5 翼の魔獣と光の呪文 ④
その頃ジークリート率いる50余名の軍勢は、花々をふみ分け、アシュタリエンまで数十メートルの位置に来ていた。
王宮に10名を残し、王室蝶部隊に20名をさき、残った全員を歩兵部隊に投入している。
真夜中のうす明るい空の下、黒の森からかん高い声が聞こえ、「始まったな」とジークリートがつぶやいた。
王室蝶部隊が、石の投下を始めたのだ。
アシュタリエン周辺で野営していた辺境軍は、いち早くリッシア軍の動きに気づき、戦闘態勢をとっている。
蛮族たちが整然と並び、最前列で射手部隊が弓を引くのを見て、ジークリートは振り返った。
「用意はいいか。始めるぞ!」
ジークリートの合図とともに、ずらりと並んだ兵士たちの詠唱が始まった。
低い声が不可思議な音階をともなって風に乗り、対抗するように辺境軍の射手部隊が弓をぎりぎりと引きしぼる。
矢が空に向かって放たれた瞬間、地面が割れた。
土と薔薇を吹き上げ、飛び出したのは木の根だ。
上空でクネクネと曲がる巨大な根に、矢が突き刺さる。
根は絡まり合ったまま勢いよく蛮族の頭上に落ち、叫び声が飛び交った。
「うおおお――っっ!!」
剣を抜いた辺境軍が、リッシア軍めがけ突撃する。
木の根にからめ取られ、地面に叩きつけられ、転がる味方を乗り越えて突進した。
またもや地面が割れ、現れたのは細長い穴である。
穴底には木杭が立てられ、蛮族たちが次々と落ちて行く。
悲鳴とも絶叫ともつかない声がひびき渡り、戦場は血まみれの修羅場と化した。
「ルトガー、何とかならんのか」
奇岩平原族長が、アシュタリエンの下で戦況を見ていたルトガーの隣に立った。
「私の知らない植物だ。手に負えん」
はがねのかぶとを反響させる冷ややかな声に、族長は首を振る。
「グリンを魔界にやるのではなかった。仕方がない。敵を燃やすぞ」
「やめておけ」
「他に方法があるか? このままでは負け戦だ」
族長は両手を高々とかかげ、呪文を唱えた。
野営のために灯された火が風にあおられ、敵陣へと流れていく。
小さな灯火は見る間に大きな炎となり、薔薇を燃やしながらリッシア軍に襲いかかった。
「水よ!」
ジークリートが一声叫ぶと、木杭の穴から水が吹き上がり、せまり来る炎をせき止めた。
水にふさがれ消え行く炎を見やり、奇岩平原族長は舌打ちした。
「こうなったら力でねじ切るぞ。炎と風を操れる者を集めろ。他の部族にも声をかけろ!」
「待て。アシュタリエンの様子が、おかしい」
族長から視線をそらし、ルトガーは木を見上げた。
戦闘に気をとられている間に氷の膜が溶け、うす紫の幹が光を発している。
枝がするすると伸び、葉が生い茂り、若い枝がさらに天上めざし伸びていく。
木のいただきから光があふれ、噴水のように吹き上がったかと思うと、輝く魔獣が飛び出した。
こぼれ落ちる光が薄紫の樹木を包み、留衣を乗せた黄金の巨獣が枝にとまる。
赤い髪の少年が、ゼウスの尻尾からオークの枝に飛び移り、幹にしがみついた。
「何てことしやがる。こっちは飛ぶことに慣れてないんだ。死ぬかと思ったぜっ」
悪態をつくグリンを横目で見て、留衣は前に向き直った。
焼かれた薔薇と、倒れ伏した血まみれの兵士。
目をおおうばかりの光景に彼女は言葉を失い、ゼウスが吠える。
雷のような咆哮がとどろき、剣を振り上げ戦っていた者たちは、驚いてアシュタリエンをあおぎ見た。
「――聞け、妖精たちよ! 我が名は、オーク。汝らに伝える。我が世界で、争いは許さない。双方、剣を収めよ!」
魔獣の言葉が地上を走り、妖精たちは戦闘どころではなくなった。
一体、何が起きたのか。
アシュタリエンは、どうなってしまったのか。
樹木のいただきから吹き出す光は空まで達し、雲のようにたなびき大地をおおっている。
若い葉の生い茂る枝に金色の魔獣が立ち、その背に人間の娘が乗っている。
驚きに目を見開き、兵士たちは一人また一人とアシュタリエンに駆け寄った。
その中には、ジークリートを中心とする50余名のリッシア軍も含まれている。
「――絶望と哀しみが我を凍らせ、希望が我を救った。我はオークの森を復活させ、この世界を再生する。妖精たちよ、共に生きよう。この世界で、共に生きて行こう。そのために力を貸してもらいたい」
「何をすればいいのだ?」
ルトガーが尋ね、ゼウスの金色の眼が彼に向けられる。
「――森を作る。種を植え、水をやり、オークの子供たちを育ててくれ」
「種は、もう百年以上も見ていないぞ」
蛮族の一人が声を上げ、「あれを見ろ」とルトガーがオークの枝を指さした。
20粒のどんぐりが枝に下がり、金色に輝きながら揺れている。
「オークの実だ!!」
「奇跡だ――――!」
兵士たちから、歓声があがった。
「種があるなら、枯れ谷に植えてくれ。森を作るなら、枯れ谷に作ってくれ」
枯れ谷の族長が叫び、ジークリートの声が飛ぶ。
「リッシアに移住するのではなかったのか」
「全員ではない。病気やケガで動けない者がいる。長年住み慣れた枯れ谷から、離れたがらない者もいる」
「アシ湿原には水がある。オークの苗木さえあれば、充分暮らしていける。一本でいい、苗木をくれ!」
族長たちの声は、悲痛だった。
「ケガ人の手当てが先よ! わたしは留衣。オークの友だちです。手当てが終わったら、話し合いましょう!」
「仰せの通りに。オークの友人どの」
ルトガーはクックッと笑い、留衣に向かって丁重にお辞儀をした。
「朝になったら、ここで会談を行おう。オークと話ができるとは楽しみだ」
北の空がレモン・イエローに輝き、風は吹いていない。
薔薇風が吹くまでどのくらいの時間があるだろうと思いながら、留衣は地面に降り立った。
辺境軍はルトガーの命令で自軍の回収を始め、ジークリートは王室蝶部隊に使いを送ろうとしている。
ひとまず停戦したように見えるが、ぴりぴりした空気が流れ、危険な状態に変わりはない。
留衣が地面に腰を下ろすと、ゼウスが彼女の隣に横たわった。
「オークに尋ねたいことがあるんだ」
グリンがゼウスの前でひざまずき、胸に手を当て頭を垂れる。
「あなたは、共に生きようと言われた。ということは、俺たちに苗木をくれるんだろ?」
「まだそんなことを」
留衣がにらむと、グリンは口を引き結んだ。
「おまえには、わかるまい。飢えで家族を失う悲しみが。もう誰も飢えさせたくない。そのためには、どうしても苗木が必要なんだ」
「かつて妖精は、留衣と同じ力を持っていた」
ゼウスは金色の頭を振り、黄金の眼をグリンに向けた。
「しかしその力は、信頼と共に失われた。飢えたくなくば、信頼を取り戻せ」
「どうやって」
グリンの問いかけにゼウスは答えず、留衣はグリンのけわしい横顔をちらっと見た。
飢え――――。族長たちの、あの必死な姿。
辺境の暮らしは、それほどまでに悲惨なのか。
20粒の種で森を作ったとして、次の種が収穫できるのは百年後だ。
辺境の民は、豊かな土地を求めて戦争をつづけるだろう。
妖精を助けようとすれば、オークが滅びる。
どうすれば一番いいんだろうと、留衣はうなだれた。




