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6  妖精王と真夏の庭園  ③

 

「正気か……」


 ジークリートのかすれた声。


「もちろんよ。オークの森を作り、どんぐりをたくさん実らせます。決定よ。わたしに従ってくれるなら、実ったどんぐりは、まっ先に……」


 言い終わらないうちに、剣が突きつけられた。

 奇岩平原族長が剣を抜き、切っ先を留衣に向けている。


「ラエンギルを渡せ。人間が持っていい剣ではない。妖精の中から選ばれた王が、ラエンギルを持つ」

「いやよ。渡さない」

「取り上げろ!」


 奇岩平原族長が命じるや、蛮族の兵士たちが前に出た。

 彼女を守るようにジークリートとリッシア側の兵士が立ちはだかり、双方が剣を抜く。

 話し合いをするはずだった朝食の席は、騒然となった。


「わたしに従う者には、オークの苗木をあげる!」


 留衣は言い放ち、ゴクリとつばを呑んだ。

 わたすべきではないとジークリートは言ったけど、奇岩平原と枯れ谷とアシ湿原に1本ずつ、3本だけなら……。


 ゼウスはグルルとうなり声をあげ、彼女の言葉に兵士の動きがピタリと止まる。

 枯れ谷の族長が、目を見張って立ち上がった。


「枯れ谷にオークをくれると言うのか!」

「あなた方がリッシアに味方して、オークを助けてくれるなら。1本だけよ。残りの苗木全部を使って、森を作ります。どう思う、ゼウス?」


 魔獣は牙をむき、うなった。


「勝手なことを言うな。しかし、ラエンギルはおまえを選んだのだ」

「花蜜もくれ!」


 枯れ谷族長が、テーブルに手をつき身を乗り出した。


「それはできん」


 ジークリートが言い、留衣はすがるように彼を見上げた。


「節約するとか何とかして、送る方法を考えて。味方が困ってるんだから」

「こいつらを味方だと言うのか!」


 伯爵の顔が殺気立ち、留衣は口をすぼめた。


「オークと花蜜をくれるなら、枯れ谷は人間の子供を妖精王として黙認する!」

「気でも狂ったか!」


 目をむくアシ湿原族長に、枯れ谷族長はうなずいて見せ、奇岩平原族長が声を荒げる。


「馬鹿めが! リッシアを支配すれば、アシュタリエンも花蜜も手に入るのだぞ」


「馬鹿はおまえだ。こんな所で密談して妖精王を決め、他部族が納得すると思うか? 下手をすれば俺たちは攻められ、全滅だ。俺がここに来たのは、ルトガーを信じたからだ。ルトガーが妖精王に仕えると言うなら、俺もそうする。人間だろうが子供だろうが、花蜜とオークをくれるなら従おう。おい、留衣とやら。ラエンギルの名にかけて、花蜜とオークをよこすと誓え。枯れ谷は代償として、アシュタリエンを守る兵を出そう」


「本当ですか?!」


 留衣は飛び上がらんばかりに喜び、奇岩平原族長は「裏切り者め!」と吐き捨てた。

 枯れ谷族長の隣に、アシ湿原族長が並び立つ。


「オークと花蜜があれば、アシ湿原は昔の栄光を取り戻せる。背に腹は代えられん。オークと花蜜をくれるなら、俺はラエンギルの宣託に従う」

「貴様もか! 小娘の言うことなど信じるな。だまされるな!」


 奇岩平原族長が怒声を上げ、留衣はかっとなって叫んだ。


「だましてない!」

「私が保証しよう。リッシアは一定期間、味方の3部族に対し、花蜜を贈ることとする」


 ジークリートの声には、あきらめが混じっていた。

 敵兵士たちから歓声が上がり、


「嘘だ! すべて嘘だ!」


 怒りに顔をどす黒く染めた奇岩平原族長が、剣を振り上げ留衣に切りかかる。

 とっさに両手でラエンギルを握りしめ、留衣は族長の剣を受け止めた。

 鋭い金属音が空気を揺るがせ、蛮族の兵士たちは成行きを見ている。

 留衣を守ろうと一歩踏み出したリッシアの兵士を、ジークリートが止めた。


 皆に囲まれ、留衣と奇岩平原族長が切り結ぶ。

 ラエンギルは羽のように軽く鋭く切り込み、そのつどはね返され、留衣は歴戦の強者の剣がどういうものかを思い知らされた。

 切りつけても切りつけても、簡単にはじかれる。

 族長の強烈な一撃を受け、ラエンギルを取り落としそうになり、留衣の顔から血の気が失せた。


 腕力に欠けた腕が引きつり、息が荒くなり、弱気がおそって来る。

 負けるかもしれない――――。

 妖精王の剣を奪われるかもしれない――――。


「どうした、留衣! 押されているぞ!」


 ジークリートの声が飛び、


(せいいっぱい、やってるよ!)


 そう思った瞬間、族長の強烈な突きが打ち込まれた。

 敵の剣先が自分の心臓に近づいて来る様は、まるでスローモーションの映像だ。

 体を動かそうとしても、硬直して動かない。


(よけられない――――っ!)


 あああっと恐怖の叫びが腹の底からわき上がり、口を大きくあけた彼女の前に、はがね色に光るものが飛び込んだ。


(よろい――――?!)


 ルトガーが留衣と族長の間に立ちはだかり、族長の剣はよろいの腹部をつらぬいて止まった。


「ルトガー! 何のまねだ!」


 驚きに目を見張り、族長は剣から手を離して後ずさる。

 奇岩平原族長の剣が、魔術師ルトガーを刺しつらぬいている。

 その信じられない光景に、誰もが言葉を失った。


 ルトガーは、腹から力まかせに剣を引き抜き、放り投げた。

 留衣の視界いっぱいに広がったよろいに、くもの巣に似た亀裂が走る。


 金属音と共によろいがくずれ落ち、現れたのは小柄でやせた白髪の老人である。

 その後ろ姿に見覚えがある気がして、留衣は前に回った。


「……おじいちゃん?」


 忘れるはずもない祖父。

 なつかしい穏やかな笑みが、彼女に注がれる。


「どうしておじいちゃんが、ここに? どうして辺境軍?」


 留衣は祖父にすがりつこうとしたが、手はむなしく老人の体をすり抜けた。


「ああ、留衣。黙っていて、すまなかった。『果ての海』からリッシアを目ざして旅している間に、妖精たちからさまざまな恩を受けてね。恩返しをしているうちに、こうなってしまったんだよ。争いを収めようとしたが、力がおよばなかった」


「ううん。おじいちゃんは、やっぱり魔術師だった。森の王は、おじいちゃんに従ったもの」


「私が庭木を大切にしていたことを、森の王はわかってくれた。体は消えても、愛する心は消えないものだね。アシュタリエンの病が癒えたのは、おまえの力か? 誇らしいよ、留衣。よく治療してくれた」


「おじいちゃんのまねをしただけよ。おじいちゃんから教わった呪文を、I Love Youを、何度も唱えただけ」

「言葉だけでは足りない。おまえには、愛する力があるんだな。さすが、わしの孫だ」


 笑顔の老人から無数の光があふれ出し、ゆらめきながら炎のように立ちのぼる。

 小柄な体が天をめざし、少しずつ上昇した。


「おじいちゃん、どこに行くの? 待って」


「よろいを着ていても、長くこの世界にはいられない宿命だ。妖精国に行きたいという願いがかない、会いたかった留衣にもこうして会えた。もう思い残すことはないよ。私の庭園を頼む、留衣。みなも、後を頼む。どうか争わず、木を愛してくれ。木は決して裏切らない。愛せば必ず愛を返してくれるから」


 老人の手が留衣の頬に触れようとして、哀しく通り抜ける。

 留衣は、必死に祖父の腕をつかもうとした。


「行かないで。もっと話したいよ」

「笑顔を見せておくれ、私の大切な留衣。きっとまた会えるからね。I love you……永遠に愛しているよ……」


 きらめく光に溶け入るように、老人は消えた。


 静けさが戻り、留衣のすすり泣きがひびく。2度も別れが来るなんて……。ぬぐってもぬぐっても涙があふれ、止まらない。


「ルトガー……何と言うことだ」


 枯れ谷族長がうめき、蛮族の兵士たちはうなだれ、目がしらを押さえている。


「留衣は魔術師ルトガーの孫、彼の後継者だ。妖精王になる資格はある」


 グリンがのどを詰まらせながら言い、奇岩平原族長が言い返した。


「他部族は、そうは思うまい。人間の妖精王など、新たな火種をまくだけだ」

「黙って頂きたい。それ以上しゃべるな。よくもルトガーを……俺は、あんたを許さない」

「よせ」


 アシ湿原族長がグリンをなだめ、留衣に目を向けた。


「泣いている時間はないぞ。アシュタリエンが実をつけたという知らせは、またたく間に広がるだろう。次の手を打て、妖精女王どの」


 留衣は赤くなった目をこすり、うなずいた。


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