7.ミレイナ、迷子捜しをする(7)
獣人はアリスタ国のごく限られた地域に暮らす、人と動物の中間に位置する亜人である。
種類は多岐にわたり、熊、犬、猫、ライオン、ウサギなどが確認されているが、いずれも残存する数は少ない。
動物との境界が曖昧であるため長らくアリスタ国では動物の一種とされ奴隷として扱われてきたが、数十年前に奴隷制度が撤廃されたのに合わせて獣人を奴隷とすることも禁止された。
しかしながら、現在も根強い差別が残っており、その存在を隠すようにひっそりと暮らしている──。
ジェラールは昨日届いたばかりの調査書類に改めて目を通しながら、ブランデーのグラスを傾ける。グラスの中で氷がぶつかり、カランと高い音を鳴らした。
「ご説明に伺うのが遅れて申し訳ありません。動物に変化できるなんて信じられないですよね」
調査に当たったラルフは、こんな人種がいるなんてと驚きが隠せないようだ。
「まあ、俺達が竜に変化できるのと同じだろう」
ジェラールはさほど驚くこともなく、その事実を受け止めた。
「半分獣の姿を取ることもできるんだな」
「ああ、それならここに書いてあります。半分獣化すると、獣のときの能力が高まるらしいですよ。例えば熊獣人なら力が強くなるとか」
「なるほどな」
ジェラールは頷く。
そして、ウサギならどんな能力だろうかと考える。ジャンプ力が増すとかだろうか?
ミレイナと関わるごとに深まる違和感を払拭するために、ジェラールはラルフに動物に変化できる人間がいるかを調査させた。
本気でいるとは思っておらず、気休めに調べさせたつもりだったのだが、結果として届けられた調査書に書かれていた内容は予想を裏切るものだった。
──動物に変化できる人間はいる。
調査書にはそう書かれていたのだ。
初めてミレイナに森の中で出会ったとき、ジェラールはララを探していた。
ララを追っていたはずのゴーランが真っ直ぐにミレイナの元にいったこと。
殆ど触れていないはずのミレイナから、ジェラールの強い気配を感じるとラルフが言ったこと。
ジェラールの好物が乾燥させたナツメヤシであることを知っていたこと。
ララは無事だと自信満々に言い切り、ジェラールを励ましてきたこと。
それらの全ての事実がミレイナがララだということを示唆している。さらに、ミレイナは気付いていないが、彼女は決定的なミスを二つ犯した。
一つは、クレッグを探しに行くときに半獣の姿のままでいたこと。
フードを被っていたのでジェラールが気付かないだろうと油断していたのだろうが、バランスを崩して助けようと手を伸ばしたとき、一瞬だけミレイナの側頭部にウサギのような耳があるのを確かに見た。
すぐに耳を消していたが、あの姿はジェラールの脳裏にしっかりと焼き付いた。
そしてもう一つは、今日の昼だ。
魔獣舎を訪れたジェラールが「ララは肉を食べるか?」と聞くと、ミレイナは戸惑うことなく「ウサギだから食べない」と言った。
しかし、ジェラールは一度たりともいなくなったウサギの名前が『ララ』であるとミレイナに伝えたことはない。
ジェラールはもう一度調査報告書の文字を目で追う。
ミレイナがララであることはもはや疑いようがない。
思った以上に近くにいたことに、そして元気でいたことに、自然と笑みが漏れる。
「でも、なんで急にこんなことを調べようと思ったんですか? 奴隷が必要なんですか?」
ラルフが解せない様子で、ジェラールに視線を向ける。
「奴隷は必要ない。興味があっただけだ」
ジェラールは持っていたグラスをローテーブルに置くと、片手を振る。
そう、興味があった。
彼女のことをもっと知りたい。
こんなに異性に興味を持ったのは、生まれて初めてだ。
◇ ◇ ◇
それは迷子になったクレッグを探し出してから少し経ったある日のことだった。
「えーっと、私?」
仕事を終えたミレイナは、ラルフが直々に届けにきた手紙を見て戸惑った。
ジェラールからだというその手紙を開くと、中には一通の便箋が入っており、そこには一言だけこう書いてあった。
──勤務終了後、執務室にくるように。
(なんで?)
ミレイナは戸惑った。呼ばれる理由が全く思い当たらない。
ジェラールはここ最近、一日と置かずに魔獣舎を尋ねてくる。用事があるならば、そのときに言えばいいのに。
「陛下はいったいなんのご用で?」
「さあ? 俺は知らないよ」
ラルフは首を横に振る。
なんの情報も得られず、ミレイナは眉尻を下げる。
断ることなどできるはずもないので、ミレイナはその日の仕事終わりにジェラールの執務室へと向かう。
いつかの夜に寒空の下で待ち伏せしていた皇宮区の入口にいた衛兵に名前を告げると、すんなりと通してもらえた。事前に話が通っていたのだろう。
「ミレイナです」
ジェラールの執務室の入口に立ち、ドアをノックする。すぐに、「入れ」と低い声がした。
「お邪魔します」
ミレイナはおずおずと執務室のドアを開ける。
ミレイナに気付いたゴーランがすかさず尻尾を振りながら寄ってきた。ミレイナはゴーランの首周りをもしゃもしゃと撫でてから、ジェラールの元へと歩み寄る。
ジェラールはソファーに座り、ゆったりと足を組みながら、ミレイナの様子を眺めていた。
「そこに座れ」
ソファーを指さされ、ミレイナはそこにちょこんと座る。ジェラールがふわりと手を上げるとどこかからリーンと鐘が鳴る音がした。魔法でメイドを呼んだのだ。
「お待たせしました」
ほとんど待つこともなく、侍女役のメイドがトレーを押してやってきた。
(あ、あの人……)
そのメイド──レイラはミレイナの姿を見て一瞬だけ眉を寄せる。
けれど、その表情はすぐにすまし顔へと戻った。




