第五十五話 勾引
「新年ボケしてないでしょうね」
「問題ないですよ。エルマさんこそ、大丈夫ですか?」
「と、当然よ」
うん?
その表情。
何かあったのか?
「ほら、行くわよ」
まあ、大丈夫か。
正月なんだから、何だかんだとあったのだろう。
「分かりました。行きましょう」
それより・・・。
エルマさん、やはり、まだ不安そうだな。
あの化け物が相手だから仕方ないか。
しっかり作戦は考えているんだけどね。
安全マージンは十分だ、と思う。
ちなみに、年末は地下迷宮に籠っていたんだけど、あの化け物の相手はしていない。
年明けに、エルマさんと再挑戦することを約束していたからだ。
そのわりには、1人で勝手に迷宮内をうろついていたんだけどね・・・。
さて、対化け物。
何とかなるだろう。
負けても、命にかかわることは無いはずだ。
いざとなれば、障壁を利用すればいいし。
春水も純春水もある。
純春水はまだ誰にも見せてないので、なるべくなら披露は控えたいのだけど。
そういえば、ライナスさんが販売を始めた春水の小瓶。
結構な評判らしい。
売れ行きも相当なようで、ライナスさんから次回の納品を早めてくれないかと催促があったくらいだ。
ライナスさんの商売が上手くいくのは嬉しいけど、あの値段の春水が凄い売れ行きというのは・・・少し心が痛い・・・。
ということで、ここは件の地下迷宮。
約束通り2人で探索に来ている。
乗り気じゃ無かったらいいですよと言ったんだけど、憤然とした表情で絶対に一緒に行くと言われてしまった。
それで、他の地階の探索は昨年末に俺が済ませていることをエルマさんに告げたところ、ひとしきり文句を言われた。
・・・。
その結果。
まずは、あの赤鬼に再戦を挑むことに。他の地階は、また後で様子だけ見に行ければいいとのことだ。
谷底へと続く地階のことは、とりあえず今は言葉を濁しておいた。
今のエルマさんをあの谷底に連れて行く気はない。
さて。
この通路を抜ければ、赤鬼のいる大広間だ。
本当は、エルマさんをおいて1人で挑みたかったんだけどねぇ。
それとなく言ってみると。
・・・怒られてしまった。
1人で行かせるわけにはいかない、一緒に行くと言って聞かないので、これはもう仕方ない。
まあ・・・エルマさんには無理をさせるつもりは無いし、基本的に後方支援を任すだけだから、いざとなれば転移石を使えば問題無いだろう。
おっ!
やはり、ここは空気が違うな。
広間に足を踏み入れる。
魔法陣が起動。
「いやぁ、やっぱり勝てませんでしたね」
「・・・」
肩で息をしている。
まだ、話すのも辛そうだな。
とはいえ、前回ほど顔色は悪くない。
十分な安全対策の賜物だろう。
勝てなかったけどね・・・
それでも、次にやれば勝てると思う。
俺1人でも勝てるだろう。
いや・・・正直に言うと。
今でも障壁やら純春水やら駆使すれば勝てると思う。
今回は自重したけど。
それに・・・谷底での経験が効いているのかな。
戦っている最中もほとんど危険を感じることが無かった。
だから、あの化け物との戦いにも不安はもう無い。
俺も少しは成長したということか・・・。
「今日はもう帰りましょうか?」
「大丈夫よ、他の地階も見たいわ」
強がるエルマさん。
軽く覗くだけだから問題は無いと思うけど。
「やっぱり、今日は無しにしましょう。僕も疲れましたしね」
「そ、そう。ハヤトが疲れたのなら、仕方ないわね」
無理することも無い。
いつでも来れるのだから。
ということで、まだ少し早いけど、レントに戻ることにした。
城門をくぐると、そこにライナスさん。
うん?
様子が普通じゃない。
何かあったか?
「ライナスさん、こんにちは。珍しいですね、こんなところで」
「あっ、ハヤトさん。よかった、見つかって」
えっ?
俺を探してたのか。
「何かあったのですか?」
「ハヤトさんを探してたんですよ。実は・・・」
そう言いながら、目線はエルマさんの方に。
「彼女なら大丈夫ですよ」
「そうですか」
そう言って語りだしたライナスさん。
「・・・」
最後の方はちゃんと聞いてなかったと思う。
気が急いて、それどころじゃなかったから。
話を聞くやいなや、駆け出そうとする俺を宥めるようにライナスさんが忠告してくれた。
「余計なお世話かもしれませんが、一つ言っておきますね。さらわれた奴隷のために主人が手を尽くすなんてことは普通ありません。ましてや、自らが助けに出向くことなどは・・・。まあ、そもそも奴隷が誘拐されるなんて事はほとんど無いのですが」
眉間にしわが寄るのを止められない。
「それでも行くんですね」
「当たり前です」
一刻も早くミュリエルさんを救い出したい。
今すぐにでもだ。
「ハヤトさんらしいですね」
常識外れです、そうつぶやきながらも、満足そうに頷くライナスさん。
「了解しました。何か手助けできることがあれば言って下さい」
「ありがとうございます」
ライナスさんとエルマさんをおいて、俺は走り出していた。
エルマさんが何か言ってたが、あとで説明するとだけ告げて。
走りながら、頭を整理する。
今日の昼。いつものように午前の仕事を終えたライナスさんが昼休憩を取ろうと店のカウンターの前を通った時には、そのメモはカウンター上に置かれていたらしい。いつ誰が持って来たかも知れぬそのメモを不思議に思い手に取って見てみると。
ハヤトに伝えろ
女奴隷は預かった
22時に1人で第二地区の倉庫通り南端の廃屋に来い
これはミュリエルのことだと思い、すぐに俺たちの泊まっている宿に駆けつけたものの、当然俺もミュリエルもいるはずがなく。騒ぎを大きくするのも問題かと思い、店の者を使ってレントで俺たちが立ち寄りそうな場所を探してくれたそうだ。しかし、見つけることができず、途方にくれていたところに俺が城門から出て行くところを見たという話を聞き、ずっと城門で待っていてくれたとのこと。
駆けながら、ライナスさんの表情を思い出す。
俺が助けに行くと言った時のあの表情。
他人の奴隷のために駆けずり回ってくれたライナスさん。きっと、その行動は常識外れですよ。ありがたい常識外れです。
こんな状況なのに、少し顔が緩んでしまう。
よし、絶対助け出す!!
まずはあそこだ。
俺は梟煙亭へと急いだ。
「よ~、久しぶり」
「ああ」
「生きてたみたいだな」
「回りくどいことはよそう。なぜ来たか分かっているよな」
丁寧に喋ることができない。
冷静にならなきゃいけないんだけど。
「ふん」
つまらなそうに酒を弄んでいる様子を見ると、いらついてしまう。
・・・ふぅぅ。
もう、言葉を弄するつもりは無い。
「ミュリエルは無事なんだろうな」
「知ったことか」
「どこにいる」
「知らねえな」
「くそっ、契約だろ。情報をくれ」
「随分焦ってるみたいだな。でもな、そのセリフは、そのまま返してやるよ」
「何だと。だいたい、こんな事起こる前になぜ教えてくれなかったんだ」
そうだ。
情報を提供する約束だったはずだ。
「はぁ? 何度かメッセージを届けただろ。お前こそ、ずっと顔出さずに何してたんだ」
えっ、何だって?
「メッセージ?」
「宿に届けただろうが」
「宿に・・・? 貰ってないぞ」
「ああ?」
どういうことだ?
・・・。
そうか、常宿にしてたあそこか。そういえば、ここの所ずっと立ち寄ってもいなかったな。
「悪い、宿を変えてたんだ」
「なんだ、そりゃ。お前こそ、俺との契約忘れてたんだろうが」
・・・すっかり忘れてた。
「そんなことはない」
「だったら、なぜここに来ない。連絡くらいできないのか」
「申し訳ない。ちょっと立て込んでたんだ」
ちょっと失敗したか。
「ふん、知ったことか」
「ホント、悪かったよ。だから、手を貸してくれないか」
「勝手なこと言うな」
まずいな。
機嫌を損ねてしまったみたいだ。
今は一刻も早く情報が欲しいのに。
「この埋め合わせは必ずするから」
「・・・」
「ホント、頼む」
ここは本気で、誠意を込めて。
「チッ。ホントだろうな」
「ああ」
「安くないぞ」
「分かった」
分かりたくないけど、仕方ない。
ここは少しでも手掛かりが欲しい。
「この借りは絶対返せよ」
今回の刺客、名前はグルザ。それなりの腕利きだが、仕事には独特のこだわりを持っている。そのこだわりゆえ、標的以外を害することはまず無いと。よって、人質は無事だろう。ジークはそう言っていた。
とは言うものの、その刺客について、それ程詳しくは知らないみたいだから、どこまで信じていいものか。
まあ、でも、少し安心したかな。
「ミュリエルが誘拐されたということは、俺の疑いは晴れてないんだな」
「だろうな」
「ホントいつまでも。面倒だな」
「ヤツは疑ってるぜ。何せお前ほど条件に合う奴はなかなかいないからな。俺だって、まだ疑いたいくらいだ」
「じゃあ、俺がエイドスを見せれば解決か」
「どうかな。それなら、もっと穏便な手もあるだろうからな」
「お前が言うか」
ホント、有無を言わさず襲ってきたくせに、よく言うよ。
なんだ、その肩をすくめるポーズは。
似合ってるから憎たらしい。
「とにかく、まずは奴にエイドスを見せることだな」
まあ、その通りだ。
それで済めば楽なんだが。
「お前はそいつの手助けしなくていいのか?」
「基本的に刺客は個人営業だ」
「そうか」
「それに、俺はお前が気に入ってるからな」
そう言いながら、こちらを小馬鹿にしたような表情を見せる。
「・・・」
こういう奴に好かれるのもどうかと思うが。
「契約不履行者だけどな」
「悪かったって」
それでも、ジークは憎めないところがある。
俺もジークのことが気に入っているのかもしれないな。
「ふん。まあ、そういうこった。精々頑張れや」
「ああ。今回は助かったよ」
「そう思うなら、たっぷり返してくれよ」
「無事にミュリエルを助けだしたらな」
「ところで、いつもの馬鹿丁寧な嘘くさい喋りと違って、今日は悪くなかったぜ」
「・・・」
ジークにも、人質を監禁している場所は分からないそうだ。
そのあたりは個人営業ということか。
監禁場所を強襲しようかと思ってたんだけど、無理だな。
しかし、そうなると、指定通り倉庫通りの廃屋に顔を出すしかない。
俺ならば、遅れをとることも無いとジークも言っていたし、まあ大丈夫か。
もちろん、その刺客の攻撃手段、特徴なんかも、ジークの知っている範囲内で教えてくれた。
ホント、助かる。
助かるんだけど、そんな事を俺に教えてもいいのかと、こっちが心配になる。
ジークと別れた後、ライナスさんの店に出向き、可能な範囲で報告を済ませた。
城門で話を聞いていたエルマさんにも簡単に説明しておいた。納得はしていないかもしれないけど、それは仕方ない。
あとは準備を整えて、時間を待つだけ。
まだ時間まで1時間あるけど、そろそろかな。
目の前には、指定の廃屋。
倉庫通りの中でも一際目を引く。
俺でも知っていたくらいのわけあり物件だ。
とはいえ、今はそんな事は関係ない。
ただの廃屋でしかない。
指定の廃屋に入る前に、精密な感知結界で状況確認。
感知自体はさっきからずっとしている。距離をおいての感知だから、完全には分からなかったけれど、特に問題はないようだ。本当にここでいいのかと戸惑ってしまうくらい何もない。
そんな不安が無くなったのがついさっき。
ミュリエルと刺客がやって来た。
やって来たのは2人だけ。他には誰もいない。
ちょっと信じられないな。
本当に個人営業なんだなと感心してしまう。
近寄って、さらに精密に感知。
やっぱり2人だけ。
特に物理的な仕掛けも無し。
手下なんかもいないようだ。
ホントかよ。
俺をなめているのか?
油断してくれるのは、こっちにとってはありがたいけど。
おっと。
魔法による仕掛け・・・、こっちはあるみたいだ。
それくらい無いとな。
これは、それなりの仕掛けだな。
でも、事前に分かっていれば問題無い。発動前に干渉してやれば防げそうだ。
魔力干渉による魔法妨害も今では問題無く使えるからな。
感知結界を身に付けた際に、思わぬ副産物がついてきたというか、思いがけず使えるようになったんだ。
それでも、最初は精度は悪いわ時間はかかるわで、実用には適してなかったんだけど。
谷底で訓練した成果か、今ではほとんど問題が無くなっている。
魔力の射出、展開、圧縮など今ではかなり巧みに使えるようになったから、相手の魔法発動への干渉、妨害も精度が上がっているんだな。
この魔法干渉、魔法妨害。
魔法発動時に流れる魔力に対して、自分の魔力をそれに向かって放出し干渉させることで、相手の魔力の魔法への変換を妨害する、そんな仕組み。
これから工夫していけば、まだまだ面白くなりそうな技術だ。
障壁と同様、これからもさらに訓練していくつもりだ。
ちなみに、谷底の魔物相手に試してみたんだけど、魔力による防御障壁を妨害することは今の俺にはできなかった。
おそらく、障壁を作る時は魔力をそのまま使用していて、いわゆる魔法に変換していないからなんだと思う。
妨害できていれば、谷底での戦いも楽だったんだけどな・・・。
まあ、障壁妨害もこれからの課題だ。
そろそろかな。
突入しますか。
正面から堂々と歩いて入る。
小細工は要らない。
どうやら、誘拐犯も俺のことに気付いたようだ。
感知通りの場所に男が1人。
ミュリエルはその後ろ、手足を縛られたまま気を失っている。
感知したところ、呼吸、脈拍共に正常のようだから、問題無いよな。
うん、無事なはず。
早く助けたい。
さて、この男。
ジークに聞いていた通りの風貌だな。
間違いない、こいつが刺客。
「誰だ!」
うん?
気付いてなかったのか。
それとも、お約束の誰何?
「呼ばれたから来たのだが」
「きさま、ハヤトか?」
「ああ、そうだ」
「まだ時間には早いぞ。人質がどうなってもいいのか」
ミュリエルに駆け寄ろうとする。
「まあ、待てよ。疑いを晴らせば良いだけだろうと思って早く来たんだから」
おっ、今ので納得したのか・・・。
「ふん、よく1人で来たな」
「人質がいるからな」
「まあ、いいだろう」
なんか奇妙な顔で嗤っている。
気持ち悪いな。
さっさとミュリエルを取り返して、立ち去りたい。
「ミュリエルを返してもらう」
「その前に、疑いを晴らしてもらおうか。無理だろうがな」
「言ってろ」
こいつの顔は何と言うか、俺の神経を逆なでするよな。
別に不細工ということじゃないんだけど、不思議だ。
まあ、そんな事はどうでもいいな。
「エイドスを見せればいいか」
「見せてみろ」
そいつの目の届く距離に近寄る。
ホント、エイドスくらいいつでも見せてやるのに、こんなことしやがって。
「見せる前に一応確認しておくが、エイドスに問題が無ければ、ミュリエルは返してもらうぞ」
「当然だ。無関係と分かれば手出しするつもりは無い。まあ、そんな事はありえないか」
ありえるんだよ。
しかし、不気味な顔で嗤ってくれる。
「最初から俺はクロ認定なんだな」
「他に該当する者がいない」
「こんなに広いレントで俺以外にいないって良く言えるよな」
「調査した結果だ。そんなことより、早くエイドスを見せろ」
俺が両性具有じゃないなんて、微塵も思っていない。
何根拠だよ。
それにしても、この世界の人は本当にエイドスだけで信用するんだな。
何かトリックが仕掛けてあるとは思わないのかね。
こいつも腕利きらしいけど、エイドス見せて済むなら楽なもんだ。
問題無い。
「ほら、見てみろよ」
手を差し出し、エイドスを表示させる。
!!?
思わず目が点になる。
問題・・・大ありだ。
何だこれ?
さっき確認したら、男と表示されていたのに・・・。
今は表示無し。
まずいかな。
まずいよなぁ。
「はっはっは。馬脚をあらわしたな、この化物め」
してやったりの顔をしてるよ。
お前は大した事してないだろ。
俺がミスしただけ。
しかし、化物とは失礼だな。
「お前たちが探してるのは両性具有者だろ。表示無しとは違うよな」
「何を今さら。見苦しいぞ」
「いや、いや、俺のエイドスは調子悪いんだよ。たまに、こうして消えるけど、普段は男と表示されてるからさ」
ちょっと苦しいか。
「もはや、問答無用」
やっぱり。




