ラス、王の試練に挑戦する
久々のなろう投稿です。どうかよろしくお願いいたします。
いけおぢ豊穣祭3に参加したかったけど、字数が超えてしまったお話供養。
第一王子、ラスの朝は早い。
森を縦横無尽に駆け、バッシュフルから逃げ切らなければならないのだ。辺りは夜明け前の静寂に包まれ、ハッハッと短く刻む自分の呼吸音すら今の彼にとっては雑音になるほど。
夜の明けやらぬ木の根の這う道なき道をゆく彼の表情は、すでに厳しいばかりでなく、つい先ほどから苦しげに歪み始めていた。
ほとんど聴覚と反射だけで自然の障害物を避け、ともすれば着地点に仕掛けられている罠をも見破って『ハウス』に戻る――それがラスに与えられたバッシュフルからの課題だった。
歩けばほんの四半刻の距離も、ラスにとっては周囲が闇で沈み昨日と異なる場所に罠が据えられていることで永遠に感じられた。挑戦し始めてふた月。未だ半分も攻略できていない有様だ。
「!」かすかに耳をくすぐった風切り音。
ラスは慌てて横に跳んだ。
しかし無理な態勢の跳躍は次をかわす間合いを生まず、鋭い蹴りが彼の脇腹を打った。紺黒の髪が顔を覆い、せめて苦悶を隠した。
弾かれた体が弧を描く軌道の半ば彼の背中は木の幹に受け止められ、衝撃によって物理的に息は一瞬止まった。
「うぅ、いっ……ぐぅっ」
「ハァーイ、通算59回目の簒奪、成・功〜」
隆起した根と根の間で起きあがろうとしたラスだが、激しい痛みに呻くしかできなかった。自嘲を発することもできず歯を食いしばった。
「やっだぁ、昨日の方がイイ感じだったのに残念ん〜」
音もなく、横倒れた彼の眼前にブーツの先が着地した。それは皮に精緻な彫りを入れた高級な代物で、着飾ることが大好きなバッシュフルのお気に入りだ。
「あぁ背中やっちゃった? もしこれが本当の謀反なら一瞬で首取られてるからねぇ王子さま」
脂汗を流して唸るラスににっこり笑うと、バッシュフルは治癒魔術をかけた。途端に痛みは一瞬で霧散し、ラスは深く息を吐くことができた。
「う……すま、ない」
「やだぁぁラスちゃんたら。これくらいガヴァネスなら、ちょいよ!」
ちょいと無防備な額をつつかれ、ラスは込みあげたやるせなさに目を伏せた。
バッシュフルは彼の体術の家庭教師。
体術専門とはいえ優秀ゆえに魔術ならそつなくこなす。ラスに仕える七人のガヴァネスたちも、もれなく同じだ。中でも治癒は一握りの魔術師だけが使用を許される特別なものだが、彼らは当たり前にその力を振るう。
このふた月、ラスは数えきれないほどの怪我を負い、治癒を施される度に自分の無力を思い知ってきた。
(やっぱり今日も……全然ダメだった)
したたかに蹴られた脇腹を撫でた。
ラスとて、この森に連れてこられたころは盲目的に課題に取り組んでいたが、いまは立ち上がる気力もない。
(できそこないだ……僕なんて)
ナメクジよろしくつむじを晒し続けるラスに、バッシュフルが「ちょっとぉ」と呆れて腕を組んだ。
「そんな情けない顔しなさんな! まだ十月もあるんだから、鍛錬あるのみよ」
「……あと十月も……いやだ」
うっかり本音が漏れた。
「ふぅんん?」
低い剣呑な声が聞こえ、ラスは青ざめた。こういうときのバッシュフルは少々面倒くさくなる。
「うふふ。若い子が悩むのは大好物だけど、へりくだりすぎはナメられる原因よねぇ? まぁ臣下に無駄に媚びるのも戦略かもね、でもソレ、長生きはしないと思うわぁ」
「……いや、その」
「第一王子ランロッド=ノウス、立ちなさい」
ラスは立ち上がった。ここに来てから、彼は命ぜられる者の気持ちを知った。
バッシュフルの鋭い視線に冷や汗が噴き出した、どうやっても彼には勝てない。逆らっては負ける。
いつの間にか空は淡く白やみ、バッシュフルの見事な肉体美が――洒落者らしくシャツを着崩す彼の少々露わな胸には、鍛えられた筋肉による谷が、そして少女の腰ほどもある上腕も太腿も、窮屈さに布をぴぃと張りつかせている様子が森にくっきりと浮かび上がっている。圧力がすごい。筋肉である。
「うふふ、素直さは貴方の美徳ね。だけど王子さま、恐れながら諫言いたしますわ。『王の試練』を達成するにはたった一つの条件しかございません」
バッシュフルは建国神話の魔王と見紛う凶悪な微笑みを浮かべ、
「ガヴァネス——そう、あたしたちに勝てるくらい強くなることよ!」
容赦なくラスに激しい蹴りを繰りだした。
***
ラスの試練は夏の盛り、ふた月前に始まった。
――その朝、ランスロッドは幸せな気分で寝台を降りた。
枕元に並べて置いた真新しい指環を身につけ、光り輝く短剣を手に取って微笑んだ。それは昨夜のうちに先んじて渡された、父母からの贈り物。
私室に招かれ「十六歳おめでとう」と祝われたことだけでも珍しく喜ばしいことで、王家のみに許された意匠の施された品をもらったことで、彼は父母に初めて大人として認められたような心地になっていた。
国を象徴する大樹、空に輝く星。彼は指で彫りの縁をなぞり、「ふふ」と少年らしい笑みをこぼした。
母后譲りの紺黒の髪と父王から継いだ青の瞳、整った容姿は近ごろ大人びて見えるとご夫人方からも評判だ。彼自身も父に近づいてきた背丈を誇らしく思っていた。
(あと二年で僕も成人。早く皇務でもなんでもいいから外の世界を見てみたい!)
彼は第一王子ゆえに王宮からほとんど出たことがなかった。父母は仲睦まじいが弟妹はいない。
交流自体がないので親しいと思える友人もおらず、まだ婚約者もいない。穏やかだが刺激のない日々の中、近い未来の、立派で自由な自分を想像することで退屈を紛らわして過ごしてきた。
立場上、大切にされているのだと理解できてはいるが、彼にとってはつまらない不自由な生活――。
ラスの生まれたノウス国は大陸を四分割するうちの北を治める大国だ。雪の降る地域の生産性を南側で賄い、そのために限られてしまう産業を北側で加工し水運を使って他国と交易をおこなう。ここ五十年は大陸内も平和で面倒な小競り合いも内紛も起きていない。
そんな時代に王のひとり息子として生まれた彼は、王族からも近しい使用人からも国民からも温かく見守られ――――少々、過保護に育った。
ラスは何度も見事な彫りの鞘を撫でた。式典用と比べれば地味だが、驚くほど軽く抜き身で振ると実用的な品だ。
(そうだ侍従に短剣用のベルトを持ってきてもらおう。どうせなら新しく誂えてもいいな)
出かける先もないので、貯まるばかりの小遣いの使い道を思いつきますます心躍らせたときだった。
突如、部屋に禍々しい大鏡が出現した。二人並んで写しても余裕があるほどの。しかしその鏡面はこの世の何も映さぬ闇色に濁って揺れている。
(まさか禁術……!)
「近衛入ってきてくれ! 応援を!」
王子としてそれなりの鍛錬を積んでいた彼は叫び、自身に防護魔術を展開した。
「王子⁉︎ これは一体」「いま近衛は……!」
しかし幾人かが彼の私室に飛びこんでくるわずかな間に、彼の魔力の盾は鏡から蔦のように伸びた魔力によって氷を溶かすごとく簡単に破られた。そして彼は臣下の怒号の響く中、あっさりと大鏡に吸いこまれた。
「ランスロッド……ラス。大丈夫か、しっかりしろ」
ラスはどこか聞き覚えのある声に目を開けた。
すると、側仕えの侍従にも騎士にも見えないボサボサの髪の男が自分を見下ろしており、「わぁ!」と飛び起きた。
「よかった、元気そうだな」
「だ、誰だ……いや、ここは……」
紺黒の前髪が長すぎる男はひとつ口元だけで笑むと、立ち上がり一歩下がった。
代わりに今度は、白金色の美しい男が彼に話しかけた。
「はじめまして、ラス」
「ラス?」
まさか見知らぬ臣下から愛称で呼ばれるとは思っていなかった彼は、自分を覗きこむ男とその他の男たち、そして見覚えのない簡素な室内の様子にようやく身を強張らせた。
(拐かしだ!)
あの大鏡は魔呪具だったのかと、歯を食いしばる。この人数では勝ち目はない。
(どこだ、ここは)
どうにかして近衛に知らせなければと忙しなく視線を揺らした。
しかし、
「ぶえぇくしょんっっ……! うあーつらぁ」
「……スニージー。いまから大事なところですから声は抑えなさい」
「ふあぁいドック。ごめんずるずる」
「ちょっとぉ、早くベッドに運んであげたらぁ? ラスったら床で可哀想じゃない」
「(お前が運べばいいだろ、筋肉だし)」
「いまあたしを馬鹿にしたの誰よ! 外に出なさいっ」
「ドアは開けないで……ずるっ」
何の緊張感もなく会話する男たちに、ラスはぽかんと口を開けた。見ればみな身なりは整った三十がらみで、賊にしては麗しい顔面が並んでいる。
ごほん。初めに話しかけたボサボサの男が、ラスに手を差し伸べた。
ラスはその自然な物腰に、思わず手を取って立ち上がってしまう。そして促されるままやはり簡素な木椅子に腰掛けた。
ただし頭では、
(どうする……どうやって切り抜ける……?)
と思考をフル回転させていたが。
なーんか素直すぎてつまんなくね? こらお黙り。むしろ鍛えがいがありそうだと思いませんか。俺もそう思うぞ。
だからそんな面白がるいくつかの声も、考えこむラスにはよく聞こえていなかった。
すると再び、白金色の男が碧い目を優美に瞬かせ、彼に話しかけた。
「急なことで驚いたでしょう。ここは『王妃の森』にある王族専用の『ハウス』と呼ばれる別邸。少々素朴な造りですが危険はありません」
「王族専用?……お前は?」
柔らかな口調と所作から少しは話が通じる相手のようだと、ラスは少々強張りを解いた。長い白金髪を後ろにリボンで結えた四十がらみの美しい男は「ドックと」と、短く答えた。
「ここにいる者は、みな貴方のガヴァネス。約一年の間、貴方を身も心も王にすべく集められた者たちです」
「ガヴァネス……? 聞いたことがない。詳しく話せ」
「はい。直系の王族はみな十六歳のその日に、この王妃の森に預けられると決まっています。期間は十七になる前日まで。王宮内では厳重な魔力を以て秘匿されていますので、このことをラスが知らないのも当然のこと」
ドックが、ラスの目の前で自身の左手を右手でするりと撫でると、中指に指環が出現した。ラスはその見覚えのある装飾に、ハッと自分の指環に触れた。同じものだったのだ。
「これは王妃の森に入るための魔呪具。十六の齢になった王子、そして七人のガヴァネス全員がこれを身につけた瞬間、黒の大鏡が発動してここに転移するよう仕組まれています」
「仕組まれて……一体、誰に」
「代々の王の認めた、しきたりに」
しきたり。それはラスにとって絶対の権限を持つ言葉だ。彼の肩からは力が抜けた。それならば抗っても仕方なく、父も母も承知の上のことで拐かしではないと無条件で理解したのだ。
眉をかすかにひそめたドックは他の男たちに手を振り、いまだ続いていた軽口をやめさせた。
「我々七人のガヴァネスはそれぞれ一つずつ、貴方に課題を出すでしょう。これを『王の試練』と呼び、七つすべての達成を以て、貴方は即日成人の儀に臨むことができます」
「試練……七つの課題。待て、成人の儀は十八からでは?」
「えぇ。もちろん、一年の間に合格できなかった場合は通例通り十八歳に儀式を。ですがもし『王の試練』を達成すれば、その者は皇務に耐えうると認められたも同然です。王族臣下皆諸手を挙げて貴方を即戦力と称えるでしょう」
「合格すれば……」
(すぐに皇務で外に出られる……⁉)
「もし十七になる前に成人の儀を認められちゃったら、すんげぇ盛り上がるぞー」一番若そうな明るい金髪がぴゅうと口笛を吹いた。
(十八まで待たずとも!)
それは震えが走るほど悦ばしい感情だった。あと二年は待たねばならないと思っていたのがほんの少し先の未来になるばかりか、これ以上ない誉になるのだ。
寝巻きのひらりとした布地に、窓から入る陽光が撥ねてさやかに彼に照った。頬が熱くなっていく。
「課題科目は礼儀作法、三基礎の火・水・風魔術、体術、歴史そして遊び。七科目の授業は三日後から始めます。あぁこの建物は伝統に従って少々古めかしいですが、八つの部屋にはシャワーつき、ここ食堂につづきのリビング、キッチン……食事は王宮から届けられますから……」
ドックの話は続いていたが、ラスはその途中、興奮で椅子を鳴らして立ち上がった。瞳をきらきらと輝かせ、取り囲む男たちに宣言した。品行方正な王子そのものの表情で胸に手すら当てて。
「ガヴァネスたち、これからよろしく頼む! 僕は絶対に試練に合格してみせる!」
――こうしてラスは王妃の森での生活を始めたのだが、一年を待たず逃亡を企てることになる。
ガヴァネス紹介
ドック(先生)…礼儀作法
バッシュフル(てれすけ)…体術
スニージー(くしゃみ)…風魔術
クランピー(おこりんぼ)…火魔術
ドーピー(おとぼけ)…水魔術
ハッピー(ごきげん)…遊び
スリーピー(ねぼすけ)…歴史




