第五十話 大地下4
・・・
木々が揺れている。
枝が葉が、小さくはない悲鳴をあげながら。
揺れは大きくなり、涙が身をつたう。
震えは増すばかり。
大地を押し潰すかのように、どこまでも広がる暗天。
転瞬。
耳をつんざくような轟音とともに圧倒的な光が世界を覆いつくす。
一瞬で閃光は消え。
ひときわ堂々たる体躯を誇る巨木。
さっきまで身を震わせていた巨木が、その身を真っ二つに引き裂かれ、事切れたように地に倒れ伏す。
「ああ・・・なんと・・・」
この巨木が倒れる様はまるで・・・。
「お静かに」
「・・・すまない」
思わずこぼれた言葉に対する諫言。
こんな雨音の中なのにとは思うが。
それでも、用心に越したことは無い。
「・・・」
すっかり濡れてしまった。
「・・・」
降り続く雨。
木立の中にまで容赦なく降りそそいでいる。
雨音だけが耳朶を叩く。
・・・。
はぁ・・・。
音にならないため息が漏れる。
ここに身を隠して、5刻は経つだろうか。
頬を打つ雨にも慣れてきた。
慣れてはきたが・・・。
いつまで、こうしていればいいのか。
疲労、不安、不快、そうしたものが私を襲う。
いつまで・・・。
・・・。
雨は一層激しさを増してきた。
煩いくらいだ。
激しい雨音がただ続いている。
「やっ!」
傍らで小さな声が上がる。
なに?
その者が見据える先には・・・漆黒の鎧、漆黒のローブを身に纏った蛇蝎のような軍団。
私を死にいざなう悪魔の化身たち。
どうして・・・。
ここが分かったの?
声も出さず、身を潜めていたのに。
悪魔たちが、こちらへと真っ直ぐに進んで来る。
まだ距離はあるけど、その足並みに迷いが無いのは、ここからでも瞭然だ。
まだ見つかったと決まったわけでは無い。
でも、あの迷いの無い足取り・・・。
「ここはもういかぬ。逃げましょう」
耳元で囁かれる。
もちろん、ここで待ついわれはない。
頷き、ゆっくりと立ち上がる。
周りの騎士たちも。
なるべく音を立てず。
幸いなことに、まだ距離はある。
逃げきれる。
「・・・」
身を潜めていた木立を抜け、悪魔とは反対の方向に歩を進める。
気付かれないように、ゆっくりと。
さっきまで煩わしかったこの雨が今は心強く感じられる。
味方になってくれるはず。
足元で水がはねる。
神経を使う行進だ。
と、その時。
悪魔たちが、歩を速めた。
まずい!
気付かれた?
瞬間。
再びの轟音と閃光。
倒れ伏す大木。
これは・・・。
やつらも呆気にとられているようだ。
「今のうちです」
確かに、今が好機かもしれない。
さらに激しさを増す横なぐりの雨の中、用心深く緩やかに駆け出す。
大丈夫。
きっと、大丈夫。
こんな所で私は終わらない。
雨は依然として頬に冷たい。
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・・・。
・・・つめたい。
・・・。
・・・揺れている。
ゆっくりと穏やかに。
・・・気持ちがいい。
本当に気持ちがいいな。
今度はゆっくりしていたい。
今度は?
・・・。
冷たい?
・・・。
霧がかかっているような意識の中、ぼんやりと感じる。
浮いている・・・?
川・・・。
・・・!?
急速な意識の覚醒。
えっ!
ここは?
暗闇の中。
ほとんど何も見えない。
これは・・・。
そうか、助かったのか。
助かったんだよな?
生きている・・・よな。
でも、なぜ?
さっきの激闘が思い浮かぶ。
完膚なきまでに叩きのめされた。
俺は吹っ飛ばされ、意識をなくし・・・。
止めを刺さなかったのか。
どうして?
川に流されたから?
そんな理由で・・・。
うーん、分からない。
でも、幸運だったのは間違いない。
助かったんだ。
で、今の俺は川に流されて・・・浮いている。
浮いてる??
なんだこの川。
身体が沈まない。
まさか、三途の川とか・・・。
いやいや、違うよな。
身体が沈まない川。
死海みたいなものか。
水を口に含んでみる。
・・・塩分を感じないな。
塩以外の何かが水分中に多く含まれているのか。
それが身体を浮かせる原因。
無味に近いけど・・・。
・・・。
いや、まあ、そんなことより。
今は助かった命を大切にしないと。
そう、まずは、安全な場所へ。
って、どこが安全か分からないけど・・・。
とりあえず岸へ。
その前に、この暗さ、なんとかしたい。
でも、魔力は。
・・・!?
回復している!
本当か。
そんなに長時間意識を失っていたのか・・・。
とにかく、魔法で光を確保。
岸まで行こう。
魔物を警戒しながら、泳ごうと傷付いた身体に鞭打つと。
・・・思いのほか身体に力が入る?
それどころか、全く問題ない。
そういえば、どこも痛くない。
魔力も回復。
体力も。
傷まで癒えている・・・。
・・・。
やっぱり、死んだのか、俺?
とにかく、まずは岸まで移動だ。
頭上に火の玉を浮かべ、急いで移動する。
岸に到着。
うん?
ここは、谷底で最初に覚醒した場所と同じ場所のようだ。
と、そんなことより。
濡れた服もそのままに、早速自分の状態を詳細に調べる。
やっぱり・・・。
全快している。
傷なんか全くない。
魔力も体力も万全。
驚きだ。
しかし・・・ステータスを確認できるということは・・・。
生きているんだよな。
うーん・・・。
やはり、長時間意識を失っていたと。
いや、それにしても、傷が無くなっていることの説明がつかない。
・・・。
わけが分からない。
魔力だけなら、時間が経てば回復するわけだから、川の中で長時間意識を失っていたと考えれば辻褄は合う。体力の回復も分からないではない。
しかし、傷の回復は理解不能だ。
自然治癒なんて考えられないから。
・・・。
そういえば、この谷底に落ちて来た時も無傷だった。
あれも、相当おかしな話だ。
共に、この川に落下したんだよなぁ。
・・・!
まさか。
この川!?
よし、調べてみよう。
両手で川の水をすくい、鑑定。
快改回春純水 魔力素をより多量に含んでいる快改回春水。
体力回復効果・魔力回復効果・治癒効果・解毒効果・・・。
おおぉ!!
本当か?
予想していたとはいえ、絶句してしまう。
でも・・・やっぱり、そうなのか。
すごいぞ、この水!
魔力素が何かは解らないけど、まあ魔力の元みたいなものだろ。
それが高濃度に含まれていると。
それゆえに、この効能。
素晴らしい、いや、凄まじいな。
うん?
高濃度の魔力素を含んでいる水だったから、さっきまで俺も浮いていたのか。
そうなのかもな。
しかし、この名称は・・・。
もっとましな呼称はなかったのかよ。
それとも、これも俺の翻訳のせい。
俺の言語センスなのか。
・・・。
うん?
快改回春水と快改回春純水があるのか?
この水は快改回春純水だよな。
快改回春水は・・・。
少し離れた川の水を鑑定。
快改回春水と表示された。
効能は快改回春純水より少し劣るみたいだ。
その後、近場を調査。
快改回春純水は俺が到着した岸辺、最初に谷底で目覚めた辺りの水だけだった。
もちろん、まだ調べていない離れた場所には存在するかもしれないのだけど。
よし。
この水、春水と春純水と呼ぼう。
いや、待てよ。
春純水より純春水の方が分かりやすいのでは。
うん、そうだな。
春水と純春水。
これでいこう。
さて、名称はこれでいいとして。
色々と納得がいったぞ。
俺が助かった理由も分かったし、最初の落下で無事だった理由も分かった。
しかしまあ、助かっておいてなんだけど。
こんな水ありなのかとは思う。
まさに神水。
リアルポーション。
いや、ポーションどころじゃ無いか。
こんな水の存在聞いたこと無いし。
回復薬はもちろん知っているけど、こんな凄い効果は無いからな。
俺が知らないだけかもしれないけど。
レントに無事帰れたら、調べてみよう。
・・・。
ホント、よく無事だったよなぁ。
こんな水に落下するなんて、幸運だった。
思わず感慨に耽ってしまう。
まあ、でも、あれだ。
これで、今後の展望も開けてきたぞ。
この川の傍にいれば魔物との戦闘で疲労しても問題無い。
負傷すれば飛び込めばいい。
魔力、体力が減れば、純春水を飲めばいい。
まさに無敵。
うん?
そういえば、この辺りで魔物を見かけないよな。
最初に谷底に落ちた時も、この近辺では魔物に遭わなかったし。
それに、俺が川を漂っている時にも、襲ってこなかった。
・・・。
魔物はこの水に寄って来ないということなのか。
避けていると。
そんなことがありえるのか?
・・・。
あるのかもしれない。
にわかには信じがたいことだが、水場に寄って来ないのだから。
魔物たちは春水を嫌っている。特に、純春水を。
そういうこと。
そんな理由で、今いる場所に魔物がいないのなら。
ここは安全地帯ということになるな。
好都合だ。
しかし、なぜこの水を避ける?
治癒効果なんてあるのだから、魔物にも効くと思うんだけど。
不思議だ。
魔物とこの水は相性が悪いのか。
ひょっとすると、浸透圧みたいなものが影響しているのかもしれないな。
魔力と浸透圧。
!?
浸透圧なんかが関係するなら、人間もこの水に長時間浸かるとまずいのかも。
薬も過ぎれば毒となるとも言うし。
・・・。
まあね。
全ては推測。
明確な根拠なんか無い。
今俺が考えても無駄だな。
いずれ、解明できればいいか。
でも、長時間春水の中に入るのは避けようかな。
今さらだけどね。
なんにしても、この純春水と春水は俺にとって有難い物であることに変わりはない。




