6 妖精王と真夏の庭園 ④ ~最終話~
アシュタリエンが発した光は空を流れ、雨となって大地をうるおした。
若草が荒地をおおい、白呪におかされた人々は健康を取り戻し、妖精界は奇跡に包まれた。
アシュタリエンの種をリッシアで育て、苗木のうち3本を奇岩平原・枯れ谷・アシ湿原の3部族に贈ることが正式に決まり、リッシアと辺境の兵士は肩を叩き合って握手した。
残り17本はアシュタリエンを囲む森となり、やがて実をつけるだろう。種は全部族に公平に分配され、妖精界はよみがえるだろう。誰もがそう願うなか、奇岩平原族長だけは渋い顔である。
「人間の子供が、妖精を支配するとはな。断言してやる。戦争になるぞ」
「支配なんかしません。戦争にはなりません!」
言い返したけれど、怒りまじりで去って行く族長の後ろ姿を見ながら、留衣は不安におそわれた。
妖精の王は、やっぱり妖精から選ぶべきなんじゃないのかな――――。
「気にするなよ。あいつ、地位があやういからイラついてるんだ」
グリンの声に、振り返った。
「地位があやうい?」
「ルトガーを殺っちまったからな。責任を問われるだろう。もともと剣の腕だけで成り上がった男だから、戦争が無くなれば用済みさ。外交の上手な奴が新しい族長になるぜ、きっと」
「そういうもの?」
「リーダーは、その時の状況に合わせて選ぶ。でないと、俺達のような貧しい部族は生き残れないんだよ」
「なるほど」
状況に合せ、リーダーを選ぶ。妖精王もそうなんじゃないかと彼女は思った。
「あら、野蛮人のグリン。ちょっと留衣を借りるわよ」
「なんだと、タンポポ女」
ムッとするグリンから留衣をかっさらい、エルメリアは彼女を長老のもとへと連れて行く。
「妖精女王陛下は、わたくしの素晴らしい働きをお認めになり、タンポポ族を貴族にし、領地を進呈したいとおおせです」
「……は?」
すらすらと口上をのべるエルメリアの横顔を、留衣はあっけにとられて見つめた。
素晴らしい働きって……。
戦争に参加したのは勇ましいと思うけど、それはエルメリアだけじゃないし、タンポポを貴族にするとか領地を進呈するとか、一言も言ってないんですけど。
「本当なのか、ルイどの?」
「え? まあ、はあ……友達なので」
「タンポポを貴族にすると?」
「当然ですわ。タンポポは、妖精女王陛下の近侍をつとめる一族ですもの」
とまどう長老たちから同意をもぎ取り、エルメリアは意気高く、紅薔薇公爵と白薔薇侯爵を相手に領地交渉を始めた。
ラエンギルが妖精女王を選んだという知らせは、またたく間に妖精界に広がった。
戴冠式までの間、辺境軍はいったん故郷に帰ることになり、リッシア王宮の外で宴が開かれた。
リッシア中から集められた衣類と食料が兵士たちに贈られ、手配したのはジークリート伯爵である。
「ありがとう」
留衣が言うと、伯爵は眉を上げる。
「礼を言わねばならんのは、私の方だ。言い遅れたが、よくやった。ありがとう」
微笑する伯爵を、留衣は照れながら見上げた。
よくやった、ありがとう――――。短い言葉が胸にしみる。
テーブルに並んだ料理は、あっという間に千人の胃袋におさまり、明るい笑い声が広がった。
ヴァイオリンに似た楽器が奏でる、陽気な音楽。歌声。高く組まれた木材が赤々と燃える周囲を、リッシアと辺境の兵士が入り混じって踊る。
歓声が聞こえ、振り返るとティリアン王子が人々に囲まれていた。
医師が言うところの奇跡が起こり、彼は目を覚ましたのだが、面会できない日がつづいていたのである。
「ティリアン王子、元気そうで良かった」
留衣が駆け寄ると、王子はほのかに微笑んだ。
「あなたのおかげですよ、ルイ女王」
「女王……その事で、お話が。あなたに話したいことがあるんです」
「散歩しませんか」
ティリアンにいざなわれ、留衣は彼と並んで歩いた。
王宮のまわりを果樹が囲み、甘く美味しそうな香りがただよっている。
「わたし、妖精王の代理になります」
「代理?」
彼はけげんそうに首をかたむけ、彼女を見つめた。
「いつか妖精の中から、本当の妖精王が現れるでしょう。たとえば、あなたが元気になってリッシア王位を継がれた時に。お父上のサフォイラス王は、あなたにラエンギルをゆずったんでしょう? あなたならきっと立派な妖精王になれると、信じたからだと思います。わたしも信じてます」
「僕が妖精王になるだろうと言いたいのですか?」
「はい。早く元気になって、剣と王位を継いでください。でなければ、他の妖精に盗られてしまいますよ。また奇岩平原族長のような奴が現れて、リッシアをねらうかもしれない」
「僕を気づかってくれているのですね」
王子は、淡い紫の瞳をまたたかせた。
「早く元気になることを誓います。妖精女王を支え、助けるために。ラエンギルが選んだのは、あなただ。リッシアもオークも僕も、あなたを必要としています」
「必要とされる限り、がんばります」
留衣は笑顔を返し、ティリアンの明るい笑みに、ほっと胸をなでおろした。
一時帰宅することにした留衣は、妖精たちに見送られ、アシュタリエンの下に立った。
ラエンギルをティリアン王子にあずけ、来た時のTシャツとジーンズを身につけている。
「これまでの例では、あなたに戻る意志がある限り、3つ数える間にこちらへ戻れるはずです。僕たちは、ここで待っています。戻る時は、オークの幹にふれてください。木は、いつでもあなたを受け入れるでしょう」
王子が言い、3つ数える間とはどういう意味だろうと留衣はとまどった。
理解できないままに、エルメリアが耳もとでささやく。
「早く帰って来てね。わたし達、もっと頑張らなきゃ。公爵めざして」
タンポポ族は、男爵の称号を得たはずだけど。エルメリアは満足してないんだなと、思わず笑った。
「戻りしだい戴冠式を行う。無事に戻れ」
ジークリートが言い、グリンが彼女の前に立つ。
「カゼひくなよ。厚着しろよ。冷たい風にあたるなよ」
「子供じゃないんだから」
「子供だろーが」
「ひどい」
グリンのさわやかな笑い声が、心地良くひびいた。
「行くぞ、留衣」
ゼウスが黄金の尻尾をなびかせ、うす紫の樹木に飛び込んだ。
「行ってきます」
留衣は笑顔で手を振り、オークの幹を正面に見て、緊張の面持ちで一歩前に出た。
紫一色の世界に包まれ、振り向くと妖精たちの姿は消えている。
足もとで、ゼウスが彼女を見上げた。
「2歩進めば、人間の世界だ。忘れるな、俺たちのことを」
「忘れない。みんなと約束したんだから。必ず戻るよ」
「待っている」
ゼウスの頭をそっと撫で、今度は足を踏みはずさないよう、真っすぐ前を見て進んだ。
ふいに光がおとずれ、目がくらむ。
細くまぶたを開くと、目の前に広がるのは亜門邸の庭園である。
地面に『不思議の国のアリス』の本が置かれ、午後の風が吹き抜けていく。
見上げると、オークは緑濃い葉をぎっしりと抱え、葉かげでドングリが寄り添うように並んでいた。
おじいちゃんが待ちこがれた、ドングリ――――!
真夏の庭園は薔薇と様々な花におおわれ、祖父の思い出と愛情に満ちあふれている。
盛り土を包むようにデイジーが咲き広がり、いけ垣はきれいに刈り込まれた黒っぽいヒノキだ。
桜の木に囲まれた池で、ピンク色に咲くスイレン。
リッシアに似てる。おじいちゃんが言った通りだ。ただの庭じゃない。妖精国と重なってる。
(おじいちゃん……)
助けてくれて、ありがとう。おじいちゃんが愛した庭は、きっと守るからね。じんわりとにじむ涙をぬぐい、歩き出した。
紅薔薇と白薔薇の間で、一輪のタンポポが風に揺れている。やったね、エルメリア!
「留衣~、おやつよ~」
祖母の声が聞こえ、勝手口まで一気に駆けた。
「おばあちゃん、わたし、妖精国に行って来た! おじいちゃんが、魔術師になってたよ!」
「あらあら。ずいぶん遠くまで行ったのね。お腹がすいたでしょう」
「うん」
ホットケーキを食べながら一部始終を話すと、祖母は目をうるませ、笑顔でうなずいた。
「おじいちゃんが、元気そうで良かった。亡くなってるのに元気そうだなんて、変だけど。いい夢を見たね」
「夢じゃないよ。そろそろ行かなきゃ。ホットケーキ、持って行っていい? おみやげに」
大急ぎで食べ終わり、ホットケーキの入ったタッパーを手にオークに飛び込むと、声が聞こえて来る。
「1,2!」
うす紫のかすみの向こうで待つ、金の魔獣。ティリアン王子、ジークリート伯爵、エルメリア、グリン。
大切な仲間たちが「3!」と声をあげる輪の中に、留衣は勢いよく飛び込んだ。
完
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
『12歳の妖精国冒険記』は、これにて完結です。
読者のみなさまに感謝!




