3.ミレイナ、魔獣係になる(3)
(あれは、ジェラール陛下?)
ミレイナがそちらを見つめていると、ジェラールは真っ直ぐにこちらに歩み寄ってきて、ミレイナに手を差し出す。
「大丈夫か?」
「あ、はいっ」
大きな手に自分の手を重ねると、力強く引き上げられた。ジェラールは次に、腰を抜かして近くにへたり込んでいたリンダのことも助け起こす。
ミレイナは、おずおずとジェラールを見上げた。なにかを探すかのように、その視線は周囲の地面を彷徨っている。
「陛下、どうしてこちらへ?」
「いや……、気分転換だ」
「気分転換……」
一瞬、間があってからの取って付けたような答えに、ミレイナは首を傾げた。
見渡す限り、ここには魔獣の保護獣舎以外、何もない。
近くにあるのはゴミ捨て場だけだ。
ジェラールはそれ以上は何も言わず、口ごもった。
そして、ゴーランに責めるような視線を向ける。
一方のゴーランは、役目は果たしたとばかりに尻尾を振っていた。
その様子を見て、ピンときた。
(もしかして、またララを探していたとか?)
ゴーランを連れていて、しかもゴーランが迷いなくミレイナに向かってきて得意げなところを見ると、それで間違いない気がする。
(大丈夫だって伝えたのに、よっぽど心配なのね。何も告げずに姿をくらましてしまって、悪いことをしてしまったかしら?)
けれど、あのときのミレイナはウサギ以外の何者でもなかった。置き手紙などしたらそれこそ誰が部屋に入り込んだのかと大騒ぎになるはずだから、それも無理だったのだけれど。
一方のジェラールは、ミレイナ達の背後にある保護獣舎の様子にようやく気付いたようで、眉を顰めた。
「臭うな。それに、中が随分と荒れている。いったい、魔獣係はどこに行った?」
問いかけられたリンダが途端に顔色をなくす。
「それが……。彼女は少々、魔獣が苦手だったようで……」
「ほう。それが、お前達が職務を放棄する理由になると? まさか、また辞めるなどと言い出したのではなかろうな?」
ジェラールの険しい表情からは、ただならぬ怒りが感じられた。
周囲の気温がぐっと下がり、ゴーっと木々を揺らす風の嫌な音がする。ふと上空を見ると、雲ひとつなかったはずの青空には厚い雲がかかり上り始めていた。
(え? これって、魔法? っていうか、まずいわ)
一部の竜人は魔法のようなことができるのは知っている。竜王の感情が昂ると嵐が起こるという話を噂で聞いたことがある。
つまり、それだけジェラールが魔獣舎のこの状況に怒っているということだ。
ジェラールの気迫に、リンダの顔色が一気に真っ青になる。
リンダは清掃係なので魔獣係とは全く無関係だ。ミレイナがここに立ち寄りさえしなければ、ここに近付くことすらしなかっただろう。
けれど、リンダはすっかりと怯えてしまってそれを言い出すこともできずにいる上に、ここで『本当の魔獣係は今さっき辞めた』などと言えば、ジェラールの怒りに火に油を注ぐ結果になることは明らかだ。
(なんとかしないとっ!)
ミレイナは咄嗟に叫ぶ。
「陛下っ!」
「なんだ?」
ジェラールが低い声で問い返し、じろりとこちらを見る。
整いすぎた顔だと怒っているときの迫力が五割増しになるのだなと、全く知る必要がない無用の知識が増えた。
元来怖がりのミレイナは、その冷たい視線に怖じけづきそうになった。
けれど、せっかく仲良くなって、ミレイナのことを気に掛けてくれたリンダを窮地から救おうと必死だった。
だって、元はといえば、ミレイナがここに立ち寄ったせいなのだから。
「人にも相性があるように、魔獣にだって相性があります。きっと、今の魔獣係とここで保護されている魔獣は相性が悪かったのです」
「ほう? それで?」
冷ややかな視線を崩さないジェラールの様子に、背中につうっと冷や汗が流れ落ちるのを感じる。
(ど、どうしよう……。ものすごく怒っているわ)
半ば泣きたい気持ちで、ミレイナはこの状況を打開しようと頭をフル回転させた。
「つまり……」
「つまり?」
「わ、わたしが次の魔獣係に立候補いたします!」
ジェラールとリンダの瞳が、同時に見開かれた。
そして、ジェラールのミレイナを見つめる視線が訝しげなものへと変わる。
「お前であれば、ここに保護されている魔獣と相性が合うと?」
「わかりません。ただ、わたしは以前にも申したとおり動物の世話をする仕事をしていましたから、可能性はあるかと。現に、陛下の従獣には懐かれております」
ジェラールは、ミレイナの横にちょこんと座って自分の顔を見つめているゴーランに視線を移した。ちょこんと座って、と言っても、ミレイナの胸の高さぐらいあるが。
「確かに、滅多に人に懐かないゴーランがお前には懐いているな」
少し考えるような仕草を見せたジェラールは、ゴーランとミレイナの顔を交互に見比べる。
ゴーランは舌を出してハッハッと息を吐きながら、大きな尻尾を揺らしている。
「いいだろう。お前を次の魔獣係に任命する」
ひっ、とリンダが声にならない悲鳴を上げたのがわかった。ミレイナは視線でリンダに、何も言うなと伝える。
清掃係のミレイナ、かくして配属二日目にして魔獣係へと配置転換されたのだった。




