救世主
何度も……
何度も……
殺されてきた。
繰り返すうちに分かるようになった。アレが、どの瞬間に私を殺そうとしているのか。
呼吸の乱れ、視線の動き、空気の張りつめ方。
全部、嫌になるほど察せるようになった。
それを知っているからこそ、逃げられない絶望が余計に重くのしかかる。
「今回はここかぁ……」
今日は夏休みの初日。場所はあっくんとのデートの待ち合わせの公園。
夜の公園には、無機質なポール時計だけが浮かび上がっていた。黒い針が18時59分を指し示し、秒針を刻むカチ……カチ……という音が、まるで自分の死刑執行を告げる鐘のように耳に突き刺さる。
すっかり辺りは闇に沈み、外にいる子供は一人もいない。
街灯に照らされた白い砂が、血の跡を待ち受ける舞台のように不自然に光っていた。
私は足音を響かせながら、公園をぐるぐると歩き回る。サンダルが砂を踏む音がやけに大きく響き、静けさを余計に際立たせた。
緊張を紛らわせたい。いや、もうそんな感覚すら残っていないはずなのに。
それでも体は勝手に動いてしまう。
まるで、運命に引きずられる人形のように。
大きな木を見上げる。
二人で遊んだ日の記憶が勝手に蘇る。
響き渡る笑い声。
夏の陽射しに汗ばんだ手の温もり。
何度も何度も繰り返した他愛のない光景。
━━━もう、どうでもいいのに。
ブランコに目をやる。
飛び跳ねたり、背中を押されたり、泣いていた時に慰められたり……。
全部、頭の中でフラッシュバックしていく。
━━━くだらない。
心の中で叫んでも、記憶は消えてくれない。
全部、嘘だ。全部、作り物だ。一体、何を慈しめばいいというのだろう。
アレとの思い出は、ひとつ残らず腐っている。
掘り返すたびに胸を抉るだけだ。いっそ全部、消えてほしい。
私は公園の広場の中央に立ち尽くした。夜風が頬を撫で、薄ら寒さが骨に沁みる。
そして、空を仰ぐ。何度繰り返しても同じ空。雲の形すら、寸分違わず再現される。まるで、私に救いがないと嘲笑うかのように。
「あっくんと……高校生でも出会えたのは嬉しかったなぁ」
ぽつりと零れた声に、自分でも驚いた。頬が緩む。今日、初めての笑顔だった。
死に戻りなんて、誰も信じてくれない話を信じてくれた。私を殺させないと約束してくれた。
とても暖かかった。
どのループでも変わらない優しさ。
いつだって、私を抱きしめてくれる。
やっぱり、私は君に救われてばかりだ。
心の底からそう思える。
けれど━━━
「次のループからは関わっちゃダメだね……」
唇を噛む。
アレが、初めて興味を覚えた存在があっくん。
もしも私が次のループであっくんに近付いたせいで、彼が標的になるのだとしたら……?
私が殺されるのはもういい。
殺される苦しみにはもう慣れた。
死ぬまで耐えればいい。その次のループに痛みは繋がらないから。
あっくんは優しいから、きっと次のループでも私を助けようとしてしまう。
それがあっくんの強さであり、弱さであり、そして私が一番惹かれてしまう部分だから。
だからこそ、怖い。
私が甘えてしまえば、きっと彼はまた手を伸ばしてくれる。
その瞬間、アレの目が彼に向いてしまったら━━━
もう二度と、あっくんに会えなくなるかもしれない。それを想像しただけで、胸が張り裂けそうになる。
それで、次のループから出会うことができなくなったら……
そんな未来を迎えたら、この先いくらループを繰り返しても、自分を保ち続けられるはずがない。
私は両手をぎゅっと握りしめた。爪が食い込み、掌に痛みが走る。
「お~い、姫奈。こんな時間にどうしたんだ?」
振り返った瞬間、血の気が引いた。そこに立っていたのは、無垢な笑顔を浮かべたアレ。
何度も、何度も、私を殺してきた“絶望”そのもの。それなのに、その表情はひどく日常的で、優しげで。
━━━だからこそ、背筋が凍りついた。
◇
「あのね、光……実は、伝えたいことがあって……」
「お、おう。急だな」
━━━死ねよ。くたばれよ。もう私に近付くな。
心の奥で毒のような言葉が渦巻く。
けれど、それを表には出さない。
私は━━━緊張している少女を演じる。
頬をわざと赤らめ、潤んだ目で彼を見上げる。
胸の奥では吐き気が込み上げているのに。
「私たち、ずっと一緒にいたよね。子供の頃から、ずっと……」
「そうだな。姫奈がわんぱくだったから、俺も大変だったなぁ」
「もぉ!そんなこと言わないでよ!」
明るく笑ってみせる。咳払いで空気を整える。
けれど、胸の奥では吐き気が込み上げていた。
気持ち悪い。
気色悪い。
私たちの間に流れる生ぬるい空気。
遠くから風鈴が鳴る。野球中継のホームランを祝う声が聞こえる。そのすべてが、既視感にまみれた“やり直し”の空気。
同じ。
何度も、何度も繰り返されてきた、呪われた茶番。
「私は、ずっと。ず~~っと、光が好きだったの……」
「え?」
「ねぇ、私と、付き合ってくれない……?」
「ま、マジか……」
「マジだよ。大マジ。ねぇ、恋人になろうよ。光……」
手を胸の前で組み、潤んだ瞳を向ける。
不安……そうな表情。
緊張……そうな表情。
成就してほしい……と思っている表情。
どれも“完璧”に浮かべる私。
私は知っている。この芝居を何度も見てきたから。
体と心が分離しているが、台本通りに動かされる人形のようにセリフを紡ぐ。
「俺も、姫奈のことが好きだったんだ……」
「え……」
目の前の“アレ”は、記憶を継承したまま、同じ表情を、同じ仕草を、何度も何度も繰り返す。
初めてなら甘酸っぱいはずのこの場面が━━━今の私には、気持ち悪くて仕方がない。
「まさか……姫奈と両想いだったなんて……俺なんて眼中にないと思ってた」
「そ、そんなことないよ!光こそ、私のことなんて……そこら辺の石程度に見てると思ってた……」
「んな、わけねぇだろ……」
互いに笑い合う。
甘酸っぱさに包まれるはずのやり取り。
けれど、私の心臓は冷たい水に沈められたみたいに動かなかった。
その勢いのまま、私はアレの胸に飛び込む。
「ふふ!やっと願いが叶った!」
「俺もだよ……」
アレの胸に顔を押し付ける。
恐怖を押し殺しながら。
初めて抱き合った時は、鼓動が伝わるほどに緊張していたはずのその胸。
だが今は、凪のように静まり返っていた。
死神のように。
私を抱く腕は片方だけ。
空いているもう片方が、何を持っているのか━━━もう分かっている。
「それじゃあ、姫奈。
━━━ま~た。ダメだったかぁ」
空気が重く凍り付く。
振り上げられる気配。
金属が空を切る冷たい音が、皮膚の下まで突き刺さる。
見なくても分かる。その手には、私を殺し続けてきた“金槌”が握られている。
━━━させねぇよ。
「ぐふ!?」
鈍い衝撃音が響いた。
それは、私の頭が砕ける時の音ではなかった。
痛みはない。代わりに、目の前でアレが血を流し、崩れ落ちていく。
「いっつ……」
呻いた声は途切れ、アレの目は虚ろに泳ぐ。側頭部には石の破片が転がり、地面に血が黒く染みを広げていた。
振り返った先にいたのは、全身を覆うパーカーに黒いフードを深く被った人物。
「逃げるぞ……!」
返事をする間もなく、私は立ち上がらされ、夜の闇へ駆け出していた。
◇
「何で……」
「分かりやすすぎんだよ!」
荒い息を吐きながら走り抜ける。夜の公園を抜けて、街灯の並ぶ市街地へ。
背後では、まだアレが追ってくる気配が残っている気がして、足を止めることなんてできなかった。
「夏休み前まで一緒にいてだの、こんなわけの分からない公園を集合場所にしたのも……ッ!夏休みになったらここで殺されるって言ってるようなもんだろうが!」
「……ッ」
「……っていうのが、さっき思い付いたやつな。昨日星を観に行ったあの場所で殺されるもんだと思ってたから、そっちで待機してたんだ。山の中だから、長袖長ズボンで虫避けして……この灼熱の中、汗だくで待ち続けてたんだけどなぁ……」
芝生の跡がつき、土の匂いが染み込み、汗で色が濃く変わっていた。陽射しに焼けた腕は赤く火照り、額からは容赦なく汗が滴っている。
「……」
「全く来ないからアテが外れたんだと思ったんだ。で、昨日の集合場所に寄って見たら、丁度、姫奈が殺されかけててさ。とりあえず、そこら辺の石をぶん投げた。はは、もう二度とあんなストライクは出せねぇな……」
息を切らしながら笑うあっくんの横顔。その笑みはぎこちなくて、汗に濡れた額の髪は張り付き、肩で息をしている。
それでも━━━必死に、私を守ってくれていた。
「……何でよ」
思わず声が震える。
せっかく、一人で死ぬ覚悟を決めていたのに。
こんな風に助けられたら、心が崩れてしまうじゃないか。
「言っただろ?この世界でループするにしても、姫奈は殺させないって……」
「……ッ」
「それと助けに来たんだから、そろそろ笑え。今の姫奈の顔は、嫌いだ……」
その言葉に、もう堪えきれなかった。涙が滲み、視界が揺れる。胸の奥に、温かいものがあふれて止まらなかった。
「ありがとう……ありがとね!」
嗚咽交じりに零れた言葉は、震えても構わなかった。
君はいつだって私を助けてくれるんだね……
◇
手で頭を撫でると、指先がぬるりと濡れた。血が流れている。けれど、その痛みは取るに足らない。アドレナリンとか、そういう生理的な反応もどうでもよかった。
俺の胸を占めていたのは、ただひとつの疑問だ。
「ヘマやらかしたなぁ……」
姫奈を殺して時間を巻き戻すはずが、まさか乱入者に邪魔されるとは。
殺気を撒きすぎたのか?
それとも、どこかで余計な動きをしたのか?
高校でのモブの行動もそうだが、この世界は時折、微妙に噛み合わない。
まるで歯車が一枚だけ逆に回っているような、不快なズレを感じる。
「……とりあえず、姫奈は取り返さないとだ」
ゆっくりと立ち上がる。足元がふらつくが、問題はない。
近くの水道で頭を突っ込み、流れ落ちる血を冷たい水で洗い流す。
タオルで乱暴に押さえると、じわじわと血は滲んでくるが、小石での打撲程度だ。致命傷にはならない。
多分、ループを繰り返しすぎて、大事な何かを見落としているのだろう。
どっかの野球の監督も言っていた。
スランプの原因はスイングそのものじゃない。日常の動作の中に答えがある、と。
「次、殺したら、もう少し丁寧にやり直してみるか!」
失敗は学習の種だ。その繰り返しの先にこそ、俺の望むモノがあるはずだ。
指先に握られた金槌が、街灯の下で鈍く光る。記憶を塗り潰すための道具。俺はそれを携え、再び姫奈のもとへと歩き出した。
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