言った。
あっと陽向は目を見張った。
ブランコを掴んでいた陽向の手に先輩の手が添えられたのだ。
「うれしい……」
太刀川先輩が言った。
伏せられた顔から、涙が落ちている。
うわああああ!
わあああああ!
顔を真っ赤にしてカチコチになっている陽向と、涙する太刀川先輩。
ふたつのブランコが揺れる音が夜の公園にしばらく響いていた。
そして月曜の朝。
五十嵐浜高校に住み着いている野良猫一家。その母猫が死んでいるのが見つかった。
■登場人物
佐々木裕美 (ささき ゆみ)
県立五十嵐浜高校一年三組。小動物。安楽椅子探偵。
南野陽向 (みなみの ひなた)
県立五十嵐浜高校一年三組。態度はふてぶてしいがかわいいものが好き。裕美の保護者。
藤森真実先生 (ふじもり まさみ)
県立五十嵐浜高校教師。二八歳独身。
美芳千春先生 (みよし ちはる)
保健室の先生。藤森先生の友達。
森岡祥子 (もりおか しょうこ)
裕美や陽向のクラスメートなのだが、一度も登校してこない。そして裕美と陽向にとっては知っている名前でもあるらしい。謎の存在。
林原詩織 (はやしばら しおり)
一年三組暫定委員長。裕美や陽向と同じ中学出身。中学時代には成績トップだった。
高橋菜々緖 (たかはし ななお)
裕美や陽向と同じ中学出身。本を読むのが好きでおとなしかったのだが…。
笈川真咲 (おいかわ まさき)
裕美や陽向と同じ中学出身。華やかで美人で、ヒエラルキーのトップに君臨した女王。
太刀川琴絵 (たちかわ ことえ)
五十嵐浜高二年生。中学生の頃から県大会常連の剣士。生徒会副会長だが立候補した覚えはない。
田崎真佐子 (たさき まさこ)
一年六組。真咲と同じクラス。あだ名がよっちゃん。
リコ
中学校時代の笈川真咲の取り巻きの一人。
工藤志津子 (くどう しづこ)
裕美や陽向と同じ一年三組。「夢キス」事件の書き込みをした人。
龍馬
太刀川先輩の飼い犬。柴犬。道端に落ちていた毒の餌を食べて死亡した。
南野太陽 (みなみの たいよう)
陽向の兄。ハンサムだが変人。
林原伊織 (はやしばら いおり)
林原詩織の兄。ハンサムだが変人でシスコン。




