79話 魔王継承
獣の特徴を備えた人々との暮らしは、異世界に来てからもっとも平穏な数年間だった。
もしも最初からこの状況であったならば、俺もアイテムストレージに避難するだなんてことは頭にもよぎらず、異世界に骨をうずめることができただろう。
身勝手な感想。
思い上がり。
自分を責めることが常態化して、薄れていく罪の意識。
もしも俺の状況をどこか高い場所からながめている者があるならば、こここそが天罰の落とし所だと感じたに違いなかった。
ただし、その罰は、俺自身ではなく、俺が愛した人たちに落とされた。
ついに世界のほぼすべてを版図におさめた人間たちが、俺の住まう場所を発見したのだ。
亜人という『資源』がここに貯蔵されていることを知った者たちは、当たり前のようにそれを搾取すべく行動を開始した。
彼らにはもちろん大義があった。彼らの作り上げた王国で、彼らが定めた、彼らのための法。彼らの上司に命じられるまま、彼らの生活のための掠奪。
大義は人工で作り上げられたものだった。
彼らはまぎれもなく正義の行いとして、武力を、あるいは転移者が持つ能力を駆使し、こちらを蹂躙にかかった。
力を持たない獣人たちは捕われるか殺されるかを選ばされることになる。
人間のほしいままに隷属することを嫌って落ち延びてきた彼らは、おそらく死を選ぶだろう。
俺は――
獣人たちの側についてしまった。
迷う余裕などなかった。
アイテムストレージの穴を上空に空け、そこから大質量のものを落として、人間の軍勢を蹂躙した。
あるいは人そのものをストレージ内にしまって、永遠にそこから出さないことにした。
最初は反射的だった抵抗は、気付けば長い長い叛乱の幕開けになっていた。
人間たちはいつしか、こちらを魔王と呼ぶようになった。……たぶん、記憶のアイテム化を行っても、完全にすべての記憶をそうざらいはできていなかったのだろう。
居城を構え、そこから動かず、自分たちからは軍事行動も起こさず、ただただ『人類の正義への敵対』を続ける俺たちは、たしかにゲームの魔王軍そのものだった。
俺たちは動かなかった。
叛乱は攻め寄せる人間たちを追い散らすという形式で行われた。
戦力の要たる俺にもう、逃亡の旅をするほどの体力がなかったからだ。
老い。
俺は、自分に残された寿命を心配せねばならなかった。
もしも俺がいなくなってしまえば、もう、『魔王軍』に人間たちを追い散らすほどの力はなくなるのだ。
俺の身に流れる時間を止めるには、アイテムストレージの中にこもるしかない。
あそこならば俺は入っている限り寿命の進行をとめられる。
けれど、一度入ってしまうと、もう一度同じ場所に出られるとは限らない。……限らないというか、また、色々な世界をさまよい続けることになるだろう。
できる限りを、するしかなかった。
俺は、避けていたことを提案する。
それは転移者たちがたまに持っている『異能』をアイテム化したものを、獣人たちに与えるということだった。
これを避けていた理由はいくつもあるのだが、大きなものは、二つ上がる。
一つは獣人たちのポリシーの問題だった。
人間たちの手から逃れてここに落ち延びてきた彼らは、人間たちの持つ異能をひどく嫌っていた。……自分たちを救った俺の力を『神』と定義し、それ以外を『悪』と定義することで、誇りを守っていたようなのだ。
だけれど状況は誇りがどうこう言ってもいられない。
だから切羽詰まったこの時勢が、彼らに誇りか実利かを選ばせて、誇りを選ぶ者たちは、また流浪の旅に戻った。
そして、第二の問題は、『なにが起こるかわからない』ということだった。
記憶や能力はアイテム化してはいても『概念』だ。
俺さえも、記憶の閲覧はできても、それをアイテムストレージの外に出して、アイテムとして使用するなどと、したことがない。
アイテムストレージから出した瞬間にもとの持ち主のところへ戻ったり、あるいは霧散して消え失せたり……また、所持者の記憶と混ざって人格の混濁が起こったりする可能性さえあった。
まして異能などと、どのような副作用があるかわかったものじゃない。
危険性を充分に告げて、獣人たちで協議した結果、『異能』は一人に集中的に持たせることになった。
獣人たちはこの段になって『自由なまま』『絶滅しない』ことを目標に据えていたから、人間たちに抵抗できなくなれば、どこぞの森の奥にでも隠れひそみ、人間への憎悪を語り継ぐつもりでいた。
そのためには生き残る頭数は多いほうがよく、リスクを一極集中したほうが、頭数は確保できるという考えのようだった。
第二に、やはり忌避感が強かったようだ。
人間の異能に頼ることを理性的に決断できても、自分がその『忌まわしい力』を身に宿すとなると、ちょっとまだ躊躇があるらしい。
……そんなことを言っていられる時期はとうに過ぎ去っている。
だけれど、それでも抱くからこそ『誇り』なのだろうとも思った。
たいていの場合、誇りとは、命という船が沈む時に、最後まで載っている一番重い荷物だ。
人は論理的に生きられるほどの知能を持っているけれど、その知能ゆえに論理の外に命の意味を見つけ出す。
それは信仰とも呼べるもので、彼らに神のごとく愛された俺には、獣人たちの信仰を否定する資格がなかった。
そして。
……そして、彼らにとって『忌まわしい力』を宿す、次なる『魔王』には、エイミーが選ばれた。
もっとも俺のそばにつき、俺の寵愛を受けていた彼女こそがふさわしい、らしかった。
口のきけない彼女には、反対も提案もできなかった。
けれど、望んでいない感じでもなかった。
むしろ嬉しがっているようにさえ思えた。
言葉を使うことのできない彼女の内心はわからない。
口をきくという行動の情報量は存外すさまじいものだ。言葉とともに顔の表面にあらわれる表情、微細な視線の動き、体の揺れ……そういったものは、思うよりはるかに多くを聞き手に伝えてくれる。
エイミーには文字を教えているので、筆談ぐらいはできる。
けれど、あらかじめ書いた文字をこちらに見せる彼女からは、その文字を書いた瞬間の感情を読み取ることはできなかった。
だから、彼女の望みが、本当に心からのものなのかは、わからない。
けれど表面上、彼女の同意があった。
獣人たちの願いがあった。
彼女らを守るという名目で、自分がこの世界にさらってしまった人間たちを追い散らし続けてきた俺には、それ以上深く踏み込むことができなかった。
本当は『一つ一つ異能を与えてみて、経過を観察しつつ、無理はさせない』という小癪な抵抗をしたかった。
しかし、俺に残された時間は、もう、ほとんどなかった。……俺が明日にも寿命を迎えそうなのが明らかだからこそ、獣人たちの中に初めて『人間どもの異能に頼るかどうか』という選択を真剣に考えさせることができたのだから。
死が一歩先に迫るまで、人は考え方を変えたりはしないのだ。
俺の死は彼らの死だったのだ。
そして、死が迫っているからといって、考え方を変えるとも、限らないのだ。
エイミー。お前はいったい、どういうことを思い、どういう決断をして、今、そこで笑っているのだろう。
娘のように、あるいは孫のように愛したこの少女は、こうして獣人たちの救世主にして、人間たちの脅威となった。
そして、俺は寿命を迎えて――
異世界に空けた穴から、次の俺が、この世界に来た。




