4.ミレイナ、魔獣舎の環境改善を図る(3)
夜、外出先から戻ってきて私室に向かうために回廊を歩いていたジェラールは、ジェラールの私室やごく親しい側近達の執務室が集まる皇宮区の手前に、メイド姿の若い女ががぽつんと立っているのに気が付いた。
近付いてみると、先日魔獣の森で保護した少女──ミレイナだ。
何をするでもなく所在なさげに立ち尽くしており、視線は皇宮区の方向を向いている。
寒いのか、時折メイド服の袖から覗く白い手を擦り合わせていた。
「何をしている?」
声を掛けると、ミレイナはびっくりしたように振り返った。
「ジェ、ジェラール陛下」
ジェラールが近づいてきたことに全く気が付いていなかったようで、ミレイナは慌てたように頭を下げる。ジェラールは片手でそれを制し、顔を上げさせた。
「こんな夜にこんな場所で立ち尽くしているとは、何事だ?」
「それが……」
「何か用事があったのだろう? それとも、お前は夜遅くにふらふらと出歩く趣味でもあるのか?」
皮肉を交えた静かな問いかけに、ミレイナは困ったように眉尻を下げた。
「ラルフ様にお願いごとがありまして。私の立場ではお会いする約束は取れないそうなので、ここでお待ちしておりました」
「ラルフに?」
ジェラールはミレイナを見つめる。
相当長い時間待っていたようで、寒さから唇は少し青みがかっており小刻みに震えていた。昼間見た際はピンク色に紅潮していた白い肌は、今は青白い。
「ラルフはもう家に戻ったはずだ。あいつはいつも竜化して帰宅するから、ここは通らないだろう」
「え?」
ミレイナは驚いたように目を見開き、傍目からでもはっきりわかるほどにその茶色い瞳に失望の色を滲ませた。
「そうでございますか。では、明日また出直します」
「待て」
がっくりと項垂れて戻ろうとするその様子がなんとなく放っておけず、ジェラールは思わず声を掛ける。ミレイナはキョトンとした表情で、ジェラールを見返した。
「どうかされましたか?」
「明日もいつ会えるかわからないラルフをずっと待ち続ける気か? 俺が代わりに聞いて、その用事を伝えておいてやる。付いて来い」
「え、でも──」
「さっさとしろ。俺をこの寒空の中長時間拘束する気か? お前と違って、俺に夜徘徊する趣味はない」
低い声で告げると、ミレイナは戸惑いながらも恐る恐るジェラールの背後を付いてきた。
ミレイナの髪色とそのおどおどした様子は、なぜかララを彷彿とさせる。思わず口元に笑みがこぼれそうになったジェラールは、慌てて表情を引き締めた。
一方のミレイナは、前を歩くジェラールの後ろ姿を見つめた。
濃紺の貴族服を着て前を歩くジェラールには、圧倒的な王者の貫禄がある。
途中ですれ違った衛兵達がジェラールに気付き、頭を下げる。皆、後ろを歩くミレイナにも気付いていたようだったが、それを口にする者はいなかった。
しばらく歩くと、目の前に一際大きな両開きの扉が見えた。木製で、全体に精緻な彫刻が施されている。
(わあ。この扉って、こんな立派だったのね)
部屋の中からは何度も見たことがあったけれど、外からじっくりと眺めるのはこれが始めてだ。
ジェラールが慣れた様子でその扉を開くと、ゴーランが尻尾を振りながら歩み寄ってくるのが扉の隙間から見えた。
「そこに座っていろ」
部屋に入ったジェラールがソファーを視線で指したので、ミレイナは大人しくそこに座った。ジェラール自身はドアから外を覗き、一番近くにいた衛兵に何かを告げている。ミレイナが耳を澄ますと、温かい飲み物を二つ持ってくるように指示しているように聞こえた。
気を遣わせてしまったと恐縮したものの、この位置からこの会話が聞こえているのも不審に思われそうなので、ミレイナは黙ってジェラールを見守る。
ゴーランが尻尾を振りながら寄ってきたので、ミレイナは首の辺りをわしゃわしゃと撫でてやった。
「今日も良い子ね」
撫でながら、いつもゴーランが首からかけている金色の首飾りをよく見ると、竜の彫刻が彫られていた。
会話が終わってこちらを振り返ったジェラールはミレイナとゴーランが遊んでいるのを見て少し驚いたように目を見開いたが、何も言わなかった。
「それで?」
ジェラールはドサリとソファーに腰を下ろすと、長い足を組んで肘置きに片腕を預ける。拳を軽く握って頬杖を付くと、ミレイナを青い瞳で見据えてきた。
「ラルフに用があると言っていたな? いったいなんの用事だ?」
ミレイナはゴーランを撫でていた手を止めると、その手を自分の膝の上に置いた。
「魔獣のお世話のことで、お願いがあります」
その瞬間、ジェラールの瞳が眇められた。
「昨日に自ら立候補しておいて、翌日には自主退職の申し出か?」
静かな、けれど冷ややかな声色に、ミレイナは思わず震えそうになる。
けれど、ジェラールから視線を外したところでゴーランの金色のつぶらな瞳と目が合い、これではいけないと思い立ってもう一度勇気を奮い立たせた。
「違います。魔獣の保護獣舎を改築したいのです」
「改築?」
「はい。あのように狭い空間に長時間閉じ込められると、彼らもストレスを感じます。もっと、子供らしく遊べる場所が必要です。だから、あの周りの空地にあの子達の遊び場を作ってほしいのです」
前世で働いていたペットショップでも、散歩を怠ると犬が強いストレスを感じて自分の尻尾を噛むなどの自傷行為をしたり、お客さまに対して牙をむくなどの問題行為をすることがあった。
ましてや、彼らは元々自然の中で暮らしていたのだからなおさらだ。




