第四十九話 大地下3
スリムなミノタウロス。
身長は二メートル程度。
禍々しい雰囲気を放つその魔物は、他を圧するような筋骨隆々の逞しさを誇っている・・・わけでは無さそうだ。
猛々しい筋肉を持つ剛健な肉体というより、しなやかで敏捷性に富む肉体。
そして、その引き締まった身体は、当然のように柔靭な筋肉の鎧で覆われている。
細く柔靭なその筋肉・・・。
一見しただけで、かなりの力量を持つ魔物だと分かる。
これはまた、簡単な相手じゃないな。
さっきの爪カンガルー同様に強そうだ。
この谷底、尋常じゃない魔物だらけなのかもしれない。
今の魔力残量で大丈夫か。
少ししか回復していないが。
・・・。
せめて大剣でもあれば。
それも次元袋の中・・・。
仕方ない。
やるしかないな。
何とかなるだろ。
では・・・。
中威力と高威力の水弾と火炎弾を各一発ずつ用意。
治癒と2倍速を使うことを考えたら、これ以上はほとんど使えない。
これで、仕留めてやる。
さあ、かかってこい。
約10メートルの距離を挟んで対峙する。
あいつも俺の実力を測っているのか、動こうとしない。
しかし、それも長くは続かなかった。
紅い眼が不気味に光る。
牛顔に不敵な笑みらしきものを浮かべ、すごい勢いで突進してきた。
やっぱり速い。
なら、こちらも。
2倍速で。
「ゴォォォ」
突進状態のまま口から火炎を吐き出す。
これは予想の範疇。
上にいた本家ミノタウロスも火炎攻撃を仕掛けてきたからな。
高温の火炎を余裕をもって躱す。
が、その先にはスリムミノタウロスの拳。
一瞬で間合いを詰め、俺に火炎を避けられることも予期した上での拳。
しなやかな筋肉の収縮が生み出す強力な一撃だ。
とはいえ、当たらねばどうということも無い。
身体を右に振って躱し、スリムミノの横から短剣で首に斬りつける。
キン!
弾かれた。
まあね。
こいつが防御障壁を展開しているのは分かっている。
分かっているが・・・。
この防御障壁は爪カンガルーのモノより強度がありそうだ。
なるほどなぁ。
素早い攻撃に、高い防御力。それに加えて、火炎攻撃。
その見てくれは伊達ではない。
とはいえ、速さの点では問題なさそうだ。
2倍速を使えば、スピードで圧倒できるだろう。
これなら、いけるはず。
斬りつけた後、スリムミノの後方に回り込む。
こいつも俺を捕捉しようと振り向く。
が、遅い。
さらに後ろに回り込み、背中に掌底を打ち込む。
内部まで届くよう振動をたっぷり伝えて。
鈍い音と、それなりの手応え。
・・・なに!?
全く効いていないのか。
ふらつくことも無く、しっかりと地面を踏みしめ、火炎を吐きながら俺に掴みかかってきた。
火炎を避けながら左後方に跳躍。
距離をとる。
・・・。
スリムミノタウロスには掌底が効かない。
手応えはあった。
確かにあった。
爪カンガルーに与えた一撃以上の手応えが・・・。
なのに・・・衝撃を吸収された?
防御された。
それとも・・・。
あの障壁。
慎重に感知し観察してみると・・・。
そうか。
少し身体から離しているんだな。
爪カンガルーは身体に障壁を密着させていたけど、こいつは身体から数センチ離して防御障壁を展開している。
なるほど、振動が伝わり難いはずだ。
でも、そうと分かれば、やりようはある。
簡単ではないが、なんとかするしかないだろう。
再び接近。
スリムミノの攻撃を掻いくぐる。
背後に回り込み。
正拳突き。
で、これならどうだ。
そのままゼロ距離からの中威力火炎弾。
「・・・駄目か」
1メートルほどスリムミノを吹っ飛ばしただけ。
ダメージは皆無。
まだ、これでは足りない。
となると、やはり、もう。
一点集中攻撃で障壁の破壊を狙うか。
上手くいってくれよ。
左右に跳ね火炎攻撃を回避しながら、正面に接近を試みる。
スピードでは圧倒しているので、今のところ攻撃を避けるのは難しくない。
こちらの攻撃も通っていないけど・・・。
おっと。
懲りずに特大の火炎弾を放ってきた。
身を屈めるようにしてそれを避け、さらに前方に身を投げ出す。
スリムミノの強力な右手の一振りが俺の頭上をかすめる。
俺は地面に右手をつき、それを軸に身体を回転させるようにしてミノの足に蹴りを入れる。
ガゴン!
やはり障壁に阻まれた。
俺の足にも魔力をコーティングさせておいたんだけど、無理だったか。
地面に転がしてやろうと思ったのに。
頭上から迫るミノの拳をなんとか躱し、再び距離をとる。
本当に厄介な防御障壁だな。
足止めも上手くできない。
困ったもんだ。
うーん・・・。
スリムミノタウロスも手詰まりなのか、その場で固まっている。
少し首をかしげるような仕草。
微妙な愛嬌がある・・・。
おっ。
2倍速の効果が切れた。
まずい、まずい。
もう一度、使うか?
使って大丈夫なのか。
魔力の残量は・・・。
でも、使うしかない。
よし。
再発動。
さて。
時間がもったいない、早くけりをつけないと。
と思っていたところ。
突然、スリムミノを覆う魔力が変わった。
ミノの身体を紅蓮の炎が覆っていく。
なるほど、防御障壁の上にさらに炎を纏ったのか。
これは、ますます難儀だな。
防御障壁だけでも手を焼いていたのに・・・。
いや、まてよ・・・。
感知。
感知。
・・・これは。
好機到来か。
あいつ・・・防御障壁の上に炎を纏ったんじゃないな。
障壁を解いて、炎を纏っているだけだ。
まあ、奴も攻撃力を上げたかったんだろうが。
それは拙策だろ。
墓穴を掘ったな。
ここを逃す手はない。
残り少ない魔力と気を練り上げ、俺の身体を覆い尽くす。
こっちも防御障壁の完成だ。
そこにミノが体当たりをかましてきた。
紅蓮の炎を纏った身体による体当たり。
相当な迫力だ。
けど、そんなの当たらないぞ。
攻撃が単調で直線的すぎる。
ミノの上を跳躍し、背後から中威力の水弾を一発。
身体を覆う紅蓮の炎に幾分蒸発させられながらも、俺の水弾は一直線にミノの背中に迫る。
入った。
でも、まだだ。
左の正拳突きを背中に一発。
腕も拳も障壁で守っているけど熱い。
我慢。
「ルオォォォ」
吠えるミノ。
効いたな。
振り返るミノの背後に再び回って、今度は短剣を突き入れる。
さっきと同じ箇所のはず。
これも効いている。
さらに、その上から高威力の水弾。
どうだ・・・。
ドシュ!
やった、ミノの身体を突き抜けた!
「オォォォ・・・」
凄まじい咆哮とともに、倒れ伏すスリムミノタウロス。
「ふぅぅ」
なんとか勝てたか。
よかったぁ・・・。
しかし、ホント。
この谷底は半端ないな。
甘くない。
本当に甘くない。
・・・。
まだ続くみたいだ。
爪カンガルーが2匹。
すぐそこに来ていた。
勘弁してほしい・・・。
最初からラッシュをかける。
2匹を上手く分断し、掌底で動きを止める。
さらに掌底の連続攻撃。
障壁が弱まったところでとどめを刺す。
各個に撃破。
「ふぅぅ」
魔法を使わず、倒すことができた。
が、そろそろ限界だな。
怪我はあまりないけど、体力はかなり減っているし魔力もほとんど残っていない。
それに、かなりの倦怠感。
これは・・・まずい。
今はとにかく体力と魔力が回復するまで大人しくしていなければ。
出てくるなよ魔物。
ホント、頼むよ。
「・・・・・」
また現れた。
スリムミノタウロスが1匹。
ホント、俺が弱るのを待っていたかのように、現れてくるな。
さて、どうする?
・・・。
うん。
逃げよう。
今は2倍速が使えないけど、幸いなことにスリムミノとの間にはまだ距離がある。
逃げきれるはず。
踵を返し、スリムミノとは反対の方向に疾駆。
・・・。
前方に爪カンガルーが1匹現れた。
フェイントで躱しながら背中に掌底を1発入れて、そのまま離脱。
さらに、疾駆。
・・・。
・・・・・。
まいったな・・・。
この世界に来てから何度か窮地に立たされたけど、今回が一番やばいんじゃないか。
前方に、2匹の爪カンガルーと1匹のスリムミノタウロス。
後方からも、2匹のスリムミノタウロスが近づいて来ている。
今使える魔法は・・・無いな。
2倍速も、まだ使えない・・・。
使えるのは、この身体と短剣のみ。
「ふぅぅぅ」
魔力も残っていない上、体力も足りていない。
疲労感もすごい。
勝てる気がしないな。
逃げきれるような気もしない。
・・・。
でも、何とかするしかない。
そんな事を思っている間に、戦闘は始まってしまった。
5匹相手は辛い。
完全な状態でも容易ではないのに、今の状態ではなおさらだ。
とりあえず、攻撃を躱すことに専念する。
隙を見つけて各個に攻撃。
なんとか1匹ずつ倒していきたい。
もしくは、隙あらば逃げる。
この作戦だ。
躱しながら、たまに軽い攻撃を入れていく。
体力が万全でないためか、魔力切れのせいか、身体が少し重い。
が、それでも何とか・・・。
未だ逃げる好機には恵まれないが、爪カンガルーに掌底を入れる機会には恵まれた。
2匹の爪カンガルーに掌底を入れ、動きを鈍くさせることに成功。
これで、鋭い攻撃を仕掛けてくるのはスリムミノタウロス3匹。
この3匹が難敵なんだけど。
それでも、さっきよりは、逃走の可能性も高まっただろう。
俺の力も尽きかけているけど・・・。
あっ!
左右から同時に攻撃してくるスリムミノ2匹。
すんでのところで、跳躍してなんとか回避。
危なかった。
が、着地した地点にもう1匹のスリムミノタウロスが突進してくる。
横に大きく避ける。
そこに、スリムミノの火炎攻撃。
回避!
波状攻撃か。
これは、逃げるどころじゃないな。
2倍速が使えない今はスピードで圧倒できるわけじゃ無いし。
「くっ」
しまった。
動きが鈍っていたはずの爪カンガルーの攻撃が背中に。
それほどの傷ではないけど・・・避けきれなかった。
いつの間にか、爪カンガルーの動きも戻っていたみたいだ。
まずいな・・・。
もう一度、掌底で動きを止めないと。
今ならできるか。
1匹の爪カンガルーの横に回り込み、掌底を放つ。
成功。
よし、と思った刹那。
左からスリムミノの一撃。
身を捻って避ける。
さらに、後方から爪カンガルーの爪攻撃。
屈んで避ける。
火炎が目の前に。
避ける。
と。
俺の脇に衝撃が。
スリムミノのボディブローが俺の脇腹をとらえていた。
ギリギリのところで少しだけ躱したけど・・・。
「痛っ・・・」
思わず呼吸が止まるが、それどころじゃない。
続く一撃を倒れながらも咄嗟に横に跳んで避ける。
なんとか離脱できた。
しかし、これは・・・。
かなりのダメージだ。
まだ、治癒魔法は使えないのに。
この状態で1対5か。
・・・。
俺を取り囲む魔物たち。
とにかく、必死で避ける。
避ける。
避ける!
躱す。
躱す!
途中からは、無意識で動いているような感覚。
最小限の動きで躱し。
避け、躱し、攻撃・・・。
なんか悪くないな、この体捌き。
余裕はないが、そんな感慨も抱く。
とはいえ、そんな状態が長く続くはずもなく。
躱せていた攻撃も、そのうち完全には躱しきれなくなり、傷を負っていく。
致命的な攻撃だけはなんとか避けているが、それもいつまで可能だろうか。
「っつぅ」
左肩にカンガルーの爪が入った。
痛いと言うより熱い・・・。
「ぐぅ」
背中に火炎が・・・。
腕に・・・。
顔に・・・。
「くっ」
躱す。
躱しきれない・・・。
避けられない・・・。
・・・。
あぁ・・・意識が朦朧としてきた。
本格的にまずいな。
もう、さっきまでの体捌きなどできない。
惨めに泥臭く逃げるだけ。
が。
「あっ」
スリムミノの下段蹴りが脚に入った。
思わず、その場に蹲りそうになる。
そこに、別のスリムミノタウロスの強烈なフック。
これはもう・・・。
躱せない。
ドン!
まともに食らった。
ああ・・・揺れる・・・。
さらに、スリムミノタウロスの強烈な蹴りが・・・。
ドゴン!!
吹っ飛ばされた。
一撃を食らう直前に、斜め後方に跳んで少しは衝撃を軽減できたと思うけど・・・。
魔力が無いから魔力障壁は作れなかった。
気は纏えたか・・・。
それにしても、飛ばされたな。
まだ落ちないのか。
なんで、こんなにゆっくりなんだ。
まあ・・・いいか。
ザッバーン・・・。
背中を襲う緩やかな衝撃。
水が目に口に入ってくる。
・・・ああ。
川まで吹っ飛ばされたのか。
・・・。
・・・。
・・・。
そこで、俺の意識は途切れてしまった。




