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一瞬のトリスト

 その日からアルトとマリーの奇妙な関係が始まった。

 

 「マリー! 今日はスープも持ってきてやったぜっ!!」

 「アルトくん。嬉しいけどそんな気を使わなくても平気だっていつも……」

 「気にすんなって! 俺の家、食料とか有り余ってるし」


 そう言いながらアルトは持ってきたパンとスープをマリーの前に置いた。

 今日だけでなくアルトはマリーと出会った翌日から毎日のように彼女に食料を届けている。

 その行いをマリーは遠慮しながらも心では感謝していた。


 「美味しそうだね」


 いつもはパンだけのことが多いが、今日は具沢山のスープが付いている。

 鼻を擽るそのおいしそうな匂いにマリーは頬を緩ませた。

 

 「このスープは旨いぜ! ばあちゃんの特製だからな。本当は俺が全部飲みたかったけどマリーには特別な」

 「嬉しい……ありがとうアルトくん」 

 「なっ、何だよ。別に、こんなの気まぐれだし!! てか飲めよ。ほら!」

 

 押し付けられたスプーンにマリーは苦笑しながらもそのスープに口をつけた。


 「美味しい!」

 「だろ!? ばあちゃんは他の料理も得意なんだけどさ。俺的にはこのスープが一番うまいと思うわけよ! でもばあちゃん時間がかかるからってあんま作ってくれねーの!」


 すねた口調のアルトにマリーは穏やかな笑みを浮かべた。

 その後も二人は他愛のない話をして過ごす。

 とはいっても基本的にはアルトが自分の身のことを話すことが多かった。マリーはあまり自分のことをしゃべりたがらない。

 だが、アルトはそんなことあまり気にしていなかった。

 ただマリーと共に過ごす時間が楽しいと感じていた。

 マリーはアルトのどんな話でも笑って聞いてくれるし、落ち込んでいるときは慰めてくれる。一緒に怒ってくれる時もあれば、逆にアルトを叱るときもある。相談すれば優しく答えてくれた。

 アルトはどんどんマリーのことが好きになっていっていた。


 「なぁ、マリー」


 他愛のない会話の途中でアルトは少し真剣な顔つきをする。

 その態度にマリーは小首を傾げた。

 

 「どうしたの?」

 「あのさ……」

 「うん」

 「マリーはさ、どうして……その、野宿とかしてんの?」


 ずっと聞きたくて聞けなかったことだ。

 マリーはまだ年若いし、身なりもそれなりに綺麗だ。

 決して貧乏でこんな生活をしているようには見えない。理由があるのだろうが、その理由を聞いていいかずっと悩んでいた。

 でもアルトはマリーのことが好きだし、何か困ってるなら力になりたいと思ったのだ。


 「え……?」


 マリーは聞かれたことに驚いたように、一瞬茫然とした。

 しかし、すぐにいつもの顔に戻る。


 「悪いことをしたから……かな」

 「悪いこと?」

 「そう。だからもう前住んでいたところにはいられなくなったの」


 言葉を濁していうマリーにアルトは不満気な顔をする。


 「よく分かんない」

 「ごめんね、あんまり詳しくは話せないの。アルトくんにはこんなにお世話になってるのに……」

 「え、や! それは別にいんだけど! 俺はただマリーの力になれればと思って……」

 「アルトくん……」

 

 アルトの言葉にマリーは微笑んだ。

 

 「ありがとう。そんなこと言ってもらえて私は幸せね」

 「べ、別に。俺はただマリーがいつも俺の相談とか乗ってくれるから! その恩返しをと思って!」

 「むしろ私の方が恩返ししたい気持ちだよ。こうやって食料を持ってきてくれて、話し相手になってくれて、アルトくんには本当に感謝してる。幸福すぎるわ。何もかも忘れて、ずっとここにいれたらこんな私でも幸せになれたと思うの」

 「え?」


 最後の言葉にアルトは引っかかる。


 「マリー、ここを出てくの?」


 考えたこともなかった。

 アルトにとっては、マリーはもうずっとここにいるものだと思っていた。

 しかし、マリーはその言葉に小さく頷く。


 「今度お祭りがあるでしょう? その日にココをでていくつもりよ」

 「なんでっ!?」


 アルトは叫んだ。


 「マリーは行く場所ないんだろっ? ずっとここにいればいいじゃん。なんなら俺の家に住んでもいいよ。部屋余ってるし! てか、そうしよ! 俺ばあちゃんに!!」

 「駄目だよ」


 マリーはアルトの言葉に静かな声で返した。

 その冷たさにアルトは押し黙る。


 「駄目だよ、アルトくん。言ったでしょ? 私はとても悪いことをした人なの。これ以上優しくしちゃ駄目」

 「マリー」

 「ここまでお世話になって言うのもなんだけど、アルトくんはもっと私を疑ったほうがいいよ。私どう見たって怪しいでしょ? 本当は私と会ったあの日、アルトくんは私を追い返すべきだった」

 「なんで、なんでそんなこと言うんだよ……」


 アルトは泣きたい気持ちになった。

 マリーといてこんな雰囲気になるのは初めてのことだった。重苦しい空気が漂う。ただアルトはマリーの悩みを聞いて力になりたかっただけなのに……。


 「……アルトくん。私ね、どうしてもやらなくちゃいけないことがあるの」

 

 しばらくの沈黙の後、マリーは静かな声でそういった。


 「やらなくちゃいけないこと?」

 「うん。そのために私は今ここにいる」

 「大事なことなの? だからここを出てくの?」

 「そうだよ」

 「そっか……」


 アルトはしばらくうつむいていただが、やがて決心したように顔をあげた。


 「マリー、俺はさ。あの日マリーのこと追い返さないでよかったって思っているよ」

 「え?」

 

 アルトの言葉にマリーは目を見開く。


 「マリーは悪いことした人なのかもしれないけど、俺にとってのマリーはとっても優しい人だから。マリーと話せて楽しかったし、マリーがここからいなくなったら悲しい。会えてよかったって思う」


 そんなに長い間一緒にいたわけじぇない。

 それでもアルトの中でマリーは特別な存在になっていた。


 「私もだよ」


 マリーは笑った。


 「私もアルトくんに会えてよかった。ここにアルトくんが来てくれてよかった」

 

 優しく髪を撫でられてアルトは照れたように目線をそらす。

 

 「祭りの日に出てくんだろ?」

 「うん」

 「じゃあそれまで、俺と思い出づくりしような」

 「……うん」


 残された一緒にいられる時間は少ない。

 アルトはその時間を大切にしたかった。

 

 結局、マリーのことは分からずじまいだがそれでもいいと思った。

 アルトにとって、マリーはマリーなのだから。

 それに、少しはマリーに近づけた気がしたからそれでよかった。


***


 その日、いつもよりも遅めの帰路についたアルトは残された時間をマリーとどう過ごすが考えていた。本当は町に出て一緒に買い物をしたり食事をしたりしたいが、マリーはあの森から出たがらない。

 

 森の中で出来ることなど限られている。

 町で何か買ってマリーにプレゼントするのはどうだろうか。いいかもしれない。優しいマリーはきっととても喜んでくれるだろう。

 それに、マリーとアルトが一緒に過ごした証にもなる。


 いいことを思いついたとアルトが上機嫌で家の扉を開けると、ソーラがすごい形相でアルトを出迎えた。


 「アルト!? 遅かったじゃないか! 何をしてたんだい!」

 「ばあちゃん?」

 「心配したんだよ、本当にもう」

 

 確かに今日はいつもより少し遅い帰りになってしまったが、それにしてもソーラの様子は変だった?


 「何かあったの?」

 「あの女が……」


 あの女?

 アルトは首をかしげる。


 「あの女、王を殺した女がこの町に潜伏しているらしんだよ」


 その言葉にアルトの頭の中を王殺害と大きく書かれた号外がよぎる。

 マリーとの出会いで忘れていたが、そんなこともあった。


 「今日、王都騎士団から伝達があってね。外出には十分注意するようにと、お前もあまり外に出るのはお止め」

 「えぇ、そんな!」


 そんなことしたらマリーに会えなくなってしまう。

 

 「すぐに捕まると思っていたのに、ちょこまか逃げ回って……。しかもこの町にいるなんて」

 

 ソーラが何事か言っているがアルトの頭の中はマリーでいっぱいだった。

 明日からソーラの監視が厳しくなるのはあきらかだし、どうやって抜け出すか。

 

 「あぁそうだ、アルト。明日うちの森にも騎士団が来るからね」

 「えぇ!?」


 思わぬ言葉にアルトは目を見開く。


 「なんで!」

 「なんでって、今言っただろう。王殺しの女がこの町に潜伏しているんだよ。その捜索の一環さ。うちの森なんて隠れ場にもってこいだしな」

 「そんな……」


 あそこにはマリーがいるのに……。

 そこまで考えて、アルトの中で妙な考えが生まれた。


 頭の中にあの号外がまた浮かぶ。


 「何か問題があるのかい?」

 「え、あ、いや、あそこには俺の秘密基地あるからさ」

 「なんだいそんなの気にしてたのかい。調べられるかもしれないが、別に荒らされることはないだろうよ」

 「あーうん……。ごめん、ばあちゃん俺、便所!」

 

 ソーラの話を適当に切るとアルトは走り出した。

 

 まさか。そんなことが、とアルトは思ったが一度浮かんだ疑問を消すことはできない。

 まとめて置かれた古い新聞の中から例の記事を探す。


 見つけ出すのは容易だった。それもそうだ。その記事は連日大々的に取り上げられていたから。


 王殺害。その言葉と共に様々な憶測と、評論が飛び交う新聞の中からあの写真を探す。

 

 マリアッテ・リアロール。

 その名とともに、王殺しの犯人として掲載された写真。


 穏やかに微笑む女はアルトが良く知る人物によく似ている。似ているなんてものじゃない。そっくりそのままと言ってもいい。

 あの時は出会ったばかりで、他人の空似だろうと思っていたが、今は違うと分かる。


 「マリー……」


 アルトはその女の名前を小さく呟いた。



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