無垢なクライム
心配そうな視線を送る女にアルトはぎこちない笑みを浮かべた。
「あぁ、うん。まぁ、平気っちゃ平気だけど……」
「よかった!! ごめんね支えきれなくて」
女はアルトの返事に満足したように頷くと立ち上がり、服に付いた泥を払う。しかしすでに染み込んで取れそうにない。
「まぁ、仕方がないか」
女は大して興味もなさそうに、服の泥をそのままにした。
「……あのさ」
そんな女の行動を眺めながらアルトは恐る恐る声をかける。
「ん? なに?」
女はまたあの穏やかな笑みを浮かべながら小首を傾げた。
「ここで、何をしてんの?」
助けてもらったのは感謝している。
しかし、一つ問題があるのだ。ここはアルトの家の私有地。すなわち本来ならアルトの家族以外立ち入ることは許されていない場所なのである。
それなのになぜこの女はここにいるのか。
「え? あぁ……その」
不法侵入の言葉とともにアルトは妙な緊張感を感じていた。しかし、そんなアルトの心境をよそに女は少し恥ずかしげに頬を赤らめている。
一体どうしたのかとアルトが首を傾げると、女は恥ずかしそうに小さく口を開いた。
「野宿を、してて……」
「の、じゅく……?」
「うん。あっちに小さな洞窟があるの、今はそこに……」
「あぁ、あそこ……」
確かにここから少し離れたところに洞窟がある。アルトは小さい頃そこを秘密基地として遊んでいた。それほど大きなものでははないが雨風は凌げるであろう。
しかし、そこもアルトの家に私有地なのだ。
「あのさ、ここ俺ん家の私有地なんだけど……」
もしかしたらこの女が何か悪事を働いているのでは? とも思ったがこの様子ではただ単にここが私有地だと知らなかっただけに見える。
そしてその予想を裏付けるように女は驚いた顔をした。
「私有地……? えっ!? わ、私知らなくて……。ごめんなさい!」
「あ、いや……」
「すぐ! 出てく行くから!」
なんだか自分が悪者にでもなった気がする。
「私有地って言っても整備もしてなくて荒れ放題だし。出入りしてるのなんて俺とばあちゃんぐらいだし。別にいてもらってもいいんだけどさ」
「でも、こんなどこのどいつかも分からぬような奴がいては不安でしょう?」
「いや、俺は別に……」
妙ないたたまれなさを感じてアルトは言葉を濁した。
「荷物も少ないしすぐに出ていけるから大丈夫よ」
「だから、別にいいって! 野宿してるってことはその、なんか色々あんだろ?」
「まぁ……」
「だったらいてもいいよ。誰も文句言うやついないし」
「そう、なの」
女はアルトの言葉に頷くと、そのあと申し訳なさそうに頭を下げた。
「本当は、すごく助かるわ。お金はあまり持ってなくて宿をとることも出来なかったの。あの洞窟を見つけた時はけっこう嬉しくて……」
一体この女はどんな生活をしてるんだとアルトは同情した。
こんな女をどうして追い出せるだろう。
アルトの心には危機感なんてものは一切なかった。
「俺、アルトっていうんだ。お前は?」
「え? えっと……マリー。マリーよ」
「マリーな! いくつ? 俺は今年で11歳!」
「今年で20かな」
「えぇ! 見えねー!!」
マリーは実年齢よりもずっと若く見える。
アルトのような反応に慣れているのかマリーは小さく苦笑した。
そしてもう一度深く頭を下げる。
「アルトくん、本当にありがとう。助かるわ。アルトくんは優しいのね」
顔をあげたマリーの穏やかな優しい笑みにアルトは少しだけ頬を染めた。
しかし次の瞬間、自分がここへ来た本来の目的を思い出す。
「あーそうだった! なぁマリー。そこの薬草とってくれない?」
「え? これ?」
マリーはアルトの指さす薬草に触れる。
アルトがそれに頷くと、マリーはその薬草を引き抜いた。
「どうぞ」
「ありがと。俺この薬草をばあちゃんのために取りに来たんだよ」
「おばあ様は病気か何か?」
「違う違う! 体は元気なんだけどさ、ちょっと精神的にやられてて……。ほら、この間王様が殺されただろ? 俺のばあちゃん王様の熱狂的な信者だったんだよ」
「王、様……の?」
「そうそう。だから最近情緒不安定でさー。この薬草にはなんていうか鎮静作用? 精神安定みたいな効果があるんだよ」
「へぇ……」
その時アルトはマリーの表情が少しだけ引きつっていることに気が付いた。
しかしそれは本当に一瞬のこと。すぐにいつもの穏やかな表情に戻る。
「アルトくんは、薬草に詳しいのね」
「ま、まぁな! ばあちゃんの影響でちょっと……。てかそろそろ帰らないと」
「あ、うん! そうだよね。 今日は本当にありがとう」
マリーはもう一度頭を下げた。
「だから気にすんなよ。この山の中使っている奴なんて本当にいないからさ、人も寄り付かないし楽にしてくれていいぜ」
「そうなんだ……。それじゃあ、お言葉に甘えて。そうさせてもらいます」
「おう!」
アルトは満面の笑みを浮かべた。
その笑顔につられてマリーも微笑む。
「んじゃ行くな! あっ、夜の森は危険だから気をつけるよ!」
「分かってる。野宿の心得はあるから。アルトくんも帰り道気を付けてね。また転ばないように」
「はいはい!」
軽く手を振り合うとアルトとマリーは別れる。
アルトはそのまま急ぎ足で山を下りると家へと向かった。
その後姿をマリーが何とも言えないような顔で見つめていることには気づきもしなかった。
***
「ただいまー!」
「アルトっ!!! お前どこにいってたんだいっ!!!」
家に帰ってきたとたん響くソーラの声にアルトは耳を塞ぐ。
「山だよ山!」
「はぁ? こんな時になんで山なんて!」
「はい、ばあちゃんに土産」
「これは……」
手渡された薬草にソーラは少しだけ目頭を熱くした。
「お前ったらいつの間にこんなませたことするようになったんだい? こりゃ将来が心配だね」
そう言いながらソーラが背中をバシバシと叩くものだからアルトは顔を顰めた。
「いてっ! いてっ! いてーよばあちゃん!!! なんで俺がぶたれなきゃなんねーんだよ」
「ふふ、いい男になるねって褒めてやってんだよ」
「はぁ? てか、腹減った! ばあちゃんメシー!!」
「はいはい」
アルトの食事を用意するためソーラは台所へと向かう。
残されたアルトの目にふっと机に置きっぱなしになったあの号外が目に入った。
新聞に掲載された罪人が、誰かと重なる。
まさか、な。髪の長さも違うし……。
それに、あんなに優しい人が罪人なわけがない。
「アルトー! ちょっと手伝ってくれないか」
「はーい」
そういえばマリーは食事をどうしているのだろう。
まさか山の雑草とか食べてたりしないよな?
一度考えるとマリーのことが心配で仕方がなくなる。
明日はマリーに残り物のパンでも持って行ってやろう。
きっと喜ぶはずだ。
そう思いながらアルトはソーラの手伝いをするために台所へと走ったのだった。




