6 妖精王と真夏の庭園 ①
うっすら目を開くと、蒼い空とオークの若枝を背景に、薔薇の花びらが飛んでいた。
花の香りのする風が心地よく頬をなで、朝が近いことを告げている。
いつの間にか、眠ってしまったらしい。
肩に外套が掛けられ、これは確かグリンが着ていたはずと振り返ると、彼はアシュタリエンの幹にもたれ彼女を見ていた。
「人間は冷えると、カゼとかいう病気になるって聞いてるぜ」
「で、掛けてくれたの?」
「まあな。おまえ、寝てる時はかわいいな」
怒るべきか、感謝するべきか。
留衣はグリンに歩み寄り、「ありがとう」と外套を突き出した。
オークから離れた場所で、辺境軍とリッシア軍がにらみ合いながら野営をしている。
「あれから、どうなった?」
尋ねると、グリンの赤い眉が上がった。
「王室蝶部隊が、ジークリートの部隊に合流した。お互い相手の出方を見ながら負傷者の手当てをし、誰かがアシュタリエンに近づこうものなら血相を変えて止めた。おかげで俺は腹が減った」
留衣は、くすっと笑った。
「わたしもよ。食事をしながら話し合いましょう。どう、ゼウス?」
「賛成だ!」
ゼウスに尋ねたつもりなのに、答えたのはグリンで、留衣はあきれ顔で首を振った。
両陣営の間にテーブルが置かれ、ルトガーを中心に奇岩平原・アシ湿原・枯れ谷の各族長、グリンが陣取り、向かい側にジークリートと留衣がすわった。
テーブルの後ろに両陣営の兵士が立ち、目から血を吹き出しそうな勢いでにらみ合う。
王宮から運ばれた料理が並べられ、グリンの旺盛な食欲にあ然としながら、留衣は足もとにすわるゼウスに代わって熱弁した。
「……というわけですから、戦争をやめて森が育つまで待ってください。辺境の方々は森のまわりに住み、花を育ててください。リッシアの人々は、これまで通りの場所に住むとよいと思います。どうか皆さん、仲良くしてください」
「リッシアの者どもは、立ちのくことで話がついたはずだ」
アシ湿原の族長が、脅すような声音で言う。
「王子がそう言っただけのこと。危ういところで敗戦をのがれた者が、権利を主張するのは図々しかろう」
ジークリートが冷ややかに答え、辺境の各族長は声を荒げた。
「敗戦は、そちらだろう。あのまま続けていれば、俺たちが勝っていた」
「リッシアもアシュタリエンも、俺たちのもの。おまえらはこれまで、いい思いをしただろう。今度は俺たちの番だ」
「みんなが、いい思いをするんですよ!」
留衣が声を張り上げたが、聞く者はいない。
各族長と、その背後に立つ兵士たちが口々に権利を主張し、場は騒然となった。
「オークの種は、20個ある!」
アシ湿原の族長が立ち上がり、たわわに実るどんぐりを指さした。
「それぞれの部族が持ち帰ればいい。運が良ければ、実をつけるオークに当たるだろう」
当たる?! まるで、くじ引きみたい。
留衣は唇をかみ、立ち上がった。
「黙ってください! みんな黙って! これについてはゼウス――――オークとわたしが決めます。種は、持ち帰れません。みんなで森を作るんです。みんなで力を合わせ、オークを育てる。これは決定です!」
「何でおまえが決めるんだ」
奇岩平原の族長が、すさまじい怒りの形相でにらみつけ、留衣はひるみそうになった。
「人間の小娘ふぜいが、奇岩平原を治める俺に命令できると思うな」
誰がアシュタリエンの氷を溶かし、実を実らせたのよっと言いそうになり、かろうじて抑える。
「どんな立派なお国か知りませんけど、ここはリッシアです。キガン何とかじゃありません」
何とかして皆を説得しないと。
留衣は、必死に知恵をしぼった。
辺境の国々が苦境にあるのはわかるけれど、どんぐりを持ち去られたら、アシュタリエンはまた病気になってしまう。
やっと氷が溶け、子供たちが生まれたというのに。
辺境の妖精たちには、耐えてもらうしかない。
「みなさん……」
留衣が言いかけた時、奇岩平原の族長が小ずるそうな顔つきで皆を見回し、言った。
「ここは、ルトガーにまとめてもらおうではないか」
ルトガーの名が出るなり、場は静かになった。
皆の視線を受けたルトガーが、口を開く。
「妖精王を決めればいいのではないか? 妖精王に従うというのが、古来よりのしきたりだ」
アシ湿原の族長がルトガーをちらっと見て、どさりと椅子に腰をおろした。
「王による。サフォイラスはアシュタリエンの実が生っても、一度も俺たちによこさなかった。それだけでなく約束を破り、俺たちに援助する花蜜の量を減らした」
そうだそうだと声をあげる族長たちに、ジークリートは眉をひそめた。
「アシュタリエンの実は、一度に数粒しか生らなかった。種を必要としていたのは、おまえ達だけではない。花蜜の生産量は近年、大幅に減少している。援助したくても、できなかったのだ」
「そのサフォイラスはくたばり、息子のティリアンもくたばりかけている。ラエンギルはまだ次の妖精王を選んでいないのだろう、ジークリート?」
「王の印は、現れていない」
「王の印って?」
問いかける留衣に、族長たちの冷たい視線が突き刺さる。
「人間には関係のない話だ」
留衣は、唇をすぼめた。
ラエンギルを持ってるのは、わたしなんだけど。
「では、こうしよう。この場にいる者が、順番に一人ずつラエンギルを手に取る。王の印が現れたら、その者が新しい妖精王となり、リッシアとアシュタリエンを支配する」
枯れ谷の族長が言ったが、奇岩平原の族長は首を横に振る。
「ラエンギルに頼らず、皆で話し合って妖精王を決めるべきだ。大昔は、そうしていたではないか。俺は、ルトガーが適任だと思う」
枯れ谷の族長は、顔をしかめた。
「大昔に戻れと言うのか。ラエンギルが現れる前は、各国が集まって話し合ったが、けっきょく戦争になった。国は荒れ、横で見ていた者が泥棒のように王位をかすめ取った。卑怯者を王にするくらいなら、剣に決めてもらった方が気分がいい」
「ルトガーを、泥棒よばわりする気か」
奇岩平原の族長は顔色を変え、アシ湿原の族長が取りなした。
「そうは言っていないだろう。ルトガーを妖精王とすることに、俺は賛成だ。ただし、オークの種をよこすという条件付きで」
「ルトガーは人間だぞ。人間を妖精王にするなど前例がない」
「なければ作ればいい。ルトガー以外に、我々をまとめられる者がいるか?」
奇岩平原族長は、皆に問いかけるようにテーブルから身を乗り出した。
ルトガーが、静かに言葉を放つ。
「ラエンギルを握り、印が現れれば王となろう。現れなければ、ラエンギルが選んだ王に仕えよう。それでいいのではないか?」
「謙虚過ぎるぞ、ルトガー」
どの族長もそれぞれの思惑を胸に秘め、全員の視線がラエンギルと留衣に集まる。
留衣は、迷いながら剣をテーブルに置いた。




